経営コンサルタント・プロ経営者として多くの企業の成長や経営改革等を実践・サポートしてきた 皆木和義ブログ

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人生と経営の恩師の方々への感謝とアサヒビールの泡が出る生ジョッキ缶について

2021-05-04 13:33:33 | 日記
先週のカンブリア宮殿でアサヒビールのことが放映されていて、泡の出るビールの生ジョッキ缶を中心に紹介されていた。
新型コロナ禍の影響のなかにあってお客様の心をとらえているという。
確かに生ジョッキ缶はいつも飲んでいるスーパードライとは一味違い、ジョッキで生ビールを飲んでいるような雰囲気と味わいであった。


  


カンブリア宮殿を視聴しながら、筆者の経営の師であり、アサヒビール中興の祖といわれた樋口廣太郎元社長のことを感慨深く思い出していた。1987年、アサヒビールが樋口廣太郎氏によって復活、スーパードライで大躍進してからはや20年以上たっている。最近、キリンがシェア1位を逆転、奪回して、アサヒビールはいま瀬戸際に立たされているという趣旨のカンブリア宮殿の番組の取り上げ方だった。

樋口氏のことを思い出しながら、人生の恩師の方々のことが走馬灯のように浮かんできた。様々な方々にお世話になって、今日の自分がある。その方々のことを思うと、感謝の念でいっぱいになる。備忘録として少し書き留めておきたいと思う。

中でも、若い頃からプロ経営者を目指してきた筆者には3大恩師ともいうべき方々がいる。
樋口廣太郎氏、京セラ創業者の稲盛和夫氏、もうお一人は日本精工中興の祖といわれた今里廣記氏。お名前を思うだけで様々な思い出が走馬灯のように浮かんでくる。心から有り難いと思う。
樋口氏からは企業再建の経営や逆転のマーケティング、ピンチをチャンスに変える考え方や手法など様々なことを深く学ばせて頂いた。
稲盛氏からは経営理念の大切さやフィロソフィ経営など口には表せないほど多くのことを学ばせて頂いた。

樋口廣太郎氏と稲盛和夫氏のことは本ブログの最初の頃の方でそれぞれ書かさせて頂いたので、今日は今里廣記氏のことを少し書かさせて頂こうと思う。

今月は今里氏の命日の日の月でもあり、つい先日も今里氏の秘書関係の先輩から墓参の会のご連絡を頂いた。
例年その先輩と今里氏とご縁の深いYご夫妻と菩提寺におまいりするのが長年の習わしのようになっている。今里氏は信心深い方で池上本門寺の檀家総代なども務められていた。Y氏は筆者の兄貴的存在で東証一部上場企業の創業社長として活躍されている。

今里氏がどんな人だったかというと、一言で極論するとすると、九州長崎のご出身で、西郷隆盛を尊敬されていて、昭和の西郷さんのようになりたいという志をもって東京に上京され、日本精工の再建とそのグローバル企業化をはじめ日本の戦後の復興と発展に大きく貢献された人物という表現だろうか。今里氏はNTT設立委員長や日経連(現在の経団連)副会長なども歴任され、また、政界・財界などの名調整役として財界の官房長官とも称され、信条は「敬天愛人」で、まさにそのように生きられた方だと思う。今里氏のご自宅の居間には親しくされていた同郷長崎の彫刻家の北村西望先生の大きな「敬天愛人」の書の額が飾られていて、毎日見られて心に刻んでおられたのではないかと思っている。

今里氏は田中角栄元首相や中曽根康弘元首相等とも親しく、作家の井上靖氏の心友で、故郷長崎をこよなく大切にされていた。若い頃のことであるが、今里氏が親しくされていた同郷の北村西望先生の井之頭公園のアトリエに何度か訪問させて頂き、お話をお伺いしたことがある。北村先生の奥様はとても慈愛深い感じの方で、北村先生の観音像などのモデルともいわれていたが、筆者もそのように思った次第である。先生は大変多くの作品を創られているが、作品の一つの「笑う少女」にも奥様の笑顔の雰囲気が反映されているのではないかとも思っている。のちに、1990年頃だったかと思うが、「成功の実現」という哲人中村天風(天風会創始者)の本を読んで感銘を受け、そのときに北村西望先生が中村天風氏の影響を受けられたことを知ったが、先生の作品に天風哲学が直接間接に反映されているのではないかとも感じた次第である。
今里邸のお隣には樋口廣太郎氏の尊敬する上司で樋口夫妻の仲人をされた伊部恭之助住友銀行(現三井住友銀行)元頭取が当時お住まいになられていたのも不思議なご縁である。

