一 概説
1 問題の所在
訴訟構造論と審判の対象とは相互に密接に関係している。大まかに言えば、現行法が十分に当事者主義の訴訟構造になっていると把握する見解は、審判の対象は訴因と考えることになり、現行法はかなりの程度に当事者主義化されたが、一方いまだに職権主義的な訴訟構造を捨て切ってはいないと把握する見解は、審判の対象は公訴事実と考えることになる。
2 指針
このように考え方の分かれる根本的な原因は、当事者主義・職権主義のいずれが刑事訴訟の目的、すなわち、一方で被告人の人権を守りつつ、他方で迅速確実に犯罪事実の存否を明らかにする(1条)のに適しているかという認識の相違である。認識の問題であるから、どちらが良いかは即断できない。ただ、現行法は当事者主義の訴訟構造を基本とし、審判の対象は訴因とするのが判例・通説である。
また、訴訟構造論と証拠開示の問題、審判の対象と訴訟条件の問題とは関係が深いことから、一度に勉強する方が効率的であり、一気に理解すべきである。最後に、注意すべき点であるが、言葉の意味に十分注意を払ってもらいたい。例えば、当事者主義・職権主義という言葉は多義的であって、使われる場面によって、その意味が異なることが多い。教科書等を読むときには、それがどの意味で使われているのか注意する必要がある。特に「公訴事実」という言葉には注意を要する。詳しくは後述するが「訴訟の対象は訴因か公訴事実か」という使われ方をする場合と、「公訴事実の同一性の範囲」という場合の公訴事実とは明らかに異なった意味で使われていることに注意。
二 当事者主義と職権主義
1 訴訟における主要な役割を担うのは、当事者か(当事者主義)あるいは裁判所か(職権主義)という観点からの分類
当事者主義ー訴訟における主要な役割を当事者(検察官、被告人及び弁護人)に認める主義。
職権主義ー訴訟における主要な役割を裁判所に認める主義。
2 現行法が当事者主義の訴訟構造をとったとされる理由
①被告人に消極的には黙秘権を認めると共に(311条1項、憲法38条1項)、積極的には反対尋問権、証人喚問権(憲法37条2項)を、そしてこれらを実質的に保障するために弁護人を依頼する権利を認め(憲法37条3)、被告人の訴訟上の地位を著しく高め、被告人が訴訟の客体ではなく、訴訟の主体であることを明らかにしている。
②起訴状一本主義(256条6項)を採用することにより、裁判所を単なる判断者として純化し、訴訟の追行を当事者に委ねている。
③298条1項によれば、証拠提出の責任は原則として当事者にある。
④訴因制度を採用し、かつ、検察官に訴因変更権を認めた(312条1項、256条3項)。
3 反対説
現行法は上述のとおり当事者主義に立っているといえるが、一方、312条2項で裁判所に訴因変更命令を認め、298条2項で職権証拠調べの規定を置く等、職権主義的な規定もみられる。これが、現行法における訴訟構造論をめぐる論争の直接的な原因であり、現行法の当事者主義は、本質的なものではなく、「技術的な当事者主義」にすぎないといわれたり、「職権主義が背後にあって、いざとなるとそれが発動する」といわれたりするのである。
批判①当事者主義は単なる技術ではなく、「公正」な刑事裁判実現のためのそれ自体価値をもったものである。それはちょうど民主主義が妥当な政治的決定を生むための技術であると同時に、それ自体が価値あるものと考えられるのと同じである。
②更に、当事者主義とは、基本的な考え方をいうのであって、何でも当事者でやれということではない。(イ)当事者の訴訟活動が適切に行われるように裁判所が適当に釈明権を行使する必要もあるし、(ロ特に被告人のためには裁判所に自ら進んで証拠調べをさせた方がよいこともある。このような場合、裁判所は「職権を行使する」のであるが、それはやはり当事者主義の精神にしたがって行われるのであり、卒然として当事者主義に代わって、異なった原理である「職権主義」が発動するのではない。
