ハワイ中毒 旅の記録

旅行記です
ハワイ、オランダ、タリン、ヨーロッパ。。。。

ウクレレフェスティバル その3

2005-07-31 03:17:00 | HAWAII
2005年 第35回ウクレレフェスティバル  July 31



私たちの演奏も無事終了し、ベンチで見学に集中します。
大勢の子供たちの演奏も楽しいです。

そうこうしているうちに、お弁当を取りにいく時間となりました。
お約束のチョコパンは、多少のお役に立つべくリーダーについていきました。

しかしながら、なんか、私たちの演奏がまだあるみたいです。

そういえば、ホテルでリハーサルをしたとき2曲の楽譜が配られてました。
全然、練習してないです。
練習命の私にとって、これはびっくりです。

みんなで舞台袖へ行きました。

どこでどうやってひくのか、誰とひくのかどんな訳でひくのか、
私には全然わかっていません。
いつもは積極的に歩いていた私も、こっそり後ろからついていきます。
そして、待っている間、元気なオバちゃんに写真を撮ってもらいました。 オバちゃんは人を撮ってばかりいるので、わたしもとってあげました。

待っている間ステージでは

JOY の演奏です。 
ハワイ初日にホノルルZOOで彼女たちを見たときは、素人さんのウクレレ演奏だと思ってみていました。
それにしては、長く演奏してるなと思ううち、とっぷりしてるお姉さんが、早いソロをひいて、感心したのです。

この日も、早いソロを聞かせてくれました。
曲名はわかりませんが有名な曲です。
レミファッ レミファッ レミファッミファラソー っていう曲です。

ステージ横で聞いているうち、ウクレレコンサートにふさわしくない
素敵なドレスを着た、イカしたお姉さんがやって来て、ロイ佐久間さんとハグしていました。

このかたが、

Raiatea Helm さんでした。 今回のハワイ旅行でたくさんのハワイ音楽が聞こえてきましたが、なかでも耳をツンザクような、キ~~~~~~ンという高い声の雄たけびみたいな独特の発声をなさるお方の音楽が、印象的でしたが、まさにそのお方だったのです。 どんな音楽がヒット曲か知りませんが、キ~~~~ンを聞けば彼女の曲だというのがわかるのです。 素人の私には。

そして私はこのあたりを覚えていないのですが、
彼女と一緒に私たちはステージに立ったらしい?



私たちと、よくわからないアメリカ人のかっこいいお兄さんたちと
大勢でとにかくステージで演奏したのです。
わたしは、訳わからず居たので、ぜんぜん消極的に一番後ろあたりに居たと思います。

HANA NO KA OI
KA LOKE POLENA

この2曲を演奏しました。
自信はなかったけれど、一緒にステージに立ったアメリカ人のお兄さんがあまりにかっこよくて、わたしはそっちに気が行っていました。 悪い癖です。

じつは、チョコパンが今回付き添ってハワイに来たのはこれが原因です。
外人好きがたたって、『 殺されかねない、あぶない、』と信用の無い私であり、確かに外人は好きですが、その辺のわきまえはあるよ!!

さて、無事にかっこいい外国人のお兄さんとの共演も済んで、高い声持続の彼女のステージも終わり、とうとうお弁当の時間です。

白い靴のお兄さんやチョコパンが運んできてくれました。
どちらかというと、白い靴のお兄さんが一人で運んでいるように見えました。

周りに私も配って、自分もいただいて、食べようとしたらば、
隣の白い靴のお兄さんとドクターが、私たちの専属歌手のお姉さんに向かってひざまずいているのです。 片ひざです。
家来が女王様にひざまずいているのです。
それも、ずいぶん長い時間です。

いつまでたっても、その格好です。

どうやら、専属歌手さんが外国人記者にインタビューされていたんですね。 家来の二人はそれを見守り地面でお預け状態。

お預けから開放され、みんなでおいしいお弁当を食べました。

私とチョコパンは半分くらいしか食べれませんでした。
おいしかったのに胸がいっぱいです。
でも、みんなは、もりもり食べていました。
元気です!

