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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

SNS

2013-03-12 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカ社会に詳しい人の話である。最近アメリカでも、FBなどで
発信する「今日食べたご飯」の情報に、疑問の声が出始めている
とのこと。そういう私も、なんどか載せている。そして「!」が付け
ば喜び、つかねば落ち込む、を繰り返している。これは虚しい!?

子供の頃、私は父の仕事の関係で、小学校を4回、中学校を2回
転校した。辞令が降りて1週間以内の転勤が義務づけられていた
ため、それこそ青天の霹靂だった。バタバタと友に別れを言って、
翌週は見も知らぬ町で、初対面の環境に放り込まれるのである。

学校の行き帰り、集団登校の列に混じって一人流れに身を任す。
雨の日など、開いた傘の先にぶら下がる、傘を巻く紐の先端の輪
が唯一の友達だった。零戦の操縦席に坐った気持ちで、丸の中に
敵機の照準を合わしバリバリと撃ち落とす。そんな妄想に浸った。

でも人の群れに混じっていれば、なにかしら温かみがあった気が
する。それは転校生を見る、興味本位の視線であったかも知れな
い。はたまた小奇麗な半ズボンと、ハイソックスにスニーカーという
鄙には稀なる姿への羨望、あるいは非難の眼差しであったかも。

しかし、そんな人の中の孤独感とSNSの中のそれは、似て非なる
ものである。それはなにかと今考えている。政治に係わる方々の
情報発信には、なにかその裏に胡散臭いものが感じられ、美人の
写真がついた基本データなしの友達依頼には、きな臭さが伴なう。

友達の友達は皆友達と思って発信すると、「勝手に送るな!」と
クレームがつく。では、なんのためのSNSなのかと憤ってしまう。
知りあいから、「SNSに疲れましたか?」とのMSGを拝領した。
だが疲労感の伴わない疲れは、やはり精神衛生上よろしくない。

その点、人が集うことは面白い。目を合わせて相手の気持ちを
忖度し、気持ちを整理して口に出してみる。精一杯気持ちを込め
れば、結果はどうあれ最後は心身共に疲労を感じる。相手が愛
する人であれば、この上もない。それが生きるということであろう。

蛇足ながら、昨年作った「生きる」は、そんな想いを綴った。

人は どうして生きるのだろう
夢のかなたの 万を超える
ともし火の 華やかさか
それとも 光りかがやく幻か
誰もが時を超えて
胸に 擁き 語りつぎ
生きて 生かされ 永久の世へ
その力こそ
The Something Great for ever

人生すべからく幻ならば、志を見失うことなく、人の群れの
中にいて人に群れず、己の思いを伝えるべき人に伝え、道端
に咲く野菊の如く力強い一輪の花を冠してみたい。その為に
なにをすべきか、そんな事を想いつつ一杯やりたい。孤独も
また、楽しからずや。無論、
好きな相手であれば、この上も
ないことは確かである。

三神工房
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李花白桃花紅(りかはしろくとうかはくれない) その2

2013-03-10 | 日記・エッセイ・コラム

3月9日(土)終日所用で出ていたため、日曜出勤となり、
昼までにひととおり仕事を終え、そろそろお昼にするかと
思いつつ、いつものようにFacebook、Twitter、Blogと、
順次徘徊。そしてBlogのコントロールパネルまでいって驚いた。

昨日9日の午前9時から数人のヒットが続き、お昼頃から
2桁が続き、その後も1時間に数人のヒットが続いている。
現在総数230人を超え、今も続いている。なにが起こった?
すべてのヒットが「李花白桃花紅」である。いったいなに!?