三 審判の対象
1 問題の所在
審判の対象は訴因か、公訴事実かという問題である。このような争いが生じたのは、現行法が訴因制度を導入し、当事者主義に立脚しながらも旧法以来の公訴事実の概念を併存させたことに起因する。すなわち、256条によれば、起訴状には公訴事実を記載するが、それは訴因を明示するかたちで行う(256条2項、4項)。他方、312条によれば公訴事実を同一にする範囲で訴因の変更が許される。したがって、単純な文理解釈だけでは、審判対象は訴因とも公訴事実とも決し難く、訴訟構造についての基本的な捉え方とも関連して、解釈論上の争いが生じたのである。
2 指針
ここで注意すべきは、「公訴事実」という言葉の多義性である。公訴事実説が審判対象として予定する公訴事実という概念と、訴因説が訴因変更の限界として予定する公訴事実という概念とは、違うものである。すなわち、「審判の対象は訴因か公訴事実か」という場合の公訴事実は、旧法以来の伝統的な概念であって、それはいわば「嫌疑」であり、一個の実在である。これに対し、訴因説が、訴因変更の限界として予定する公訴事実(の同一性)は、実在ではなく、訴因変更の限界を画する機能的な関係概念にすぎないのである。
3 「審判の対象は訴因か公訴事実か」という問題の2つの側面
(1) この問題には、2つの面がある。1つは審判の対象の性質いかんの問題であり、もう1つは、審判の対象の範囲いかんの問題である。この2つは一応別個のものだが、相互に関連しあっている。
(2) 審判の対象の性質の問題とは、審判の対象は嫌疑なのか、それとも主張、すなわち主張された観念形象なのか、という問題である。
(3) 審判の対象の範囲の問題とは、「裁判所が審判の権利を持ち義務を負うのはどの範囲か」、それは訴因に限られるか、それとも公訴事実の全体に及ぶか、という問題である。
(4) この二つの問題は次のように関連している。
①すなわち、訴因対象説によると審判の対象は、当事者たる検察官が設定するものであると解し、検察官の主張する訴因に限定されることになる。裁判所は、それ以外の領域を判断することが許されないから、審判の対象は、検察官の主張と解される。
②しかし、審判の対象が訴因に限られずに公訴事実だとすれば、当事者たる検察官の主張に限られることなく、それ以外の領域にも及ぶことになる。そうすると、審判対象を検察官の主張というだけでは妥当でなく、裁判官の有する嫌疑の全体が審判対象ということになる。
4 訴因説と公訴事実説の基本的考え方
(1) 公訴事実説
訴訟の中核をなすのは犯罪の「嫌疑」であり、この嫌疑の発展過程が訴訟の実体をなす。捜査官が犯罪の嫌疑を持ったときに捜査が開始されるが、嫌疑がもっとはっきりし、法律的にも明確になったときに、検察官はこれを起訴状に記載して公訴を提起する。公判もまたこの嫌疑が浮動しながら発展していく過程であり、だんだん嫌疑が強くなりついに「合理的な疑をいれない程度」に固まると有罪の判決が下される。このように、捜査の開始から判決の確定まで一本の連続した嫌疑の発展していく過程が訴訟の実体であり、起訴状により検察官から裁判所に引き継がれた嫌疑が審判の対象で、これが旧法以来公訴事実といわれる概念である。
批判:①現行法は起訴状一本主義を採用し、公正な裁判を確保するために裁判所の予断を排除し、裁判所を判断者として純化している。したがって、現行法のもとでは、捜査機関のもつ嫌疑と裁判所のもつ嫌疑とには断絶があるといわなければならない。
②公訴事実説では、検察官が主張しない事実であっても、それが公訴事実の同一性の範囲内であれば、裁判所は審判の権利を有し義務を負うというのであるから、訴因外事項に対しても当事者の主張と関係なく、予断と偏見に基づき職権的に探究することになり、公正な裁判を担保しえなくなる。
(2) 訴因説(通説)