そしたら、仲良しのみッちゃんがスターバックス提供の
抹茶シェイク・・・かな・・緑のをひとつ買ってきてくれました。
遠慮なくいただきました。『 いくら?払うわ 』とも聞かずにいただきました。
わたしは、お腹が痛くなるとわかっていても大好きなのでいただきます。

ストローが2本入れてあったので、隣の白い靴のお兄さんに
使っていないストローをシェイクに差し込んで、飲むのを手伝ってもらいました。 遠慮して少ししか飲まないので、もっと飲ませました。
返してもらって、自分のストローでおいしくいただいていたのですが、そのうち、どっちが誰のストローだかわからなくなってしまいました。
まあ、いいや~と思って、いい加減なストローで飲んでいました。
この事態を、隣のお兄さんはご存知だろうかと、うっすら横目で何気なく見てみたら、かれはサングラスをしていてどこを見ているかわかりません。 うっすら横目でこちらを見ていたかもしれません。

さて、フェスティバルはまだまだ続きます


ウクレレフェスティバル その2

2005-07-31 02:08:00 | HAWAII
ウクレレフェスティバルが始まりました。

 

出演者は豪華メンバーです。



でも、わたしは当日何を考えていたんでしょう?
進行を把握せず時間の流れるままに見ていました。
たくさんのブースを回って見歩くこともせず
じっと、ベンチに座っていました。



Roy Sakuma ・・今日のディレクターで大忙し。

Danny Kaleikini・・ユーモアたっぷりの楽しい司会です 

Bryan Tolentino・

Yuji Igarashi・・日本からのゲスト3人のおじちゃんたち

Daniel Ho・・・独特のゆっくりスタイルで今日も演奏。

          CDにあるバッハを演奏してくれたら感激なのに
          キーボードも弾いてました。
          なるほど、だから、クラシックウクレレができるん 
          ですね。 鍵盤とウクレレが結びついた演奏だ。

          演奏途中でアクシデントによりとんでもない音が
          出たのはひそかに笑っタリした。



Nihon Ukulele Association・・・私たちです。

出番が近づき、舞台袖に行きます。
スタッフが一人ひとりにレイをかけてくれました。
造花じゃありません本物です。

あまりの人数の多さに、スタッフは足りなくなったレイを取りに行きます。
おそろいのレイが無くなっても素敵な本物のレイが全員の首にかけられました。

レイをするとウクレレがうまく弾けませんでしたが、レイを短くかけてウクレレにかからないようにして演奏しました。

私は、舞台の左端の前に立ちました。
『 さあ、本番がやってきたんだ! ハワイの大空のもとで、太陽のもとで、ハワイの海にむかって演奏するぞ!!』

というきわめて気持ちのよい心で演奏をしました。



マイレスイング
ハノハノハナレイ


この2曲を、きわめて気持ちよく聴衆に向かって歌ったわけです。

ハワイの大地を感じながら歌ったわけです。


ウクレレソロも上手くいきました。
フラの踊り子さんたちは、笑顔で私たちのソロを応援してくれました。
速い踊りのフラもまことに素敵です。

専属歌手さんの綺麗な歌声と粋のいいフラと、メロディとは対照的な音楽を奏でるスチールギターとベースギターのそれぞれが個性豊かに音楽をかもし出し、溶け込むように一体化されて、大きなウクレレ集団の歌と演奏によるりっぱな音楽が成立したのです。

成功です。 大成功です。 拍手喝采です。
乗りの良い選曲をしてくださったのは、リーダーでしょうか?

素敵でした。

わたしは、大満足です。



ハワイに来て良かった。
ウクレレを始めてよかった。
ハワイアンが大好きだ。

音楽っていいなと思いました。
みんなで作り出す音楽ってすばらしいと思いました。



‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘



私たちの演奏も終わり、舞台を降ります。
そのとき、記念メダルをスタッフが一人ひとりにかけてくれます。
渋滞しました。
メダルのスタッフが前方にもいるので、わたしは人々を誘導して
前に進むように交通整理をしました。

