コジタン-故事譚-

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実は四国志だった?!三国志

2005年01月15日 | 三国志
三国志は、諸葛亮の北伐など
中国の南のほうがメインになっていますが、
北のほうには、
公孫家があったのです。
彼らは中原など大陸には目をつけず、
朝鮮半島攻略に力を注ぎ、
独自の支配権を確立していました。

魏や呉はこの勢力に積極的にアプローチを仕掛けてきました。
魏にとって背後を脅かす存在であり、攻略に回す兵力も無い。
呉にとって魏を背後から攻撃させれば、有利に動く。
公孫家は魏と呉のキャスティングボードを握っていたといえます。

呉は呉側につけるためは公孫家に燕王の位を与えます。
ここに
魏 呉 蜀 燕 の四国鼎立の時代が起きたのです。


魏と呉のキャスティングボードを握って、
勢力を伸ばした公孫家ですが、
諸葛亮の死により、脅威の無くなった魏によって派遣された
司馬懿によって滅ぼされてしまいます。

ただこの公孫家がなければ、朝鮮半島に大陸の文化は入ってこず、
日本の発展も何年か遅れていたでしょう。