雪見の窓から

観たり聴いたりときどきおしごと

山田太一さんを偲んで  ①

2023-12-13 03:24:05 | 日記
去る11月29日、敬愛する脚本家で作家の山田太一さんが逝去されました。


「ご高齢で、いつかは……という思いはありましたが、そうなってみるとやはり寂しく、お疲れ様という気持ちです」


これは1993年に笠智衆さんがお亡くなりになった際に山田太一さんが仰っていた言葉です。


私も今回、同じような心境で、その訃報を受け止めました。


山田太一フリークの私にとって、「山田太一さんのいない世界」とは大きな喪失を意味します。しかし実のところ、それがどういうことなのか、いまだにピンとこないまま、日々を過ごしています。


新作を見ることはかないませんでしたが、思いがけず「ふぞろいの林檎たちⅤ 他」の未公開シナリオ集(著者 : 頭木弘樹|国書刊行会)がこの秋発売されたことも、悲しみを和らげる一助となっている気がします。


高校1年の夏休みに再放送で見た「ふぞろいの林檎たち」(以下、ふぞろい)に心揺さぶられ、その後偶然書店で見つけたシナリオ本を買ったのが始まりでした。

台詞を諳んじるまで繰り返し読み、山田さんと同じ大学に入るために必死で勉強をしたり、高尾山に上ってリフトで足をぶらぶらしたり(ふぞろいあるある)、寺山修司氏との友情に憧れたりしながら生きてきました。


時は流れ2000年代、偶然渋谷駅でエスカレーターを降りる山田さんや、倉本聰さんの舞台客席で目を潤ませている山田さんや、シナリオ作協の忘年会で国広富之さん、島田陽子さんと同じ空間にいらっしゃる山田さんをお見掛けしては、半ばストーカー的にお姿を(目で)追いかけきた私に、その日がやってきます。




2002年6月。

当時赤坂にあったシナリオ会館で開催された「シナリオ俱楽部」で、山田太一さんをゲストに迎え「春までの祭」(89‘フジテレビ)が上映されました。

私の山田愛を知る師匠の井上正子氏が声をかけてくださり、参加しました。ドラマ自体は前に見ていたものの、普段あまり見かけない錚々たる方々が顔を揃える中で鑑賞した作品は「やはり山田さんは特別な存在なんだ」という緊張とともに、脳と目に焼き付きました。


たまたまその夜、私は師匠と新宿で上演中の山田さんの舞台「浅草・花岡写真館」を観に行く予定でした。山田さんと雑談を交わしていた師匠が私を紹介して下さり、さらに師匠はいうのです、「今から山田さんと劇場まで一緒にいきましょう」と。


……なんですと!?


山田さんもたまたま劇場に見に行く予定だったとのことで、それから1時間ちょっと、赤坂を出て原宿を経由し、紀伊國屋サザンシアターまでの道中。タクシーで、山手線で、私は相当な暑苦しさで山田さんに思いの丈(いかに山田さんの作品が好きか、ふぞろいが素晴らしいかetc.)をぶつけていたらしく(師匠談)
…その様子はいうなれば、よく山田さんのドラマに出てくる田舎娘で世間知らずで空気を読めない故に大胆なことをやらかす人。悪人じゃないけど傍から見るとちょっとイタい人そのものだったろうと思います。


普段は人と話すのに積極的じゃない私のこの様子に師匠ドン引き。……もとい驚き、山田さんはだいぶ戸惑いながらもニコニコと話を聞き、「僕の芝居なんて、よくまぁ見に行きますねぇ」と照れ隠しを仰りながら、「お礼」だと私たちに劇場下のカフェでサンドイッチとコーヒーをご馳走してくださったのです。

そのサンドイッチのケースを私は、長いこと大事に持っていました。


最後にお目にかかったのは、2013年2月、脚本アーカイブズシンポジウムのロビーだったと思います。師匠から山田さんから「彼女はどうしていますか」と聞かれたわよ、という言葉を心にとめていた私は、休憩時間にお見掛けした山田さんに図々しくもご挨拶させていただいたのでした。


2020年に師匠が亡くなった後、山田さんにお手紙を出しました。その頃既に施設に入っておられたので、万が一にも届いたかどうか、それは分かりません。

ううむ、山田さんの作品について書くつもりが、「あるストーカーの記」みたいになってしまいました。すみません。


②に続きます。



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