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異論・反論・Obsoletion

「異論・反論・多事争論」は
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『ふ・た・り』

2006-09-15 00:00:00 | なかよくしてね!
日之本純一郎(ひのもとじゅんいちろう)と中乃国左好子(なかのくにさよこ)は高校2年の同級生で恋人同士だ。
ふたりは付き合って4年になる。でも1ヶ月前に喧嘩をしてからは口を利いていない。
日之本くんはこれではいけないと時折電話を掛けるが、中乃国さんは電話にも出てくれないのだ。


これを見兼ねたクラスメートが中乃国さんに理由を尋ねた所、

あたしが、左が好きなのを知ってるくせに彼は靴を右から履くんだよ!信じられない。
あれはきっと私を馬鹿にしているんだ。サイテー!

実は中乃国さんは左が大好きだ。お風呂に入る時も左脚から入るし、もちろん洗うのも左腕からという風にである。


それ以来、クラスでは日之本くんがどちらの足から靴を履くかの話題で持ちきりになり、
クラスメート達は下駄箱で待ち伏せて日之本くんを観察する様になった。
そして「日之本くんの奴、また右足から履いてたよ!」と『親切にも』一々中乃国さんに報告しだしたのだ。

クラスメート達は事ある毎に「今日はどちらの足から靴を履いたの!」と尋ねるようになり、
日之本くんは答えるほど二人の仲が悪くなるのは目に見えているので渋ると
「恋人同士なのだから、隠し事はいけない!おまえには答える義務がある!」
と、恋人でもないクラスメートから非難を受けるようになった。

そんな様子を見兼ねた担任の先生も、
「そんなどうでもいいことで喧嘩するなど、しょうがないなぁ。。。」
と呆れていた。



この事に心を痛めたある『親切な』クラスメートは

恋人同士が一ヶ月も口を利かないなど異常だ。
靴を右から履くのは止めるべきだ。
彼女は右から履くのが嫌だと言っているのだから、わざわさ右から履く必要などないだろう!

と日之本くんに忠告したが、日之本くんは、

彼女が左好きなのは知っている。僕も出来るだけ左からするようにしているつもりだ。ただ、靴だけは別だ。
死んだばーちゃんが『靴を左から履くのは不吉だ!』と言っていたので僕は生まれてこの方左から履いた事はない。
でも一度だけ、たまたま左から靴を履いた時があって、すぐに気づいて右足を履く前に脱いで履き直したのだけど、
ちょうどその時にお母さんが交通事故に遭ったんだ。
また何か起こるかもしれないから、左から靴を履く事など出来ない。
左足から履いて、万が一中乃国さんに何かあったら悔やんでも悔やみきれない。
僕は彼女の事が好きなんだから、彼女を馬鹿にする意図などある訳無いじゃないか!

と答えた。


それでもなお『親切な』クラスメートは

そんなのは馬鹿げた迷信だ。そんな言い訳が通用する訳無い!



担任の先生もどうでもいい事に拘るなど『しょうがない奴だ!』と言ってたから、
そんな事言っていると内申点が下がるよ!

等と懸命に日之本くんに忠告しているのであるが、日之本くんは信念を変えるつもりは無いようだ。


さて、ふたりはこの後どうなるのでしょう?



***
ここで注目すべきは、

o このふたりは喧嘩はしているが、決して別れてはいないと言う点。
o クラスメート達は日之本くんの行動に注目しているので先生の言葉を日之本くんへの非難と受け取ったが、
『どうでもいい事』とは靴をどちらの足から履くかと言う事を問題にする点である。
o クラスメートの誰一人、自分がどちらの足から靴を履くかなど気にしていない点。
o 日之本くんは中乃国さんを馬鹿にする気は無いし、
靴を右から履く事が中乃国さんを馬鹿にする事にはならないと言う点。
o 実はクラスメート達は喧嘩しているふたりを見て楽しんでいると言う点。

である。




P.S.
そもそもこの喧嘩のきっかけは、ふたりの仲を妬んだクラスメートの中乃国への一言だった。

中乃国さんは左が好きなのに、恋人である日之本くんはこっそり靴を右から履いているんだよ!
こんなの許せる?


