みつばちエンジニア

SEの閉塞感のすごい日常の打開を夢見て、日々のモヤモヤを綴ります。

インターネットの歴史(7)

2024-05-07 00:28:41 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第7弾です。
一旦これで最終回
思いの外ここまで来るのに時間がかかりました。書いてみるとインターネットの世界ががどんどん拡がり新しくなればなるほど一部分しか触れられないくらい広大だなと。いつか時間があるときに、年号とテクノロジーをちゃんと調べて再チャレンジしたい。

2020年頃
最後は懐かしい日記サイト調でで書いてみます。

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「招待状はやっぱり風景印がいいよね」

そんな話をしながら5月に予定していた結婚式の招待状を封入し、わざわざ少し離れた所にある郵便局に持ち込んだ。

無事に発送完了。




しばらくして、返事が集まりだした頃のことでした。

「クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウィルスの感染者が・・・」

最近やけにこのニュースを耳にするな。早く対策が終わることを願う。
とはいえ、テレビ越しにどこか遠い世界の話を見ている感覚だった。
しかし、必死の水際対策むなしく、国内の都市圏を中心にポツポツと感染者のニュースが。
そしていつの間にか感染者の人数が毎日のトップニュースになっていた。

3月
緊急事態宣言
不要不急の外出は最小限にせよ。

仕事は強制的に在宅勤務に。

全ての会議は突然オンラインのWeb会議に。ミュートの使い方はに慣れていないなかで、通信環境も安定せず、雑音、音とび、いつの間にか相手がいない、そんな環境でも無理やりつづけました。

業務内容はリモートでの仕事環境の整備に全振り。実施中のプロジェクトは強制的に中断。

不自由と効率悪化は全てコロナのせいだ。


大胆な非対面化が推し進められました。
背に腹は変えられないようで、やってみたら、なんとかなるものです。


そんな慣れない生活を必死につづけました。

ある日、志村けんさんの訃報のニュースが ( ー人ー)

Σ(゜ロ゜;;)
コロナって・・・、本当に命を落とすのか。実感に変わった瞬間でした。

Σ(-△)
そういえば、80人の食事会予定してなかったっけ?これは、不要不急・・・なのか?
ていうか、案外ゲストも歳を重ねていらっしゃる。

急いで、式場に日程変更の相談をする。
再度、新しい日程で招待状を送るのが慣例とのこと。

先に日程決めないといけないのか・・・
ていうか、いつなら大丈夫になるんだ?

「じゃあ、10ヶ月後に変更で会場の予約お願いします。」
根拠なし。

と言うことで新しい日程の招待状を作る。検温義務など、本当に招待する気あるのか?と言わんばかりの条件の紙を追加して封入する。

今度は、願掛けで仏閣の風景印か。

と、少し離れた郵便局に招待状を持ち込んだ。

一方、仕事の状況は
猛烈な勢いでTeamsのベストプラクティスを整理。Web会議スケジュールもギチギチに調整。回線増強。みんなの利用スキルも飛躍的に向上。

移動時間、食事時間、不要。
逆に仕事密度が上がった気がします。

そうこうしているうちに、招待状の返信が集まりだした。
やっぱり、、、地域が遠い人はみんな辞退か。

(-ω-)ウーン

そりゃ、そうだよね。。

なにかできる事はないか?
と考えるまでもなく、Web 会議の中継もしようと決め、Webカメラを調達。
会議ツールは、リンクからアクセスしやすいからgoogle meetに。

そんなわけで当日は、会場とWeb会議のハイブリッド開催で開催。

会場はマスク着用必須。
Web会議は縛りなし。

なんなら、会場のが来賓の方の顔がわからないのではないか、と言う感じでした。

\(^o^)/メデタシ メデタシ

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ということですが、本題に戻ります。
インターネットが代替え不可のライフラインとなった話として一例を紹介しました。
新型コロナをきっかけで社会全体で今あるテクノロジーを最大限活用して生活の継続を試みました。その結果、生活のあらゆる場面で(スマホ含む)インターネットファーストになったように思います。日常の面談は対面より、Web会議のが確実に多くなりました。買い物は買うものが決まっているものは迷わずオンラインショッピングになりました。
こらはインターネット環境の大きなも変化と思います。

