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ヴィーナスのニンフたち

世界はキラキラおもちゃ箱・絵画館。毎日女性の切り絵を紹介します。時に詩も書きます。

ユカリ

2018-12-04 04:15:50 | 日記


またかのじょの作品に名前をつけてみました。浴衣を着ているので、日本名です。原題は「花火」。

かわいらしく見えますが、実はこの子は偽物です。モデルになった少女が、偽物だったからです。かのじょは半ばそれをわかっていたのですがね、偽物の女の子もなんとかしてあげたいと考えていたので、とてもきれいに描いてあります。

だが見ていると痛い。この子の中には、自分が嫌いだという心があるからです。花火をみあげてそれに夢中になっているようでいて、本当はそういう自分を演じている自分がいるからです。

かわいい女の子になりたいという心が、自分を偽りたいという心とつながっている。それゆえに、この子は嘘をついている。それが痛くて、そんな自分から逃げたい。こんな、花火に夢中になっているような、かわいい女の子になりたい。

でも本当の自分は、そういう自分ではない。演じている自分と、本当の自分との間にすっぽりはまりこんで、この子は苦しんでいる。

本当の自分から逃げている限り、そのふたつの自分の矛盾に心が激しく摩擦されて、人は苦しみ続けるのです。

この子はヴィーナスのニンフではありません。ヴィーナスのニンフたちなら、もうとっくにこの矛盾を克服しているはずだからです。





ゲルダ

2018-11-21 04:14:04 | 日記


これはアンデルセンの童話「雪の女王」に出てくる少女ゲルダをかのじょが書いたものです。

この絵の少女は、髪が長くてもそう気になりませんね。

目が強く、意志力がはっきりしているからでしょう。

このひとは、心の冷たい雪の女王にとらわれ、何もかもがさかさまに見えるようになった少年の魂を取り戻すために、愛をつらぬいたのです。

そのようなことができる高い魂は、髪が長くても苦しくないのです。





ミモザ

2018-11-10 04:14:14 | 日記


この世界には、女性の地獄があります。

心も霊魂もある女性の真実をコケにし、ただ男性の性的欲望を満たすためだけの肉塊として扱われる地獄です。

そういう地獄をつくり、女性を虐げた人間たちは、それを永遠にかけて償っていかねばならないのです。





エミリエンヌ

2018-11-01 04:14:50 | 日記


またかのじょの絵に名前をつけてみました。この絵は、以前はかなり魅力的に美しく見えましたが、今はなんだか長い髪が苦しいですね。

人間の感覚が変わり始めているのです。なんだか長い髪を見ると、ことさらに女性の特徴を見せびらかして、自分を得させようとしているかのような、一種のあくどさのようなものを感じてしまうのです。

テレビなどで髪を長く伸ばしている女性を見ても、どことなくいやらしく感じてしまう。長い髪がきついと感じない女性はいることはいますが、それはかなり勉強の進んだ女性に限られます。

女性としてまだ勉強が進んでいない女性が、髪を長く伸ばすと、いやらしい嘘を感じてしまうのです。

以前はこうではありませんでしたね。長い髪の女性も魅力的に見えた。なぜこういうことになったでしょう。

馬鹿な女性が、自分より美しい女性をねたんで、いやらしいことをしすぎたからでしょう。そしてその美を平気で盗み、自分がその女性になって、魅力的な女性に化け、男をだまそうとしたからでしょう。

女性が自分より美しい女性をいじめ殺し、そのあとでその美を盗んで美女になりすます、という図式は昔からありましたが、この時代はそれがあまりにひどいことになったのです。彼女らは何千人の軍勢となって一人の天使をいじめ、その美を盗んで自分を美女にしたのです。

ですからとうとう限界を超え、女性の長い髪に、人間が拒否反応を示し始めたのです。

人間は、あくどいことをやりすぎると、法則的限界を超え、みっともないことになってしまうことがあるということを学ばねばなりません。美女になりたいばかりに、馬鹿な女性たちはいやなことをやりすぎたのです。あろうことか天使を殺して天使の美を盗み、自分を美女にしてみたら、それがまるっきり馬鹿になってしまったのです。

女性が、いやなものになってしまったのです。そして長い髪が、その女性のいやらしさの象徴のようなものになってしまったのです。

これからの女性たちは、長い髪を切り、男のように短くまとめたほうがよいでしょう。髪を長く伸ばすのは、自分が女性としてある程度完成してからにしましょう。

女性が勉強し、良いことを積み重ねていけば、また女性がよいものになり、長い髪もよいものになる日は来るでしょう。





ヴィーナス

2018-10-25 04:13:58 | 日記


これは小品ですが、かのじょの傑作に数えられるでしょう。自分がないかのような瞳、自然なほほえみ、振り向いた一瞬に心をとらえられる少女のようなヴィーナスの顔です。

女性はこのように、常に神を意識していなくてはなりません。神に心をあわせ、神を心に呼び、神を表現していくのです。半分、自分ではないようなものになって、美しい神の表現として存在することができる。それが女性というものなのです。

馬鹿な女性たちは、こういう女性たちの美しさをうらやみ妬み、いやなことをしますが、自分たちがその美を盗んで美女になりすましても、決してこういう美女にはなれません。それは美しさによって、すべてに奉仕させ、自分だけをよいことにしたいという、醜いエゴだからです。

彼女らは未だ、自己保存を最優先させる動物的エゴの段階から抜け切れていない、無明の自己なのです。

本当の美女になりたいのなら、本当の自分を馬鹿にしてはなりません。人をうらやみ妬み、人の美を盗んで自分にかぶせ、他の人間になりすますなどのことをしてはなりません。そんなことをすれば、神の美の根源である本当の自分を激しく傷めてしまうからです。そして本当の自分がどんどん醜く、つまらないものになっていくのです。

人をうらやんで人まねばかりしていてはだめだということです。たとえつたなくても本当の自分を基柱とし、それを自分で育てていくべく、苦しい修業をしていかなくてはなりません。人より小さくなり、人に仕え、人に尽くしていく勉強をしなくてはなりません。

そんな勉強を一つもしないで、盗みで一足飛びに美女になろうとすることは、人間としての義務を放棄する大いなる愚です。努力して自分を育てることは、人間の義務なのです。

人に尽くし、人に心を合わせたことのない女性は、神にも心を合わせることができません。ですから、いつまでも、本当の美女になることはできません。

美の女神ヴィーナスの道をゆきたいのなら、まず自分を下げて、人より少し不細工になって、みなのためによいことをしていき、こつこつと自分と自分の徳を育てていくことです。