訴因は、それの存否について裁判所の判断を求める具体的事実の主張であり、検察官が証拠によって証明すべき目標なのである。裁判所は訴因に該当する事実があるか否かを判断すべき立場にあり、訴因こそが審判の対象である。
理由:①新法が新たに訴因制度や起訴状一本主義を採用した趣旨から、訴訟追行を当事者に委ねる当事者主義構造が基本とされる。したがって、訴訟追行のイニシアティブを当事者の手に委ねると解する以上、当事者が設定していない事項(訴因外事項)に対しては裁判所は関与しえないことになる。
②そう解さないと、訴因外事項に対してまで当事者の主張と関係なく予断と偏見に基づいた職権的な探究がなされ、公正な裁判を担保しえなくなる。
5 公訴事実説及び訴因説の現行法の解釈論上の帰結
(1) 訴因変更の要否の問題
◇公訴事実説
訴因は被告人の防禦のための手続的制度につきるものであるから、訴因変更の要否は、具体的な訴訟の場における被告人の利益を考えて決定される。したがって、被告人の防禦にとって影響がなければ、訴因変更の必要はない。
◇訴因説
訴因と訴因とを比較し、同一性がないときには訴因変更の必要が生じる。同一性があるか否かは、重要な事実が同一であるか否かによって決まり、それは原則として訴因と訴因とを比較して一般的に判断すべきことであり、訴訟の具体的状況によることではない。
(2) 訴因逸脱認定(公訴事実の同一性の範囲における)の場合の控訴理由の違い
◇公訴事実説
裁判所が訴因を変更しなければならないにも拘らず、変更をしないで事実を認定したとしても、それが公訴事実の同一性の範囲内である限り、審判対象の限界を踏み超えているわけではないが、判決の拘束力をはみ出しているので、相対的控訴理由である379条の訴訟手続の法令違反となる(312条の手続違反)
◇訴因説
たとえ公訴事実の同一性の範囲内でも、審判対象は訴因そのものであるのだから、訴因事実の逸脱認定は「審判の請求を受けない事件につき判決をした」という378条3号後段の絶対的控訴理由を構成する。
(3) 裁判所は訴因変更命令を出す義務があるか
◇公訴事実説
裁判所は、公訴事実の全体につき審判の権利を有すると共に義務を負っている。したがって訴因変更命令を出すことは裁判所の義務である。
◇訴因説
訴因外の事実は審判の対象となっていないので、審判する権限が本来裁判所にない以上、審判の義務も認められないから、裁判所に訴因変更命令を出す義務も否定される。しかし、一定の例外的な場合に上記義務を認めるのが判例(最判S43.11.26)、多数説である。
理由:常に形式的に当事者主義のみを強調するのは正しくない。現行刑訴法も職権主義的な面を併せ有している(312条2項、306条2項、273条、276条、294条、295条、297条etc)。したがって、裁判所の後見的役割や、適正な刑事裁判の実現のためであれば、職権主義の弊害を招来せず、かつ、当事者主義の価値(目的)を損なわない範囲でこれを担保する厳格な要件の下で訴因変更の義務を裁判所に認めても当事者主義の精神に反しない。
※その要件とは、「証拠の明白性」と「犯罪の重大性」である。
理由:<明白性の点>証拠上、訴因外の他の事実の存在が明白であれば、被告人の防御の保障を害することはなく、また、予断に基づいた新たな探究のなされる心配も少ない。
<重大性の点>実体的真実発見も刑訴法の使命であり(1条)、適正な刑事裁判の実現は、犯罪が重大であるほど見逃せなくなる。
(4) 訴因変更命令に形成力はあるか
◇公訴事実説
訴因変更命令には形成力がある。裁判所は公訴事実全体につき審判の権限を有しているのであるから当然である。またこのように解しなければ義務を果たすことはできない。
◇訴因説
検察官には訴因変更命令に従うべき訴訟法上の義務はあるが、不服従の場合にも、形式的効果までは発生しない。
理由:検察官の意思に反してまで裁判所が直接訴因を動かすことは、当事者主義を基調とし、訴因の設定、変更を当事者たる検察官に委ねた312条1項の趣旨に反する結果となる。
