一〇 錯誤
1 錯誤の諸類型
(1) 表示行為の錯誤
意思表示の内容自体についての錯誤を表示行為の錯誤といい、内容の錆誤(「表示行為の意味に関する錯誤」とも呼ばれる)と表示上の錯誤がある。ポンドとドルを同価値だと思って、1ポンドのつもりで1ドルと言った場合が内容の錯誤であり、1ポンドと書くつもりでうっかり1ドルと書いてしまった場合が表示上の錯誤である。これらの場合は表示に対応する意思がないので、意思欠缺の一場合である。
(2) 動機の錯誤
動機の錯誤とは、意思の形成過程において思い違いがあり、それに基づいて意思表示がされた場合である。
例:ある馬が妊娠している良馬だと思って、「この馬をください」と言ったところ、その馬が妊娠していない駄馬だったというような場合。
この場合には、「この馬を買いたい」という意思と表示との間にくい違いはないから意思欠缺の場合ではなく、ただそのような意思を形成するに至った動機に思い違いがあるにすぎない。
2 動機の錯誤の取り扱い
民法の起草者や初期の学説は、錯誤は意思欠缺の場合に限られ、動機の錯誤は民法95条の要素の錯誤にならないとしていた。しかし、判例は、動機に錯誤があっても顧慮されないという枠組みを維持しつつ、動機が表示されて意思表示の内容になった場合には錯誤の問題になるとする。
動機の錯誤を含めて錯誤を定義すると、錯誤とは、動機をも含めた真意と表示が一致しないことをいうことになる。
3 錯誤無効の要件
民法95条は、錯誤無効の要件として、錯誤が「法律行為ノ要素」に関する(要素の錆誤)ということ、及び、表意者に「重大ナル過失」がなかったこと、という二つの要件を規定している(95条)。
(1) 要素の錯誤
要素の錯誤とは、判例によれば、法律行為の内容の重要な部分に錯誤があり、もしこの点に錯誤がなかったら表意者はそのような意思表示をせず、通常人もそのような意思表示をしないような場合をいう。
具体的には、次のような場合である。
(a) 人の同一性に関する錯誤
人違いの場合であり、相手方が誰であるかが重要な取引の場合には要素の錯誤になる。たとえば売買契約では、誰に売るか誰から買うは重要でないことが多いが、金銭の借主が誰であるかは重要である。
(b) 物の同一性に関する錯誤
甲土地を買ったつもりだったが、乙土地だったというような場合である。目的物が何であるかは取引にとって重要なので、この錯誤は要素の錯誤となることが多い。
(c) 物の品質・性状に関する錯誤
買った品物が粗悪品だったような場合である。この錯誤は通常、動機の錯誤であり、錯誤は意思表示の内容に関するものであるとする伝統的な立場からは、要素の錯誤とならない。しかし、判例は、動機が表示されて意思表示の内容となったときには要素の錯誤となりうるとする。なお、近時の多数説は、動機の錯誤を含めた錯誤無効の要件として、相手方の認識可能性を要求する(もっとも、何に対する認識可能性を問題とするかについては、学説が分かれる0。
(2) 表意者に重大な過失がないこと
表意者の重大な過失とは、表意者の職業、行為の種類、目的などに応じ普通になすべき注意を著しく欠いたことである。
例:保険会社が被保険者の事故に関し、事故関係者から事情聴取もせず、酒酔い運転であることを知らずに示談契約をした場合(最判昭和50・11・14判時804・31)。
なお、表意者が錯誤に陥っていることを相手方が知っている場合には、相手方を保護する必要はないので、表意者に重大な過失があったとしても錯誤無効を主張しうる。
4 動機の錯誤の取扱い
(1) 二元的構成説(判例・従来の通説)
錯誤は意思の欠缺の場合をいうと解し、動機の錯誤は原則として顧慮しないが、動機が明示的または黙示的に表示されて意思表示の内容になった場合には、民法95条が適用されるとした。
(2) 一元的構成説(現在の多数説)
意思欠缺の場合だけでなく、動機の錯誤の場合を含めて錯誤の問題とする。
(理由)
(a) 意思表示の内容と動機との区別は必ずしもはっきりしない。すなわち、駄馬を良馬と誤信した場合ほ、動機の錯誤の一種である品質・性状の錯誤とされているが、駄馬と良馬は別物であり、内容の錯誤の一類型である物の同一性に関する錯誤ともいえる。
(b) 判例上、錯誤が問題になっている最も多くのケースは動機の錯誤であり、これを錯誤の問題として顧慮しないことには問題がある。
(c) 従来の通説は、動機の錯誤による無効を認めると取引の安全が害されるとするが、他の錯誤においても内心の意思が表示されるわけではないから取引の安全が害されることに差異はなく、両者を区別することはできない。