首相の靖国参拝の支持率が上がったワケ

2006-08-30 00:00:00 | マスコミ
マスコミは首相参拝後の世論調査で参拝支持が増えた事を「右傾化」と『警告』している。
果たしてそうなのだろうか。

田原総一朗氏は、首相の行為を国民が追認したと解し、
「これこそ戦前の状態と同じである」と『警告』していた。

もし本当に日本が『右傾化』しているなら、首相が参拝したがっていた事は自明であるから、
参拝後などではなく参拝前から首相の参拝を支持していたはずだ。


では、なぜ世論調査の結果が変わったのだろうか。
これは参拝前のマスコミの『報道』と参拝後の『結果』の違いによるものではないだろうか。

参拝前にマスコミは
「首相が参拝すれば日本は近隣諸国のみならず米国を含む全世界から非難を受ける。
8月15日に参拝するなど、正気の沙汰ではない!」
とのキャンペーンを張っていた。そして参拝の様子を必死になって生中継した。


ところがいざ参拝してみると、韓国の一部にデモがあっただけで、
中国でさえ過激な行動には出なかったのである。何か肩透かしを喰った感じだ。

少なくとも国民は、参拝前の『報道』から受けた印象との落差を感じたのではないだろうか。
国民はマスコミの報道により大変な事になると感じたので『反対」したが、
いざ終わってみたら大した事にはならなかったので『賛成』と回答したのだろう。


一方で解せないのは、マスコミが参拝後に、
「もう大騒ぎするのはこりごりだ!」等の社説を書いた事である。

これは、散々騒いだ日本のマスコミを自嘲するものではなく、首相を非難したものだ。
参拝前に大騒ぎを見越して予め書いていた社説としか思えない。
事実との突合せもせず、推測だけで書いた社説を載せたとしたら言語道断だ。

それとも、自分達が大騒ぎしているので、日本国中騒いでいるとでも思ったのだろうか。
マスコミは俯瞰で物を見る事ができるのか。それが出来ないなら報道など不可能だ。
自分が見た事を伝えるだけでは報道にはならない。なぜならそれは全体の一部に過ぎないからだ。
一部が必ずしも全体を反映しているとは限らないのである。


私には大騒ぎしたのは、日本のマスコミ『だけ』だった様に思う。
果たして他に大騒ぎした人はいたのだろうか。



マスコミは時折『右傾化』等と親切にも『警告』してくれるが、
『警告』も多すぎると意味を為さなくなる。ここぞと言う時に発してこその警告なのだ。
巷を騒がした湯沸器の安全装置が取り外された件も、必要以上に安全装置が働きすぎた事による。

現在のマスコミの様に数多く『警告』しておけば、いずれ本当に間違いが起きた時に、
マスコミは「『警告』していた!」と主張出来るだろう。
特に『右傾化』を警告する事は自分が常識人であるとのアピールになるのかもしれない。

しかし、そんな『警告』は何の役にも立たない。
それどころか、本当の警告を国民が無視する事になりかねないのである。

マスコミはひとりよがりな『警告』を止めるべきだ。
「茹で蛙」の例えは『警告』の乱発により国民が感覚を麻痺させる状態にも当てはまるのである。


マスコミは右傾化と国民を非難する前に、
大騒ぎして国民に余計な不安を与えた自身の見識の無さを恥じるべきだ。


---
マスコミは『劇場型政治」、『小泉劇場』と与党や首相を非難する。
政治家が国民に支持されるように効果的にアピールする事は別に悪いことではない。
逆に政治家がわざわざ国民が支持しないように自説を述べる事こそナンセンスだ。


大多数の国民は直接首相の話を聞く事など出来ないのである。
このため国民は首相の言動をマスコミによって知るのだ。
『世論』とは首相の言動の結果ではなく、マスコミが伝えた事項に対する国民のリアクションだ。

このためここでの「劇場」は、すなわちメディアなのである。
もし『劇場型政治』を問題とするなら、それは首相や与党の問題ではなく、
むしろメディアという劇場を提供し、吹聴して回ったマスコミの問題と認識すべきだ。


「靖国参拝は先の戦争を正当化する事になる」と言われたら近隣諸国はそれを捨ておけなくなる。
『劇場型政治』も(外交問題化した)『靖国問題』もマスコミが主因だ。
自身の責任を転嫁するという日本の良くない風潮はマスコミが作っているように思えてならない。


