ミノティカ宝箱

ヴィジュアル・コミュニケーター、「ミノティカ」の制作日記やニュース等。

AUG.16,2008

2008-08-16 | Weblog
●異常に蒸し暑い一日だった。アイスコーヒーが飲みたくなると、大阪の喫茶店を想いだす。

 朝、NHKのアーカイブスで大阪釜ヶ崎の赤髭こと本田良寛医師の1964年当時の診察の様子を観る(39歳)。親の代からの病院をたたんでまであいりん地区のために生涯を捧げた人である。そうかあ、60歳で亡くなったんだ。何と若い。「でっしゃろ」「まんがな」みたいな最近ではあまり若い人から聞けない大阪弁が懐かしかった。
 僕も大学生の後半から20代半ばまで大阪の街に「しみ込んでいた」ので、あいりん地区にも行って日雇い労働者の人達と話したり呑んだりもした。ジャンジャン横町で飯を食って、芝居用に古着を買ったり、通天閣で芝居を演ったり、食堂のばあさんに下宿しろと勧められたり。主に「ミナミ」から南側、そして近鉄沿線でコテコテに暮らしていたのである。知らない人とすぐに仲良くなれる僕には住み易い街だった。
 当時は街の立ち食いそばやなんとか丼みたいな店には女性は全くいなかったが、時代は変わったねえ。最近は都心のそんな店に女子高生とかが気軽に入って行ったり、家族で食事している人もいたり。

 ミナミではないですが、天神橋筋というアーケードに行ったことがありますか?2kmに及ぶこの商店街には僕の好きな昔ながらの喫茶店も多く、夏は「レーコー(アイスコーヒー)」を飲みながらキャスターを吸って芝居のチラシの打ち合わせなんかしていたものです。熱帯魚の水槽の怪しい紫色の光、ガラスブロック、ドアに貼付けられた店名カットアウト、ヤシ系の観葉植物、KEYCOFEEかなんかの電飾看板、スポーツ新聞のささったマガジンラック、「ドゥ~ン」とすごい低音が響く業務用クーラー、パーコレーター、お湯で薄めたブレンドを「アメリカン」と言って出す店(俺がバイトしてた所)、大きな氷をザクッとすくう音、マッチのパシュッという音。ラジオからは板東英二、角淳一、大学の先輩キッチュ、桜井一枝、ざこば師匠、リリアン、たかじんなど、関西人にしか理解不可能な「ご近所ウケ」トークが流れていたのです。
 夕方になると芝居の稽古が始まり、その後はまた、コテコテの飲み会で天満や京橋に移動するのです。