みんなの笑顔がこぼれます。
やったね!って感じです。

成功の喜びをみんな感じています。

気持ちの良い演奏でした。
いい曲でした。
うれしいです。



~~~~~~~~
さて、

ゲストの演奏は続きます。


ロイ佐久間さんの、お弟子さんの子供たちの演奏は見ていて楽しかったです。
何十人もの子供がウクレレ合奏するのですが

難しいソロの部分になっても、子供は決してウクレレの手元を見ません。 すばらしい指導です。

小さな子供が正面を向いて、メロディを演奏しているんです。

なかなかやるな!!って感じでした。

小学生の子供たちの演奏で、一人ノリのいい子がいました。
首を振ってリズムを取っています。
もう、体がリズムにノッてしまってどうしょうもない感じです。

自然に体が動いちゃうらしいです。
将来が楽しみだと思いました。

この子は、ウクレレに留まらないだろうと確信しました。



ゲストの演奏の間
ウクレレをプレゼントする企画もたくさんありました。

英語なので説明がよくわからず
応募しなかったりしますが
チョコパンはしっかり、ウクレレプレゼントに応募してきたようです。

あいにく、あたりませんでした。


この話題はまだ続きます・・・

          


ウクレレフェスティバル その1

2005-07-31 01:03:00 | HAWAII
2005年7月31日(日)



ウクレレフェスティバル本番の日


さて、この日のために半年以上練習し続けてきた私達の本番の日がやってきました。

カピオラニ公園のベンチ席を確保するために、朝6時頃には席取りをしたほうがいいという話でした。

しかし、連日寝るのは午前様だし、友達と朝8時頃に行ってあいてるスペースに座ろうという事にしました。

しかし、私のこの性格です。
ちゃんと5時半に起きて、一人で席取りに行きます。

6時にロビーに下りると、何人か集まっていました。
一緒にカピオラニ公園に行きました。

人々はちゃんともう、おそろいのブルーのTシャツと白いズボンをはいています。

わたしは、ヤクザみたいな青いハイビスカスの半ズボンに昨年Hoちゃんのコンサートの入場券であるTシャツを着て、ホテルに帰る気満々です。


カピオラニ公園に着くと、リーダーがもういらしてました。 ステージ前のいくつかのベンチに新聞を置いて席をいくつか確保してくださっていました。

ありがたく、リーダーの後ろのベンチを一ついただきました。 みっちゃん、せっちゃん、チョコ、私の4人で一つのベンチに座ります。 きっと、入ります。

ホテルから持参した新聞紙をベンチに敷いて、持参した雑誌をその上において、持参した名札をそれぞれの位置にシール貼りして。

座席確保の準備万端です。

タオルも持参する予定でしたが、タオル貸し出しは7時からだとフロントで言われたので、これは後で持ってきました。

すぐに退散するのも、後ろ髪を引かれる思いがしたので、しばらく座って早朝の緊張と言うか、ある種の重さを感じて楽しみました。

隣の白い靴をはいたお兄さんが、わたしの足の爪に塗ったマニュキアを見て言いました。


『 血豆か! 血豆やんか!』

『 くっそぉ~ 』

そうこうしているうちに、わたしはそこを後にして、ホテルへ戻り、まず仲間の部屋に行って、席を取った事をメモした紙をドアの下から部屋に差し込んで知らせました。

そして、徒歩で結構離れたスーパーマーケットへ行って買い物です。。。
何を買ったのか覚えていません。

ああ、あれだ。 アメリカの紙製品は高すぎます。

そのあと、マクドナルドへ行って、モーニングセット用の日本には無いパンを二つかって部屋に戻りました。

部屋で大食いして、着替えて、冷凍してあった飲み物を持参して、チョコパンに 『来いよ』 と言い残して部屋を出ました。


数分後にカピオラニ公園に着くと、パラソルを広げている人や、ゴザを広げている人、いっぱい人が集まっていました。

ベンチに行くと、仲間はちゃんと座っていてくれました。
可愛かったです。

5時半に起きて良かったと思いました。


ロイ佐久間さんは、相変わらずマイクでおしゃべりしています。 始まる前からこのトークですから、すばらしく疲れないお方です。

私は、少しうろうろして木の下などに行きました。
ウクレレ仲間の一人が、偶然昔の友達に再会して感激のご対面がくり広げられていました。

『 懐かしいわ~ 嬉しいわ~ お元気~ お名前なんだったかしら?』 とか言ってました。

さて、チョコパンもやってきました。

