難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

グリコ森永事件 憶えてる? その2

2021年05月19日 | これ何?
グリコ森永事件って 憶えてる。 その2
  再追記中 (令和 2年12月14日)

 H31年1月7日 現地へ行って、写真を撮ってきました。
 順次掲載して行きます。乞うご期待!!

 私のメインブログ 「難波の宮、散策」とは、なにも
関係ないのですが、私の心のトゲとして、30年以上
残っている、モヤモヤが、

「あの人、キツネ目の男、かい人21面相
 よく似たはったなあー??」
「まさか、こんな、平凡を絵で描いたような人生を送っている、
 少し男前の、少年時代 ソニー坊やと言われていた私が、
 小説みたいな事件話に、接点なんて無いよな?。」

と言う、この事件への思いをブログにしておこうと思います。

 グリコ森永事件ッテ 憶えてる。その1
 前編を先ずご覧ください。



その2 を始めます。

 舞台はグリコ事件から、ハウス食品事件へ移ります。
(指定受け渡し場所、始発 京都市伏見区から)

(NHK-S) に書かれた事件の内容は、一般人の私が
当時報道されていた内容から、想像していたものとは、
とても違っていました。
 詳細はNHKスペシャルの新潮文庫を是非購読して下さい。
 私達一般人が信頼申し上げております、警察様が、
当時我々一般人には、公開していただけなかった、
驚くばかりの情報がいっぱいです。


 ハウス食品脅迫事件の概略経過から。

 昭和59年(1984年)11月7日 ハウス食品に
脅迫状が届く。
 届いた脅迫状には、前回のグリコ、森永以上に複雑に手の
込んだ内容が書かれていた。
 最初の指定場所は、レストラン 「さと伏見店」です。
「一億円を持って、.....京都市ふしみ区下鳥羽の
 こくどう1号せんの レストラン さと ふしみ店 で
 11月14日 水よう ごご7時30分に まて.....」

 あと一人は「外の駐車場でワゴンに乗って待て 」


 (20〜30m先の中央に「さと」の看板が見えますよね。)


 (国道沿いにある、駐車場の大きい店です。)
 (犯人からかかってくる連絡を待つのには、
  とても適任地だったかもしれません。)

 その後に、
「関西の道路地図 京都、長岡京、高槻、茨木、摂津、豊中、
 宝塚、守口、尼崎の地図 二人に持たせとけ」
の指示あり。
「8じに、江坂のしゅっちょう所(ハウス食品
 北大阪出張所)に...TELする...手紙(犯人からの指示文)
 あるとこ おしえたる.....」

「出張所へ電話するから、場所を聞いたら、さと で待機
 している社員に、お前の所から伝言しとけ。」
と言うわけです。

 当日の、犯人からの電話は、テープに吹き込まれた
男の子の声だった。
 指示された、地図の住所から推測すると、今回の受け渡しは、
電車ではなく、車を使う場所で、大阪の北摂か尼崎の一般道か、
高速で、高速を使うなら、レストラン さと伏見店から一番近い
京都南インターと捜査陣は推測したようです。

 実は、私が営業の現役時代、京都方面の、ユーザーを
訪問する際には、「さと 伏見店」へは昼食の時に、よく利用
させてもらっていました。
(閑話休題)

 捜査陣は見事に犯人の戦略に引っかかった!!
そうです、指示してきたのは、名神高速サービスエリア 大津
つまり、大阪でも、京都でも、兵庫でもない、滋賀県です。
 犯人が持参するよう指示していた地図には滋賀県の地名は
ありませんでしたよね。
 もちろん、捜査人は想定もしていなかった場所ですから、
一番位置情報を知っている地元の滋賀県警には、
前もって何の捜査依頼もしていないわけで、その後の
ゴタゴタが発生します。