(4) 判例・従来の通説は、動機が表示された場合にだけ動機の錯誤を保護するとしているが、そうであれば他の錯誤についても表示を要求しなければ首尾一貢しない。
この立場は、錯誤無効を認めるかどうかの判断碁準として、動機の錯誤かどうか、あるいは表示がなされたかどうかといった点ではなく、相手方の事情(善意・悪意、過失・無過失・認識可能性)を問題とすべきだとする。
(3) 動機錯誤否定説(少数有力説)
最近、民法の起草者や初期の学説と同様に、民法95条の錯誤は意思欠缺の場合に限られ、動機の錯誤はこれに含まれないとする学説が改めて主張されている。この学説は、動機は、表意者個人の問題にすぎないから、それに錯誤があってもそれから生ずる危険は表意者自身が負担すべきだとし、ただ、その動機が条件・保証・前提・特約などの形で合意されているか、または法律上特別な規定(96条、570条など)がある場合には、その合意または規定の効果の問題として処理されるとする。たとえば、Aが、転動するから不要になると思って、自己所有の家屋をBに売却することにしたが、会社の事情で転動しなくなった場合、どのような事情でAが家屋を売却しようとしたかはBにとってはかかわりないから、Aが転動しないという危険を売買契約の内容に取り込むためには、「Aが転動をすれば・・・」といった条件を付することが必要であるとする(一元的構成説からも、このような場合には狭義の動機の錯誤となり、錯誤無効の主張は認められないことになろう)
5 相手方の事情(認識可能性)
法律行為の要素に錯誤があると、法律行為は無効であるから、有効だと思っていた相手方が害される。そこで、錯誤無効の要件として相手方の事情を考慮することが必要となるが、これにつき判例・従来の通説は、相手方の事情を直接問題とすることなく、法律行為の「要素」性、動機の表示といった要件のみを考えてきた。
これに対して、現在の多数説(一元的構成説)は、錯誤無効の要件として、相手方の認識可能性を顧慮すべきだとする。しかし、何に対する認識可能性を顧慮するかについては、学説が分かれる。
(1) 錯誤についての認識可能性説
表意者が錯誤に陥っていることについての相手方の認識可能性を要求する。
相手方が善意無過失の場合には錯誤無効の主張はできないことになる。
(2) 錯誤事項の重要性についての認識可能性説
錯誤事項が表意者にとって重要であることについての相手方の認識可能性を要求する。
例:本物として売られた偽物の売買で、買主にとって本物であることが重要であることについて売主が認識可能であれば、買主の錯誤無効の主張を認める。
売主も本物と思って売った場合なら、(1)の立場からは売主に錯誤の認識可能性はないから買主の錯誤無効の主張を認めえないが、(2)の立場からは錯誤無効の主張を認めうる。
もっとも、(1)の立場からも、売主・買主ともに同じ錯誤に陥っている場合(共通錯誤)に錯誤無効を認めない理由はないから、この場合にも錯誤無効を認めてよいという見解が有力である。この立場からは、錯誤についての認識可能性が要求されるのは当事者の一方に錯誤がある場合(一方の錯誤)のみで、共通錯誤については別個に考察されることになる。
6 錯誤無効の法的性質
伝統的には、無効は、法律効果が発生しないことであり、誰からでも誰に対しても主張できるし、追認によって遡及的に有効になることもなく、いつまででも主張できると考えられてきた。
しかし、最近の学説では、錯誤は表意者を保護するための制度であるから、表意者が錯誤無効を主張しないときには他の者から無効主張させる必要はないとするものが多数となっている。
判例も、表意者が錯誤無効を主張しえない場合(95条但書に当たる場合)や、表意者が錯誤無効を主張する意思がない場合には、相手方または第三者からの無効主張を認めない(最判昭和40・9・10民集19・6・1512)。
ただし、第三者が無効主張することに利益があり、第三者も錯誤を認めている場合には、例外的に第三者の無効主張を認める。
例:A→B→Cと有名画家の作品と称する油絵が売買されたが、偽作だったので、CがBに支払った代金の返還請求権に基づいて、BがAに支払った代金の返還請求権を代位行使(423条)するために、A→Bの売買はBの錯誤により無効であると主張した事例につき、表意者(B)が錯誤のあることを認めているときは、第三者(C)も無効主張しうるとしている(最判昭和45・3・26民集24・3・151)。
このように、錯誤無効は、取消に近い無効(取消的無効)であるとされている