昨日ヒロハッティで購入したパレオを巻いて、頭にはちゃっかり私が昨日つけていた花をつけているではありませんか。

もしも巻いてあるパレオが取れたらびっくりです。
それに、太ももまで丸見えです。
その危ない服装に、おばちゃんたちのアドバイスがすかさず入ります。


炎天下対策のため、それぞれが帽子やタオルや長袖を身に着け始めました。

わたしは、100円ショップで買った白くて長い手袋をはめました。 ちょっとかっこ悪いですが、長袖を着ないで日焼け対策成功です。  のちに、面倒くさくて取ってしまいました。


隣のベンチの専属歌手様の親子は帽子とタオルで厳重対策を取っているので、キャディが居る!と言われていました。

さて、9時半も過ぎて、ウクレレフェスティバル開始間近です。






フェスティバル練習会

2005-07-30 00:29:00 | ノンジャンル
2005年7月30日(土)



ウクレレフェスティバルリハーサルの日

貴重な自由時間のある日



今日は明日のウクレレフェスティバルに向けて午前中から練習会と昼食会です。

早朝9時宿泊ホテルの3階において練習開始・・・という事らしいのでプールのある3階へいつもながら早々に到着。

プールには外国人の人がくつろいでいた。

3階・・? どこ? プールサイドをどぎまぎして探していたら

『 おはよう! おはよう! ここよ~ こっち~ ここよ~』とどこからか声が聞こえてくるんだけど、どこを見渡してもだれもいないし・・・


あっちこっち首を回してたどり着いたところが、プールサイドの上の階のベランダからだった。

今回のウクレレ仲間の専属歌手さんのママだった。

誰もいなくて困っていたから、救いの神だった。

『 3階ですよね?』 といったら、中から専属歌手さんが出てきてくれて
『 あっち、あっち、レストランに入って奥に部屋があるの』

と教えてくれました。

行ってみると、奥の間があったのです。


またしても、誰も仲間は来ていません。
ステージ準備のリーダーさん達が忙しそうでした。

一番後ろに3席確保しました。
あとから、『どうして一番後ろなのよ』って言われました。

一番後ろ以外に良い席は考えられませんです。


今日の練習会にたどり着くまでに、もう2回も大きなステージを踏んでいるので、そう練習も必要ないかと思われましたが

当日踊ってくれるというフラの人たちが練習に参加してくれたので、コレは楽しめました。

こんなに楽しいフラは見たことがありません。
いけてます。


スピード感あふれるフラなんです。
速度はどんなでも大丈夫と言い切った彼女達。
速いフラは・・・いいな~~!!

ウクレレソロの時は、イエィ~~って感じでフラをやめて私達に向かって手を差し伸べてソロを尊重してくれるしね。

久しぶりでいいものを見させてもらった。


この日初参加のドクターもやってきました。
昨日個人旅行でワイキキ入りしたそうです。

3時間近くを弾いたり休んだりしながら練習に費やし、楽しみな昼食となった。

初日がバイキング、昨日がシェラトンホテルでバイキング、今日二日めがカピオラニホテルでバイキングか。

サラダ、パン、サーモン、ローストビーフ、・・・あといろいろ
ガバジュースにケーキいろいろ。

美味しくいただいていたら、リーダーが

『 キャンセルした人が出たので娘さんもお呼びなさい 』
と言ってくださったので、寝ているかと思ったが電話をして呼び出した。

チョコパンは、珍しくワイキキをうろついていたらしい。
ダッシュで来るよう伝えた。



リーダーに挨拶し、ランチバイキングをいただいた。

『 おいしい、おいしい 』と言って食べてくれた。
これだけ喜んでくれると、ランチもお喜びだ。

ランチをいただいたばかりか、明日の弁当運びを引き受けてお弁当を一つ頂く約束までしてしまい、遠慮の無い事でお恥ずかしいしだいです。 この取り決めは仲間の考えです。


1時を過ぎてランチも終わり。

今日の自由時間は、仲良し仲間とシェラトンプリンセスカイウラニホテルのハワイアンディナーショーに行く事にしました。

私が、予約したのです。

テレビコマーシャルをしていたコーブルアウのディナーショーに行きたかったのですが、ツアー会社からこちらを勧められました。

別の仲間は、ディナークルーズとタンタラスの丘へ行く事にしたそうです。

一緒に行こうと誘ったりしたのですが、なかなか仲間同士の付き合いは難しいものがあることを知りましたよ。