『靖国問題』への提案

2006-08-16 00:00:00 | 中□、南北△鮮
私は『靖国問題』は国内問題として扱うべきだと考える。
そしてそれは多数決などで性急に結論が出せる類のものでは無いと思う。
結論を出すまでに充分な時間が必要なのだ。

しかしながら『近隣諸国』からワーワー言われている現状として
純粋な国内問題としてじっくりと議論する事は不可能であろう。



ここで私は提案したい。
国内問題として議論するために、まず『近隣諸国』には黙っていてもらう必要がある。
このため、以後「取り敢えず近隣諸国に黙ってもらう方法」について考察する。
(『靖国問題』の解決策ではない点に留意願いたい)


--
ここでの『近隣諸国』とは具体的には中国と韓国だ。
そして中国と韓国についてはそれぞれ別の対応が必要だと考える。


中国は「A級戦犯の奉られている靖國神社に首相が参拝するなど許せない!」
との主張であると思う。これに対し小泉首相は
「特定の人物(A級戦犯)に対して参拝している訳では無い」と返している。

小泉首相は「そうではない!」と何度も言っているにも係わらず、
中国には聞き入れてもらえないのである。
このやりとりから判る事は、中国は小泉首相の発言を「信じていない」と言う事だ。
「信じていない」ため、いくら説明したとしても納得などしないだろう。
そして中国は「行動で示せ!」とも主張している。


これに対して、日本では以下の議論が存在する。
「首相は参拝を控えるべき」
「A級戦犯を分祀すべき」

どちらも(中国に黙ってもらうには)有効な方法ではあろうが、
ただ、どちらにも問題がある。
前者の場合は、首相自身がそれを同意する必要があるし、
何より(以降首相となる人全てが参拝自粛に同意するとは限らないため)
参拝を(続けていた場合に比べて)再開した場合に、より一層の反発が予想され、
状況を悪化させる恐れがある。

後者は、靖國神社の教義上無理らしい。
そしてこの方法は靖國神社自身がそれを認めない限り不可能であるから
実現性があるとは思えない。



そこで私は「参拝を止める」事も「分祀」もする事なく「行動で示す」方法を
模索すべきだと考える。(単なる「理屈」ではなく「行動で示す」事が重要だ)

例えば、「靖国神社内に『A級戦犯専用の参拝所』を新たに作る」事。
首相が『A級戦犯専用』の参拝所に参拝しない事を示す事により、
「『A級戦犯』を参拝していない」と(かなり苦しいが)主張する事が出来る。

この案も靖國神社の同意が必要ではあるが、
御霊を弄る『分祀』と違い、あくまで俗世間の側の手続きの変更だけであるから、
靖國神社にも受け入れる余地があるのではないか。


中国も小泉首相が参拝を止めなかった事で、落とし処を探っている様にも思える。
日本側からも関係改善に向けて、何らかの『きっかけ』を作っていくべきだろう。



--
一方、理屈を述べている中国とは違い、韓国は反発の根拠を明確にしていない。
このため上の方法だけでは黙ってくれないだろう。

そのため、以下の様な主張をすべきだ。


日本は韓国を侵略する意図など無い。それは現在の日本を知ってもらえば判る。
そのために、韓国は日本文化の流入制限を撤廃しなければならない!

これを日本は韓国が靖国(歴史認識)問題を言う度に
繰り返し国際社会に対して主張していくべきだ。

これにより韓国に圧力を掛ける事が出来るので多少は黙ってくれるかもしれないし、
国際社会に対して「韓国は誤解に基づいた主張をしている(可能性がある)!」
とアピール出来る。(事実、私は少なからず誤解があると考えている)

また、この主張自体が受け入れられれば、文化レベルでの交流が促進されるので、
日本の立場が理解し易くなるため、問題解決の端緒と成り得るはずだ

情報統制が無くなれば、確実に「反日教育」の効果は半減する。



--
話は逸れるが、韓国政府の「『親日派』子孫の財産没収」について。

韓国には時効が無いのだろうか。
その当時に『韓国』なる国は無かったはずなのだが。。。

そしてこれが意図したものであるかは私には知る由も無いが、
今現在これをする事による副作用としては、
『親日的』言論を抑制する働きがあると言えるだろう。

私には中国も韓国も政治手法に於いては、北朝鮮とさほど違っていない様に思える。




とまあ、無責任に書いてみたが、テレビを見ている限りにおいて
煮詰まっている様にしか見えない議論の足しにでもなればとUPする事にした。




P.S.
「日本の首相が靖國神社に参拝することは、
ドイツの首相がヒトラーの墓?に参拝する様なものだ!」

などと主張をする人(以前のエントリーで書いたハンサムな東大教授等)がいるが、
(これが適切な比喩であるかは別にして)
そもそも「ドイツの首相がヒトラーの墓に参拝した場合」に
ドイツの近隣国は「参拝を中止しろ!」と主張し、
参拝を中止するまで会談をボイコットするだろうか?