20時20分 ハウス食品 北大阪出張所に男の子の声の
テープで電話が入る。
「......バス停城南宮のベンチの腰掛けの裏」

20時39分 バス停城南宮の腰掛けの裏で、指示書発見。


 (バス停 城南宮です。現在は、定食屋のチエーン店の
  前になって居ます。
  事件当時はどうだったんでしょうか?)
 (店の正面を出て、直ぐそこがバス停です。)


 (バス停のそばに、犯人から指示された、ベンチの腰掛は
  今は見当たりませんでした。時の経過を感じます?)
 (このバス停から、数百メートル先が、
  京都南インターです。)


 (このバス停の斜め向かい側が、方位厄除けで有名で
  京都ではとても御利益のある神社として知られる、
  城南宮です。)

 腰掛けの裏の指示書には。

「......名神こうそくどおろ 京都南インターに はいれ
 名ごや方面え.....大津の サービスエリア の......
 X印の あんないづの かんばんの うらに 手紙 はってある....」

 この情報を警備本部経由で聞いた、さと伏見店の付近で
潜伏待機していた、あの「森永事件」の時、カップルを装い、
高槻駅から京都駅まで、「キツネ目の男」を婦人警官と
カップルで同乗していた捜査員が、今回もカップルで、隠密
捜査車を走らして、
20時50分 大津サービスエリアに
現金を乗せたワゴン車より速く先行して到着。

「まさにテレビドラマその物。と言うか、この事件の後
 このシーンをネタに、同じようなテレビドラマで見せられた
 記憶が、何回も々もあるんですが。」


 (大津サービスエリアの入り口方向から、2階立ての
  レストランを望む。
  建物は立て替えられていると思いますが、大きさ、
  位置関係は同じ?)


 先に到着できた捜査員は、指定された案内板がよく
見えるだろうと、2階レストランへ、すると驚く光景が!!

「イター! あのキツネ目の男が。」

 大津サービスエリアで目撃した捜査員が作成した未公開似顔絵

(今回のNHK出版により初めて公表された、
 キツネ目の男の似顔絵)
 私の、心のとげの印象と同じかもしれない....。


(事件当時はなかった、派手な飾りが作られていました。)


 その男は、公衆電話で受話器を耳にしているものの、
視線は案内板をじっとにらんでいた。
 男との距離が 7〜8メートルになったとき、男が振り向き、
お互いに目が合ったまま、
「・・・・・・・。」
 少し移動して、直接目を合わさないように、花壇に
キツネ目の男を背中にして腰を下ろし、女性捜査官が、
男性捜査員の肩越しに、キツネ目の男を見て。
女性捜査官が、「私の方を見てますよ。」と言う。
 不味いと思った捜査員は、車に戻り、
「F(キツネ目の男)が居ました。」....
職務質問をしたい旨連絡。

 ウァー、ドキドキの展開。 

 此処で日本警察の古い因習、上意下達。
 緊急時現場の判断最優先は、認められていない。
とくにその影響が大きい警察組織が。
「待て! 絶対か?!」
その時、此のアベック捜査員が指示されていた、
本来の待っていた、現金運搬車を警護するという使命
その車が、大津サービスエリアに到着。
 取り敢えず、持っていたカメラで、Fを27枚全て撮る。
(残念ながら、カメラの方向が違っており、地面ばかりの
 撮影だった。)
 捜査本部からの指示。
「そのまま現金輸送車と一緒に動け、予定通りだ。」
 キツネ目の男は、大津サービスエリアに居た別の捜査員に
尾行するように、指示あり。

 捜査本部の見解。
「........怪しい一人の男に声をかけて、警察が動いていることが
 犯人にばれたら、それこそ水の泡になるかも......、
 あれで間違いないと思います。」

 尾行を引き継いだ、別の捜査員。
 夜8時過ぎの暗いサービスエリア内、あるき出した
キツネ目の男を尾行。
しかし歩き出して直ぐに、サービスエリア沿いのわずかな
ガードレールの切れ目で!!
を見失った模様。を見失った模様。」