1 錯誤の諸類型
(1) 表示行為の錯誤
意思表示の内容自体についての錯誤を表示行為の錯誤といい、内容の錆誤(「表示行為の意味に関する錯誤」とも呼ばれる)と表示上の錯誤がある。ポンドとドルを同価値だと思って、1ポンドのつもりで1ドルと言った場合が内容の錯誤であり、1ポンドと書くつもりでうっかり1ドルと書いてしまった場合が表示上の錯誤である。これらの場合は表示に対応する意思がないので、意思欠缺の一場合である。
(2) 動機の錯誤
動機の錯誤とは、意思の形成過程において思い違いがあり、それに基づいて意思表示がされた場合である。
例:ある馬が妊娠している良馬だと思って、「この馬をください」と言ったところ、その馬が妊娠していない駄馬だったというような場合。
この場合には、「この馬を買いたい」という意思と表示との間にくい違いはないから意思欠缺の場合ではなく、ただそのような意思を形成するに至った動機に思い違いがあるにすぎない。
2 動機の錯誤の取り扱い
民法の起草者や初期の学説は、錯誤は意思欠缺の場合に限られ、動機の錯誤は民法95条の要素の錯誤にならないとしていた。しかし、判例は、動機に錯誤があっても顧慮されないという枠組みを維持しつつ、動機が表示されて意思表示の内容になった場合には錯誤の問題になるとする。
動機の錯誤を含めて錯誤を定義すると、錯誤とは、動機をも含めた真意と表示が一致しないことをいうことになる。
3 錯誤無効の要件
民法95条は、錯誤無効の要件として、錯誤が「法律行為ノ要素」に関する(要素の錆誤)ということ、及び、表意者に「重大ナル過失」がなかったこと、という二つの要件を規定している(95条)。
(1) 要素の錯誤
要素の錯誤とは、判例によれば、法律行為の内容の重要な部分に錯誤があり、もしこの点に錯誤がなかったら表意者はそのような意思表示をせず、通常人もそのような意思表示をしないような場合をいう。
具体的には、次のような場合である。
(a) 人の同一性に関する錯誤
人違いの場合であり、相手方が誰であるかが重要な取引の場合には要素の錯誤になる。たとえば売買契約では、誰に売るか誰から買うは重要でないことが多いが、金銭の借主が誰であるかは重要である。
(b) 物の同一性に関する錯誤
甲土地を買ったつもりだったが、乙土地だったというような場合である。目的物が何であるかは取引にとって重要なので、この錯誤は要素の錯誤となることが多い。
(c) 物の品質・性状に関する錯誤
買った品物が粗悪品だったような場合である。この錯誤は通常、動機の錯誤であり、錯誤は意思表示の内容に関するものであるとする伝統的な立場からは、要素の錯誤とならない。しかし、判例は、動機が表示されて意思表示の内容となったときには要素の錯誤となりうるとする。なお、近時の多数説は、動機の錯誤を含めた錯誤無効の要件として、相手方の認識可能性を要求する(もっとも、何に対する認識可能性を問題とするかについては、学説が分かれる0。
(2) 表意者に重大な過失がないこと
表意者の重大な過失とは、表意者の職業、行為の種類、目的などに応じ普通になすべき注意を著しく欠いたことである。
例:保険会社が被保険者の事故に関し、事故関係者から事情聴取もせず、酒酔い運転であることを知らずに示談契約をした場合(最判昭和50・11・14判時804・31)。
なお、表意者が錯誤に陥っていることを相手方が知っている場合には、相手方を保護する必要はないので、表意者に重大な過失があったとしても錯誤無効を主張しうる。
4 動機の錯誤の取扱い
(1) 二元的構成説(判例・従来の通説)
錯誤は意思の欠缺の場合をいうと解し、動機の錯誤は原則として顧慮しないが、動機が明示的または黙示的に表示されて意思表示の内容になった場合には、民法95条が適用されるとした。
(2) 一元的構成説(現在の多数説)
意思欠缺の場合だけでなく、動機の錯誤の場合を含めて錯誤の問題とする。
(理由)
(a) 意思表示の内容と動機との区別は必ずしもはっきりしない。すなわち、駄馬を良馬と誤信した場合ほ、動機の錯誤の一種である品質・性状の錯誤とされているが、駄馬と良馬は別物であり、内容の錯誤の一類型である物の同一性に関する錯誤ともいえる。
(b) 判例上、錯誤が問題になっている最も多くのケースは動機の錯誤であり、これを錯誤の問題として顧慮しないことには問題がある。
(c) 従来の通説は、動機の錯誤による無効を認めると取引の安全が害されるとするが、他の錯誤においても内心の意思が表示されるわけではないから取引の安全が害されることに差異はなく、両者を区別することはできない。
