goo blog サービス終了のお知らせ 

みつばちエンジニア

SEの閉塞感のすごい日常の打開を夢見て、日々のモヤモヤを綴ります。

憧れのジョークRFC

2025-04-01 07:13:05 | 日記
4月1日はエイプリルフール
インターネットを全世界て、アクセスできるようにするため、様々な決め事やルールをつくる(相談する?)仕組みにRFCと言うものがある。RFCはrequest for commentsの略で、日本語で言うなればコメヨロと言ったところだろうか。
強制力は無いものの、実質的には大多数の製品がRFCに沿って作られているので、準拠していないと、他の機器と通信ができず、なんの役にもたたない機械になってしまう。そんなRFCに4月1日になると少し変わった規格が掲載される。ジョークRFCと言うもので、その仕様は誰か実装するの?と言うような謎なものに対して、至って真面目に規格化する事を提案している。
例えば、伝書鳩を使った通信方法とかあったような。
一般的に、規格やルールと言うと難しく堅苦しいものという印象であるが、そこにジョークを織り込むから面白い。こう言うユーモアがあって、遊び心を持った人達がいるからこそ、多くの人が共感してその規格が受け入れられ、インターネットが世界に広く受け入れられてきたのかもしれない。

そう考えると、大人数で協力して何かを作り上げるためには、ただ真面目に取り組むだけでは足りず、真面目のなかに遊び心があることが重要なのかもしれない。

4月1日はそんな事を思い起こす日にしている。




論理的思考の落とし穴

2025-03-29 10:00:36 | 日記
御上先生見たら面白かったっていうところから。
ただひたすら勉強して、テストの点数を上げて・・・
そんな人生に何が違和感を感じる人にはすごく共感できる部分が多いのではと思った。
また、学校系のドラマと言うとクラスが荒れすぎていて、全然リアリティを感じない。そんな人にもよいかもしれない。

さて、物語の中のおそらくメインテーマでもある問い「考える力とは?」。
答えは「論理的思考能力」と言うのが模範解答のようだ。
しかし、ドラマを見ているとこの模範解答が表面的な答えとして感じられるようになる。

ドラマての答え合わせは置いておくとして、私がSEとして感じたことを書いてみる。

考える力がもし、論理的思考能力なら人はAIより優れた答えを出せないのではないかと思う。
論理的思考とは、いくつもの方程式があって、その方程式に沿って事柄を整理して、結論を出す方法と言える。AIの方がたくさんの情報、方程式を知ってるわけで、計算速度も人より早い。
論理的思考によって導き出された答えは、客観的に整理されるし、どこかの誰か偉い人のお墨付きの理論であるため箔が付く。
そんなわけで、多くの人の意見の効率よく一致させて、結論を納得してもらう手段として非常に有効であると思う。
しかし、論理的思考によって間違った結論に至ることもあるのではないかと思う。雑に言うと3段論法のような形で倫理観に反する決定が容認される事があるのではないか。

例えば
お客様からの厳しい納期の要求に答えてきた。
過去、厳しい要求納期に答えるためにテストを黙って省略したが問題なかった。
ならば、厳しい要求納期に対応するには、テストを省略して問題ない。

そんな事はない。普通に考えれば不誠実であるわけで、居心地が悪いはずだ。SEとしては当然ながら、誠実に対応する必要がある。

こんな選択肢もある。
追加のテスト期間をもらえないか相談する。
納品物を減らして、十分なテストが完了したものから段階的な納品にできないか相談する。
改めて適正納期を説明し、納得いただけない場合は辞退する。

結局のところ一つの絶対的な答えは無い。その時々に応じて考え、人どうしで相談し、適切な答えを見つけるしかない。答えの無い問題と向き合い、自分なりに答えに導いていくことで少しずつ良い方向に向いていくのではないかと思う。

結局のところ、論理的思考の方法論により、最適解を導き出せるかもしれないが、心を失うのではないかと心配している。
論理的には最適解であったとしても、倫理観や個人の誠実さが軽視されるかもしれない。

だから、常に今より良くする方法論を考えて、心を込めて結論を出すことが大切と思う。
これからAIにより論理的に導き出された大量の答えと向き合う時代になるかもしれない。
しかし、もし論理的思考によって導いた答えが、個人の感覚とズレていたり、物足りなさがあるなら、無理に納得せずそのギャップに向き合うことが必要と感じた。



ずる働き

2025-02-25 11:21:51 | 日記
「先輩、それずる働きですよ。」
そんな文脈で「ずる働き」という言葉を聞いたのは「テレビ報道記者〜ニュースをつないだ女たち〜」と言うドラマだったと思う。
本来働かなくて良い時間まで仕事に時間を捧げる人に対して、後輩社員の放った言葉だった。
「ずる」という言葉は通常良くない事に使う言葉で、「働く」と言うのは良い事だと思っていた。しかし、良い事をし過ぎるのがズルい(良くない事)と言うニュアンスに新鮮さを感じた。
昨今の日本には色々なITシステムが溢れているがこれらは誰かのずる働きによって支えられているといっても過言ではない。いや、ITだけでなくいろいろな分野でずる働きをするのは当たり前なのかもしれない。
私に代表されるように、少なくとも40代以上の人の感覚としては、働く事は良いことと思っていて、なぜ働きすぎが悪いことなのかわからないと思う。
求められているし、必要だし、今までそうやってきたし、何が悪いの?と言う感覚。