 (サービスエリアを草津方向へ、歩いていくと
  見えてくる、ガードレールの切れ目。
  物置小屋の影になっており、
  見落としてしまうかもしれません。)


 (ガードレールの継ぎ目に、下に降りる
  階段がありました。)


(階段の下は、一般道になっており、サービスエリアとの
 歩行者の連絡階段のようです。)

その無線を聞いたアベックの捜査員。
「本部の指示を無視しても、職務質問するべきだった。」

 現金輸送捜査員が、大津サービスエリアの案内板の裏に
犯人からの指示書発見。
 指示書には、
「次の草津サービスエリアの、ベンチの腰掛けの裏に
 指示書がある。」

 話は次の、草津サービスエリアに進みます。

 現金輸送捜査員と、アベック捜査員が別々に
 草津サービスエリアに。


 (草津サービスエリアには、着いて直ぐの休憩エリアに、
  ベンチが何個か見受けられます。この中の一つの裏に、
  次の指示書があったのでしょうか?)


 (事件当時は無かった、7/11コンビニが出来ていました。
  時の流れを感じさせられます。)





 (入り口から少し入った場所にも、テーブル付きの、
  ベンチがありました。事件当時は?)

21時15分 草津サービスエリアで指示書確認。

「これ みたら すぐ うごけ
 なごやの 方え じそく60キロで はしれ
 左がわの さくに 30センチ X 90センチの
 白い ぬのの 下に あきかんが ある
 なかの 手紙の とおりに するんや」

 無線で、指示書の内容を聞いた、アベック捜査班は早速、
草津サービスエリアから、現金輸送班より先行して出発し
白い布を発見。空き缶の捜索と、中の指示書の確認は後から
くる現金輸送班に任せ、先に進んで、次のインター
(栗東インターか?)で待機。

 もう一台別の、捜査遊撃班も居たようで、先行し、次の
インターで降り、白い布のあった、高速道路の下の道付近に
到着。
 しかし、そこには何もなかった。!!

 現金輸送班が白い布の場所に到着。
夜の高速道路の側道で、激しく車が通り過ぎる中を、犯人が
指示した空き缶を探すが、どこを探しても見つからず。

 この瞬間を持って、犯人からの接触は止まってしまった。!!

11月14日 当日夜、蛇足として、
 犯人と、警察の両方ともが全くの想定外の接触が
在ったのです。
 滋賀県警パトカー(この警官は、この日のグリコ森永事件の
 件は一切聞かされていない。)
  栗東町川辺 の名神高速道路沿いの県道で不審なライトバンを
発見していました。
(NHK-S)
「高速道路の下で、.......ちょうど無線をいじっている不審者
車両を見つけ、懐中電灯を照らしたんですよ。照らすと
同時に逃げたから、その不審車両を追跡した。.........」

 逃走したので、追跡をしたが、数分後、ライトバンを見失う。
 しばらくして、その不審車両が、JR草津駅のそばで、
放置されているのを発見。
 まともな犯人グループの情報を大阪府警が握り、他府県の
警察には、何も知らせていない中で、取り逃がしてしまった、
滋賀県警のパトカーには責任は問えないと思うのですが。

 と此処までは、報道されていたので、私を含め、一般人も
知っていました。
でも、今回のNHKの取材で公表された内容は、驚きの
連続でした。
 滋賀県警は当日、グリコ森永事件の犯人が、高速の
大津インターに来ることを掴んでいて、大阪府警の
特殊班に内密で、地元の滋賀県高速道、その付近を
捜査していたと言うことでした。

