ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

人々の健康(パブリック・ヘルス)のための「言葉」(1)

2011-01-25 16:45:14 | 健康と社会
アリゾナの民主党議員銃撃事件
 ボストンの年明けは比較的穏やかな気候で、12時にボストン湾に上る花火を眺めつつ、新年を迎えました。ところがその後、何度か大雪が続き、最近では我が家のあたりで30時間に及ぶ停電もありました。
そんな中、2011年1月8日、アリゾナ州のトゥーソンで民主党下院議員が銃撃され、9人の死者、16人の負傷者がでたというニュースが入ってきました。銃撃されたガブリエル・ギフォーズ氏は、ヘルスケア改革を推進し、銃の規制を強化することを主張する若手の女性議員でした。
ギフォーズ氏は、この銃撃事件が起きる前も、脅迫状を送られたり、事務所のガラス製のドアを破壊されたりなどの嫌がらせを受けていました。それは、彼女がヘルスケア改革を支持したり、銃の規制を強化することを求めたり、排斥問題が起きている不法移民に対して寛容な態度をとったりしてきたからと考えられています。
ヘルスケア改革反対、銃の規制反対、移民排斥というのは、共和党と近いティー・パーティが激しく主張してきた事です。ギフォーズ氏の父親は、「娘はいつもティー・パーティに脅迫されていた」と、ニューヨーク・ポスト誌のインタビューに答えていたそうです。銃撃の後、ティー・パーティはすぐさま自分たちの会員名簿に容疑者の名前がないか確認して、なかったとアナウンスしました。

攻撃の言葉
ティー・パーティと近い関係にある前共和党副大統領候補サラ・ペイリン氏は、かねてよりギフォーズ氏を「銃撃」の対象にしていました。ちょうどヘルスケア改革法が2010年の春に通過した直後、ペイリン氏はツイッターで、ギフォーズ氏を含む20人の民主党議員の選出州に、銃のターゲットとなるマークを付けた地図を紹介して、「ひるむな、再装填せよ!Don't retreat, instead- RELOAD!」とつぶやきました。
ペイリン氏がこうつぶやいたとき、本当の銃撃ではなくて、レトリックとして「銃撃」のイメージを使ったと考えられます(もしかしたら、本当に銃撃を扇動していたのかもしれませんし、よく分かりません)。しかし、この攻撃的な言葉はレトリックというだけではすみませんでした。このペイリン氏のつぶやきの数日後に、実際にギフォーズ氏の事務所に、何者かによって銃が撃ち込まれたのです。そして、今年に入って、ギフォーズ氏本人に銃口が向けられたのです。
容疑者は、社会非難をネットに書いていた若年男性でした。ティー・パーティとの関係は不明で、彼はかつてギフォーズ氏に面会しに行ったこともあるそうです。ネットの中の仮想世界と現実との区別がつかなくなっていたのでしょうか。現在、精神鑑定がされているとのことでした。
 
価値の衝突
「ボストン便り17回 声と民主主義」で書きましたが、ジョン・ダワーは、911の起こった後に、「Day of Infamy(汚名の日)」や「We will never forget(われわれは決して忘れない)」という言葉が、マスコミで踊っていたといいます。そして、ワールド・トレード・センターに追突していったテロリストたちは、真珠湾攻撃や「カミカゼ特攻隊」と表現され、自爆のイメージが強調されたといいます。ダワーは、その結果、イラクを攻撃すべきという好戦的な雰囲気がアメリカ社会において醸し出されてきたと指摘し、このような「戦争の文化」を止めなくてはならない、と訴えました。
言葉は独り歩きします。今回のギフォーズ氏の銃撃事件は、ダワーが心配したような事態が再び起こってしまった悲劇です。このような方向に行かないよう、言葉は慎重に、理性を持って使うべきだということを、ペイリン氏に教える人はいなかったのでしょうか。

医療が大切だということは所与ではない
 ところで、このアリゾナの事件を聞いたのは、フロリダにおいてでした。アメリカ社会科学会議と国際交流基金がホストを務める会議で、社会学に限らず、政治学や経済学や法学を専門とする日米の研究者やジャーナリストが、それぞれの問題意識と研究成果を持ち寄って、互いに建設的批判をしながら前進してゆこうという趣旨の集まりでした。
 私は、直近の研究テーマである患者団体の意味と役割、患者アドボカシー、患者団体が対抗公共圏となる可能性などについて発表しました。日米の患者団体が、医療的・社会的サービスの向上のために、どのような方法で、どのように活動をしてきたか、それがどのような肯定的変化をもたらしたか、課題は何かということを示しつつ発表を終えると、とりあえずは好意的な感想を参加者から受けました。ただし、すぐに根源的な質問を投げかけられました。
つまり日本が直面する問題はいろいろあり、すでに医療には巨額の財政が投入されているのに、なぜさらに費用のかかる医療サービスの向上が大事なのかという質問でした。異分野の人と話すとはこういうことなのだと思いました。たしかに、フロリダの会議に集まった研究者のテーマは、アジアの安全保障(security)、人間の安全保障(human security)、日銀の経済介入の評価、インターネットのインフラ整備など、どれも大切な課題で相応の財源を必要とする課題でした。私自身は、発表の中で公共圏(public sphere)、市民社会と国家(Civil Society and State)、熟議する民主主義(Deliberative Democracy)、社会関係資本(Social Capital)、人間開発(Human Development)という概念を使って、少なくとも患者参加の社会的重要性を説明したつもりでしたが、さらにどうして医療や健康が大事なのかというところから説明し、テーマ設定自体を正当化すべきだと改めて考える機会となりました。

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