1 問題の所在
訴訟構造論と審判の対象とは相互に密接に関係している。大まかに言えば、現行法が十分に当事者主義の訴訟構造になっていると把握する見解は、審判の対象は訴因と考えることになり、現行法はかなりの程度に当事者主義化されたが、一方いまだに職権主義的な訴訟構造を捨て切ってはいないと把握する見解は、審判の対象は公訴事実と考えることになる。
2 指針
このように考え方の分かれる根本的な原因は、当事者主義・職権主義のいずれが刑事訴訟の目的、すなわち、一方で被告人の人権を守りつつ、他方で迅速確実に犯罪事実の存否を明らかにする(1条)のに適しているかという認識の相違である。認識の問題であるから、どちらが良いかは即断できない。ただ、現行法は当事者主義の訴訟構造を基本とし、審判の対象は訴因とするのが判例・通説である。
また、訴訟構造論と証拠開示の問題、審判の対象と訴訟条件の問題とは関係が深いことから、一度に勉強する方が効率的であり、一気に理解すべきである。最後に、注意すべき点であるが、言葉の意味に十分注意を払ってもらいたい。例えば、当事者主義・職権主義という言葉は多義的であって、使われる場面によって、その意味が異なることが多い。教科書等を読むときには、それがどの意味で使われているのか注意する必要がある。特に「公訴事実」という言葉には注意を要する。詳しくは後述するが「訴訟の対象は訴因か公訴事実か」という使われ方をする場合と、「公訴事実の同一性の範囲」という場合の公訴事実とは明らかに異なった意味で使われていることに注意。
二 当事者主義と職権主義
1 訴訟における主要な役割を担うのは、当事者か(当事者主義)あるいは裁判所か(職権主義)という観点からの分類
当事者主義ー訴訟における主要な役割を当事者(検察官、被告人及び弁護人)に認める主義。
職権主義ー訴訟における主要な役割を裁判所に認める主義。
2 現行法が当事者主義の訴訟構造をとったとされる理由
①被告人に消極的には黙秘権を認めると共に(311条1項、憲法38条1項)、積極的には反対尋問権、証人喚問権(憲法37条2項)を、そしてこれらを実質的に保障するために弁護人を依頼する権利を認め(憲法37条3)、被告人の訴訟上の地位を著しく高め、被告人が訴訟の客体ではなく、訴訟の主体であることを明らかにしている。
②起訴状一本主義(256条6項)を採用することにより、裁判所を単なる判断者として純化し、訴訟の追行を当事者に委ねている。
③298条1項によれば、証拠提出の責任は原則として当事者にある。
④訴因制度を採用し、かつ、検察官に訴因変更権を認めた(312条1項、256条3項)。
3 反対説
現行法は上述のとおり当事者主義に立っているといえるが、一方、312条2項で裁判所に訴因変更命令を認め、298条2項で職権証拠調べの規定を置く等、職権主義的な規定もみられる。これが、現行法における訴訟構造論をめぐる論争の直接的な原因であり、現行法の当事者主義は、本質的なものではなく、「技術的な当事者主義」にすぎないといわれたり、「職権主義が背後にあって、いざとなるとそれが発動する」といわれたりするのである。
批判①当事者主義は単なる技術ではなく、「公正」な刑事裁判実現のためのそれ自体価値をもったものである。それはちょうど民主主義が妥当な政治的決定を生むための技術であると同時に、それ自体が価値あるものと考えられるのと同じである。
②更に、当事者主義とは、基本的な考え方をいうのであって、何でも当事者でやれということではない。(イ)当事者の訴訟活動が適切に行われるように裁判所が適当に釈明権を行使する必要もあるし、(ロ特に被告人のためには裁判所に自ら進んで証拠調べをさせた方がよいこともある。このような場合、裁判所は「職権を行使する」のであるが、それはやはり当事者主義の精神にしたがって行われるのであり、卒然として当事者主義に代わって、異なった原理である「職権主義」が発動するのではない。
