介護というには大袈裟ですが。

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体の痛みより痛い自信の喪失。9

2022-09-19 06:07:06 | 日記
母は、ふらつき、壁に右肩を強打したものの、そこまで大事には至らなかった。
その日は、応急処置的にシップを貼り、翌日近くの外科に私と行くことにより、一時的に、痛みは回復をした、少し腫れているので、塗り薬とシップを多めに外科の先生から貰い、何かあれば、また来てくださいね。
という感じだった。
母は少し元気を取り戻し、毎日朝、夕の2回、塗り薬をせっせと塗って、几帳面に決まった大きさのシップを貼った。
そのかいもあって、腫れた肩から脇腹も少しずつ回復をした。
ただ今までより、母に元気のないのが気がかりだつた。
母はコロナ禍の前は週に3日、異なる習い事をするほど外出をした。しかしコロナ禍において、習い事が隔週になったり、一時休養になったりしていた。それが少しずつ再開するタイミングでの、ふらつきだった。
母は習い事に行くことを少しためらい始めた。体の痛みはなくなったが、精神の痛みは消えていなかったのである。
『もう年だから、習い事は、みんなに迷惑かねぇ』
母が私に告げた。




大事にはいたらなかったが。8

2022-09-19 04:52:18 | 日記
母は電話を取ろうと立ち上がる時に足を滑らせ右に大きくよろけた。
私の脳に強い衝撃が走った。
その時、幸いな事は、母は壁に右肩を強打したものの、頭は打っていなかった。グループホームの90歳のおばあちゃんとの一番の違いは、頭を強く打たなかった事。それにより右肩の強い打撲と腰をひねったことにより、動作がぎこちなくなったものの、最悪の結果は回避出来た。
母は感情を表さず無表情だった。時間にして、30秒位だったかもしれない。
しかし、その、ほんの少しの30秒が私にとっては忘れられる事の出来ない、長い長い30秒だった。
あんな母の表情は見たことなかったからだ。
すぐに子供達が駆け寄り声をかけた、母はやっとそこで表情を取り戻し、気丈に、そして笑顔で振る舞った。
鳴っていた電話のベルは、気づいたら切れていた。