~~~~~~~~~

ランチをゆっくり最後までいただいて、プールサイドに出ました。

でっかいハワイアンなお兄さんがかなりでっかいジョッキで飲み物を飲んでランチを食べていました。

すると、ウクレレを見せてくれと言うのでドルフィンを渡すと、

『ウクレレはこのコードだけ知ってればなんでも弾けるさ』
と言って、何曲か首をかしげながら弾いてくれました。

ゴーストの音楽とか弾いてくれました。

『あすは、ウクレレフェスティバルに出るんだよ』とちょっと自慢して、バイバイしました。

現地の人と親しめるのは嬉しい事です。

~~~~~~~~

さて、ディナーショーの集合時間まで4時間ほどあるので、アラモアナでも行こうかと外に出て、デュティフリー行きの無料シャトルをワイキキビーチホテルの前で待ちました。

そしたら、ヒロハッティ行きの無料シャトルがやって来たので

『 いえーぃ、乗っちゃえ!』 と言う勢いでチョコパンと二人で乗りました。

よく、広告に掲載されている店だし、ホームページでも素敵なドレスがあるようなので興味はありました。

良いタイミングでシャトルが来てくれたわけです。


乗客は4人だけでした。
ヒロハッティが一体どこにあるのか不安でした。
遠かったら、5時半に帰ってこれないジャン・・・

『 英語は分かるからOKだよ』と運転手さんにチョコパンが伝えたので

英語しか喋れない若い運転手さんは、よく喋りました

そして、『今日は自分の好きなところへ行っちゃうよ』と言ってダウンタウンを観光めぐりしてくれたのです。


写真を取ったらいいというところも、バスを止めて見せてくれました。 私達は幸せです。 観光が出来ちゃったのです。


さて、ヒロハッティ到着。




いり口で貝のネックレスを掛けてもらいました。

店は思いがけず狭いです。
そう安くもないな~

突然やってきてしまったので、割引きクーポン持ってこないのが悔やまれました。



でも、ムームーもインターネットほど充実していない気がした。

同じ柄がいっぱい並んでいた。

安売りコーナーも大したもんじゃない。



おみやげコーナーも、ABCかデュティフリでいいような気がする。



チョコパンはパレオを買った。

いとこからもらった日本にあるパレオは見向きもしなかったのにハワイでパレオに目覚めたようだ。

ちなみに、わたしは今回ウクレレをパレオに包んで布袋に入れて持参したのだ。

ウクレレケースは持ってこないという危険を気にしない性格です。



早々にヒロハッティ退散。
きっと2度とこの店には来ないでしょう・・・と思ったのにね。

ヒロハッティの無料トロリーは、帰りにアロハタワーとアラモアナに止まってくれます。 首にネックレスを掛けていれば、乗車も出来ます。

私達はアラモアナで降りてぶらぶらしました。


ウクレレハウスに行って見ました。
あんまり、ウクレレには興味ありません。
値段も興味ありません。

そんな人用に、アクセサリーがたくさんおいてありました。


チョコパンが頭につける花を欲しがりましたが、高いので無視しました。
スケッチャーズのサンダルも欲しそうにしていました。

