コジタン-故事譚-

役に立つ故事や春秋戦国、三国志アーンド日常生活についてあつーく語るブログ

不運の天才 曹植

2005年01月04日 | 三国志
・字 子建

・生没年 192~232

・享年 41歳


・概略
曹操の三男で、曹丕、曹彰の同母弟。
文才に優れ、曹操からもっとも愛されていた。
後継者候補の一番手であったが、
曹操の嫌っていた楊修を重用していたことがわかると、
急に遠ざけられるようになった。
曹操に疎まれた後は曹植は、酒びたりになり、曹操の葬儀にも出席しなかった。
このことから、曹丕に逮捕され、問責を受けることになるのである。
しかし曹植は曹丕の「七歩歩く間に詩を作れ」という難題に見事応え、
なお、母卞氏のとりなしもあり、一命をとりとめ、減封だけで済んだ。



・エピソード
「七歩の詩」
曹植、曹丕間で最も良く知られているのが、「七歩の詩」だ。
曹丕は題を出し、使用禁止のの詞を示し、「七歩歩く間に作れ」と命じた。
曹植が見事に作ると、「こんどはすぐに作れ」と言った。
曹植は即座に、
「豆を煮るに豆箕をたく。豆は釜にありて泣く。
木是同根より生ず。相煎ることで何ぞ太だ急なる」
という詩をつくり、これによって死を免れた。



・まとめ
三国志の中ではあまり目立ってはいないが、
文学史上は建安文学を担う中心人物である。
ただ天才というのは、何かしら変な部分があるものである。
天才と変人は紙一重だ。
曹植も精神的に幼かったように見える。
彼の哀愁に満ちた詩は礼遇下で生まれたものであり、
詩も辛い人生中で書いてこそ、
いい詩というものが生まれてくるのかも知れない。