まさか一人の方ではあるまい。そこそこ相手のURLが異
なっている。検索の言葉も「李花白桃花紅」であったり、
「りかはしろくとうかはくれない」であったりする。誠におか
しなこともあるものである。あまり気味の良いものではない。

明日は東北の震災から2年になる。あの日私は、ちょうど
会社の研修会があり、長崎湾口のリゾートホテルにいた。
午後の会議が休憩に入り、3時過ぎにロビーへ出た。そこ
でTVがニュースを報じていた。長崎にも津波警報が出た。

脳裏に1995年の阪神大震災の記憶が過った。あの日は
自宅にいて、布団の中にいたのだが、正に荒天の中で揺
れる新造船の試運転を思い出していた。?と思うまもなく、
上から落ちてきた時計が額に当り、その痛さで目が覚めた。

だが、目の前でTVが報じる東北の様子は、想像を絶する
ものであった。長崎港に響く警報のサイレンが、その異常
さをかき立てていた覚えがある。あれから2年、今朝のTV
番組を見て、尋常でない天災の怖さが今更のようである。

突然ではあるが、これから徐々に、SNSでの繋がりを控え
ていこうと思う。「終活」というにはまだ間があるとは思うが、
なにかを始めると、それはなにかを失うことに繋がる。故に、
なにかを止めてなにを得るのか、見てみたい気がしている。

人間は火を使い文明を起こし、電気を見つけて工業を起こ
してきた。そして原発を作り、取り返しのつかないことをやり
はじめている。まさに「パンドラの箱」を開けて、同時に神が
与えた「希望」を、今まさに壊そうとしているような気がする。

SNSを止め、携帯を捨て、さあどうなるのか楽しみではある。
せめて生きている間に自分が李花なのか桃花なのか、はた
また異なる花なのかを、見極めてみたい。ただ、願わくは、
最後まで幾つかの花に混じって、生きていたいものである。

三神工房


雛まつり

2013-03-03 | 日記・エッセイ・コラム

今日誕生日を迎える知りあいがいる。今朝、なにわともあれ相手
の迷惑も顧みず、一句を贈った。

「春いちばん 薫るは野辺の 下萌えか」

好きな人と契りを結び、暑い盛りに子宝の幸を知り、それから長
い長い冬を越えて、雛祭りの日に赤子と出会う。その時のご両親
の喜びはいくばくか、想像しただけでも自らの頬が緩むのである。

11億の信徒を束ねる法王がその座を降り、1200年を超えようか
という真言密教のトップ同士の騒動が表へ出る。いずれも背景に
は現世の歪が見て取れる。いったい宗教家とは、なんなのか。

まあ、己の蠅さえ追えない者が心配をしても、いたしかたない。
まずは春を愛で、明日からの現実に備えようか。

三神工房


「永遠の0」

2013-02-24 | 日記・エッセイ・コラム

講談社文庫「永遠の0」、百田尚樹氏著を読んだ。百田氏の
本は、「錨を揚げろ」「海賊と呼ばれた男」に続き3作目である。
いずれも秀作ながら、さらに「永遠の0」は逸品である。

たまたま日曜日のFM放送で、百田氏と最近人気の小説家
三上延氏(「ビブリア古書堂の事件手帳」の著者)の二人が
対談しているのを聞いた故である。(たしかNHKの昼番組)

1941年12月8日に始まる真珠湾攻撃の時点で、日本軍には
すでに神風特攻隊を生みだす素地があったとする。世界最大
の伊号潜水艦で運ばれた、5隻の特殊潜航艇のことをいう。

二人乗りの特殊艇は、4隻が撃沈され1隻が座礁。戦果は、
1隻の放った魚雷で戦艦を撃沈とされたが、実は誤報だった。
9名の若者が死して軍神となり、残り1名は戦犯第1号である。

捕虜となった酒巻少尉は、終戦後帰国し9名の墓参を果たす。
捕虜の時代から戦後を通じて、それは過酷なものであったが、
生きてトヨタブラジルの社長まで勤める人生をドキュメンタリーで見た。

「0」では、10代の若者がただ生きるために兵隊に志願し、命
を散らす場面。高等教育を受けた学生もまた、学徒動員で徴
兵され、上官の命令に従い、若い命を落としていく場面が続く。