私なら早急に首相自身の人格やドイツの政策を見極める必要性を感じ、
絶対に会談をボイコットなどしない。

会談をボイコット出来ると言う事は、実の所「日本は侵略などしない」と
タカを括っている証拠ではないのか。

日本の近隣諸国の対応こそ、理に叶っていない(言行不一致である)様に思う。

朝日新聞問題:朝日新聞はなぜ『朝日新聞的』なのか

2006-08-05 00:00:00 | しあわせって?
私は常々朝日新聞は、なぜ『朝日新聞的な』主張をするのか疑問であった。


私からすると朝日新聞は日本国よりも、近隣諸国の主張を繰り返しているように思えた。
実を言うと私は、朝日新聞は他国の工作員の活動拠点なのかとかも、密かに検討さえしていた。

しかし違った。朝日新聞は実に手前勝手な思考をしていたのである。


以下、朝日新聞【社説】2006年08月04日(金曜日)付「靖国参拝 嘆かわしい首相の論法」より。

>  その半面、首相が語ろうとしないことがある。
> あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、
> アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀(まつ)る神社に、
> 首相が参拝することの意味である。
先の戦争において朝日新聞が果たしてきた役割(責任)について、お忘れか。

朝日新聞はマスコミの中でも先頭を切って戦意発揚に貢献してきたではないか。
明らかに負けた戦いをさも圧倒的勝利をしたかのように報じてきたのは朝日新聞だ。
このため一般の国民は日本が負ける戦争をしているなど知る由も無かったのである。
あの戦争を煽動し、美化し、焚き付けてきたのは他ならぬ朝日新聞ではないか。

朝日新聞には「多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた」責任は無いとでも言うのか。
(との疑問を、誰しもが持っているのではないだろうか)





この答えが次の一文だ。


>  戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。

朝日新聞は「戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別」したのである。
素晴らしい!

これは、某国の「拉致問題は解決済みだ!」と同じ論法だ。
歴史は連続しているのである。過去と決別することなど出来ない。

例え罪を償おうが、相手が許してくれようが、犯した罪を消すことなどできない。
「罪を償う」とは単に社会に復帰するための通過儀礼でしかないし、
「相手が許してくれる」事は、単に相手が咎を言わなくなると言うだけの事だ。
過去と決別など出来ないのである。犯した罪はずっと付いて回るのだ。

しかも加害者の側から「過去と決別した!」など、身勝手にも程がある。
もし朝日新聞にも某国の主張が奇異に感じる感性が残っているなら、判るはずだ。


--
上を前提として、首相と朝日新聞の主張を私なりに解説する。


朝日新聞は「靖国参拝を取り止める等すれば過去と決別出来る」と思っている。
このため、「過去と決別する為には靖国神社に行かない位大したことではない」と
考えているのではないか。

一方、小泉首相(や私など)は「犯した罪は消えない(過去と決別など出来ない)」と考えているので、
近隣諸国の気持ちは充分に理解しているつもりではあるが、
例え相手が被害者(苦しめた相手)であっても譲れない部分に関しては「それは認められない!」と、
主張していかなければならないのである。

なぜなら、それは終わることが無いからだ。
どんなに極悪非道な日本人であっても生きていかなければならない。
生きていくためには最低限の尊厳を守っていく必要があるのだ。

「靖国問題」を外交問題とするなら、それは日本人の尊厳を掛けた争いとなる。
これは決して戦争を正当化すると言う事ではない。
日本人が日本国内で何かをするのに近隣諸国の承認が必要である事を認めるかどうかという点に尽きる。

もし近隣諸国が、「日本の大学教授が、戦争を賛美していた朝日新聞を読むなど許せない!」
(これはこれで筋は通っているだろう)と言えば、教授達は朝日新聞を読めなくなるのか。