昨今、労働時間に関する法律も強化され、明確に働き過ぎが悪い事として定義された。
規定された時間を超えてこっそりと(あるいは堂々と)仕事をする事が「ずる」と定義された。
とはいえ、自身の選択で、会社に貢献し、会社を通して社会に貢献しているのだから、好きで長く働くのは問題ないではないか。私もそう考えていた。

しかし、そんな生活を続けると失うものがあると感じるようになった。
人間らしい心というか道徳観と言うか。
生活の時間すべてを仕事に捧げると、仕事に直接的に関係のある事にのみ頭(脳)を使うことになる。ビジネスで重要視されている論理的思考能力と損益の儲けに関すること。そればっかりしか考えられなくなる。その結果、人間らしさを失って、人間的にどうなのか?と思うような事に直面しても、ブレーキができなくなるのではないか。
そもそも、論理的な思考や、損益の計算や予測ならAIの方が得意かもしれない。つまり、ずる働きによって、どんどんAIに置き換えされる人になっていく。
また、ずる働きを永遠に続けているといつしか、自分がこんなに頑張っているのだから、人も同じように取り組むべきだとか、自由に時間を使っている人がズルいとか思い始る。
そうなると、もはや個人の選択の問題ではなくなってくる。周囲に対してずる働きを強要するかもしれない。

だからこそ、一人ひとりの各個人はずる働きで仕事にすべての時間を捧げるのではなく、しっかり個人の時間を使って人間らしい感性や、非合理的的な感情と向き合った方が良いと思う。それによって人間的に成長して善悪がわかるようになるのではないかと思う。

誰かのずる働きによって維持されるシステムは続かない。むしろ、非人道的な社会的な問題を引き起こすリスクすらある。
自己の献身によるずる働きは良くない。一度システムとして破綻させたとしても、直ちにずる働きは辞めるべきだと思う。
それによって本当は必要のない仕事も見極められるのではないか。
と最近考えた。


デスマ月間

2025-02-01 09:49:35 | 日記
デスマ(Death March)とは、ITの業界でよく耳にする言葉で、ものすごい量のタスクが堆積し、終りが見えない状態。とにかく飲まず食わず寝ずで、ひたすら仕事をやり続けなければならない状況。また、タスクをこなせばこなすほど、新たな(潜在していた)問題が発覚し、タスクが増える状態。
飲まず食わず寝ず、ひたすら仕事を続けるので、明らかに体や精神への負担が大きい。まさに命を削って仕事をしているといえる。またメンバー間で互いにドロップアウトを許さず、チームメンバー全員で死にむかって進むため、死の行進とは比喩表現ではない。
働き方改革が叫ばれるこの現代では、すで死語となっていることだろう。
さて、2月になったところで、なぜデスマが気になったかと言うと、2月と言えばデスマのペースを上げ、皆で一気に死にむかって加速する月間である。デスマ月間。一般的なメテオフォール型開発では、工程や難易度、トラブルの発生状況にかかわらず黙示録という形で期日が決定される。それにもかかわらず、直前までラグナロクによる仕様変更が乱発するため、デスマ必死である。3月に会計〆を設けている会社が多いと思うので必然的にこの黙示録も3月に制定されることが多いのではないかと思う。
結果として、2月からDeath Marchを加速させ、3月にDead Lineを設けて、3月の終わりには既に限界を超えてDead on Marchというわけでである。
この活動が多量の予算を注ぎ込んだものだったとしても、残るものはチグハグなパッチワークなシステムと、大量の休職者。地獄のような負の遺産を作り上げるのは当然である。
飲まず食わず寝ずに追い込まれた人間作るものなんてそんなものではないか。

行列ってどっちが横でどっちが縦?

2025-01-27 21:54:04 | 日記
「行と列って、どっちが横で、どっちが縦って、わからなくなりません?」

とある日、先輩に話したら、

「漢字で書いてみるとわかるよ」

と教えてもらいました。

行・・・
ワカラン、タテっぽくもあるしヨコっぽくもある。

列 Σ(゜▽゜)ハッ!

漢字のつくり(右側)が縦棒が並行に並んでるではないか。

改めて「行」の右側をみると横棒が並行に並んでいる。さらに↓がついている。

というわけで、

行は横方向に並ぶカタマリが下に増えていくもの。
列は縦方向に並ぶカタマリが右に増えていくもの。
と見えることがわかりますね。

ちなみに英語にしてみると

ROW ・・・んー〜
COLUMN 心なしか、縦棒が多いような気もします。

これで皆さんもう行と列を間違えないですね。