風光る、うららかな長崎湾の上空!を車は走っていた。外は、
広大に広がる東シナ海と、それを仕切る島々、そして稲佐山
の緑とその上の青空、どこを見回しても長崎そのものがある。
車は、長崎湾口にかかる女神大橋を通っていた。右に香焼、
左に飽の浦から遠く昭和町の上空まで見渡せる。ただ常に、
あの空の地上500mに炸裂した原爆の事実は、忘れえない。
かつてロシアの軍艦が長崎へ入港した際、たおやかに広がる
深江の浦(長崎の古名)をして、”鶴が翼を広げた様な湾”と、
感嘆した船長の話があった。(確か司馬遼)さもあらんと思う。
私は、三重県松阪の近く”ちひろえ”という村で生まれた。裏に、
鶯の自生する竹林があったというが、今はもう定かではない。
「千尋江」と思ったが父は「知広江」と言った。その父も逝った。
その後、三重から遠く長崎の網場に住み、一旦故郷へ錦を
飾ったがオイルショックで職を失い、神戸深江浜の会社へ入った。
そして最初の仕事が長崎だった。”江”は、私の原点らしい。
女神大橋を渡りながら、私は助手席で携帯を取り出し、写真
を撮った。窓の外の風景の美しさに見とれながら、期待して
携帯の中を見た。しかしそこには無残なものしかなかった。
写真の中に広がる景色は、無残にも欄干とワイヤ-で遮られ、
そこが正に人工的構築物の上であるということを知らしめた。
ただ私は失敗の念より、そこに人間の目の素晴しさを覚えた。
未完