コジタン-故事譚-

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プロジェクトX-姜維の挑戦-

2005年01月16日 | 三国志
蜀の丞相諸葛亮が死んだあと、
積極的に魏への北伐を行ったのが、
もと魏の降将であった姜維であった。
三国志演義の中では、諸葛亮の後継者として書かれている姜維だが、
正史を見ると諸葛亮が彼を後継者や弟子として扱った事実は無い。
姜維が蜀の実権を握ったのは、諸葛亮の遺言により指名された、
蒋エンと費イが亡くなってからである。
費イの時代になると姜維は録尚書事として、
費イと互角の権力をもっていた姜維は、たびたび大軍を動かそうとしたが、
常に牽制され少数の兵しか与えられなかった。
しかし、費イはほかならぬ姜維が招降した魏の降人郭脩によって
殺されてしまう。
この事件により姜維は事実上蜀の最高権力者になるのである。
大規模な北伐を繰り広げるようになるのだが、
その間内政は停滞し、
ついに政権内部から姜維の追い落としの動きが起こったのである。

有力な背景を持たず、なおかつ魏の出身である姜維は、
政権を構成する益州組、荊州組のどちらにも確固たる人脈を持っていなかった。
当時蜀の重鎮であった廖化、張翼、董厥らはいずれも姜維の北伐には批判的であり、
さらに董厥、諸葛センは、
姜維の兵権を奪い荊州出身のエン宇と交代させるように
上奏したと言われる。
かくして、姜維はたいした戦果を上げられず、成都に帰還できぬまま、
劉禅の降伏を聞かされることになるのである。

その後、姜維に鍾会に投降し、
艾を退け、蜀で自立するように唆すが、
事前に情報が漏れ失敗。暴動の中三者は悲惨な共倒れをとげるのである。