今世の景気もとてもお寒い状況です。
リーマンの破綻、原油の高騰によって、運輸業、漁業は、赤字覚悟の経営をしているよう
です。
そんな中、福田首相の辞任そして、新総理として、麻生さんが、首相になりました。
しっかりと、この国をささえてほしい。
さて今日は、主・イエス様にいのり、隣人を愛するということ自分を知るということにつ
いて、書こうとおもいます。
主・イエス様は、
マルコ:12、31 で、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよと」
おっしゃり、別のシーンでは、良きサマリア人のたとえを通し、私達が隣人を愛するよう
になれるよう、他人に親切にすることおこなうことを主・イエス様は、教えられました。
しかし、私は、おもうのですが、大概の方は、小さなこどもや、かわいい子犬などを見る
と頭ではなく、心でその対象を愛せますが、自分にとって年上の方や同僚を、同じように
愛せているのか、疑問です。
愛とは、心を開き、そして、交わっていくうちに、仲良くなり、いつのまにか、その人を
好きになっていくものではないかとおもいます。
今回私が主に祈り書こうとしていることは、自分を愛するということです。
人を愛することは、大事ですが、その前に自分を知り、人を愛する為に自分を愛すること
は、大事です。
宮沢 賢治 が、書いた小説に銀河鉄道というものがたりがあります。
貧しい主人公ジョバンニと、普通の家庭のカムパネルラは親しいと友達で、この物語は、
ふたりが、夢または仮死状態の中で、天国へ向う列車にのり、星星を旅していくもがた
です。
最後、ジョバンニは、夢から覚め、カムパネルラは、友達を助けようとし、溺れ死ぬので
すが、そのときのワンシーンにこういう記事をみつけました。
「おまえの友達がどこかへいったのだろうカムパネルラは本当にとおくにいったんだ。」
カムパネルラと一緒に生きたいとジョバンニはいうと青白いやせた大人は、こういいま
す。「ああ、そうだ、けれども一緒にいけない。そしてみんなが、カムパネルラだ。
おまえが会うどんなひとでもみんな何べんもお前といっしょにりんごをたべたり、
汽車にのったりしたのだ。
だからやっぱりおまえは、さっき考えたようにあらゆるひとの一番の幸福を探し、
みんなと一緒にそこに行くがいいそこで、おまえは、本当にカムパネルラと
いつまでも一緒に行けるのだと。」
作者は、きっと死んだカムパネルラの後に天国へいくには、いつもカムパネルラと
隣人を自分のように愛することこそか゛死んだカムパネルラと目には見えずともともに
いることだといいたかったのではとおもいます。
あらゆるひとと仲良くし、あらゆるひとの一番の幸福をさがすことのなかに、本当の自分
がいる、もしかしたら、カムパネルラ自身主人公と気があったようですが、その中に、自
分をいつのまにか、見出していたのかもしれない。
自分を知るということは、自分の好きな人意外の人にも同じように、接して、その人の
一番幸せを願いいのるときに、本当のキリストによる体をきせてもらい、自分をしれるの
のではないかとおもいます。
幸せを願うから神が与えた恵みのとまことを掟を守り、そして、愛は、上下の関係子供、
大人、牧師、それぞれがその人らしく生きるときに自分をしれます。
思いやりを持ち、人が主・イエス様の恵みをうけ、その人らしく生きることが、そのよう
な気配りを持つときに、主・イエス様の十字架が私達を照らし、そこにあるすべてのもの
が、自分であり、銀河鉄道のカムパネルラと供にいること=隣人として友としていること
になるのです。
マルコ:12、31 で、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
リーマンの破綻、原油の高騰によって、運輸業、漁業は、赤字覚悟の経営をしているよう
です。
そんな中、福田首相の辞任そして、新総理として、麻生さんが、首相になりました。
しっかりと、この国をささえてほしい。
さて今日は、主・イエス様にいのり、隣人を愛するということ自分を知るということにつ
いて、書こうとおもいます。
主・イエス様は、
マルコ:12、31 で、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよと」
おっしゃり、別のシーンでは、良きサマリア人のたとえを通し、私達が隣人を愛するよう
になれるよう、他人に親切にすることおこなうことを主・イエス様は、教えられました。
しかし、私は、おもうのですが、大概の方は、小さなこどもや、かわいい子犬などを見る
と頭ではなく、心でその対象を愛せますが、自分にとって年上の方や同僚を、同じように
愛せているのか、疑問です。
愛とは、心を開き、そして、交わっていくうちに、仲良くなり、いつのまにか、その人を
好きになっていくものではないかとおもいます。
今回私が主に祈り書こうとしていることは、自分を愛するということです。
人を愛することは、大事ですが、その前に自分を知り、人を愛する為に自分を愛すること
は、大事です。
宮沢 賢治 が、書いた小説に銀河鉄道というものがたりがあります。
貧しい主人公ジョバンニと、普通の家庭のカムパネルラは親しいと友達で、この物語は、
ふたりが、夢または仮死状態の中で、天国へ向う列車にのり、星星を旅していくもがた
です。
最後、ジョバンニは、夢から覚め、カムパネルラは、友達を助けようとし、溺れ死ぬので
すが、そのときのワンシーンにこういう記事をみつけました。
「おまえの友達がどこかへいったのだろうカムパネルラは本当にとおくにいったんだ。」
カムパネルラと一緒に生きたいとジョバンニはいうと青白いやせた大人は、こういいま
す。「ああ、そうだ、けれども一緒にいけない。そしてみんなが、カムパネルラだ。
おまえが会うどんなひとでもみんな何べんもお前といっしょにりんごをたべたり、
汽車にのったりしたのだ。
だからやっぱりおまえは、さっき考えたようにあらゆるひとの一番の幸福を探し、
みんなと一緒にそこに行くがいいそこで、おまえは、本当にカムパネルラと
いつまでも一緒に行けるのだと。」
作者は、きっと死んだカムパネルラの後に天国へいくには、いつもカムパネルラと
隣人を自分のように愛することこそか゛死んだカムパネルラと目には見えずともともに
いることだといいたかったのではとおもいます。
あらゆるひとと仲良くし、あらゆるひとの一番の幸福をさがすことのなかに、本当の自分
がいる、もしかしたら、カムパネルラ自身主人公と気があったようですが、その中に、自
分をいつのまにか、見出していたのかもしれない。
自分を知るということは、自分の好きな人意外の人にも同じように、接して、その人の
一番幸せを願いいのるときに、本当のキリストによる体をきせてもらい、自分をしれるの
のではないかとおもいます。
幸せを願うから神が与えた恵みのとまことを掟を守り、そして、愛は、上下の関係子供、
大人、牧師、それぞれがその人らしく生きるときに自分をしれます。
思いやりを持ち、人が主・イエス様の恵みをうけ、その人らしく生きることが、そのよう
な気配りを持つときに、主・イエス様の十字架が私達を照らし、そこにあるすべてのもの
が、自分であり、銀河鉄道のカムパネルラと供にいること=隣人として友としていること
になるのです。
マルコ:12、31 で、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」