~~~~~~~~~~~~~

さて、5時半ロビーに集合してハワイアンディナーショーの
お迎えを待ちます。

二人の仲良し仲間は、今日も違うドレスです。
おしゃれですね~


6時ディナー開始。

あらあら、またバイキングです。
さらだ、サーモン、魚、肉、ケーキ・・・
毎度のバイキングです。
しかし、食べますよ~



お隣に座ったアメリカ人の家族は
パパの50歳の誕生日で記念にここへ来たと
言って、お祝いをしていました。

私達にもアニバーサリーの飴をくれました。
会場でも、彼の誕生日を皆で祝いました。


一緒に来た仲間の彼女も明日誕生日ですが
このようなイベントがあるとは知りませんでした。


そして、ショーの開始。
男性や女性の踊りや火のダンス・・・
ハワイらしい、たくましいショーを見て、よき夜を過ごしました。

帰りは、車ではありません、近いので自分で帰ります。
カイウラニホテルのプールサイドでもハワイアンな生演奏が流流れています。

もちろん、星空を眺めながらハワイアンをさらに堪能した私達です。


そのあと、キングスビレッジに行ったかな?たしか。。

仲間の一人はもう、ホテルに帰るというので

もう一人のハワイが初めてだという仲間をもっと楽しませてあげようと思って、ワイキキの夜に誘いました。

まず、デューティーフリーでスロットマシンみたいなゲームをします。 私はこの旅で一回5ドルが当たっただけですが

仲間はボールペンが当たって、チョコパンもこの日は5ドル、前日はボールペンが当たりました。

このゲームにつられて毎日デュティフリーは訪れました。


彼女が乗ってみたいという、トロリーにも乗りました。

デューティーフリーからアラワイ運河を通ってロコの街を通ってアラモアナを通ってイリカイホテル、プリンスホテル、そして、ヒルトンホテル下車。

ヒルトンの一つの街や綺麗なホテルを味わって欲しかったのです。
大きなパーティをしていました。
外国人は素敵です。

そして、ビーチからワイキキへ戻ります。

砂は歩きにくいので靴を脱ぎました。

仲間は、靴は脱いだけれどストッキングは脱がずに歩きました。 文句を言わずに歩く人だったのでストッキングがどうなったかは聞いていません。


たくさん歩いて見慣れた町に戻ってきました。
ABCで買い物して、ホテルに戻りました、、、たぶん。

週末はワイキキが大変賑やかに混んでいます。
ワイキキ以外の田舎から若者が待ちに出てくるそうです。

ライブの店はガンガン音を鳴らしていました。


喧騒は夜中まで続きました。

ホノルルZOOの空き地で集会でしょうか、どんどん人と車が集まってきました。
楽しいです。

こうして、長かった4日目も終わっていくのです。













アラモアナショッピングセンターで演奏

2005-07-29 09:18:00 | HAWAII
2005年7月29日(金)

アラモアナショッピングセンタで演奏の日
ロイ佐久間ウエルカムパーティの日


今日は、昼からアラモアナで1時間も演奏する日だ。
ツアの集合時間は決まっているらしいけれど、わたしは早め行動なので自分で現地へいく。
いつもは無料シャトルだけど、大事な行事なのでバスで早い時間にアラモへ向かった。
バスには関西組のみなさんたちが乗っていた。

関西地方は早目行動でしょうか?
関西グループに混じって東京グループのおいちゃんが1人いたことは不思議だった。

私は朝食を食べていないので・・・・・(今回のハワイ旅行は自炊をしない設定だったでキッチンのないホテルで、パンも焼けないしレンジでチンもできないから、何を食べていいのかわからない。)アラモのマカイマーケットで何を食べようかとぐるぐるして、結局メキシカンなタコス的なものをチョコパンと大口開けてホオバッタ。

集合時間30分くらい前にステージに到着して準備した。
準備していたらもう、お客さんが集まってしまった。
だけど・・・演奏はまだ1時間以上先の話です。

昨夜、1時間以上かかってそろえた楽譜であったけど、東京のおばちゃんもおいちゃんも揃えてこないから、一緒に苦労してあげた。 若い人はちゃんと揃えてあったので、ここで私は若いって素晴らしいと感じたのです。
これを感じた第1回目がこのときです。

のちに、もう一回痛切に感じたときがあったのです。

楽譜を揃えていたころ、再び曲順に変更が出ました。

さあ、大変!!

