大誠舘 宮崎師範Blog🔥

日々の稽古、諸活動を通じ独り言を綴っていきます。押忍

A distant karate story②

2020-01-28 15:28:40 | 日記
第1回北海道大会では、総本部のM選手が左アウトローキックを主体とした
  倒しのセオリー
を駆使し、全て一本勝ちで圧勝して正道空手の強さを北海道の空手界に知らしめた結果となりました。

私をはじめとする北海道支部の道場生も、この大会を機に左アウトロー更には審査会等での石井館長直伝の
   倒す空手
を一生懸命稽古しました

稽古方法は、脛サポーター等を装着することで長時間の組手が可能となり、これが組手慣れに繫がるといった画期的なものでした

当時のフルコン空手は、中間距離の互いの攻撃が最もヒットしやすい間合いでの組手が主流となっており、
サポーターも付けないので怪我が絶えませんでした。

我々のスタイルは、ショートレンジからの攻防であり、半歩踏み込んだ間合いで戦うことで攻撃に慣れ、更にディフェンス面も向上し、結果的にミドル、ロングの間合いにも対応できるといったものでした。
(これは私の持論の根源となっております)

そしてO先輩のキック仕込みの
   左ミドルキック  
(私は先輩直伝の左ミドルとショートレンジからの正道仕込みの左ミドルを使い分けておりました)

強くならない訳がありません

他のみんなも、確実に強くなっていきました。

そして迎えた第2回北海道大会

M選手が再来道しました。

しかしこの時は、自分達だけで他流派を抑えたいという気持ちが強かったので、前回とは違い複雑な心境だったのです

選手層というと、当時北海道実戦空手界で名を馳せていた
真武会、立道会館、拳正会等といった諸流派が前回と同じく参加選手約40名のうち3分の2を占めていました。

正道の技術を研究している者もいましたが、前回にも増して個性派揃いとなりました

今でも記憶に残っているのが
・喧嘩仕込みなのか、上から振り下ろす右ストレートのみで戦う者
・極真空手の黒帯を巻いた師弟
(偽黒帯?
師の方は、身長185㎝、体重100㎏位の巨漢であったが、1回戦でなんなく敗退。単なる空気デブであったことが判明)
等々、懐かしい~

結果的に左アウトローの他にも、左フック、左ヒザ、右ローに磨きをかけたM選手が予想どおり全試合一本勝ちという圧倒的な強さで優勝したのでした

私は前回のパンチ、ローキック主体の組手から左ミドル、アウトローを駆使したスタイルに変えたことで結果的に3回戦で極真黒帯?(弟子の方)
を倒し準決勝に進出したのです

しかし 
相手はM選手であり、後ろ蹴りをもらい一本負けしてしまいました

結果的にこの私の成績は4位でありましたが、突き蹴りの際のフォロースルーが弱い等といった色々な課題を残すものとなりました。

第2回大会も正道会館勢が上位を占める結果となりましたが、次こそは北海道勢だけで死守することを心に誓ったのでした🔥🔥
            押忍










  


A distant karate story①

2020-01-28 10:26:49 | 日記
今から三十数年前となりますが、1985年~89年の5年わたり、毎年、正道会館北海道支部により
Come on Next Challenger
ノックダウンオープントーナメント
北海道空手道選手権大会

と銘打った大会が中島体育センターにおいて開催されていました。

当時の北海道空手界(直接打撃制)は有名主流派の勢いが強く、毎年オープントーナメントを開催していたのです。

※学生キックチャンプの先輩(当時正道会館北海道支部指導員)が理由も分からず参加を拒否された経緯もありますが…

その他に、現在フィリピンで御活躍されている斉藤拳一先生率いる真武会主催の 
 他流派に門戸を開放した
   真のオープントーナメント
が旭川で開催されていました。

この頃の正道会館は、全日本大会が第3回目位で、その後常勝軍団と呼ばれる序章のような感じの時期であり

北海道では、まだそれ程知名度もなく、知名度を上げるためにはオープンの大会を開催することが最も有効な手段でありました。

しかも、大会でその強さを示さなければなりません💪

そこで大会に招聘したのが、前のブログにも書いた当時高校生だった 総本部のM選手でした。

記念すべき第1回大会は、石井館長にも来道していただきました。

また真武会の斉藤先生等道内実戦空手界の著名な先生方々が一堂に集まったのです。

選手層というと、有名主流派以外の名だたる実戦諸流派が集まり、参加選手約40名のうち他流派は3分の2を占めていました。

この大会では体重の階級はなく無差別級で行われましたが、今と違いフルコンの技術が確立されていませんでした。

選手それぞれが技術云々というより喧嘩腰で闘いに臨んでいたのでした

結果的にM選手が、強烈な左アウトロー、それに続くレバーを狙った左フック→上段ヒザといった
   倒しのセオリー
で順当に勝ち上がり、優勝したのです。

それに続く正道北海道勢も上位を独占し面目を保ったのでした

当時、北海道の空手は10~20年遅れていると言われていましたが、選手それぞれの闘いには個性があり、まさしく喧嘩そのもので、闘いの原点を肌で感じて、それはそれで良かったと思います。

今となっては懐かしい限りです

私ですが…
この当時、ローキック、突き主体のガチンコな組手を主体としており、結果的にベスト8止まりでした

この大会以降、私をはじめとする北海道支部のメンバーは、M選手の影響もあり、左アウトロー等を主体とした
   倒しのセオリー
の習得に励むのでした 
            押忍