私は、若いころ、海外旅行で、ハワイにいったことがある。
今は、3月ですが、向こうはとてもあたたかく、ちょっと湿っぽかったかもしれない。
ホテルにとまりましたが、なかなかいいホテルで、ちょうど海岸が一望できるばしょにあった。
2泊3日間ずっと海岸をみてきたわけですが、海をみると、私は、母なる大地の荘厳さと、それを創った
創造主である、主・イエス様の大きさを感じた。
さて、今日は、主・イエス様にいのり、夏目漱石さんが書いた心という物語について、主・イエス様にいのり、
書こうとおもいます。
この物語は、主人公が、尊敬し慕う先生という人物と、Kという先生の親友でありまた真宗のお坊さんの息子
そして、主人公の家族の生と死を描写した物語であります。
学生である主人公が、始めて、先生としりあったのは、彼が、東京の学生で、夏休みだったときに、偶然先生の避暑地
である鎌倉の由比ヶ浜の海岸で、西洋人の知り合いと、海水浴をしていた先生とであいます。
海水浴場には、人がたくさんおり、蝉もまだ元気に鳴いていたころでしょう。
そのとき、初めて、彼は、先生と出会いました。
なぜ先生と呼べる知識があるかどうかもわからないのに彼が先生を知識人とおもったのは、おそらく、西洋の人と話ていたから
ではないかとおもいます。
それから、彼は、先生と知り合いとなり、初めは二人とも寡黙でありましたが、ちょっとしたきっかけから先生と懇意になる。
先生は、元来寡黙な方で、非社交的な方であったけれども、なぜか主人公にない心のひろさやまた、魅力をかんじたのでしょう。
かれは、避暑地をはなれてからも東京の先生のもとへ足しげくかようようになる。
初め先生は、懇意になったとはいえ、素っ気ないあいさつや冷淡そうな動作をふるまっていたようです。
なぜならば、彼は、人に愛されること好かれたあとに、去られることを非常に恐れていました。
妻でさえも信頼していなかっだけでなくも自分自身を誰よりも信頼していなかったからです。
しかし、この人は、本当は、人を誰よりも愛しており、また思慮に優れ、精悍な人であった面影を感じたからこそ、
また、主人公が話しをするうちに先生の話は、学校の先生の話よりも価値あるものだと思ったからこそ、主人公は、
足しげく先生のもとに足をはこぶようになったのかもしれない。
主人公が始めて、先生の家に遊びにいくころには、もう銀杏が金色の落ち葉をつける季節になっていた。
先生の家につくと奥さんがでてこられ、先生は雑司が谷の墓地へいったという。
彼が後を追い、先生とあうとどうしてどうして・・。
と二回繰り返す、今思えば、このときの出会いが、先生が妻にさえも自分の心のうちを明かさなかったのに、
遺書として、自分の人生をこの青年に話そうとおもったきっかけかもしれない。
なぜならば、雑司が谷の墓は、先生の親友であるk の墓でした。
先生は、もしかしたら、この実直な青年の中にk の姿をみていたのかもしれない。
彼ら先生夫妻と、主人公は、だんだんなかよくなっていく。
しかし、それとは裏腹に先生はいつも自分をさびしい人間だという。
けれども、主人公も奥さんもそうは思ってはいないようだ。
金もそこそこあり、綺麗な奥さんを持ち何不自由ない身でありながら、なぜにさびしいというのか。
あるとき、先生のうちで、彼は、酒を飲もうと言われた。
機嫌がよかったのでしょう。
奥さんにも酒が好きではないけれども勧める。
そのとき、妻子が子供の話をする。
私も読んでいて疑問におもったのは、先生は、一人貰ってやろか。
といったことです。
妻は当然もらい子ではというと先生はこういう子供は何時までたってもできやしないよと・・。
なぜと彼が聞くと一言天罰だからさと高くわらったとあります。
彼と先生の会話には、よく罪の話がでてきます。
恋の話や財産の話、またそんな時必ず先生の語気はつよまります。
何かを訴えかけるかのように・・・。
しばらくし、主人公の父の病気がひどくなり、主人公は実家に帰る。
父の死ぬ前に天皇がなくなり、乃木大将日露戦争で活躍し聖将とよばれた方もなくなると、
同時に父の病も悪くなる。
それと同時に先生からの遺書=手紙がとどく。
その遺書が書かれたのは、皮肉にも初めて先生と会った。
夏でありました。