「あの時、滋賀県警の捜査員もキツネ目の男を見てるんだよ。」

「えー。?!」 
 「面白いですね。」

 このハウス事件の大捜査の前日(昭和59年11月13日)
大阪で、近隣の警察も参加して合同捜査会議
開かれた。
 大阪府警から、「高速道路の捜査は大阪府警が単独で行う。」
と指示された。
 この方針に、兵庫県警は従い、滋賀県警は「大阪府警に
 内緒で張り込め。」
と指示し、
 犯人の指示が伝わってわずか5分で、滋賀県警の捜査員は
大津サービス、草津サービスに、張り込みました。
 その捜査員の話。
「大津サービスエリアに着いてすぐ、
 キツネ目の男に出会った。」
「.....あの有名な似顔絵よりも、がっちりした体型やった。
 肩は下がり気味。顔はふっくらしていた。」

 捜査員は、キツネ目の男の20mほど後ろから後をつけた。
「ベンチに座って一所懸命何かを貼っている状態が確認できた。
 .....指示の文章を、....」

 これを見た捜査員は、職務質問すべきか無線で上司に指示を
仰いだ。
「......滋賀県警は、もう一切手を出したらあかんと。......」

 この後直ぐに、大阪府警の捜査員が到着、キツネ目の男発見、
離れて対峙。
 滋賀県警の捜査員は、
「後は大阪府警に任せ、現場から離れるように」
指示される。
 今まで公表されていない事実が続きます。
犯人から大津サービスエリアで指示された次の草津パーキングで
ベンチの裏を見ろと言う指示を聞いた、滋賀県警の捜査員は、
大阪府警より先に到着していて、
それを貼っている男を。チューリップ型の帽子を被っていた
男を見ていた、と言うことらしいのです。
 そしていずれも、滋賀県警の絶対指示。
「滋賀県捜査官は、手を出すな!」 に従った。

 チューリップ帽の男が指示書を張り終えてから、
大阪府警の捜査官が到着。
 捜査官は、指示書を発見したが、チューリップ帽の男を
確認していなかった。

 指示書には、「......なごやの 方え じそく60キロで はしれ
 ......白い ぬの みえたら とまれ
 白い ぬのの 下に あきかんが ある
 なかの 手紙の とおりに するんや」

 しかし、空き缶は見つからなかった。
 又想定します。
① 空き缶を置かなかった。
② 空き缶が、高速を通過する車の、風で、どこかへ
  飛んでいった。
③ ほかの誰かが持ち去った。

 私の妄想ですが、可能性があると思うのが。
④ 大津インターで、張り紙をして、脅迫金搬送者に、
  草津インターを指示した、キツネ目の男が、捜査員の
  存在に気づき、尾行の捜査員を振り切り、仲間に
  知らせるトランシーバーを持っていないので、
  仕方なく、草津インターンの先の、白い旗が張られた
  場所に先回りして、取り敢えず、メッセージが入った、
  空き缶だけを回収した。

 経過事実として、夜間の巡回警備をしていた滋賀県警の
パトカーは、グリコ森永事件の捜査状況を何も知らされて
いないで、普通の巡回パトロールをしていた。
この日、夜間に高速の下で、無線をいじっている、いかにも
怪しい不審車両を見つけ、職務質問をしようとしたら、
逃げられてしまった、ということです。

(←米原 東京方面)    (草津サービスエリア 京都→)

(高速道と県道の交差部、ここで、犯人は車を止めて
 待機していた。)
(昭和59年当時は、高速の防音壁は設置されていなかった。
 路肩に車を止めて、外を覗けば、下の側道は夜でもはっきり
 見えたと思います。)


(高速の下の道から見た風景、向かって右側は、堤防です。)



(堤防に登ってみました。とても開けた、
 恐喝金のカバンを、投げさすには絶好の場所?。)


(白い旗を見つけて、車から降りた、現金搬送者は、
 その下の堤防に放れと指示されていたら、
 とても分かりやすかったでしょうね。)


 高速の下の道で止まった車の中で、空き缶の中に入れた
指示書に、夜の暗い高速道路で、白い旗を見つけるだけでも
難しいでしょうから、その白い旗の下の高速に交差している、
道へ現金の入ったカバンを放り投げるように書いておいたから、
そのカバンが高速道路から放り投げてくるのを今や遅しと
待ちかまえていたと、想像できますよね。