三 審判の対象
1 問題の所在
審判の対象は訴因か、公訴事実かという問題である。このような争いが生じたのは、現行法が訴因制度を導入し、当事者主義に立脚しながらも旧法以来の公訴事実の概念を併存させたことに起因する。すなわち、256条によれば、起訴状には公訴事実を記載するが、それは訴因を明示するかたちで行う(256条2項、4項)。他方、312条によれば公訴事実を同一にする範囲で訴因の変更が許される。したがって、単純な文理解釈だけでは、審判対象は訴因とも公訴事実とも決し難く、訴訟構造についての基本的な捉え方とも関連して、解釈論上の争いが生じたのである。
2 指針
ここで注意すべきは、「公訴事実」という言葉の多義性である。公訴事実説が審判対象として予定する公訴事実という概念と、訴因説が訴因変更の限界として予定する公訴事実という概念とは、違うものである。すなわち、「審判の対象は訴因か公訴事実か」という場合の公訴事実は、旧法以来の伝統的な概念であって、それはいわば「嫌疑」であり、一個の実在である。これに対し、訴因説が、訴因変更の限界として予定する公訴事実(の同一性)は、実在ではなく、訴因変更の限界を画する機能的な関係概念にすぎないのである。
3 「審判の対象は訴因か公訴事実か」という問題の2つの側面
(1) この問題には、2つの面がある。1つは審判の対象の性質いかんの問題であり、もう1つは、審判の対象の範囲いかんの問題である。この2つは一応別個のものだが、相互に関連しあっている。
(2) 審判の対象の性質の問題とは、審判の対象は嫌疑なのか、それとも主張、すなわち主張された観念形象なのか、という問題である。
(3) 審判の対象の範囲の問題とは、「裁判所が審判の権利を持ち義務を負うのはどの範囲か」、それは訴因に限られるか、それとも公訴事実の全体に及ぶか、という問題である。
(4) この二つの問題は次のように関連している。
①すなわち、訴因対象説によると審判の対象は、当事者たる検察官が設定するものであると解し、検察官の主張する訴因に限定されることになる。裁判所は、それ以外の領域を判断することが許されないから、審判の対象は、検察官の主張と解される。
②しかし、審判の対象が訴因に限られずに公訴事実だとすれば、当事者たる検察官の主張に限られることなく、それ以外の領域にも及ぶことになる。そうすると、審判対象を検察官の主張というだけでは妥当でなく、裁判官の有する嫌疑の全体が審判対象ということになる。
4 訴因説と公訴事実説の基本的考え方
(1) 公訴事実説
訴訟の中核をなすのは犯罪の「嫌疑」であり、この嫌疑の発展過程が訴訟の実体をなす。捜査官が犯罪の嫌疑を持ったときに捜査が開始されるが、嫌疑がもっとはっきりし、法律的にも明確になったときに、検察官はこれを起訴状に記載して公訴を提起する。公判もまたこの嫌疑が浮動しながら発展していく過程であり、だんだん嫌疑が強くなりついに「合理的な疑をいれない程度」に固まると有罪の判決が下される。このように、捜査の開始から判決の確定まで一本の連続した嫌疑の発展していく過程が訴訟の実体であり、起訴状により検察官から裁判所に引き継がれた嫌疑が審判の対象で、これが旧法以来公訴事実といわれる概念である。
批判:①現行法は起訴状一本主義を採用し、公正な裁判を確保するために裁判所の予断を排除し、裁判所を判断者として純化している。したがって、現行法のもとでは、捜査機関のもつ嫌疑と裁判所のもつ嫌疑とには断絶があるといわなければならない。
②公訴事実説では、検察官が主張しない事実であっても、それが公訴事実の同一性の範囲内であれば、裁判所は審判の権利を有し義務を負うというのであるから、訴因外事項に対しても当事者の主張と関係なく、予断と偏見に基づき職権的に探究することになり、公正な裁判を担保しえなくなる。
(2) 訴因説(通説)
