かまがやミモザ通信

誰もが暮らしやすいまち「鎌ケ谷」を目指して…

「居場所」ってつくれるでしょうか

2011年12月31日 | 会報・レポート

 あと10時間ほどで2011年が終わる。
 多くの人が、様々な感慨を持って2011年をふり返っているのではないだろうか。     
 3月11日以降、バカ笑いをすることがなくなった。心のどこかに、はしゃげない何かがある。
 恐れであったり、悲しみであったり、怒りであったり。3月11日は、私たちの生き方を変えた、と思う。

 今年は、10月から来年度事業について検討を始めた。取り組みが比較的早かった理由は、
 一つは、今年唯一の事業が10月中旬に終了したこと。
 もう一つは会の台所事情から、ある事業体の助成事業に申請することになり、その締め切りが10月末だったこと。

 提出した申請書に、「みんなの居場所づくり事業-1-」と事業名を記載した。
 本当は「コミュニティカフェ」としたかったが、現在の我々の力量では困難という判断から、
コミュニティカフェへの第一歩として位置づけた。

 日本では急速に少子高齢化が進んでいる。一方で、地域コミュニティの崩壊が言われて久しい。
「無縁社会」という造語があるが、ともすると私たちのくらしは、孤独や孤立と背中合わせある。
 私は、性別や年齢や経歴等にとらわれることなく、素直に自分らしく生きたい。
そして、地域と関わりながら、年を重ねていきたいと願っている。
 しかし、一方でこれが簡単でないことを実感している。
 周りにも、一人で子育てをしている若いママや、地域に自分の居場所が見つけられない男性や、
誰ともしゃべらない日がある高齢者がいて、みんな少なからず孤立感を抱いている。
                                               
 以前に見た、テレビのある光景が今でも記憶に残っている。
 過疎の町で、50代くらいの女性達が、空き家を改造して、今流に言えばコミュニティカフェを開いていた。
 訪れる人に「今日は饅頭蒸かしたから、食べていって」と言いなが茶を出す。料金のことは記憶にないが、
年配の人々がボチボチと立ち寄り、会話が弾んでいた。立ち入った話や難しい話がなされている様子はなかったが、
暖かい饅頭とお茶で安らいだ空間がつくられていた。

 できればいつか、地域の人々が気軽に訪れ、お茶を飲みながら交流できる場を開きたいと思っていた。
誰かと話をしたい時に遠慮なくいける場は、自分のためにも必要だ。

 こんなことを考えているからだろうか、先日「居場所の社会学 生きづらさを超えて」
(阿部 真大〔社会学者〕著)という本に出会った。
 著者は、実体験から居場所について次のように言っている。              
  居場所とは、客観的な状況がどうなっているかではなく、本人がそこを居場所と
  感じているかどうかによってしか測ることができない、きわめて主観的なものなのです。
  単に「寂しさ」だけで居場所のない人の苦しさを説明することはできません。
  ひとりでいることのスティグマ(他人から押しつけられた負のレッテル)化も、人が居場所を求める大きな理由です。
  自分にとって居心地のいい場所は、他人にとっても居心地のいい場所であるとは限りません。
  自分の居場所に固執して、それを他人に押しつけることでは、問題は解決しません。
  ひたすら自分を偽った居場所など長続きするはずがありません。

 居場所づくりには、かなりの覚悟がいることを再確認させられた。      

 コミュニティカフェなどの取り組みは、資金面や不特定多数の人々を対象とするため社会福祉協議会や
法人格を持つNPOが開設している例が多いが、思い切って会の定例会で、来年度事業として提案してみた。
 発足3年目で地域での実績も少なく、小規模な任意団体のミモザの会で果たして運営できるのか?
 勿論、大したことはできない。まずは、今日はひとりでいるのがチョット寂しいと感じたとき、   
行って座っていられる場所をつくりたい。話したいときに相手をしてくれる人がいる場所をつくりたい、
そして、我々スタッフがその相手になれないかと思うのだが・・・。

 そうだ!「居場所の社会学」に、目的を持ったコミュニケーションを実現するための注意事項が書いてあった。
「相手を受容すること」、「相手と話す頻度を頻繁に持つこと」、「積極的な聞き手になること」、
「聞くスキルを身につけること」、「質の高い時間をもつこと」、「相談すること」とあった。
 最初の「相手を受容すること」は、男女共同参画に取り組む我が会としては当たり前のことだが、
その他に勉強しなくてはならないことがたくさんある。

 今、実施を前提に、課題を話し合っている。何とか2月頃には目の前の課題をクリアして、
春から具体的な準備に取りかかりたい。公私ともに宿題を抱えて2012年を迎える。