みつばちエンジニア

SEの閉塞感のすごい日常の打開を夢見て、日々のモヤモヤを綴ります。

インターネットの歴史(5)

2024-05-05 00:59:17 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第5弾です。
2010年頃
実際はもう少し時期的に幅はあると思いますが、私の感覚でまとめてみます。
動画共有のサービスでyoutubeと一線を画すサービスとして、ニコニコ動画が存在感を示すようになりました。
閲覧にも会員登録してログインする必要があったため、日本人の作った尖ったコンテンツが多かったようです。
そしてボーカロイド初音ミクの登場。
この組み合わせにより日本の動画コンテンツにひとつの潮流が生まれることになります。
誰でもひらめいた歌を初音ミク歌わせることができる。多くのアマチュアプロデューサーが誕生し、多くの楽曲が初音ミクに提供されました。初音ミクの歌が次々と公開され、何でも歌うバーチャル歌姫へと成長しました。この歌に感化された人が歌に合わせて動画を作り、さらに投稿。そして、今度はその歌を実際に歌ってみて投稿。中にはこの活動から仲間になり、コラボして新しいコンテンツを作成。そしてニコニコ動画にはタグ付けと視聴中の画面にコメントを入れる弾幕の機能がこのアマチュアたちの投稿を盛り上げたように思います。見る人もタグ付けや弾幕でコンテンツに参加し、センスの良いタグ付けによりさらに見る人を誘導する。さらにひと手間かけてコンテンツを作る側になる人もいる。このように見る人と作る人が明確に別れない環境が初音ミクと言う歌姫とその経済圏を大きく成長させたと思います。その後、潮流から卓越した才能を持つ人はメジャーデビューし世間一般に新しい風を吹かせることになります。この時期はその土壌ができた時代と思います。
次にスマホの普及です。インターネットの高速回線は、家だけでなく、モバイル端末にも普及し、端末もガラケーかららスマホに変わり始めました。スマホに寄り外出先や移動中いつでも不自由なく、インターネットにアクセスできるようになりました。私はドラゴンコレクションと言うゲームに参加しましたが、このゲームに代表される基本プレイは無料で、ゲーム内の便利アイテムやレアカードを集めるために課金させるゲームの収益モデルも大きく成長したと時期と思います。
今になって思うとこの時期は現在のインターネットの形ができあがってきた時代と思います。

インターネットの歴史(4)

2024-05-04 13:46:05 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第4弾です。
2008年頃
私が社会人になったと言うのも、関わり方が少しライトになりました。
この当たりから、インターネットサービスで、個人が発信する情報のマルチメデイア化が推し進められたように思います。SNSは急激に日本でもFacebookの利用者が増え、投稿内容はテキスト中心から写真中心に変わりました。
(無料での)投稿の容量制限のあるMixiと、容量制限のないFacebookとで明暗が分かれたのだと思います。に移ってきたと思います。またテキスト情報の投稿は、twitter(現在X)の利用にシフトし一言コメントのような短い投稿が中心になったと思います。これは、技術的な進歩というより、使い方と言うか、使わせ方の変化のように思います。
投稿に時間がかからず、感激を即座に共有、即座にリアクションできるサービスによって、ライトなユーザーの投稿のハードルはかなり下がったと思います。
また、youtubeも日本で目にするようになったのはこの頃だと思います。
ブラウザのホームもいつの間にかyahooよりgoogleを使う人が多くなっていて、ンターネットはとりあえず、googleで知りたい事を検索するものだと言う感覚になっていました。
午前0時の森(火曜日)的な表現で言えば、コンテンツを大切に作り共有する「こっち側」的な情報共有から、瞬間の輝きと感動を共有する「あっち側」的な情報共有に変わったイメージです。
日本人の利用者調査するインターネットサービスに今の巨大プラットフォームが出揃い、勢力図を塗り替えていったの黒船期という感じでしょうか。

インターネットの歴史(3)

