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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

初夏・長崎

2013-07-08 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに都合5日ほど長崎にいる。いや学生時代を除けば、
きっと初めてであろう。仕事と社の人間の結婚式の為、週末を
通じて長崎にいる。

街は7月に入り、あちこちでおくんちの山車を引く風景があった。
話には聞いていたが、どうやら春先に聞く、鳴きなれぬ鶯の声
よろしく、法被姿の男たちが、まだ引きなれぬ姿で、まわりを気
にしながら歩く様子は、生きた街の姿として新鮮であった。

6日の土曜日は、朝から出島のバス乗り場で香焼行きのバスへ
乗り、途中深堀で降りた。車上約30分程なのだが、そこは見慣
れたバス停で降り、スマホの地図を頼りに町へ向かった。

だが町中へ向かう道の要領を得ず、道路と住宅街の間を流れ
る側溝の付近をうろうろした。それはそうであろう。幅広の29号
線は元の海岸線を突っ走っており、その結果深堀の街は陸に
埋もれた格好で、町の動線と主要道路は隔離されているのだ。

なんとか公園の脇から町中へ入ることができた。見上げる空に、
どこか懐かしい気のする、城山の優美な姿が浮かんでいた。
梅雨の終りの鬱陶しい湿気も、その山の姿の晴れ晴れとした
様子と、空いっぱいに広がる青さの色に、見事に相殺された。

目ざす武家屋敷は、あっという間に現れた。人気の少ないお昼
時の町中は静かだった。立ち止まって写真を何枚か撮り、真新
しい観光案内版を頼りに、道を山手へ取った。歩く間もなく深堀
神社の鳥居が現れ、奥に急な傾斜の苔むした階段があった。
横の社務所に数人の老人がいて、言葉なく畳敷きの部屋の机
に向かって手作業をしておられた。なにか神社の御札を作って
おられるように見えた。暑い最中、ゆっくりと時間が流れていた。

心穏やかに神社をお参りして、道を西へ。そこで貝塚記念館へ
寄った。無人の事務所の窓口へ記名して、汗を拭きながら展示
物を拝見した。貝塚があるということは、古代から人が住む証拠
であり、そこへ千葉から越してきた深堀一族への思い、いやまだ
興味程度ではあるが、なにか近しいものを感じた。これが実地
見学の最大の利点、いや妙味というべきであろう。

目指すは曹洞宗菩提寺、金谷山である。それは見事な山門と
御本堂であった。ちょうど法事がなされてるようで、私はそっと
本堂前の広場から参拝ルートを辿った。本堂の直ぐ横、夏草の
茂った一角に、深堀義士の墓があった。まずは正面から手を合
わし、お一人一人の名を読み、享年を調べ、全てを書き写した。
額から汗が流れ、カメラで撮ることも可能であったが、その場の
状況をして思いとどまるのが妥当と考え、おおよそ20分程いた。

最後に更に奥の一段上がった一角にある、歴代藩主の墓所を
お参りして、菩提寺をあとにした。いつか書きたい、その一念を
新たにして道を下った。自分の先祖と同じ曹洞宗、それ自体は
あまり意味がないのだが、意味があるとすれば、それを知った
ということであろうか。そして、何かが心に灯ったということなの
であろう。帰り道、城山から吹き下ろす夏風が心地よかった。

(つづく)


「長崎アジサイ物語」

2013-06-04 | 日記・エッセイ・コラム

昨年6月に発表した「長崎アジサイ物語」、Youtubeにアップ!
眼鏡橋界隈は今、花は盛りとアジサイに包まれています。

https://www.youtube.com/watch?v=rKIjiMk2Dyw

これからも長崎の詩、続けていきます。

三神工房<o:p></o:p>

 


「ダイヤモンド」

2013-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

ある村の山の上に、古い禅宗のお寺があった、と思って下さい。
1200年ほど続いたお寺も、檀家が減り、和尚が亡くなり、あとを
継ぐ者がいません。困った村長は、都会で定年を迎えた村出身
の人の中から、まあ良さそうな人に臨時和尚をお願いしました。

和尚の名を、銅元居士といいます。名の由来はともかく、毎週末
になると彼は、自宅のある街から車で約1時間掛けて村にきます。
彼はお寺に入ると、まず雨戸を開け放ち、空気を入れ替えます。
すると、お寺のある山の南側を流れる川から、そよ風が届きます。

天気の良い日など、縁側で寝そべって、日がな一日ブラブラと。
村から日当が出ますので、夕暮れになれば持参した食材で料理
をして、好きな常温のお酒でいっぱいやります。もう七十を幾つか
超えてはいますが、足腰もしっかりしています。頭脳も、まあまあ。

今週も誰も来なかった、と思ったその時、山へ至る階段を登って
くる人がいました。誰かな?と思う間もなく、それは村には珍しい
若者でした。こんな時和尚は、生来自らの人好きのせいか、ちょ
っとワクワクします。それが和尚と三休の初めての出会いでした。

その若者の本名はともかく、”三休”と呼んだのは銅元居士です。
それは後のこと。二人の最初の会話は、次のようなものでした。

「いらっしゃい。なにか、ご用かな?」

「私は人が嫌いです。みんな時間に追われて、イライラして、なに
が楽しくて生きているのか、まったく腹が立ちます。」

「そうだね、この世の中には、ずいぶん色々な人がいるから‥」

「これはみな教育の所為だと思いませんか。ある哲学者は、教育
こそ人間を縛り、本来の姿を失わせるものだともいいます。」

「たしかに。生まれたままの心でいられたら、いいだろうね。」

「学校も先生も、みんなやめてしまったらいいのです。」

和尚は、はたと困りました。相手の様子から、無下に意見を殺し
てもせんなきことです。でも和尚は、彼の本心は、きっと別のとこ
ろにあると思ったのです。そこで和尚は話を変えてみました。

「君はダイヤモンドを知っているかい?」

「ダイヤモンド‥、はい知っています」

「ではダイヤモンドの原石と、きれいな宝石と、どっちが好き?」

彼は話が変わったことにも頓着せず素直に話に乗ってきました。

「私は、ダイヤモンドの原石の方が好きです。」

若者は両手を体の前で合わせ、指を擦り合わせながら、それでも
緊張した面持ちで、真面目に答えていました。

「なぜ原石が好きなんだい?」

「だって宝石は、人の心を惑わし、奪いあったりするのでしょ。」

和尚は縁側に座ると、ゆっくりと腕組をして、首を傾けました。

「たしかに原石はただの石だが、決してただではない。それが原
石だと分かれば、人はよってたかって山を崩す。そして何千トン
の中からたった1キロしか取れない。へたをすれば殺し合いが起
きるかも知れない。だから原石でも、やはり宝石は宝石だよ。」

青年は立ったまま、和尚と同じように腕を組んだのです。そして
和尚の設問を必死で考えるのでした。

山の上から見える日も、ようやく西の空に傾き、巣に帰るのか、
そこに悠然と泳ぐ、渡り鳥の群れがあったのです。

(未完)