本からインターネットへ入り、驚いた。NHK「エコチャンネル」なるもの
がすでにある。いまだすべては見ていないが、掲示された動画
サイトを見て、再び驚かされた。世の中、もう進み始めている。
昨日だったか、大阪の民放の番組でも、京都府の方の片田舎
で起業(イタメシ屋をOpen)した二十代夫婦の特集をやっていた。
彼らの幼子が、家の塀越しに隣のお年寄りと会話する姿を見て、
(ああいつか見た風景・・・)だと感じた。それはどこにでもあった。
昭和30年代半ば、11月は寒かった。私が住んでいた町営住宅は、
小学校がすぐ前にあり、30数軒の平屋の周りは、田んぼばかり。
学校から帰ると(ガシャ・タダイマ・イッテキマス・ガシャ)が、一つの言葉の
如く、瞬間的に発すると、私はもう友の待つ道に跳びだしていた。
それから友達と数キロ離れた隣村へ歩いたり、そのまま畦道を
走り、川や畑や里山を闊歩したり、はたまた町内の布団屋の家
に押しかけ、どういう訳か綿まるけになったりして、遊んでいた。
町内の家の一軒一軒、顔見知りであり、年上であろうとお構い
なく尋ね、拳銃のデザイン画を見せたりした。(当時の流行り)
そして兄貴から木でカットしてくれる店を知り、なんとか家で小銭
をちょろまかし、洋画?で見た銃身の長い銃を作ってもらった。
近所に足の悪い老人いた。冬の日の天気の良い日は必ず縁側
に出ていることを知っていた。そして別に用がなくとも、とにかく
庭先から入り声を掛けると、必ず白く甘い饅頭を出してくれた。
色々話を聞かせてくれた。いなくなった日の辛さは今も忘れない。
今あの町営住宅は、田舎の地方都市と言えども都会化の波に
飲まれ、跡形もなく、どこにでもある町屋風景に埋もれている。
近在の里山は荒れ、町は老人ばかりになっている。だが、風は
地方から吹き始めている。水とは異なり下から上へ吹いている。
(つづく)
「犬も歩けば棒に当たる」:物事を行うものは、時に禍にあう。
また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。(広辞苑)
「本屋を歩けば良書にあたる」とでも言おうか、犬の諺の良い
方の例えであろう、自然の営みを思いながら歩いていたのか、
珍しく、偶然といこうか「里山資本主義」なる良書に出会った。
藻谷浩介著、副題:日本経済は「安心の原理」で動く、である。
お昼休み、出張の前には必ず駅前の本屋をまわる。近在には
SMの中の大きな本屋が1軒、昔ながらの商店街の中の本屋
が大小2軒。そして最近ビデオの占有面積がのしてきている、
ガード下の本屋が1軒、都合4軒を定期的に?まわっている。
概して大きい本屋がいいとは限らない。商店街の中の敷地が
せいぜい15坪程の店は、明らかに店主の志向が如実である。
新しい文庫本を選ぶには、どうも小さい本屋の方が良いという
のが率直な感想である。出張にはやはりA6判の方がベター。
今まだ読み始めて、25%程読み進んだところだか、昨今なか
なか「ワクワク」しながら読み進める本がない。どうしてもない
となると、結局藤沢文学に帰結する。一度読んだ本でも再び
ワクワクする秀逸な作品が多い。(「相棒」の再放送も然り)
子供の頃、母の実家の近くに「里山」があった。今頃行けば、
落葉樹が裸枝を空へ伸ばし、まるで痩せ細った人々の立姿を
想像させるのだが、その足元にまつわる色とりどりの落ち葉
が暖かそうで、子供心にほのぼのと冬到来を覚えたりした。
だが故郷の里山は、ある時無残に地上から姿を消し、跡地に
はなんの変哲もない住居となってしまった。叔父が亡くなる、
数年前のことだった。里山から流れ出る小川の水は豊富で、
四季折々に色を変え、山自体が生きているという証拠だった。
里山が消えた理由は、単に地主が土地を売った結果なので
あろうが、その背景には手間のかかる里山を維持出来なくな
ったという現実があるに違いない。人が減り、老人が増えると
いうことは、つまり日本の故郷から里山が消えるという事だ。
「里山資本主義」、明日から長崎へ向かう道すがら、じっくりと
読み込んでみようと思う。今、共にこの時代を生きる人の中に、
同じような思いの人がいる、と思うだけでも至福の時であり、
だからこの世知辛い世でも、きっと生きていける、と思うのだ。
三神工房