おいちゃんもおばちゃんもパニックです。
ヒステリックな声も飛んできます。
私は、テンポのそれぞれな仲間にそれぞれのテンポで曲順を教えたですよ。 
自分の生きている時間が短縮された思いがしましたよ。


さて、服装は最初昨日の制服と聞いていましたが、フラも入るので
ムームーでもなんでもいいということでした。
私は、説明会に参加していなかったので、どうなったのかよくわからず、昨日の制服を着て、ムームーは持参しました。

すると、関西の女性はフラを踊る人以外全員制服で統一されていました。
関東は、自由な服装でした。
男性はアロハで女性はムームーが多かったです。


わたしと、関西組と同室だった関東組の人だけが、地味な制服です。

着替えようかどうしようかと思ったけれど、いいや、これでいいやと思ってまあ、持参していたマクドウウェルのアロハを上に着てボタンを閉めました。

男装しているみたいな感じでした。

衣装が地味だし、今日こそは後ろのほうで演奏するようおば様たちに前を譲ったのですが、どうしても出てきてくれなくて、また、一番前で演奏しました。


ステージに立ったら、会員のパパさんが見ていてくれました。
私は、手を振りました。笑顔で答えてくれました。
日本からお客さんがみていてくれるなんて、なんかうれしいです。

さて、12時になってステージ開始です。
隊長が、英語で挨拶をしています。

さすがです。日常も常にジョークを飛ばしている隊長ですが
英語でも軽くジョークを入れていたと思われます。おそらく。

いつもの2曲と、あと20曲くらいでしょうか。

メガネをはずし忘れていました。
2曲目くらいで汗が出てめがねがずれてきました。
必死で落ちないように念力をかけても落ちてきます。

・・・・曲の合間にはずしました。

暑い! すごく!暑い! 汗、だらだらです。
体に汗が流れてくるのが分かります。
でも、周りのおばちゃまたちは平気な顔をしていました。

私って、とことん更年期ですか?
更年期を過ぎてからが、良い人生だって今回の旅で先輩達から教えを受けたりました。

曲はどんどん進みます。
なんか、気持ち悪くなってきました。
貧血が起きたらどうしようかと心配して演奏しました。
汗は出るし、あと40分もつかしら・・・・

ここでたおれたり、退場したら迷惑な話だ・・
と心配しながら立って演奏しました。

しかし、持ちこたえて、予習の甲斐が成功のもとで、すべて弾きこなしました。 
気持ちよく弾きました。


わたしは、1階2階3階の客席を見ながら気持ちよく演奏しました。
大成功!! 1時間の長いステージ大成功です。


終わったときには、Tシャツが変色するほど汗をかいていました。
アロハを着ていなかったら、見れたもんじゃありません。
アロハを着ててよかった~~。

でも、後から聞いた話と、写真によれば、関西組が演奏した舞台右手は日が当たってかんかん照りだったそうです。

日陰でありながら、さらにやや若くありながら、私はダウンしそうだったんだから、関西組の皆さんには・・・なんて言ったらいいのか・・・言葉が見つかりませんが・・・おかげさまで成功しました。


