2007年4月13日に、弟が急性骨髄性白血病で広島大学病院に緊急入院しました。
あれから、丸5年が経ちました。
仕事も何もかも休んで、一か月広大病院に付き添いました。
弟は6番と9番のDNAトランスで、広大の主治医も「見たことない」タイプ。
発病から1年後の生存率は10%ない。
1クールが終わったら、熊本に帰りなさい。
転院した熊本医療センター(旧国立病院)でも、「かん解」に入るのは難しいでしょう・・・と。
でも、丸5年経った今、弟は元気に生きてます。
... 治療は壮絶で、今でも思い出しただけで私の方が胸がつぶれそうになってしまう。
本人の頑張り
ドクター、看護師さん始め病院の方々
両親、親戚、友人
たくさんの人々の想いが奇跡を起こしたと、今でも本当にそう思います。
この世に生きているだけで奇跡です。
その奇跡に感謝して、今日も頑張ろうと思います。
昨晩は、オペラ「トゥーランドット」鑑賞デート
初オペラは、のっけから引きつけられ、あっという間の時間でした。
おもしろかったです
言葉はわからないけれど、気持ちは伝わるんだな。
なんというか、わたしもステージ側に属するわけで、
いつもなら照明とか構成とか、そんなのが気になるけど
昨晩は物語に引き込まれました。
あっ、でも多少動きとかは気になったな(笑)
もっといろんなことにアンテナ張って、吸収しよう~
「あなたの今後の目標は?」と尋ねられた。
私の目標・・・。いつも明確な目標などなく、感覚で、その時思いついたことを、やりたいことを、でも目の前のことに、ただただ一生懸命。
私が何故踊っているのか?どうしてベリーダンスなのか?
それこそ、明確な理由なぞない。私はベリーダンスを踊るべくして生まれてきたと、今では思う。
海老原先生の踊りを初めて、この目で、間近で観た時に、本当に本当に私の魂が震えた。そう表現するしかない。
私の目標は?と聞かれ、「私が先生の踊りを観た時のように、たった一人でもいいから、誰かの心を揺さぶりたい。何か残したい。感じて欲しい」と、私の中の私が答えた。
そして、「ああ、そうだった。大事なことを忘れてた。」と、また別の私が振りかえった。
私の踊り、踊りだけじゃない。
笑顔だって、かける言葉だって、生き方だって
誰かの心をほんわかさせたり、勇気づけたり、楽しくさせたり、なんでも出来るんじゃないかな。
そういう自分でいたい。
踊りに関して言えば、私の先の先のずっと先にある光を追い求めて
ただ、がむしゃらに
そんな姿が、生徒だったり、誰かの心に波紋を与えることが出来るんじゃないのかな。
心を亡くしてしまうような多忙な日々に、追われないようにしよう。
「自分」は常に揺るぎない「自分」でいよう。
と、そんなことを思った朝。
さあ、11/1からは八千代座で坂東玉三郎特別公演に、踊り手として出演。
週末は玉さまとお稽古。
こころを入れ替えて頑張ろう。