 ここで、このハウス食品恐喝事件の経過で、関与していると
想定される、犯人グループの人数と、その後の逃走経路を
考えてみましょうか。
 大津サービスエリアのキツネ目の男を基点に、時間経過で
想像してみます。

(1)昭和59年11月14日 20時20分
   ハウス食品 北大阪出張所に、テープで録音された、
   子供の声で、
   「京都....バス停城南宮ベンチの裏。」と
   京都市伏見区の国道1号線沿いのレストラン さと
   伏見店
で、待機させている脅迫金搬送車に、
   知らせるよう連絡あり。 

 

(2)20時33分
   1億円を積んだワゴン車、バス停城南宮に到着。
   指示書には、「....大津サービスエリアの.....
   案内図の看板の裏に....」

   此処で、グループの一人が指示書を張り、
   様子を遠くから監視していた。
   指示書を見て、次に移動したことを無線、公衆電話で
   仲間に連絡。
   もしかしたら、次の場所の大津サービスエリア、
   さらに先の草津サービスエリア、可能性としては、
   草津サービスエリアの先の、白い旗の下の高速道路の
   側道へ移動したかも?

  推定1名 指示書を張った後、車移動した。



(3)20時50分
   大津サービスエリアにワゴン車到着。
   ここで、キツネ目の男を発見。
   先に到着した、滋賀県警は、男が手紙を貼って
   いるのを目撃していた。

   此処まで経過を想定してきて、キツネ目の男は、
   無線機を持っていないと、想定し、大津サービス
   エリアで、案内板の裏に指示書を張るタイミングを、
   公衆電話で、貼るよう、バス停城南宮で、隠れて
   見ていた犯人グループから指示されて、張り付けた
   と想定出来ますよね。
   張り付けた後、そこへ来た脅迫金を持ったハウス食品の
   社員がその指示書を見て、次の草津パーキングへ行くのを
   確認して、草津パーキングで、待機していたチューリップ
   帽の男に公衆電話で知らせるために、休憩所の公衆電話の
   側で待機し、連絡したと思います。

   携帯の無かった時代ですから、大変なんですが、
   公衆電話から公衆電話へ、電話できたんでしたっけ?

   公衆電話で着信ができなければ、それぞれの場所の
   グループ員に知らせるため、基地的な構成員がいて、
   各グループ員から、定期的に(10分間隔おきに?)
   公衆電話で連絡し、その連絡を次のグループ員に
   取り次ぎを行っていたのでしょうか?

   「わー面倒くさい。
    今の携帯電話は便利でいいですね。」

    キツネ目の男 1名
   此処から大津サービスエリアから徒歩で、階段下に出て、
   待機させていた車か、高速バスに乗り、別の場所へ
   移動もしくは逃走。



(4)21時15分
   草津パーキングで、チュウーリップ帽の男が
   貼って置いた、指示書発見。
   指示書には、
  「....なごやの方え....白いぬの みえたら とまれ
   白い布の 下に あきかんが ある なかの 手紙の
   とおりに するんや」

   隠れて見張っていた、チュウーリップ帽の男は、
   捜査員が指示書を見て、草津パーキングを
   出発したことを、白い布の貼られた高速の
   下で待機しているグループ員に連絡。

   草津サービスエリアから、高速道の下の側道がある、
   栗東市川辺迄は、かなりの距離があり、
   犯行グループが使用していた、無線機で
   連絡が出来たのか?
   無線機以外の方法で、連絡できる方法が
   あったのか、この辺は謎の部分ですね。

   チュウーリップ帽の男 1名
   サービスエリアから、車で移動逃走した?



