聖書の学び

 このブログでは、主・イエス様の教えを知りたい人の為に書いてます。

海嶺

2016-07-09 13:35:24 | 偉人

明日は、参議院の選挙である。
早いもので、安全関連法案が可決し、
日本国憲法の9条が骨抜きにされて1年になる。
私は何気なく朝家の外の道路を見ると猫が徘徊していた。
小雨がふっているが、快適な気候で、鳥がさえずっている
中、その茶色で大きな猫が、突然目を鋭くさせて、頭
を低くして、何をしているかと思ったら忍び足で隣り
の家に静かに目を光らせながら入っていった。
辺りは、閑散として、また静かで和やかな雰囲気に戻った。
私たちも平和にかまけていないで、良く世界の日本の
状況に目を光らせていなければならない。
さて、今日は、主・イエス様に祈り、三浦綾子さんが書
いた、海嶺を参考に主・イエス様に導きを受けた事につ
いて、書こうと思う。
この物語は、おおざっぱにあらすじをお話しをすると
江戸時代の大塩平八郎の乱があり、天保の大飢饉が
あった時代に千石船で、船にのって遭難した、14名の
内の岩吉、音吉、久吉の3名が生き残り、世界を回りなが
ら、日本に帰ろうとし、その間にヨハネの福音書とヨハネ
の手紙を日本語に翻訳する物語です。
彼らはどこにいたのかというと、名古屋近くといったら分
かりやすいと思う。
名古屋付近に伊勢湾があり、伊勢湾に面した、知多半島の
南の丁度知多半島の先端あたりに小野浦という場所がある。

ここに、久吉と音吉が住んでいた。
音吉と久吉は同じくらいの年なのだが、ここでは、音吉が
優秀な子として描かれている。
彼は、村で正直者と言われた、武右衛門の息子で、母と兄と妹と
5人家族で、兄は、小心者で、父とは違い盗みもするし、ずるい
性格なのだそうだ。
父が倒れてから、兄の吉治朗が千石船にのり、母は、農業妹のさとは、
吉治朗の乗っている千石船の船首の樋口源六の家に一日子守りの仕事を
していた。
そんな中、音吉は、樋口源六の娘の琴の婿になる事になった。
彼の正直で全ての事に於いて、丁寧で誠実である姿を見て、自分の娘
と結婚させようとおもったのである。
久吉にしても音吉にしても、一介の漁師で、地位は低くかった。
久吉には、父と母、いとこの長吉と妹の品がいた。
岩吉も舵取りの仕事をしていたが、岩吉は大人で、妻に絹がいて、
このお絹は、母とお絹で暮らしていたが貧乏で、母に無理やり、身売り
の仕事をさせられていた。
その仕事の中、岩吉と絹は出会い、結婚したのであるが、お絹に乱暴
をふるう、お絹の母に対して怒り、頭をなぐった翌日に絹の母は亡くなった
岩吉のせいでなくなったのかは、はっきりとしない。
岩吉は、正義感が強く、手先も器用で頭がよい人だと思われる。
彼は、お絹との生活の為一度船乗りをやめた。
それは、船乗りをしている間、自分の家に長屋の銀次という若者が、留守
中で入りしていたから、その時の彼の仕事は瓦職人であったが、彼は、大工で
も左官でも器用にこなしたのだそうだ。
後にこの器用さが、彼らを救う事になった。
なぜ、岩吉が、船に乗る事になったのかと言うならば、昔親切にしてくれた、
同じ舵取りの万蔵が倒れたからその代わりを頼まれて、船に乗る事になった。
もし、万蔵が倒れなかったら、遭難する事はなかったのだろうに・・・。
そんな3人が、千石船で、東の江戸に来る途中に遭難したのであるが、この
話は、全て実話である。
1832年天保3年~1837年まで約5年間の長い世界を回る旅の中で、彼らは、
遭難し、多くの仲間の死と自分の死を覚悟しつつ、神の恵みで、アメリカ
のフラッタリー岬に着き、その地元のインディアンに奴隷として扱われた。
当時奴隷たちは、物と同じで、祝いの席で、自分がどれだけ金持ちかを示す
為に奴隷の首をはねるような事もあった。
彼ら3人は、知らなかったが、常に命の危険があった。
そんな中岩吉が救援の手紙を書くが、その手紙が、ハドソン湾会社のマクフラリン
博士に渡り、そして、彼が、正確には、主・イエス様がこの3人を救ってくださった。
ハワイ、ロンドン、マカオで、さまざまな人と出会い、ロンドンで英語を覚え、
マカオで、語学の天才であり宣教師のギュツラフと出会い、ヨハネの福音書を
完成させた功績もあり、日本へ船が彼らが行ってくれたが、当時の日本は鎖国で
ロシアやヨーロッパの船が無頼な行為をしたせいもあり、異国の船が来たら、
理由も聞かずに打ち払って良い事になっていたので、マカオで日本人4人と
計7人で日本に帰ろうとしたが失敗に終わる。
ここでこの物語は終わっているが、3人は、そののち、岩吉、久吉は、ギュツラフ
と一緒にイギリス貿易監督庁に通訳で務め、音吉は、昔、樋口家で立派な船頭に
なると言われたように、モリソン号の船頭になり、上海でイギリスのデント商会
の高級社員となり、結婚し、日本人の漂流者を助け、日本の日英和親条約の時に
通訳として、音吉は活躍する。
この物語は500ページ位あるので、私は、伝道に役立つであろう箇所を抜粋して
紹介しました。

全世界の創造主である主・イエス様は、この箇所を通し、聖書のヨナ書や、使徒の
手紙で、パウロが遭難したシーンがあるが、神に従い、善をおこなう人達は、どの
ような嵐に会おうとも、神の使命を果たすまでは、聖書で語られているように、
その髪の毛一本落ちる事はないのだから、私たちは、何を着ようか何を食べよう
か、俗世間の事ではなく、神の義と神の国をもとめ、古い肉欲の体をすて、聖霊
よる御霊による清い生き方をするならば、生きる事ができ、そして後の世で
天国へ入れるという事をこの実話を通して教えてくださった。
そして、日本人が、イギリス、アメリカの人達や宣教師の多くの助けがあり、今日
の日本の教会と主・イエス様の十字架による救いがなされた事を忘れてはならない。

主・イエスの十字架と復活を信じるならば、あなたも今日から救われる事ができます。死後が始まりになるのです。