当初の目標だったGW中の完遂からギリギリはみ出す形となりましたが、なんとか走りきりました。
7回にわたる長文でしたがお付き合いいただきありがとうございます。


インターネットの歴史(6)

2024-05-06 16:24:50 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第6弾です。
2015年頃
この頃になるとyoutubeはyoutuberと言う独自のタレントが活躍し、テレビでも取り上げられるようになっていたと思います。youtubeは、youtuberが(ぶっとんだ)何かをするのかを楽しむもの、ニコニコ動画は(ぶっとんだ)何かつくったもの(創作物)を楽しむものと言う感覚でした。
そんなyoutubeに突如として、現れたのがバーチャルyoutuberのキズナアイ。
CGアニメのyoutuberです。本人はスーパーAIと言っていますが絶対に中に人がいると思ってます。これは、人なのか、創作物なのか。後にVTuberと言われるようになり、ひとつのカテゴリとなりました。3Dのモデルに撮影した人の表情を投影させたり、モーションキャプチャーで動きを投影させたりする技術が整ってきた事でコンテンツとしての面白さが出るようになったんだと思います。
一方、スマホの世界ではポケモンGOが一世を風靡しました。スマホの位置情報を活用してゲーム内の居場所と実際の居場所をリンクしているため、ポケモンを探すため、実際に歩き回るゲームです。ゲーム内のイベントで特定の公園に人が集まりすぎると言う社会問題にもなりました。
インターフェイスの進化によって、現実社会(リアル)が部分的に融合するとこでインターネットサービスの新しい体感を生んでいるように思います。
これはIoT(Internet of Things)の実験のひとつの成功例と思います。


インターネットの歴史(5)

2024-05-05 00:59:17 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第5弾です。
2010年頃
実際はもう少し時期的に幅はあると思いますが、私の感覚でまとめてみます。
動画共有のサービスでyoutubeと一線を画すサービスとして、ニコニコ動画が存在感を示すようになりました。
閲覧にも会員登録してログインする必要があったため、日本人の作った尖ったコンテンツが多かったようです。
そしてボーカロイド初音ミクの登場。
この組み合わせにより日本の動画コンテンツにひとつの潮流が生まれることになります。
誰でもひらめいた歌を初音ミク歌わせることができる。多くのアマチュアプロデューサーが誕生し、多くの楽曲が初音ミクに提供されました。初音ミクの歌が次々と公開され、何でも歌うバーチャル歌姫へと成長しました。この歌に感化された人が歌に合わせて動画を作り、さらに投稿。そして、今度はその歌を実際に歌ってみて投稿。中にはこの活動から仲間になり、コラボして新しいコンテンツを作成。そしてニコニコ動画にはタグ付けと視聴中の画面にコメントを入れる弾幕の機能がこのアマチュアたちの投稿を盛り上げたように思います。見る人もタグ付けや弾幕でコンテンツに参加し、センスの良いタグ付けによりさらに見る人を誘導する。さらにひと手間かけてコンテンツを作る側になる人もいる。このように見る人と作る人が明確に別れない環境が初音ミクと言う歌姫とその経済圏を大きく成長させたと思います。その後、潮流から卓越した才能を持つ人はメジャーデビューし世間一般に新しい風を吹かせることになります。この時期はその土壌ができた時代と思います。
次にスマホの普及です。インターネットの高速回線は、家だけでなく、モバイル端末にも普及し、端末もガラケーかららスマホに変わり始めました。スマホに寄り外出先や移動中いつでも不自由なく、インターネットにアクセスできるようになりました。私はドラゴンコレクションと言うゲームに参加しましたが、このゲームに代表される基本プレイは無料で、ゲーム内の便利アイテムやレアカードを集めるために課金させるゲームの収益モデルも大きく成長したと時期と思います。
今になって思うとこの時期は現在のインターネットの形ができあがってきた時代と思います。

