御上先生見たら面白かったっていうところから。
ただひたすら勉強して、テストの点数を上げて・・・
そんな人生に何が違和感を感じる人にはすごく共感できる部分が多いのではと思った。
また、学校系のドラマと言うとクラスが荒れすぎていて、全然リアリティを感じない。そんな人にもよいかもしれない。
さて、物語の中のおそらくメインテーマでもある問い「考える力とは?」。
答えは「論理的思考能力」と言うのが模範解答のようだ。
しかし、ドラマを見ているとこの模範解答が表面的な答えとして感じられるようになる。
ドラマての答え合わせは置いておくとして、私がSEとして感じたことを書いてみる。
考える力がもし、論理的思考能力なら人はAIより優れた答えを出せないのではないかと思う。
論理的思考とは、いくつもの方程式があって、その方程式に沿って事柄を整理して、結論を出す方法と言える。AIの方がたくさんの情報、方程式を知ってるわけで、計算速度も人より早い。
論理的思考によって導き出された答えは、客観的に整理されるし、どこかの誰か偉い人のお墨付きの理論であるため箔が付く。
そんなわけで、多くの人の意見の効率よく一致させて、結論を納得してもらう手段として非常に有効であると思う。
しかし、論理的思考によって間違った結論に至ることもあるのではないかと思う。雑に言うと3段論法のような形で倫理観に反する決定が容認される事があるのではないか。
例えば
お客様からの厳しい納期の要求に答えてきた。
過去、厳しい要求納期に答えるためにテストを黙って省略したが問題なかった。
ならば、厳しい要求納期に対応するには、テストを省略して問題ない。
そんな事はない。普通に考えれば不誠実であるわけで、居心地が悪いはずだ。SEとしては当然ながら、誠実に対応する必要がある。
こんな選択肢もある。
追加のテスト期間をもらえないか相談する。
納品物を減らして、十分なテストが完了したものから段階的な納品にできないか相談する。
改めて適正納期を説明し、納得いただけない場合は辞退する。
結局のところ一つの絶対的な答えは無い。その時々に応じて考え、人どうしで相談し、適切な答えを見つけるしかない。答えの無い問題と向き合い、自分なりに答えに導いていくことで少しずつ良い方向に向いていくのではないかと思う。
結局のところ、論理的思考の方法論により、最適解を導き出せるかもしれないが、心を失うのではないかと心配している。
論理的には最適解であったとしても、倫理観や個人の誠実さが軽視されるかもしれない。
だから、常に今より良くする方法論を考えて、心を込めて結論を出すことが大切と思う。
これからAIにより論理的に導き出された大量の答えと向き合う時代になるかもしれない。
しかし、もし論理的思考によって導いた答えが、個人の感覚とズレていたり、物足りなさがあるなら、無理に納得せずそのギャップに向き合うことが必要と感じた。