日本と言う国は自由と民主主義の国である。
首相であろうとも日本国民の一人である以上、信仰の自由や内心の自由、移動の自由は
認められなければならない。(「首相は私人足り得ない」との議論は後で行う)
その上自国の憲法の解釈まで口出しされるのは、到底許せるものではない。

靖国問題を外交問題としてはならないのは、このためだ。


--
朝日新聞が主張している他の3点についても反論する。

> あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、
> アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀(まつ)る神社に、
> 首相が参拝することの意味である。
では、あの戦争を賛美し、戦意高揚記事を書きつづけた新聞を読む事の意味はどうなのか。


> (昭和天皇が靖國神社に行かない事に対して)
>  国政の最高責任者である首相には、さらに慎重な判断が求められる。
朝日新聞は現在の日本国の制度について理解していない。
首相は行政の長であると同時に日本国民である。このため、首相には基本的人権が存在する(余地がある)。
一方(日本国民がどう考えているかは別にして)天皇には人権は無いのである。
首相が自粛しているのに天皇が勝手な事をする事は許されないが、逆は必ずしも成立しない。
これを言い替えれば、天皇にはプライベートは無いと言う事である。
(首相にプライベートがあるかどうかについては後述)


>  憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。
> 憲法20条の政教分離原則は素通りして、
政教分離とは、例えば「xx教を日本の国教と定める」とか
「首相は8月15日にxx教会を礼拝すること」等を法律で定めたり、
特定の宗教団体に国費から寄付を行った場合には抵触するだろうが、
首相が『個人的な立場で』宗教施設に参拝する事は構わないはずだ。


「首相にプライベートなど存在しない」この様な議論もあるだろう。
ただ、この手の議論は無意識に靖國神社を念頭に置いていると思う。

この場合、靖国に限らずもっと一般化して考える必要がある。
例えばクリスチャンの首相が誕生した場合、教会に行く事が許されるのかどうか。
初詣や、子供や孫の七五三や、首相在任中に宗教施設で結婚式を挙げる場合はどうなるのか。
これら全て許されないとするなら「首相の一切の宗教活動の禁止」を法律で定めれば良いだろう。

これなら、それも一つの考え方であるから私は賛同しても構わない。
ただ、首相個人を非難するのは法律が施行された後にすべきだ。
(あくまで一般論として「首相が宗教活動をすべきではない」と主張するのは構わない)

ただ私は首相も天皇陛下も日本国の代表者なのだから、
むしろ率先して自由と民主主義を体現してほしいと思っている。



***
朝日新聞は
# (1)「靖國神社の存在自体が問題」なのか
# (2)「(A級戦犯が奉られている)靖国神社に参拝する人が問題」なのか
# (3)「首相が靖國神社に参拝する事が問題」なのか
# (4)「近隣外交を害する」なのか
論拠をはっきりしてほしい。


この社説で朝日新聞が首相を非難している点として挙げたものは以下の4つであろう。
(括弧内は前述の論拠の番号)

# 「戦争を指導した人物が奉られている」→上述の(1)
# 「昭和天皇も行かない」→上述の(2)
# 「政教分離に反する」→上述の(3)
# 「近隣諸国が騒ぐ」→上述の(4)
と、朝日新聞の論拠は一貫性に欠ける。

これでは言論機関の主張ではなく、圧力団体の主張であると言わざるを得ない。
言論機関であるなら、朝日新聞は首尾一貫した主張をすべきだ。
(4)はともかく(1),(2),(3)は、排他的な(どれか一つでなければならない)事項である。

もし(3)の場合、問題なのは首相だけなのか、
中国の言う様に他にも「行ってはならない人」はいるのか。
天皇は(もし行きたくなったら)行っても構わないのかも明示し、
なぜその人達『だけ』認められないのか、その根拠を示さなければならない。


朝日新聞は結局のところ「首相は参拝するな!」としか主張していないのである。
そこには哲学も理念も無い。




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取り急ぎUPしましたが、まだ充分に推敲していないので、
後に大幅な修正をする事があるかもしれません。
(面倒なので、しないとは思いますが。。。)

川口浩探険隊?