(4) 判例・従来の通説は、動機が表示された場合にだけ動機の錯誤を保護するとしているが、そうであれば他の錯誤についても表示を要求しなければ首尾一貢しない。
この立場は、錯誤無効を認めるかどうかの判断碁準として、動機の錯誤かどうか、あるいは表示がなされたかどうかといった点ではなく、相手方の事情(善意・悪意、過失・無過失・認識可能性)を問題とすべきだとする。
(3) 動機錯誤否定説(少数有力説)
最近、民法の起草者や初期の学説と同様に、民法95条の錯誤は意思欠缺の場合に限られ、動機の錯誤はこれに含まれないとする学説が改めて主張されている。この学説は、動機は、表意者個人の問題にすぎないから、それに錯誤があってもそれから生ずる危険は表意者自身が負担すべきだとし、ただ、その動機が条件・保証・前提・特約などの形で合意されているか、または法律上特別な規定(96条、570条など)がある場合には、その合意または規定の効果の問題として処理されるとする。たとえば、Aが、転動するから不要になると思って、自己所有の家屋をBに売却することにしたが、会社の事情で転動しなくなった場合、どのような事情でAが家屋を売却しようとしたかはBにとってはかかわりないから、Aが転動しないという危険を売買契約の内容に取り込むためには、「Aが転動をすれば・・・」といった条件を付することが必要であるとする(一元的構成説からも、このような場合には狭義の動機の錯誤となり、錯誤無効の主張は認められないことになろう)
5 相手方の事情(認識可能性)
法律行為の要素に錯誤があると、法律行為は無効であるから、有効だと思っていた相手方が害される。そこで、錯誤無効の要件として相手方の事情を考慮することが必要となるが、これにつき判例・従来の通説は、相手方の事情を直接問題とすることなく、法律行為の「要素」性、動機の表示といった要件のみを考えてきた。
これに対して、現在の多数説(一元的構成説)は、錯誤無効の要件として、相手方の認識可能性を顧慮すべきだとする。しかし、何に対する認識可能性を顧慮するかについては、学説が分かれる。
(1) 錯誤についての認識可能性説
表意者が錯誤に陥っていることについての相手方の認識可能性を要求する。
相手方が善意無過失の場合には錯誤無効の主張はできないことになる。
(2) 錯誤事項の重要性についての認識可能性説
錯誤事項が表意者にとって重要であることについての相手方の認識可能性を要求する。
例:本物として売られた偽物の売買で、買主にとって本物であることが重要であることについて売主が認識可能であれば、買主の錯誤無効の主張を認める。
売主も本物と思って売った場合なら、(1)の立場からは売主に錯誤の認識可能性はないから買主の錯誤無効の主張を認めえないが、(2)の立場からは錯誤無効の主張を認めうる。
もっとも、(1)の立場からも、売主・買主ともに同じ錯誤に陥っている場合(共通錯誤)に錯誤無効を認めない理由はないから、この場合にも錯誤無効を認めてよいという見解が有力である。この立場からは、錯誤についての認識可能性が要求されるのは当事者の一方に錯誤がある場合(一方の錯誤)のみで、共通錯誤については別個に考察されることになる。
6 錯誤無効の法的性質
伝統的には、無効は、法律効果が発生しないことであり、誰からでも誰に対しても主張できるし、追認によって遡及的に有効になることもなく、いつまででも主張できると考えられてきた。
しかし、最近の学説では、錯誤は表意者を保護するための制度であるから、表意者が錯誤無効を主張しないときには他の者から無効主張させる必要はないとするものが多数となっている。
判例も、表意者が錯誤無効を主張しえない場合(95条但書に当たる場合)や、表意者が錯誤無効を主張する意思がない場合には、相手方または第三者からの無効主張を認めない(最判昭和40・9・10民集19・6・1512)。
ただし、第三者が無効主張することに利益があり、第三者も錯誤を認めている場合には、例外的に第三者の無効主張を認める。
例:A→B→Cと有名画家の作品と称する油絵が売買されたが、偽作だったので、CがBに支払った代金の返還請求権に基づいて、BがAに支払った代金の返還請求権を代位行使(423条)するために、A→Bの売買はBの錯誤により無効であると主張した事例につき、表意者(B)が錯誤のあることを認めているときは、第三者(C)も無効主張しうるとしている(最判昭和45・3・26民集24・3・151)。
このように、錯誤無効は、取消に近い無効(取消的無効)であるとされている