今日久しぶりに友達と話して、しみじみと感じたことがありました。
友達は、膠原病の中の強皮症という病気です。
体中の皮膚が固まっていく病気です。
そんな難病でありながら、非常に明るいキャラのため、いつも逆に
救われている・・そんな状態です。
この病気は、時折厳しい痛みが伴います。
そんな時でも、友達は痛みを緩和することに意識をおくだけで
決して、楽になりたいから死にたいって思ったことがなかったんだと
今日、そう話してくれました。
そうなんです。
友達はどんなに辛い時も、死んで楽になりたいと逃げる事をしないで、
果敢に立ち向かいながら生きてきたのです。
これは凄い事だなーって思ったのですが、その友達がこんな事を
言ったのです。
ある時、入院をしなければならない状態に追い込まれ、
友達に話したら・・・
「辛いだろうけど、全部受け止めて・・」
「神様は、あなたが強いから試練を下さったのよ」
「あなたは選ばれた人なの・・」
単純にそういう話をされて・・
(どういう理由で受け止めるべきなのかとか、試練の意味とかを解説されることなく)
言った人は、励ましのつもりだったのでしょうけど。
聞かされた私の友達は・・
「そんなのどうでもいいわーーーーあたしは強くなんかない!!!」
「神様に選ばれたくなんか、ないわーーーーーーー」
そう思ってしまった挙句、初めて「死」を意識し、楽になるっていう風に
考えてしまったらしいのです。。。。
その言葉を聞くまでは、どうやって痛みと戦おう!
痛みから楽になる方法は何かないか!!!
そうやって、前向きにやっていた友達がです。
本来なら、友達が元気になるために意味があるはずの言葉も
相手を見ずして投げかければ、こういう結果を起こしてしまうんだなって
これは、とっても重要だなって感じました。
確かに人に起こる問題は、その人を成長させる為に起こってます。
でもそれを、リアルタイムで苦しんでる時には、到底理解などできません。
まずは、苦しみと向かい合わせにならざるを得ないからです。
ましてや、痛みという苦しみなら、なおのことです。
うわべだけの気持ちで、これは試練なんだから~とか
自分を誤魔化しても、意味がない。。
苦しいだろうけど、その痛みから逃げないでいけば
やがて緩和し、脱出できます。
中途半端に試練だから~なんて
いってたって脱出なんてできないのです。
私は、友達が「宇宙意識」を知らなくても、神様を信じてなくても
今という現実から逃げないで、悲観的にもならないで
必死に痛みと戦ってきたこれまでの時間が、友達を成長させたんだなって
話をきいてて実感しました。
逆に、試練だから全部受け止めて・・そう友達に軽く言った人は
友達よりも、よほど現実を直視できてないんだろうなって。
本当の体感をした人は、そんなに軽く言葉をいえないこと知ってます。
だから・・体感した人がその言葉を口にした時は、説得力もあるのです。
それは自分と向かい合い、逃げずに戦ったか、逃げたか、それを
顕著に表してしまうんです。
経験するって、凄いですよね。
発する言葉にさえ、それが表れてしまうのですから。
自分も、口だけ星人にならないように、注意しなければと
襟を正す思いです。
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