最近読んだ本の中に、次のような話が乗っていました。
日本の女優で岸恵子という方がいます。たいへん美人でした。
もう80才を超えていますが、フランスに長く住んでおられます。
彼女のお話で、フランス人との面白いやりとりの話があります。
ある日彼女がタクシー乗り場へ行くと、ひとりお婆さんが立って
いたそうです。その老婆が、うしろに立った彼女を振りかえり、
「私が先よ!」と言ったそうです。彼女は「はい、もちろん」 と、
答えたのですが、それから老婆は何度も同じ言葉を繰り返した
そうです。まあフランス人の身勝手というか、我先にと車に乗り
込む手合が多いようですが、老婆のあまりのしつこさに、彼女
はこう言ったそうです。「私はあなたよりまだ若いですから、どう
ぞお先に!」その後老婆は、2度と振りかえらなかったそうです。
これはウイットに富んだ話ですね。ウイットと言うのは、日本語では
機知となりますから、これはどちらかと言うと皮肉になりますね。
皮肉は、もともと仏教用語です。達磨大師の言った皮肉骨髄が
語源です。君の話は真髄を得ているの髄ですね。表面的な浅い
言葉を皮肉って、皮肉というようになったようですね。
来年のNHK大河ドラマは黒田官兵衛です。彼は姫路の福岡と
いう土地の出で、豊臣秀吉の参謀として活躍し、後に九州の筑
前へ移り、そこを福岡と名付けた訳です。ただ面白いことに地場
の博多商人が嫌った様で、今もJRの駅は博多となっています。
黒田官兵衛、後に出家して如水と言います。如水は水の如しと
いう意味です。新潟に上善如水という、美味しいお酒があります
が、この語源は「老子」ですね。水は、いなかる器にも入り、人の
嫌がる低地にも流れ、時には洪水となる巨大なエネルギーをも
内に秘める。きっと人間も、そう有るべきという教訓なのです。
日本の漢和辞典を見ると、丸で囲んで漢とか呉とか書いてあり
ますが、これはその漢字が中国のどの時代に伝わったかを示し
ています。例えば「行」という漢字は、旅行の場合漢音で「こう」
と発音し、呉の時代に入った仏教用語の修行は(ぎょう)と発音
します。こんな辞書は世界広しといえども日本だけだと思います。
ことほど左様に、中国の言葉は我々日本人の骨髄となっている
訳です。最近、そんな中国と関係がぎくしゃくしていますが、まあ
今に始まったことではありません。黒田官兵衛の時代も、朝鮮を
攻めて中国とも戦争をやった訳です。もうニ度と戦争をやっては
駄目ですが、人間はいつでも、はなはだ心もとない生き物です。
かの黒田官兵衛でさえ、天下分け目の関ヶ原の戦いの最中に、
九州を乗っ取ろうと他国を攻めた訳です。もし関ヶ原の戦いが、
今少し長引けば、彼が覇権を握っていたとも言われています。
しかし、やってしまえば、後に残るのは「恨」だけでしょう。取り
返しのつかないことになります。数代を経てもまだ遺恨は消え
ません。そんなことを次世代へ付け回すことは、不誠意です。
中国の若者の中に、ネットでNHKの大河を見ている人がいます。
さて文禄慶長の役を見て、どういう反応が出るか、楽しみです。
韓国の人も見ていますから、どうも複雑ですが、歴史は歴史。
1598年、秀吉の死で終わる慶長の役は、明の財政を破綻させ、
1644年明滅亡、清の中国支配と流れ、一時明が徳川家へ援軍
を頼んだりしています。日中韓の複雑さは、歴史そのものです。
今我々は、中国の先達から得た知識を大切にして、その賢人を
生んだ中国を尊敬し敬う。中国には、自ら先人の知恵に習い謙
虚になってもらう。互いに歴史を勉強すれば、きっとなにかが!
三神工房
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