だが、若者に死ねといいながら命長らえた上官や、負け戦と
知りつつ(無知ならもっと悪い)無駄な作戦を立て、その結果を
ねつ造し、それでも出世を目論んだ輩達を知ると、血が滾る。

そして、その血脈は今もこの日本に脈々と流れている。失われ
た20年も、某党による直近の過去3年も、例外ではない。故に
歴史を読み、盲目に新聞を見ず、情報を精査せねばならない。

だがその血脈は、誠に情けないが、どこか己のDNAの中にも
存在するのかも知れない。故に、「流れに棹さす」の本意とは
異なり、真の棹を流れに差し、時流に逆らうことも時と場合か。

小説とは、いまだなにものかは知らないが、「永遠の0」とは、
読むべき物語であろう。事実は小説より奇なりであり、されど、
小説はまた、事実をして真実を描く、有効な手段なのであろう。

三神工房


「わたくししょうせつ」

2013-02-15 | 日記・エッセイ・コラム

Pubooの電子書籍、2月8日に「天使の梯子」、2月11日に
「アゴのいる海」をアップしたところ、今日の夕方現在にて、
それぞれ閲覧129/60人、DL2/20件と、反応を頂いている。

もちろん数字ではなにも分からないが、大きな励みになる。
良いも悪いも、見て読んで頂かねば、ただの紙切れにしか
ならない。書いた以上は読んで頂いてなんぼの世界だろう。

中には(多分に旧知の間柄ながら)過分な反応を頂き、多少
困惑気味ではある。「わたくししょうせつ」かと聞かれ、どうも
答えようがない。ドキュメンタリーでない以上、小説は小説である。

事実として30歳の時、中途採用で入った会社で、ご多分に
漏れず人間関係に疲れ、家には「行ってきます!」と、声を
掛けたものの、そのまま出勤せずに街を徘徊したことがある。

この点は、転校した学校から逃げ出した弘明そのものだが、
すでに大人で子持ちであった以上、始末が悪い。行き場所
を無くして本屋で立ち読み。そこで見たのが「オール読物」。

時期は今と同じく2月の寒い時だった。平積みされた雑誌を
ペラペラと捲っていたら「あなたも小説を書きませんか!」と
いう文字が目に飛び込んできた。「!」と私はなぜか思った。

それから4月末の原稿締め切りまで、金・土と、毎週の徹夜。
そして書きあげたのが「面舵一杯」だった。その年の10月、
本誌の中間発表。震える手で開くと、題名と名前があった!

残念ながら1次のみで敗退したが、2000人近い応募の中で
約125人に残ったのである。(今もコピーを額縁に入れてある)
これで、俄然「生きる力」が沸いた。必死で仕事に専念した。

仕事で上司からなにを言われようと、(いつかこの事務所に
新聞記者が大挙して現れ「直木賞のご感想は!!!」となる!)
と思えばなんのその。「信じる者こそ救われる」なのである。

そして、なんとか50歳の早期退職まで働いた。最も事務所
に記者が現れることは、ついぞなかった。今もそれは変わら
ない。ただ「コスモス文学新人賞」を頂いたのは55歳だった。

こんな人間だから、小説と現実の世界を、夢うつつで生きて
いる。そういう意味では、弘明は私であり、また私ではない。
しかし今「面舵一杯」をPuboo第9作として、手を入れている。

青春を終えた弘明が、ふるさとの造船所へ錦を飾り、事実は
「小説より奇なり」の人生を送っていく。この先、弘明の人生が
還暦を迎えるころ、私の青春も終りを迎えるのかも知れない。

三神工房

(追伸)
ものを書いていて、ひとつ良いことは、過ぎ去った時がセピア
色になっても、物語の中の自分は青年のままであり、それが
決して真実でないにしろ、きっと生きる糧には成り得るようだ。