みつばちエンジニア

SEの閉塞感のすごい日常の打開を夢見て、日々のモヤモヤを綴ります。

インターネットの歴史(2)

2024-05-03 15:04:12 | インターネットの歴史
個人的主観によるインターネットの歴史第2弾です。
2002年頃
高速なインターネット回線の普及により、大規模大人数のオンラインゲームが普及しました。
徹夜でゲームをするために友達の家に泊まり込む必要はなくなり、毎晩家にいながらオンライン上で集まり一緒に遊ぶことができるようになりました。
私たちがたまり場として選んだフィールドはガンホーが運営するラグナロクオンライン(RO)と言うゲームでした。今でこそパズドラで有名ですが、当時はまだまだ発展途上の会社だったと思います。
プレイヤー数にサーバの性能が追い付かず、ゲームへのログインが失敗ばかりで、ゲーム時間の半分は仲間のログイン待ちというゲーム仕様であったため、ログインゲームとも呼ばれていました。ゲームのチャット機能もあるのですがログインしないと使えないため、仲間同士はIRQと言うチャットソフトを使っていました。当時は最もメジャーなチャットソフトで、IRQのメッセージ着信の音が「アッオー!」だったことから、メッセージ着信と言えば「アッオー!」と言う感覚の人は少なくないと思います。
やがてROの有料化に伴い継続するプレイヤーが絞られたこことでゲームへのログインは安定しましたが、一緒に遊んでいた友達もほとんど引退してしまいました。そこでゲーム内で「パーティ募集」のチャットから新しいパーティに参加して、知り合いをつくって、やがて知り合い同士でゲーム内の町の片隅に溜まり場に集まるようになって、チャットでおしゃべりして、たまにダンジョンに出掛ける。そんなオンライン生活になりました。部屋に閉じ籠っていても、PCの中には壮大なもうひとつの世界が広がっていてそこに仲間もいる。そんな感覚です。インターネットの進化により年齢もすむ場所も違う、そして顔も見たことがない、だけど仲間と言うコミュニティが当たり前になり始めたと言うことだと思います。このオンライン生活を通してタイピング力も鍛えることができ、よい経験だったと思っています。
私の中でこれは、インターネットの光の部分。もうひとつこの時期に流行っていたのがP2Pソフトだと思います。こちらは、闇の部分として。
音楽CDを入手してMP3に変換してパソコンにファイルとして取り込んで、お互いのお気に入りの音楽を交換すると言うのが一般的なP2Pソフトと思います。WinMXと言うソフトが流行し、ものすごいユーザー数となり、このソフトを使えば世界中のあらゆる音楽をただで入手できる時代になりました。当然、元となっているのは誰かが個人用としてコピーしたもので、著作権違反です。ヘビーユーザが次々と逮捕され始めました。そこで、日本発のより匿名性の高いP2Pファイル交換ソフトWinnyが開発され多くのユーザーがこのソフトに移り住んだと思います。このWinnyについても、開発者の47氏が逮捕されたことによって、著作権の取り締まり強化を皆が実感する事となり、iTunesなどのサービスを利用して、合法に音楽をダウンロードするようになっていきました。こうして音楽はCDで買う時代から、ダウンロードする時代に劇的に変化した時代のように思います。

インターネットの歴史(1)

2024-05-03 01:54:12 | インターネットの歴史
1960年代にアメリカの国防総省で開発された技術が、大学間を結ぶネットワークとして民間に転用されたのが始まりで・・・
とインターネットの話を聞いてもなんかしっくり来ないので、私の主観的な感覚からキーワードを元にインターネットの歴史を振り返ってみたいと思います。

2000年頃
友達の家で初めてインターネットに出合った。月に一回の頻度で、家に泊っては徹夜でゲームをして過ごす。どうせやるからには最強を目指す。そんな遊びをしているなかで、インターネットは最強への道しるべでした。攻略本を凌ぐ反則級の情報が一杯。カンニングのような背徳感を感じながらも、ありがたく情報を活用させていただいてました。当時はISDNが主流で通信速度が遅かったため文字ベースの情報が多く、画像もなるべく軽くする工夫があったのではないかと思います。
2002年頃
ADSLが一般的に普及し、我が家にも快適なインターネット環境がやってきました。
ネットサーフィン
インターネットのサイト(Webページ)をリンクをたどり何かを定めず斬新なものを求めてインターネットをさ迷うことをネットサーフィンと呼んでました。
先行者
友達からネットサーフィンで先行者と言うすごいものを見つけたと聞きました。早速yahooで調べると侍魂とサイトにたどり着きました。
そこには、想像を掻き立てるアニメーションgifと、躍動感の半端ないテキスト。文字の大きさ、色、改行、画像の挿入を上手く使って空間と間を作り、読み手に緩急を与える文章でした。
ホームページってすごい。こんな事ができるのかと感化され即座に自分のームページを立ち上げるきっかけとなりました。
キリ番
当時のホームページと言えば、トップページとそれぞれのオリジナルなコンテンツ、掲示板がセットになったものが一般的な作りでした。
トップページにはタイトルの他にアクセス数のカウンタがあり、それがキリの良い数字だと「キリ番ゲット」と掲示板に書き込む。そこきっかけに新たなコミュニケーションが始める。そんな使い方が一般的でした。私の場合はJavascriptの自作のクソゲーの展示と日記のテキストのページでした。
ホームページを作ったからにはカウンタ数を上げたい。そんなわけで友達から同士でバナーを交換して相互リンクをするのが当たり前。バナーはホームページのタイトルの画像に自信のホームページへのリンクつけたもので、みんななるべくネットサーファの目が止まるように工夫を凝らしてました。相互リンクはお互いのホームページのを紹介し合うためにバナーを交換してお互いのページにはりあうことです。
今思うとまだまだハンドメイドのインターネットの時代だったと思います。