2006-08-02 00:00:00 | マスコミ
近年、川口浩ばりの『報道』ばかりである。

川口浩は、かつて「謎の巨大生物」等を求め、わざわざ未開のジャングルまで出かけて行って
底なし沼に嵌まったり、凶悪な首狩り族?に襲われそうになりながらレポートしていた。
『謎の』といっても、ただ単に調べていないだけだったりするのではあるが、
「謎の生物」がいても居なくともほとんどの視聴者にとってどうでも良い事なので、
見る側もエンターテイメントとして楽しんでいた。

ところが近年の『探険隊』は、実際に発生した事件や事故に基づいている。
事件や事故というものは、大抵の場合それによって困ったり悲しんでいる人がいるはずだ。
そのため、事件や事故を面白半分に取り上げる事は謹まなければならない。


--
TBSの『報道特集』では二人の『現役パロマ社員』とされる人の証言を『報道』していた。
一人目は「パロマと書かれた名刺」を差し出した人物。名刺にはパロマの後にモザイクが施されている。
パロマ本社であれば「株式会社パロマ」であるからモザイクはパロマの前にあるはずなので、
少なくともパロマ本社の人ではないはずだ。なぜ、会社名称までモザイクを掛けたのか。
二人目は「パロマと書いてある作業着を着ている男性」と紹介している。

これでは、「消防署の方から来ました」と言う詐欺と変わらないだろう。
百歩譲って「パロマ何とか」もパロマだとしても、
現役であるかどうかは名刺や作業着では判らないはずだ。
せめて社員証を提示させるべきだろう。
他に『現役パロマ社員』足る根拠があるのなら、そちらを示すべきだ。 


確かこれもTBSの『報道特集』だったと思う。
宗教団体において、女性が教祖に暴行を受けたと訴えたので、
(その女性とは別の)元信者がその建物に案内することになったのだが、そこでのやりとり。
# リポータ: 「ここが教祖が暴行を働いた建物ですね!」
# 元信者:  「これが教祖が暴行を働いたとされる建物です」

プロであるはずのリポータよりも素人の元信者の方が遥かに言葉を正確に使っている。
リポータはその元信者が暴行の有無を知る立場に無い事を当然知っているはずだ。
リポータは彼に責任を擦り付けて「ここが教祖が暴行を働いた建物です」としてしまいたかったのではないか。
テレビは事実を捏造していると思う。


日本テレビ「ズームインSUPER」では、プールの事故を実際に見ている訳ではなく、
人から話を聞いただけの小学生の発言を放送していたが、それで報道になるのか。
これでは、『噂話』を垂れ流しているだけだ。
日本テレビは、事実の検証をきちんとやっているのだろうか。


テレビ朝日 「スーパーモーニング」では、
川口浩探険隊の様なBGMとともに「『謎の宗教団体』の施設に潜入」とのテロップが入る。
良く判らないから取材するのであって、取材対象を『謎の』と冠するのは報道姿勢としてどうなのか。


TBS「朝ズバッ」で、みのもんたは「法律が裁けない事を世論で裁くのだ!」「世論を誘導する!」と叫んでいる。それ以上に問題なのは、出演していた与野党の国会議員は諌めるどころか、むしろ同調さえしていたのだ。
こんな人物が国会議員であるとは日本国民として情けない。

テレビ番組を私物化出来る人は限られているし、それだけの人物であれば、
大抵は自らの影響力を自覚し自制しているのだが、みの氏は自分の『力』に酔っているのではないか。

テレビでそれが出来る人は限られるのだが、ネットではみの氏の様な人は少なからず存在する、
彼らは、俗に言う『祭り』を画策する人達だ。
彼らは自らの『正義』を盾に特定の人物を中傷し、
その主張に同調する人や単におもしろがっている人を引き込み煽るのだ。
おそらく参加した人達は一種の高揚感や達成感を感じるのかもしれないが、
結果としてそれは何も生み出しはしない。
それらは議論とはほど遠い、言いがかりや中傷でしかないのである。 

現在の法律では私刑を禁止しているのは言うまでもない。
みのもんたは「実際に会って話せば、その人が罪を犯したかどうか判る」そうなのだが、それは本当なのか。
私は自分の理解出来ない能力の存在を無条件で否定する程狭量ではないので、
みの氏が超能力や霊能力他の方法でそれが出来るのだと主張すればそれを直ちに否定はしないが、
万が一間違っていた場合に氏は責任が取れるのか。
(というより、私には明らかに氏が間違っている点が少なからず存在しているように思える)