(5)21時30分ぐらい
   捜査員、白い布発見。しかし、空き缶発見できず。

   同じ頃、この面白い事件を知らない、滋賀県警の
   パトカーが、草津パーキングを過ぎた、高速の
   下辺りで、無線機をいじっている、不審車両を発見。
   職務質問をしようとしたら、逃げられる。

 車に乗っていた犯行グループは、2名が妥当と
 想定できますよね。
 逃げた車が、JRの草津駅に止まっていたのだから、
 列車で逃走したと、想定するのが妥当でしょうね。



 これで、ハウス食品恐喝事件の、登場グループ員は全てです。
  合計 最大 5名 重複を考慮すれば 4名
  情報係、補助員を考慮すれば、+3名以上。

 続いて、不二家へ脅迫連絡あり、大阪梅田 阪神
百貨店の屋上から、2000万円をばらまけと要求。

 ちょっと何考えとったんやろね?

 その他、駿河屋にも現金要求の脅迫状が送りつけられた。

1985年(昭和60年)
 1月10日 「キツネ目の男」の似顔絵を公開

 8月7日 滋賀県警の山本本部長が焼身自殺。

(滋賀県警は何も間違ったことはしてないやんか?)

 8月12日 (発生から1年5ヶ月後)
 犯人グループから。
 「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」の
 終息宣言あり。

 以後同グループによる犯行は終演したとされている。

{追加 妄想}
 事件発生の昭和59年(1984年)から30年以上が
経過し、おそらく10名以上の犯人関係者が、一切警察の
捜査、報道陣の情報網に見つからずに、もはや終わって
しまっている、この事件には、多くの日本人が、
心のトゲとして、しまい込まれていると思います。
 その後の、小説や、ドラマ、自白的回想記事は、
近隣北摂地区の寄り合い、政治結社、民族差別団体、
民族非差別団体、民間福祉団体など、多く発表されて
いるのですが。

「あっそう!、本当かなー?」と思うことが多く、
合点がいきません。
 今日の段階で、犯人グループは、当時30才代から40才代
として、もはや65才から80才以上の、お爺ちゃん、
お婆ちゃんに成っているのですよね。
 そして気になる、脅迫文を読まされ、録音テープを作られ、
それを犯行に利用された、幼い男の子、小学校高学年の
少女は、そのことを一生他人に喋れないまま、40才から
50才に成長?しているんですよね。
 どんな辛い青春を過ごしたのでしょうか、彼らこそ
真の被害者ですよね。

 その幼い子どもに、脅迫文を読ましたのは、父親? 母親?
まさか近所のお兄ちゃん?
 その罪の深さを本当に考えていたんだろうか?
もし考えられていない奴らなら、本当に腹が立つ!!

←(NHK-S)

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 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。






5 コメント

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あなたの写真を使用する許可 (uliKuz)
2021-12-21 06:07:09
この翻訳が悪い場合はご容赦ください。私はGoogle翻訳を使用しています。

私はアメリカ出身で、YouTubeチャンネルを持っています。私はこの事件を研究しています。大変お世話になりました。ありがとうございました。私が作成しているビデオでこれらの写真を使用する許可をお願いしたいと思います。

