介護というには大袈裟ですが。

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明日を生きることを拒否しょうとする君たちへ

2023-08-31 11:09:55 | 日記
出来れば頑張ってほしいが、どうしても嫌なら嫌と言っていいと思いますよ。人それぞれの事情があるから一概に言えないが。
ゆっくりゆっくり。人生長いですからね。
結論は焦って出さないで大丈夫だと思いますよ。

寒くなると思い出す あの人 (25) 最終回

2023-02-23 06:32:29 | 日記
ツネ師匠のお嬢様は希望の会社に入社、数年たった後、同僚の方と結婚し、2人の子宝に恵まれた。お子様もスクスクと育ち、今では社会人として、ご活躍されている。ツネ師匠の奥様は早い段階で娘夫婦と同居、お嬢様の家事、育児をサポートし充実した毎日をおくられていた、そしてお孫さんが、一区切りついた現在は趣味に没頭し、年をとるのを忘れる位多忙
な毎日をおくられている、80歳を超え、なお健康だという。

ツネ師匠から言い渡された30年前の宿題は完成し、提出を待つばかりだが、肝心の先生がまだ、来ない。後20いや30年後かもしれないが、提出出来るよう私の自宅の机の上から2番めの引き出しの奥に、ひっそり、そして大事に保管してある。
ツネ師匠の採点が楽しみだ。

寒い時期ではあるが少しずつ春の足音が聞こえる。
そんな時、いつも彼を思い出す。

今年も競馬新聞を持って浅草の国際通りを一つ入った焼肉屋にツネ師匠に会いに行こうと思う。
『今年も中山記念が来ました。私はヒシイグナスだと思いますが、ツネ師匠は何からいくんですか?』
と。
寒くなると思い出す あの人                終わり。

寒くなると思い出す あの人 (24)

2023-02-22 05:51:26 | 日記
持病が悪化し、一人娘のお嬢様の学費と引き換えに我が社に入る前の会社を早期退職されたツネ師匠は将来の事を考えると眠れぬ日々を過ごしていた、そんなツネ師匠の近況を知り、社長が我が社に彼を誘った。我が社の二代目社長とツネ師匠は釣り仲間で旧知の間柄であった。彼はご迷惑になると断ったが。
『お前に期待してない、座っているだけで良いから。』
『お前のためではない、お嬢さんのためだ、奥さんも家にお前がずっといたら大変だろ。デイサービスだと思って来い。』
と強引に入社させた。
そしてお嬢様の卒業の目処がたち、体力が少しきつくなると同時に彼は我が社を去った。最初から期限付きの入社だったのだ。社長は彼の退職をおもいとどまるよう説得したが、ツネ師匠は体力が追いつかない、最後は奥様と近場でも散歩しながら余生を過ごしたい。との強い希望があり、社長も仕方なく了承した。ツネ師匠は思うところがあったのかもしれない。
余談だが、月給、賞与、退職金の類は相当破格だった。と聞いている。社長はツネ師匠に
『金の事は、皆に内緒な。』
と頻繁に言っていたという。
今では、なかなか考えられないが、バブルの名残りがあり、ワンマン社長の裁量権が強かった時でもあった。
考えて見るとツネ師匠に色々連れてって行ってもらったが、彼はあまり深酒をしていなかった。気を使いながら私達の面倒をてくれていたのだろう。
お嬢様はツネ師匠がお亡くなりになった年の4月、希望の会社に入社される。

寒くなると思い出す あの人 (23.)

2023-02-21 06:04:55 | 日記
ツネ師匠のお通夜は、お寺にて執り行われた。我が社従業員はそれぞれ、全員参加でお寺に向かった。
ツネ師匠の人柄が偲ばれるように沢山の方々が参列、列席され。私達も彼との最後の別れをして、故人を偲んた。
そんな中、彼の家族と思われる、40代後半位の奥様と、二十歳前後のお嬢様がいらっしゃつた。
私は少し意外だった。勝手に、お孫さんがいるものだとばかり思っていたのだ。
聞けば一人娘のお嬢様はその年の3月に大学を卒業し、就職も決まっているとのことだった。せめて卒業式を見届けて欲しかったと奥様は思ったそうたが、お嬢様の就職を区切りにツネ師匠は少し肩の荷をおろし、ホッとしたかのように人生のピリオドを無念さを残しつつ、うたれた。
これも後日わかることだが、我が社に入る前にすでに持病は悪化し、前の会社を退社、退職金でお嬢様の学費を払い終えた。ただ先々の事を考えるとツネ師匠は眠れない日が続いたと奥様は言っていた。そんな中、釣り仲間で旧知の仲だった社長がツネ師匠の近況知り我が社に誘ったとのことだった。
困っている人を見ると、損得抜きで、ついカッコよく振る舞ってしまう脇の甘い2代目らしい行動特性であり、私はそんな彼が大好きだった。そして私自身、箸にも棒にもかからないときに彼に拾われた経験があった。
その話しは長くなるので、後日ユックリ。

寒くなると思い出す あの人 (22)

2023-02-20 06:20:48 | 日記
ツネ師匠が退社され新年度を迎えた。時折ツネ師匠の事が話題にはなるも、日々数字数字に追われ、少しずつツネ師匠の話題が少なくなり月日が流れた。夏が来て、秋が来て、冬が来て、年が明けて2月の末の土曜日、その日お昼前後から雪が降り始め、私は土曜の半ドンを利用し午後3時には自宅にいた。競馬中継を呑気に見ていたのだ。フェブラリーSが行われ雪の中ホクトベガが勝利した日である。(競馬に興味のない方、申し訳ありません。)
そんな中会社の仲間から電話があった。
『いきなりたが、ツネさんが、お亡くなりになった。来週告別式とのこと、連絡事項なので、頭に入れておいてくれ。』
私は突然の事でビツクリした。
温度が極端に高い、低い日は人間が弱くなりやすいとはいえ、思いもよらぬことだった。聞けば元々持病があり、昨日のお昼手前に静かに息を引き取ったという。
非常に安らかな死に顔だったと伺っている。それにしても突然すぎる。
お通夜はその週明けの月曜に決まり、社内で参加する事となった。