今里氏の部下であられた日本精工名誉顧問の朝香聖一氏(日本精工元社長)のお話が2021年4月7日の日本経済新聞(夕刊)「こころの玉手箱」に載っていたので、懐かしく思い、切り抜きをしてスクラップブックに保存させて頂いた。今回、本ブログにも備忘録的に載せさせて頂こうと思う。
それは次の記事で、今里氏の人となりがよく表されていると思う。


   


同記事から引用してみよう。
『まだ日本精工(NSK)の本社が丸の内の郵船ビル(東京・千代田)に入居していた頃、エレベーターで乗り合わせた当時の今里広記社長に「君はどこの社員かね。NSKのバッジをつけていないやつは社員じゃない」と言われた。社員バッジを付け忘れていたことに気づかされた。それ以来、今日まで仕事に出る時は欠かさず付けている。スーツを替えるときもまずは襟のバッジからだ。』
今里さんらしい言い方であり、今里さんらしい部下教育法である。爾来、朝香元社長はNSKのバッジに対する今里氏が込めた思いを大切にされ、また、今里氏の思いをすぐに理解された朝香元社長のお人柄もよく伝わってくる。

同記事の次のエピソードも今里氏らしい。
『個人として営業成績を上げたいがために頑張るのには限界がある。でも自分の好きな会社を良くしようという心があれば、人は動ける。その原体験が今里さんとのやり取りにあった。
大手電機メーカーを20代で担当したとき、どうしても受注したい案件があった。会社の手薄な分野で、開拓できれば大きな仕事に結びつくが、自分の力だけでは受注できなかった。最後の切り札として今里社長の部屋に駆け込み、直接かけ合ってほしいと直訴した。
今里さんは話に耳を傾けて「そうか」と言いながら電話機のダイヤルを回した。「いまうちの若いのが社長室に飛んできた。どうしても受注してほしい案件がある」と切り出すと、10分後には先方の役員が駆けつけ、受注への商談が動き出した。顧客や会社のためになる話であれば、どんな手を尽くしてでも実現を目指すことは間違っていないと学んだ。』
朝香元社長の営業マンとしての素晴らしさとスピードをモットー、信条にする今里氏らしさがよく伝わってくる内容である。

そのようなことから、朝香元社長は『2002年に社長に就いた際、社員に求めるものとして「挑戦・執着力・NSK愛」を掲げた。挑戦や執着心の源は会社への愛や誇りで、そのシンボルの一つがバッジだと考えている。』と述べられている。
この朝香氏の言葉を今里氏が聞けば本望と喜ばれるだろうし、朝香氏はまさに今里氏の薫陶を受けられた愛弟子といっても良いのではないだろうか。

筆者もよく今里氏に「スピード」の大切さを教えて頂いた。
筆者には経営の大切さとして、『スピード、スピリット、システム』の3S主義とよく言われていた。
爾来、この3Sを心に刻んでいる。
今里氏の高い志や信念、情熱と決断力、経営者としての姿勢、国家百年の計を考えたグローバルな視野の広さ、人との縁を大事にする姿勢等々を間近で学ばせて頂いたたことは何物にも代えがたい財産である。
筆者が今里氏の知遇を得たのは、大学3年の時、今から45年以上前である。初めてお会いした日に「君、今日からうちに来なさい」と言われ、その日の夜から今里氏のご自宅に住み込みの内弟子的な生活が始まり、家族同様に大事にしていただいた。今思えばまことに不思議なご縁であり、感謝の思いでいっぱいである。
以来、今里氏から学んだことを今も大切にして生きている。
また、これからも今里氏の教えを胸に、ご縁を頂いた企業をはじめとして社会に恩返しをしていきたい、優れたガバナンスの魅力的な成長企業の育成や素晴らしいIPO企業等を育成して市場に良いかたちで送り出すなど、強い良い企業の育成、最強・最善の企業の育成とともに世のため人のために積極的に活動を続けて行きたいと考えている。


   
   (今里氏は自宅では和服で過ごされていて、20代の頃に今里邸の庭で撮った写真)







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