お時間をいただき、誠にありがとうございます。

https://www.youtube.com/c/uliKuzAfterDark
返信する
Unknown (モウサン)
2021-08-20 08:46:37
2021 キツネ目という本が出版されました。
自分は関東の人間なので、事件の土地に行ったことがありません。コロナが収束したら、天理教と一緒にいきたいと思います。いままで、グリモリの本はいろいろよんだのですが、この本が真実にちかいように思います。この犯人のしつこさ、人間性は関西特有のものですか。おしえてほしいですね。
返信する
Unknown (mitunobu11)
2021-06-04 10:11:01
〒520-3014 滋賀県栗東市川辺
県道117
 私は素人です。滋賀県の友人から聞きました。
不確かです。
返信する
Unknown (Michael)
2021-06-03 22:12:05
コメントさせて戴きます。この事件本当に興味深くて未だに本など読んでは勝手に妄想しているのですが、一つ教えていただきたいことがあります。白い布を貼り付けてあった場所の住所教えてもらえないでしょうか?グーグルアースで事件現場とか見ているのですが、犯人が職質されて逃げた場所がどうしてもわかりません。お願いします。
返信する
お疲れ様です。 (ひらひら)
2019-01-26 22:44:52
こんにちは、お久しぶりです。
主様、栗東までお出かけになったんですね。
貴重なお写真の数々、本当にありがとうございます。
早いもので、この3月で本件発生からまる三十五年になりますね。
この草津事件の舞台になった場所も、ほとんどが当時のものとは変わっているようです。
今あるさと伏見店も建て替えられたもので、場所も当時とは少しずれているそうです。
草津インターの、指示書が貼ってあったベンチは、当時の売店の前にあったふたつのうちの、向かって左側でした。
NHKの取材で、2011年に明らかになった(といわれる)事案にこの草津事件がありますが、私は非常に不思議というか、???と思っています。
この草津事件があったのは11月14日です。
いわゆる「キツネ目の男」の似顔絵が公開されたのは、翌年1月10日です。
この似顔絵は、大阪府警の極秘資料です。府警は公開するのを最後まで渋っていました。
草津事件当時、滋賀県警が持っていない資料です。
どうして滋賀県警の刑事は、大津インターのレストランにいた男を、本件の被疑者だと思ったのか。
さらに、この男がベンチに手紙を貼っていたのを見たということですが、大津インターで手紙が貼ってあったのは、観光案内の看板の裏でした。
矛盾しかありませんね。
塩田武士さんの小説「罪の声」ではこの矛盾をうまく使って、山場のひとつにしていました。
私としては、できることならこの証言をした元捜査員の方に、直にお話しを伺ってみたいなあと思っていますが。
盗難車に乗っていたのは一人です。この人は草津インターに手紙を貼り(多分、大津インターも)、高速の防護フェンスに白い布を取り付け、下に降りて待機していたと思われます(車に残されていた針金と白い布を取り付けていた針金の太さが一致しています)。
チューリップ帽と言われているものは、盗難車に残されていた帽子のことでしょう。
総じて夜のことですので、目撃証言に微妙なずれがあるのは致し方のないことと思われます。
彼は土手の方へ逃げたようです。
この時に車に残されていた小型掃除機からは、多種多様な金属粉及び塗料粉が出たのはご存知だと思います。そしてこの栗東には、スクラップ業者がたくさんありました。
また長くなってしまいました。
私の考える犯人像を書かせてください。
当時、現役か引退していたかは別として職業は、暴力団、総会屋、警察官、産廃処理業者、ダンプまたはトラックの運転手、株屋、このあたりでしょうか。いわゆる一般ピープルではないことは確かでしょう。10人前後だと思います。
ちなみに、江崎社長誘拐時の3人も、寝屋川のアベック襲撃時の3人も、放火犯もビデオの男もキツネさんではありませんよ。身長が違いますので。
したがって「中肉中背で温厚な」真田さんもおそらく・・・。
JRでキツネさんを見た捜査員の印象では、「カタギの人間というよりは暴力団員またはサラ金業者のようだった(意訳)」らしいので。
もうひとつ。水防倉庫のカギは、組合が付けていた物とそっくりなものに、犯人が付け替えていました。
元々あの倉庫は、作っただけで全く使われていませんでしたから。
主様は、さと伏見店をご利用だったそうですね。
その近くの大手筋商店街もご利用でしたか?
ここにある「園城」という文具店はご存知でしょうか?
犯人グループからの脅迫状および挑戦状は、この店の特製の便箋にタイプされていたのをご存知ですか?
主様、大手筋商店街で犯人とすれ違ったことがおありではありませんか?
他にも、無線のことや、神戸の福徳銀行の現金強奪事件のことなど、書きたいことはありますが、このへんで終わりたいと思います。
また楽しいレポートをお待ちしております。
寒い日が続きますね。どうぞお身体お大事になさってください。
では、ごきげんよう。
ありがとうございました。
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