goo blog サービス終了のお知らせ 

三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

X'mass Charity Concert

2013-12-17 | 日記・エッセイ・コラム

12月13日(金)午後6時半。長崎思案橋、Tin-Pan-Alley
長崎・チーム・かいと(主催者)
Senior Reader 三神工房、開演のご挨拶。
(私が歌った訳では、けっしてありません)

Imgp8112 

 

 

 

 

 

 

 

オランダ王国総領事、ローデリック・ウォルス閣下とのツーショット。
 

Mr. Roderick Wols
Consul General
Kingdim of the Netherland.

Imgp8123_2
   

 

 

 

 

 

 

コンサート入場者:総勢100名以上。

   
コンサート支援者(含団体): 22

     
特別ゲスト: 松田美緒 (VICTOR Entertainment)
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A019680.html

歌: 岡 隆 (長崎、千にひとつの幸せ/トライ他)                                                                                      
   
演奏・歌: by Sunny Side 椋尾敏郎・椋尾恵子

 

本当に楽しい、長崎の夜を過ごすことが出来ました。
来年も、また・・・・・。

三神工房  


X'mass Charity Concert

2013-12-15 | 日記・エッセイ・コラム

12月13日(金)、夕暮れ時の長崎市内は人足多く、寒かった。
市内思案橋のTin-Pan-Alleyは、思った以上の来客で埋まった。
午後6時半、オランダ総領事の入場と共に、Concertのはじまり。

私が挨拶に立ち”長崎チームかいと”として開催の弁。そして来賓の
オランダ総領事を紹介。ステージに立った、偉丈夫のウォルス氏は、
満面の笑みを浮かべてご挨拶を下さった。通訳は報道・文化担当
官のリクート氏。(ボクシング趣味のハンサムボーイ)華を添えて下さった。

そしてコンサートは始まった。・・・

以下つづく。

 


神戸新聞文芸

2013-12-02 | 日記・エッセイ・コラム

12月2日(月)今朝の神戸新聞朝刊を見て、11月の小説欄に
佳作「FM放送」(神戸市三神工房)とあった。正直驚いた!

実は拙作は10月初めに投稿して、11月第1月曜日を心待ちに
新聞を広げたが、名の記載はなく「また駄目か」と思っていた。

ありがたい。なんとか年に1作はと思いつつ、本業に追われ、
ようやく投降した1作が、師走に入り、佳作に選んで頂けた。

これで年が越せる! 来年も諦めずに書き続けていこうと思う。
己に出来ることは、想い続けることと決して諦めないこと故に。

三神工房


Christmas Charity Concert

2013-11-19 | 日記・エッセイ・コラム

今年もクリスマスのシーズンがやってきた。まあクリスマス自体は、
もう分不相応なものになった歳回りだが、昨年、長崎の明星園の
子供達を中心に招待して、香港上海銀行で行ったコンサートを、
今年は、思案橋のTin-Pan-Alleyで行うことになった。

昨年の反省も色々あり、今年は大人を中心としたコンサートを開き、
その収益金をX'mass Presentとして、翌日お届することにした。
出来れば子供達もと思うのだが、なにぶん会場の問題とか、また
スタッフに掛る重圧(結構な準備)を鑑み、お店を借りることとした。

街の復興は「情報と若者」である。長崎は、歴史・文化の点からも
他の街、たとえば京都にもないものがある。しかし街は他の地方と
比べても疲弊し、当然経済も良くない。なんとかせねば、繁華街は
シャッター通りと化してもおかしくない。夜の店も寂しいことになる。

故に外国へ目を向けた。なんの衒いもなく米・英・仏・独・蘭の日本
大使館・領事館へレターを出した。(10月始め)一カ月経って、なん
の返事もなく駄目もとで各国へ電話を入れた。するとオランダ領事
館では「総領事が予定を確認してご返事するそうです」との回答。

まさか!と思った。招待状を出していながら、己を疑っていたのか。
数日後FAXが来て総領事Roderick Wols閣下が出て下さるという。
驚いた。私は領事館のどなたか、あるいは留学生を!と書いてい
たのだがまさか総領事自らお出まし下さるとは。やってみるもの!