インターネットの歴史(4)

2024-05-04 13:46:05 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第4弾です。
2008年頃
私が社会人になったと言うのも、関わり方が少しライトになりました。
この当たりから、インターネットサービスで、個人が発信する情報のマルチメデイア化が推し進められたように思います。SNSは急激に日本でもFacebookの利用者が増え、投稿内容はテキスト中心から写真中心に変わりました。
(無料での)投稿の容量制限のあるMixiと、容量制限のないFacebookとで明暗が分かれたのだと思います。に移ってきたと思います。またテキスト情報の投稿は、twitter(現在X)の利用にシフトし一言コメントのような短い投稿が中心になったと思います。これは、技術的な進歩というより、使い方と言うか、使わせ方の変化のように思います。
投稿に時間がかからず、感激を即座に共有、即座にリアクションできるサービスによって、ライトなユーザーの投稿のハードルはかなり下がったと思います。
また、youtubeも日本で目にするようになったのはこの頃だと思います。
ブラウザのホームもいつの間にかyahooよりgoogleを使う人が多くなっていて、ンターネットはとりあえず、googleで知りたい事を検索するものだと言う感覚になっていました。
午前0時の森(火曜日)的な表現で言えば、コンテンツを大切に作り共有する「こっち側」的な情報共有から、瞬間の輝きと感動を共有する「あっち側」的な情報共有に変わったイメージです。
日本人の利用者調査するインターネットサービスに今の巨大プラットフォームが出揃い、勢力図を塗り替えていったの黒船期という感じでしょうか。

インターネットの歴史(3)

2024-05-04 00:52:35 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第3弾です。
2005年頃
実際はもう少し時期的に幅はあると思いますが、あくまで私の認識した時期感と言うことでご容赦ください。
高速なインターネット回線の普及によって、インターネットは好き者だけが集まる空間から、色々な雑多な人が集まる場所に拡がっていった時期と思います。
ホームページの人気コンテンツだった日記サイトを誰でも簡単に作れるように、
Blogが個人発信の場の中心に変わってきました。
インターネットの変遷を語る上で「1%の努力」のひろゆきさんを避けて通ることはできないでしょう。
「2ch」と言う超巨大掲示板は異色の存在感がありました。この掲示板の管理人がひろゆきさんだったとのことです。2chはあまりのアクセス数の多さに耐えるために専用のブラウザが開発されたほどでした。完全に匿名の掲示板として、仮面を被った怪しい人たちが押し寄せる場所という印象でした。匿名であるがゆえ、歯に衣着せぬ、いや、誇張してさらにトゲの生えた書き込みが横行していたようです。友達の間では「傷に塩をすり込みあう文化」といっていました。このような特性から、ネガティブ情報を見つけやすいと言うことで、何かを買うとき、必ず2chで調査すると言う使い方もあったようです。また、文字だけの投稿の掲示板でも絵を表すため文字で絵を描くアスキーアートを大幅に進化させた掲示板と思います。特にモナーと言う二足歩行の猫(?)はみんなのマスコットとして、頻繁に登場し、深く愛されていました。「っ」を使わない独特な言い回しをはじめ、多くのネットスラングも産み出しました。そんな2chですが、「電車男」と言う心たたまる恋物語(実話?)が発生し、後に映画化されるました。それだけインターネットと実社会が深く交わり始めたんだと思います。
一方で、ユーザーの匿名性を排除するため、何者であるかをお互いの繋がりで保証し合うSNSと言う試みも拡がり始めました。私は友達から紹介され、mixiに参加しましたが、閲覧者が知り合い同士になるため、良い、あたたかい書き込みが多かったように思います。
これは、個人的な感想ですが、匿名ではネガティブ情報を集めやすくなり、利用者が明確であればポジティブな情報を集めやすいと言うことに気づいた頃でした。