主人公は、蝉のつくつく法師のなく声に哀愁をかんじこの虫の煮えつくような蝉の声の中に凝とすわっていると、
変に悲しい気持ちになり私の取り巻く人の運命が輪廻のうちにそろそろ動くのをかんじたそうです。
最後彼は先生が、なぜ雑司が谷の墓のKのもとに一ヶ月に一回頻繁にかようのか知る。
先生は、人であることをしります。
先生は、幼い頃の両親をなくし、親戚に引き取られる。
彼は、その親戚を尊敬して信頼していた。
しかし、その親戚が彼をかわいがるのには、訳があった。
それは、先生と自分の娘と結婚させ、その財産を自分のわがものにしようという。
卑劣な考えがあっての偽善者としての愛でありました。
そのとき、先生は人を初めて信頼しなくなり、それは、主人公とであっていた頃のでその怨恨はのこって
いたそうです。
しかし、先生には、まだ人として、どうあるべきかという誇りと、愛をもっていた。
先生は、財産を親戚にたくさん取られはしましたが、まだたくさんの金をもっていたので、家でも買うつもりで゛
いた。
そして、運命的な出会いをする。
その人は、軍人の妻であり未亡人であり、素人下宿をしている人でした。
その人には、後に結婚する妻である娘がいました。
彼らの関係はとても親密になり、しだいにその娘にひかれていく。
そのとき、この間にkがやってきた。
kは、先生の親友で、お互いに将来を語り合う仲でした。
kをなぜ一緒に住ませたのかというと、彼は養家を裏切りそれでも自分の将来えらくいきる
道を模索しておりました。
彼は偉くなるために養父の医者になる話を断ったときに主人公もその意見に同意しており、何かあったら自分も彼の面倒をみる気でい
ました。
なぜkを呼んだのかというならば、彼が自分の好いているお嬢さんを彼にならば、奪われたり、争うこと
はないと思っていたからです。
しかし、kは同じ人をお嬢さんを愛してしまった。
そしてkを先生は、裏切ってしまう。
kに自分もお嬢さんのことを好きと話さず、戦略的に相手の話しを聞き、彼の高尚な心をたくみに利用し、
彼が悩んでいるところに、こういいます。
「精神的に向上しないものは、馬鹿だ。」
そして、彼を欺き、自分は、未亡人のお上へ娘をくれといいました。
kにとってみれば、数少ない親友であり、唯一養父に反対されたときにも、宿を与えてくれ、常に未来をかたりあい、
時に、房州を旅し、海水浴をした唯一の友に裏切られたかれは、自殺しました。
そしてkは先生のことをひとつとして責めることもなく死んでいきました。
kは、高尚ないきかた、昔の人のように苦行をして、生きること精進することを第一としていた。
真面目で意思の強い人でした。
しかし残念なことにまだ若かったせいもあり、真の強さというものをしらなかった。
精進とは、愛を失い、希望や理念が打ち砕かれたときにこそ、もっともひつようであり、それも、また修養である
ということに気づかず、彼は、自分が神からうけたからだを捨ててしまった。
kが死んでからの先生はいつも罪に苦しみ、妻子と幸せになることも選べずに死んだのでずが、
聖書で主・イエス様は、悔い改めなさいといいます。
私が感動したのはkの親友への心です。
皮肉にも初めて人をだましてしまったことで、その友を失い、そしてその友のために罪
苦しんだ先生。
しかし、先生が、もし、卑劣で、卑怯なかたで、心の醜いひとでしたならば、
彼は、妻子と楽しく子供を生み、笑っていきたことだとおもいます。
良心があるからこそ、人は正しくあるからこそ罪を知るのかもしれません。
最後、遺書を書いたとき先生は青年にこうかきました。
私はいま自分で自分の心臓をやぶって その血をあなたの顔に浴びせかけむようとしているのです。
私の鼓動が停まった時、あなたの胸にあなたの胸に新しい命が宿ることができるならば、満足です。
もし、この先生が主・イエス様を信じ、主の十字架を仰ぎみていたとしたならば、彼は、あなたは、私と供
にパラダイスにいるといわれたことでしょう。
イ53、11 彼は、自分の命の激しい苦しみのあとを見て、満足する。
私の正しい僕は、その知識によって多くの人を義とし、彼らのとがをになう。
とあるから。
先生の青年である主人公へのおもいもこれと同じ気持ちであったのでしょう。
主の十字架は、私たちを正しく天国へといざないます。