2024-05-04 00:52:35 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第3弾です。
2005年頃
実際はもう少し時期的に幅はあると思いますが、あくまで私の認識した時期感と言うことでご容赦ください。
高速なインターネット回線の普及によって、インターネットは好き者だけが集まる空間から、色々な雑多な人が集まる場所に拡がっていった時期と思います。
ホームページの人気コンテンツだった日記サイトを誰でも簡単に作れるように、
Blogが個人発信の場の中心に変わってきました。
インターネットの変遷を語る上で「1%の努力」のひろゆきさんを避けて通ることはできないでしょう。
「2ch」と言う超巨大掲示板は異色の存在感がありました。この掲示板の管理人がひろゆきさんだったとのことです。2chはあまりのアクセス数の多さに耐えるために専用のブラウザが開発されたほどでした。完全に匿名の掲示板として、仮面を被った怪しい人たちが押し寄せる場所という印象でした。匿名であるがゆえ、歯に衣着せぬ、いや、誇張してさらにトゲの生えた書き込みが横行していたようです。友達の間では「傷に塩をすり込みあう文化」といっていました。このような特性から、ネガティブ情報を見つけやすいと言うことで、何かを買うとき、必ず2chで調査すると言う使い方もあったようです。また、文字だけの投稿の掲示板でも絵を表すため文字で絵を描くアスキーアートを大幅に進化させた掲示板と思います。特にモナーと言う二足歩行の猫(?)はみんなのマスコットとして、頻繁に登場し、深く愛されていました。「っ」を使わない独特な言い回しをはじめ、多くのネットスラングも産み出しました。そんな2chですが、「電車男」と言う心たたまる恋物語(実話?)が発生し、後に映画化されるました。それだけインターネットと実社会が深く交わり始めたんだと思います。
一方で、ユーザーの匿名性を排除するため、何者であるかをお互いの繋がりで保証し合うSNSと言う試みも拡がり始めました。私は友達から紹介され、mixiに参加しましたが、閲覧者が知り合い同士になるため、良い、あたたかい書き込みが多かったように思います。
これは、個人的な感想ですが、匿名ではネガティブ情報を集めやすくなり、利用者が明確であればポジティブな情報を集めやすいと言うことに気づいた頃でした。

インターネットの歴史(2)

2024-05-03 15:04:12 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第2弾です。
2002年頃
高速なインターネット回線の普及により、大規模大人数のオンラインゲームが普及しました。
徹夜でゲームをするために友達の家に泊まり込む必要はなくなり、毎晩家にいながらオンライン上で集まり一緒に遊ぶことができるようになりました。
私たちがたまり場として選んだフィールドはガンホーが運営するラグナロクオンライン(RO)と言うゲームでした。今でこそパズドラで有名ですが、当時はまだまだ発展途上の会社だったと思います。
プレイヤー数にサーバの性能が追い付かず、ゲームへのログインが失敗ばかりで、ゲーム時間の半分は仲間のログイン待ちというゲーム仕様であったため、ログインゲームとも呼ばれていました。ゲームのチャット機能もあるのですがログインしないと使えないため、仲間同士はIRQと言うチャットソフトを使っていました。当時は最もメジャーなチャットソフトで、IRQのメッセージ着信の音が「アッオー!」だったことから、メッセージ着信と言えば「アッオー!」と言う感覚の人は少なくないと思います。
やがてROの有料化に伴い継続するプレイヤーが絞られたこことでゲームへのログインは安定しましたが、一緒に遊んでいた友達もほとんど引退してしまいました。そこでゲーム内で「パーティ募集」のチャットから新しいパーティに参加して、知り合いをつくって、やがて知り合い同士でゲーム内の町の片隅に溜まり場に集まるようになって、チャットでおしゃべりして、たまにダンジョンに出掛ける。そんなオンライン生活になりました。部屋に閉じ籠っていても、PCの中には壮大なもうひとつの世界が広がっていてそこに仲間もいる。そんな感覚です。インターネットの進化により年齢もすむ場所も違う、そして顔も見たことがない、だけど仲間と言うコミュニティが当たり前になり始めたと言うことだと思います。このオンライン生活を通してタイピング力も鍛えることができ、よい経験だったと思っています。
私の中でこれは、インターネットの光の部分。もうひとつこの時期に流行っていたのがP2Pソフトだと思います。こちらは、闇の部分として。
音楽CDを入手してMP3に変換してパソコンにファイルとして取り込んで、お互いのお気に入りの音楽を交換すると言うのが一般的なP2Pソフトと思います。WinMXと言うソフトが流行し、ものすごいユーザー数となり、このソフトを使えば世界中のあらゆる音楽をただで入手できる時代になりました。当然、元となっているのは誰かが個人用としてコピーしたもので、著作権違反です。ヘビーユーザが次々と逮捕され始めました。そこで、日本発のより匿名性の高いP2Pファイル交換ソフトWinnyが開発され多くのユーザーがこのソフトに移り住んだと思います。このWinnyについても、開発者の47氏が逮捕されたことによって、著作権の取り締まり強化を皆が実感する事となり、iTunesなどのサービスを利用して、合法に音楽をダウンロードするようになっていきました。こうして音楽はCDで買う時代から、ダウンロードする時代に劇的に変化した時代のように思います。

