5月31日に人吉の「青井阿蘇神社」の国宝になったのを記念して献茶式があった。裏千家の前のお家元鵬雲斎大宗正がお点前をされるということで参加することになった。
私達数人は前日から人吉入りし、30日は小京都と言われる人吉市内を散策した。

人吉に10時ちょっと前に着いた。
まず目に入るのが「からくり時計」
丁度10時に色々な人形がオルゴールの音楽と共に出たり入ったりする。
私はからくり時計を撮るつもりがあまりに雲が面白く、空が中心の写真になってしまった。

宿舎の「サン人吉」に荷物を置いた後最初に出かけたのが「幽霊寺」で有名な「永国寺」
ビデオによるお住職のお話によると幽霊が出るお寺というわけではなく、何代か前のお住職が不幸な女性が恨みで幽霊になって現われるのを諭して成仏させたことがあって「幽霊寺」となったらしい。
幽霊の掛け軸がちゃんとありましたよ。

このお寺さんの裏にはステキな池があって睡蓮がたくさん咲いていました。
それになにやら動くものが・・・
スッポンかなカメかなと話し合っていたら、地元の人が「スッポンでもカメでもありません、クズです」と云うのです。ほんとかしら?

なかなか良い雰囲気のお庭でした。
しばらくゆっくり過ごさせてもらいましたが、お寺の人はどなたも現われませんでした。

永国寺の後武家屋敷をチラッと見て焼酎蔵の「繊月」へ。
ここもチラッと寄って人吉城跡へ。
この後は鍛治町近くの「うなぎのお店」へ。

食事後 鍛治町の味噌・醤油蔵によってお茶と漬物を戴いて次のお寺さんへ。
工場の方では味噌作りがあっていました。

はるばる歩いてやっと「願成寺」(がんじょうじ)へ。
ここは相良藩の菩提寺で33代のお墓がずらっとあるそうな。
それよりも何よりも重要文化財がぎっしりあるとのこと。
見せていただいたのはちょっとだけ。
お話上手な坊守さん(写真の人)の接待でお茶や漬物をいただきました。
途中観光客の人たちがバスで見学にきていました。

帰りは球磨川に沿って歩き、川下りのボート乗り場などに寄りました。
昔は日本三大急流のひとつといっていた球磨川も、今は湖と間違えるような穏やかな流れでした。
何しろこの日は18000歩近く歩きました。
お昼の「うな重」のおかげで頑張りました。
夜は翌日のため早めに休みました。
お手伝いの人たちは夜も準備のため出かけて行きました。
私達数人は前日から人吉入りし、30日は小京都と言われる人吉市内を散策した。

人吉に10時ちょっと前に着いた。
まず目に入るのが「からくり時計」
丁度10時に色々な人形がオルゴールの音楽と共に出たり入ったりする。
私はからくり時計を撮るつもりがあまりに雲が面白く、空が中心の写真になってしまった。

宿舎の「サン人吉」に荷物を置いた後最初に出かけたのが「幽霊寺」で有名な「永国寺」
ビデオによるお住職のお話によると幽霊が出るお寺というわけではなく、何代か前のお住職が不幸な女性が恨みで幽霊になって現われるのを諭して成仏させたことがあって「幽霊寺」となったらしい。
幽霊の掛け軸がちゃんとありましたよ。

このお寺さんの裏にはステキな池があって睡蓮がたくさん咲いていました。
それになにやら動くものが・・・
スッポンかなカメかなと話し合っていたら、地元の人が「スッポンでもカメでもありません、クズです」と云うのです。ほんとかしら?

なかなか良い雰囲気のお庭でした。
しばらくゆっくり過ごさせてもらいましたが、お寺の人はどなたも現われませんでした。

永国寺の後武家屋敷をチラッと見て焼酎蔵の「繊月」へ。
ここもチラッと寄って人吉城跡へ。
この後は鍛治町近くの「うなぎのお店」へ。

食事後 鍛治町の味噌・醤油蔵によってお茶と漬物を戴いて次のお寺さんへ。
工場の方では味噌作りがあっていました。

はるばる歩いてやっと「願成寺」(がんじょうじ)へ。
ここは相良藩の菩提寺で33代のお墓がずらっとあるそうな。
それよりも何よりも重要文化財がぎっしりあるとのこと。
見せていただいたのはちょっとだけ。
お話上手な坊守さん(写真の人)の接待でお茶や漬物をいただきました。
途中観光客の人たちがバスで見学にきていました。

帰りは球磨川に沿って歩き、川下りのボート乗り場などに寄りました。
昔は日本三大急流のひとつといっていた球磨川も、今は湖と間違えるような穏やかな流れでした。
何しろこの日は18000歩近く歩きました。
お昼の「うな重」のおかげで頑張りました。
夜は翌日のため早めに休みました。
お手伝いの人たちは夜も準備のため出かけて行きました。