訴因は、それの存否について裁判所の判断を求める具体的事実の主張であり、検察官が証拠によって証明すべき目標なのである。裁判所は訴因に該当する事実があるか否かを判断すべき立場にあり、訴因こそが審判の対象である。
理由:①新法が新たに訴因制度や起訴状一本主義を採用した趣旨から、訴訟追行を当事者に委ねる当事者主義構造が基本とされる。したがって、訴訟追行のイニシアティブを当事者の手に委ねると解する以上、当事者が設定していない事項(訴因外事項)に対しては裁判所は関与しえないことになる。
②そう解さないと、訴因外事項に対してまで当事者の主張と関係なく予断と偏見に基づいた職権的な探究がなされ、公正な裁判を担保しえなくなる。
5 公訴事実説及び訴因説の現行法の解釈論上の帰結
(1) 訴因変更の要否の問題
◇公訴事実説
訴因は被告人の防禦のための手続的制度につきるものであるから、訴因変更の要否は、具体的な訴訟の場における被告人の利益を考えて決定される。したがって、被告人の防禦にとって影響がなければ、訴因変更の必要はない。
◇訴因説
訴因と訴因とを比較し、同一性がないときには訴因変更の必要が生じる。同一性があるか否かは、重要な事実が同一であるか否かによって決まり、それは原則として訴因と訴因とを比較して一般的に判断すべきことであり、訴訟の具体的状況によることではない。
(2) 訴因逸脱認定(公訴事実の同一性の範囲における)の場合の控訴理由の違い
◇公訴事実説
裁判所が訴因を変更しなければならないにも拘らず、変更をしないで事実を認定したとしても、それが公訴事実の同一性の範囲内である限り、審判対象の限界を踏み超えているわけではないが、判決の拘束力をはみ出しているので、相対的控訴理由である379条の訴訟手続の法令違反となる(312条の手続違反)
◇訴因説
たとえ公訴事実の同一性の範囲内でも、審判対象は訴因そのものであるのだから、訴因事実の逸脱認定は「審判の請求を受けない事件につき判決をした」という378条3号後段の絶対的控訴理由を構成する。
(3) 裁判所は訴因変更命令を出す義務があるか
◇公訴事実説
裁判所は、公訴事実の全体につき審判の権利を有すると共に義務を負っている。したがって訴因変更命令を出すことは裁判所の義務である。
◇訴因説
訴因外の事実は審判の対象となっていないので、審判する権限が本来裁判所にない以上、審判の義務も認められないから、裁判所に訴因変更命令を出す義務も否定される。しかし、一定の例外的な場合に上記義務を認めるのが判例(最判S43.11.26)、多数説である。
理由:常に形式的に当事者主義のみを強調するのは正しくない。現行刑訴法も職権主義的な面を併せ有している(312条2項、306条2項、273条、276条、294条、295条、297条etc)。したがって、裁判所の後見的役割や、適正な刑事裁判の実現のためであれば、職権主義の弊害を招来せず、かつ、当事者主義の価値(目的)を損なわない範囲でこれを担保する厳格な要件の下で訴因変更の義務を裁判所に認めても当事者主義の精神に反しない。
※その要件とは、「証拠の明白性」と「犯罪の重大性」である。
理由:<明白性の点>証拠上、訴因外の他の事実の存在が明白であれば、被告人の防御の保障を害することはなく、また、予断に基づいた新たな探究のなされる心配も少ない。
<重大性の点>実体的真実発見も刑訴法の使命であり(1条)、適正な刑事裁判の実現は、犯罪が重大であるほど見逃せなくなる。
(4) 訴因変更命令に形成力はあるか
◇公訴事実説
訴因変更命令には形成力がある。裁判所は公訴事実全体につき審判の権限を有しているのであるから当然である。またこのように解しなければ義務を果たすことはできない。
◇訴因説
検察官には訴因変更命令に従うべき訴訟法上の義務はあるが、不服従の場合にも、形式的効果までは発生しない。
理由:検察官の意思に反してまで裁判所が直接訴因を動かすことは、当事者主義を基調とし、訴因の設定、変更を当事者たる検察官に委ねた312条1項の趣旨に反する結果となる。