インターネットの歴史(1)

2024-05-03 01:54:12 | インターネットの歴史
1960年代にアメリカの国防総省で開発された技術が、大学間を結ぶネットワークとして民間に転用されたのが始まりで・・・
とインターネットの話を聞いてもなんかしっくり来ないので、私の主観的な感覚からキーワードを元にインターネットの歴史を振り返ってみたいと思います。

2000年頃
友達の家で初めてインターネットに出合った。月に一回の頻度で、家に泊っては徹夜でゲームをして過ごす。どうせやるからには最強を目指す。そんな遊びをしているなかで、インターネットは最強への道しるべでした。攻略本を凌ぐ反則級の情報が一杯。カンニングのような背徳感を感じながらも、ありがたく情報を活用させていただいてました。当時はISDNが主流で通信速度が遅かったため文字ベースの情報が多く、画像もなるべく軽くする工夫があったのではないかと思います。
2002年頃
ADSLが一般的に普及し、我が家にも快適なインターネット環境がやってきました。
ネットサーフィン
インターネットのサイト(Webページ)をリンクをたどり何かを定めず斬新なものを求めてインターネットをさ迷うことをネットサーフィンと呼んでました。
先行者
友達からネットサーフィンで先行者と言うすごいものを見つけたと聞きました。早速yahooで調べると侍魂とサイトにたどり着きました。
そこには、想像を掻き立てるアニメーションgifと、躍動感の半端ないテキスト。文字の大きさ、色、改行、画像の挿入を上手く使って空間と間を作り、読み手に緩急を与える文章でした。
ホームページってすごい。こんな事ができるのかと感化され即座に自分のームページを立ち上げるきっかけとなりました。
キリ番
当時のホームページと言えば、トップページとそれぞれのオリジナルなコンテンツ、掲示板がセットになったものが一般的な作りでした。
トップページにはタイトルの他にアクセス数のカウンタがあり、それがキリの良い数字だと「キリ番ゲット」と掲示板に書き込む。そこきっかけに新たなコミュニケーションが始める。そんな使い方が一般的でした。私の場合はJavascriptの自作のクソゲーの展示と日記のテキストのページでした。
ホームページを作ったからにはカウンタ数を上げたい。そんなわけで友達から同士でバナーを交換して相互リンクをするのが当たり前。バナーはホームページのタイトルの画像に自信のホームページへのリンクつけたもので、みんななるべくネットサーファの目が止まるように工夫を凝らしてました。相互リンクはお互いのホームページのを紹介し合うためにバナーを交換してお互いのページにはりあうことです。
今思うとまだまだハンドメイドのインターネットの時代だったと思います。