コジタン-故事譚-

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司馬氏の策士 賈充

2005年01月15日 | 三国志
字 公閭

出身 河東郡

生没年 217~282

概略
司馬昭が魏の実権を握ると、東方の諸国の動静を探るため、
賈充を派遣した。賈充は諸葛誕と会見し、
彼に謀反の心ありと報告した。
かくて司馬昭は諸葛誕を討伐した。
また魏帝曹髦が司馬昭の専権に憤り、
司馬昭を誅殺しようとしたとき、
賈充は兵を率いて竜門に阻止に出た。曹髦が
「朕は天子であるぞ。天子を弑殺しよういうのか」というと、
兵が躊躇すると、賈充は、
「司馬公がおまえを養っているのは今日の日の為なのだぞ」
と叱咤し曹髦を殺害させた。
賈充はこのように司馬氏の腹心として司馬昭、
司馬炎に仕えたが、
司馬炎の呉討伐には終始反対の態度を取った。

エピソード
呉を平定後、洛陽に護送されてきた呉主孫晧に、
「人の目をくり抜いたり、頭の皮を剥いだりしたのは何の刑か」と
問うたところ、孫晧は
「臣下でありながら、その君を弑するような人間にそうしたまでだ」
と切り返された。
魏主曹髦を弑したことがある賈充は言葉を失ったのである。