日本はこのまま、四季のない国になってしまうのであろうか。
昔11月ともなれば、稲刈りの終わった田んぼに藁を重ねた小さな
小屋風のものが並んでいた。あれは、なんと呼んでいたのだろう。
まるでアンデルセンの童話に出てくる、小人の家風の佇まいだった。
学校から帰る道すがら、数人の友とあぜ道を歩きながら、なにを
喋ったのか。確か低学年の1人が、道端に咲く花の名を聞いた。
野菊や、と言う私の不確かな答えに、大きく頷いた女の子がいた。
やんちゃな子がひとり、同級生をからかい、じゃれた2人は道を外
れて田んぼの中へ。もう真っ黒な土も固まり、稲の根株が2人の
足元を危うくするが、なんのその。目当ての重ねた稲に突進した。
上級生も、こらっ!と注意はするが、元はと言えば、彼らも遊んだ
藁の束。折れて首元に当たればチクチクするが、頭から束の中に
突っ込めば、夏の太陽に干された藁の臭いが心を癒してくれた。
子は皆、田んぼの中で走りまわり、なんども藁に突進し、やがて
疲れて畦道へ戻る。もう日が傾き、山の頂から降りてくる風が襟
元へ流れこみ、その冷たさに家が恋しくなる。そんな11月だった。
昔を懐かしんでみても帰る故郷の風景に、もう昔の面影はない。
あれほど大勢の子供で溢れかえっていた近在の村の路地に人
影はなく、町の目抜き通りも無機質なシャッターの壁が並んでいる。
都市は光に溢れ、24時間365日人は動く。毎日々幸せを求めて。
だが26歳の親が幼子を殺し、年老いた子が死んだ親を生きたよう
にごまかし、為政者は垂れ流しの放射能をコントロールしていると嘯く。
レジに並んだ初老の男が列に割り込み「俺が先だ」と、相手も見ず
に叫び、たがが数分を惜しむ。義務教育は国の責任とばかり給食
費を払わない親が、子の教育を人生の目標にして生きている。
これから人が減り工場は錆びれ、橋も道路もみな朽ち果てていく。
四季はなくなり、寒い冬と長い熱帯性の夏が交互で続くのだろう。
都市と都市は地下高速鉄道で結ばれ、車は自動で走り回るのだ。
その時この国はどうなっているのだろう。夢に描く。願わくば山は
緑に溢れ川に清水を供給し、海はすべからく美しく、そして豊富
な山海の恵みを得て再びこの国が豊饒な国に生まれ変わらん!
そして人は・・・・・。
三神工房
今年も来週はもう11月に入る。「光陰矢の如し」を痛切に感じる。
10月7日(月)、長崎で40年ぶりに「おくんち」を観た。40年前は、
前夜から徹夜で並び、諏訪神社の中の無料席である中道に坐り、
大学講師を待っていた。朝方の冷え込みに立ち上がって震えた。
やがて正面に聳える、風頭公園を頂きに擁く山の稜線が、薄明の
中に浮かび上がる。立ったまま見上げて、(夜が明ける)と思うと、
組んだ両腕の中の胸の奥が、ほっと暖かくなったのを覚えている。
街の遠くから、キンキンという市電の音が響き、お諏訪さんの前
の交差点を曲がりながら、天にも響けとばかりの金属音を放つ。
それはまるで、祭りの始まりを天に告げる、雄たけびの様だった。
今年は大波止のお旅所の踊場で見た。今年4月から長崎に駐在
している独人二人と共に、ござの傾斜に気を取られながら、山車
の登場を待っていた。踊場は、囃子の事前訓練で盛り上がった。
午前9時、しかし暑かった。幸い指定の桟敷は北向きだったが、
ときおり会場を吹き抜ける浜風も、夏場のような塩梅。それでも、
現れた傘鉾に会場は騒然となり、数知れぬ手拭いが桟敷に舞う。
傘鉾の動きは悠然としている。だが山車を操る面々は洗練された
動きで、200㌔を超える傘をも独りで回す。指手に指示されるまま
右へ左へ。会場から「ふとぉー まわれ~」と囃され、大きくまわる。
丸山町の本踊り。新人の検番(芸子)に見とれ、96歳長老の三味
線に聞き惚れる。太陽が登り、踊場は夏真っ盛り。そして船大工
の川船の登場。凛々しい船頭が放つ網打ちに、大漁の魚が掛る。
会場の解説者が、船頭の男の子の名を呼び、夏の初めは魚が掛
らず、ベソをかいていたと暴露した。しかしその網裁き見事だった。
江戸時代から続いた伝統は彼らが引き継ぎ、必ず未来へ繋がる。
午前11時仕事の都合で後ろ髪を引かれつつ、お旅所を後にした。
街は人で溢れ、待機する山車はフラッシュに映え、横で母に抱か
れた白粉の子が笑みを浮かべていた。街は、おくんち一色だった。
(つづく・・・・・)