出島は長崎商人の手で造られ、江戸幕府の管理下で運営された。
故に明治になると情報は離散し、留学の若者も長崎から消えた。
21世紀の今、新たに「情報と若者」が長崎に集えば、何かが生ま
れ、そして明星園の子供達に世界への窓をプレゼント出来るかも!

2013年12月13日午後6時半、今年のコンサートが開演する。

三神工房


言葉と中国

2013-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

最近読んだ本の中に、次のような話が乗っていました。

日本の女優で岸恵子という方がいます。たいへん美人でした。
もう80才を超えていますが、フランスに長く住んでおられます。
彼女のお話で、フランス人との面白いやりとりの話があります。

ある日彼女がタクシー乗り場へ行くと、ひとりお婆さんが立っ
いたそうです。その老婆が、うしろに立った彼女を振りかえり、

「私が先よ!」と言ったそうです。彼女は「はい、もちろん」 と、
答えたのですが、それから老婆は何度も同じ言葉を繰り返し

そうです。まあフランス人の身勝手というか、我先にと車に
乗り
込む手合が多いようですが、老婆のあまりのしつこさに、
彼女
はこう言ったそうです。「私はあなたよりまだ若いですから、どう
ぞお先に!」その後老婆は、2度と振りかえらなかったそうです。

これはウイットに富んだ話ですね。ウイットと言うのは、日本語では
機知となりますから、これはどちらかと言うと皮肉になりますね。

皮肉は、もともと仏教用語です。達磨大師の言った皮肉骨髄が
語源です。君の話は真髄を得ているの髄ですね。表面的な浅い
言葉を皮肉って、皮肉というようになったようですね。

来年のNHK大河ドラマは黒田官兵衛です。彼は姫路の福岡と
いう
土地の出で、豊臣秀吉の参謀として活躍し、後に九州の筑
前へ
移り、そこを福岡と名付けた訳です。ただ面白いことに地場
の博多商人が嫌った様で、今もJRの駅は博多となっています。

黒田官兵衛、後に出家して如水と言います。如水は水の如しと
いう意味です。新潟に上善如水という、美味しいお酒がありま
が、この語源は「老子」ですね。水は、いなかる器にも入り、
人の
嫌がる低地にも流れ、時には洪水となる巨大なエネルギー
をも
内に秘める。きっと人間も、そう有るべきという教訓なのです。

日本の漢和辞典を見ると、丸で囲んで漢とか呉とか書いてあり
ますが、
これはその漢字が中国のどの時代に伝わったかを示し
ています。例えば「行」と
いう漢字は、旅行の場合漢音で「こう」
と発音し、呉の時代に
入った仏教用語の修行は(ぎょう)と発音
します。こんな辞書
は世界広しといえども日本だけだと思います。

ことほど左様に、中国の言葉は我々日本人の骨髄となっている
訳です。最近、そんな中国と関係がぎくしゃくしていますが、まあ
今に始まったことではありません。黒田官兵衛の時代も、朝鮮を
攻めて中国とも戦争をやった訳です。もうニ度と戦争をや
っては
駄目ですが、人間はいつでも、はなはだ心もとない生き物です。

かの黒田官兵衛でさえ、天下分け目の関ヶ原の戦いの最中に、
九州を乗っ取ろうと他国を攻めた訳です。もし関ヶ原の戦いが、
今少し
長引けば、彼が覇権を握っていたとも言われています。

しかし、やってしまえば、後に残るのは「恨」だけでしょう。取り
返しのつかないことになります。数代を経てもまだ遺恨は
消え
ません。そんなことを次世代へ付け回すことは、不誠意です。

中国の若者の中に、ネットでNHKの大河を見ている人がいます。
さて文禄慶長の役を見て、どういう反応が出るか、楽しみです。
韓国の人も見ていますから、どうも複雑ですが、歴史は歴史。

1598年、秀吉の死で終わる慶長の役は、明の財政を破綻させ、
1644年明滅亡、清の中国支配と流れ、一時明が徳川家へ援軍
を頼んだりしています。日中韓の複雑さは、歴史そのものです。

今我々は、中国の先達から得た知識を大切にして、その賢人を
生んだ中国を尊敬し敬う。中国には、自ら先人の知恵に習い謙
虚になってもらう。互いに歴史を勉強すれば、きっとなにかが!

三神工房

<o:p></o:p>

 

 

<o:p></o:p>