--
『コメンテイター』なる存在も問題だ。
ニュース番組であれば何人もの人達が事前に原稿をチェックし、最終的にはテレビ局が責任を負う。
しかし『コメンテイター』はその人個人が勝手に言っているのである。
そこには何のチェックも無いし、おそらくその発言内容に対しテレビ局は責任を負わないだろう。

『コメンテイター』は、大抵何らかの分野で名をあげた人であるので、
当人たちは自分は一流の人間だと考えているのだろうが、 
彼らは必ずしも専門分野のコメントだけをしている訳では無い。
分野が違えば、その発言は一般人と違わないのである。
それにジャーナリストと違って『コメンテイター』自身は事実検証を一切行っていないのだ。
憶測で話していると言って良いだろう。これでは個人のblogと違わない。

それに特定の人間のみが定常的に意見を主張するというのは、「公正中立」といえるのか。
テレビ局や番組の都合の良い主張をするような人物をコメンテイターにすれば、
局や番組が一切責任を取らずに偏った主張を公共の電波に載せる事が可能となる。
もしコメンテイターと言う制度を取るなら、毎回出演者を変えるべきではないか。
そして番組の責任として「公正中立」になるよう、その場をまとめる人物を配置すべきだ。

これは『コメンテイター』だけではない。
特に朝の情報バラエティー番組などでは「xx新聞にはこう報じられています」と
番組自体は事実検証もせず、その内容について報じているのだ。
これにより自らは一切責任を撮る事無く、番組なり局なりの都合の良い内容を書いた新聞を取り上げ、 
偏った主張を行う事も可能だ。

もしこれらの番組に少しでも良心が存在するなら、
「xx新聞にはこう報じられており、当番組でもそれが正しいとの確証を得ました」
と言って、自らの責任について明示すべきだ。
テレビ関係者は、放送した内容について責任を負う気があるのか。


他にも気になる事がある、
例えばマスコミは警察を糾弾したいが為に、
「近所の人達でさえ容疑者が怪しいと噂していたのに、警察は事件として扱わなかった」
等と主張している。確かに警察の捜査は杜撰だったかもしれない。

一方で、根拠もなく近所の人を犯人扱いするというのも問題であろう。
しかしこの様な主張は、他人を犯人扱いする人が賢いと言っているようなものだ。

根拠が無ければ例え本当にその人が犯人であったにせよ、それは中傷でしかない。
ジャーナリストはそれが判っていないのだ。
ジャーナリスト達は最初に『悪人』を決めつけ、そのストーリーに沿う様に取材をし、『報道』する。
ところが取材の過程でそのストーリーが破綻しだすと、その『悪人』のあら捜しを始めるのだ。
そして「やっぱりあいつは『悪人』だった!」と自らの過ちを正当化して安心するのである。
決して悪人扱いして報じたことを、謝罪などしない。
一度マスコミに睨まれたら最後、身の潔白を晴らす事など不可能だ。


民主主義社会においてのマスコミの存在理由は、主権者である国民が正しい判断する材料を提供する事にある。
何が正しいかは、国民一人一人が決める事だ。
事実を検証する事なく自らに都合の良いように『報道』する事は情報テロでしかない。


「世論を誘導する」など、思い上がりにも程がある。




P.S.
私は昼のみのもんたは好きだ。

別の意味で問題はあるのだろうが、同じ煽るにしても良い点を挙げているからである。
社会を良くしようとするなら、物事の良い点を生かす必要があるのだ。
是非ともみのさんには悪人を懲らしめるよりも、良いことをした人を褒めてもらいたい。

ジャーナリズムは、幸せよりも不幸に、善人よりも悪人に価値を置いている様に思えてならない。
私なら気分良く一日を始めたいから、
むしろ朝には「財布を拾って交番に届けた小学生」を褒める番組が見たい。

今の子供達は悪人の所業はテレビでさんざん見せられるが、善行を知る機会が欠如しているのではないか。
この様な道徳に当たる事を、例えば政府が教育で行う事は問題があるだろうが、
みのさんならきっとうまく出来ると思うのだけど。。。
悪人が罰せられるべきであるのと同様に、善人も評価されなければならない。

それとも、みんなは朝からおじさんが怒っている姿が見たいのだろうか。