ステージが終わってパパさんのご家族にお会いしました。
パパさんは私と同じくらいの年齢かと思っていましたが、お子さんが赤ちゃんでした。びっくりしました。

~~~~~~~~~

さて、午後の自由時間はショッピングセンターを見て回る予定でしたが、仲間からランチに誘われました。
なんか、ハワイに住んでいるボーイフレンドと会食みたいです。
さすが、更年期を過ぎたらいい人生がいっぱいあるみたいです。


ヨットハーバーの会員制のレストランに外車で連れて行ってもらいました。
 車のシートの皮のにおいが金持ちオーラを発生したがっていました。

レストランでは、珍しいサンドイッチやパインの入ったアイスティなど頂き、新しい経験ができました。

その彼は、不動産やさんで日本の財産を処分してハワイに住むという計画の手伝いをしてくれるそうです。
・・・話を聞いていると、最終的には,,,,つまり死ぬときは日本に帰るそうです。
私的には賛成できない人生計画でした。
子供には財産を残す必要は無い!とマイペースな生き方の人でした。

この、やり手の彼が 8倍速で生きる人です。

今まで自分が3倍速で生きてきて、自分のようにスピード出して行動している人は隊長以外見たことがないと思っていましたが、ハワイで3倍速どころか8倍速で生きているっていう人とお目にかかれるとは思ってもいませんでした。

外車でホテルまで送ってもらい、シャワーを浴びて今度はパーティの支度です。
思い立ってABCストアへ髪飾りを買いに行きました。
ドレスに合う花をえらんで、大きさとか迷って・・・

ついでにスタバのコーヒー牛乳の瓶入りを買ったりチョコパンのだましおやつを買っているうち時間が経ちました。

急いですぐ近くの自分のホテルに戻ってエレベーターに乗ろうとしたら、もう仲間がおしゃれして降りてきたではありませんか!

ひぇ==急がないと!

ムームーに着替えて頭に花をつけて、昼寝でうだうだしているチョコパンを置いてロビーに急ぎました。

ロビーに集合して、なんとなく皆でシェラトンワイキキホテルまで歩きました。
私と仲良しの仲間は早足で歩いたので先頭です。
後の人を引き離したので、私は、クーラーの効いている裏道に誘いました。 
さすがワイキキ通です。


歩くうち、モアナサーフライダーのバルコニーにあるロッキングチェアに座ろうということになって、3人でギーコギーコ座って楽しみました。するとウクレレ仲間たちがやっと歩いてきました。

私たちに気がついて、 アラマ! といった顔つきをされましたが
みんな時間を気にして急いでいます。
私たちも、なお涼しい裏道を通って通りに出てホテルに着きました。


プールサイドのレストランでバイキング式のパーティです。
昨日食べた10ドルのバイキングとは違って、ホテルのお食事は高級です。 
カニもありました。 ケーキも充実しています。



ロイ佐久間さんが相変わらず元気よく行ったりきたりしていました。
頭の良い方だと思われます。いったい、何倍速で生きておられる方でしょうか?



HOちゃんも、ジェイムスヒルもパーティに来てくれました。
ジェイムスはウクレレを持ってきてくれたけど、
なかなか演奏する機会がなくて気の毒でした。

仲間の日記を読むと、彼らと写真を多くの方が取ったそうですが

わたしは、何を考えていたんでしょう・・ビールを飲んでいたんでしょうか、彼らの存在は気にしていませんでした。 近くで一緒にご飯を食べた~っていう印象です。



特に司会進行もなかったので、食べる事に専念です。
hOちゃんはわたしのななめでひたすら食べていました。

ごく普通のお客さんが食べてるって感じで、毎度のことながら普段着のお兄ちゃんです。 
ジェイムスはプールサイドのほうへ行ったりして何しようかな~って感じでした。
チョコパンがいればいい話し相手になったと思うので残念でした。

ロイ佐久間さんは、あちこちに顔を出して写真撮影に協力しています。 
彼が私の後ろを通り過ぎるとき、私の肩に手を置きました。

ひぇ! 今の合図は何ですか? 今の誘惑は何ですか!!
と、勝手に喜ばせてもらって楽しいパーティに仕上げます。

パーティも無事に終了し、全員のビデオ撮影とやらもして、みんなはまた、帰って行きます。

私たちは、帰りませんよ。

プールサイドでハワイアン生演奏をしているのですから、これを聞かなきゃね。
夜空を見ながら、デッキチェアにネッコロがって波の音を聞いて、ハワイアンを聞く最高の夜です。

ハワイならではの最高の楽しみかたです。

そのうち、ヒルトンホテルの花火が目の前で始まっちゃってもう、最高きわまりありません。
フラにハワイアンにウクレレ、波、やしの木、ガス灯、花火。
すべてを忘れました。 幸せでした。

しばし楽しんで、わたしは迷子のチョコパンと連絡を取り合って彼女の夕飯に付き合います。
友達は2人でワイキキを楽しみます。

夕飯はロコモコを経験しました。
少しもらって食べたけど、ハンバーグがあまりおいしくないように思えた。
でも、おいしかったらしい。

ワイキキを散策するうち、さっき別れた友達とABCで偶然再会しました。 
狭いとは言っても煩雑なワイキキで会えるとは縁があります。 
一緒に買い物をしてホテルに帰りました・・・・かな?

あまりに、夜の放浪をしていたのでちゃんと一緒に帰ったかは不明です。

そして、もう3日ともなるハワイの夜は明けていくのです