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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

小春日和・・・目の錯覚

2014-01-31 | 日記・エッセイ・コラム

風光る、うららかな長崎湾の上空!を車は走っていた。外は、
広大に広がる東シナ海と、それを仕切る島々、そして稲佐山
の緑とその上の青空、どこを見回しても長崎そのものがある。

車は、長崎湾口にかかる女神大橋を通っていた。右に香焼、
左に飽の浦から遠く昭和町の上空まで見渡せる。ただ常に、
あの空の地上500mに炸裂した原爆の事実は、忘れえない。

かつてロシアの軍艦が長崎へ入港した際、たおやかに広がる
深江の浦(長崎の古名)をして、”鶴が翼を広げた様な湾”と、
感嘆した船長の話があった。(確か司馬遼)さもあらんと思う。

私は、三重県松阪の近く”ちひろえ”という村で生まれた。裏に、
鶯の自生する竹林があったというが、今はもう定かではない。
「千尋江」と思ったが父は「知広江」と言った。その父も逝った。

その後、三重から遠く長崎の網場に住み、一旦故郷へ錦を
飾ったがオイルショックで職を失い、神戸深江浜の会社へ入った。
そして最初の仕事が長崎だった。”江”は、私の原点らしい。

女神大橋を渡りながら、私は助手席で携帯を取り出し、写真
を撮った。窓の外の風景の美しさに見とれながら、期待して
携帯の中を見た。しかしそこには無残なものしかなかった。

写真の中に広がる景色は、無残にも欄干とワイヤ-で遮られ、
そこが正に人工的構築物の上であるということを知らしめた。
ただ私は失敗の念より、そこに人間の目の素晴しさを覚えた。

未完


小春日和

2014-01-29 | 日記・エッセイ・コラム

今週も長崎です。

「小春日和」というのは、確か初冬の季語であり、その点真冬には
似つかわしくない言葉なのだが、今日の長崎は正に春のよう。ただ
車の中にいると日差しが強く、「小夏日和」と言った方が相応しい。

来週はもう2月。今年の2月は格別である。2004年2月19日に会社
を興し、今年が10周年となる。光陰矢の如し。あっと言う間の10年
だった。歳はそれなりに取ったものの、はたして成長しているのか。

会社は成長し続けなければならない。資本主義である以上、泣き
言は言ってられない。止まれば死ぬ鮪と一緒である。ただ、なにか
が違うと思いつつ、終りのない旅を生き続けねばならないようだ。

未完

三神工房


寒中見舞い

2014-01-24 | 日記・エッセイ・コラム

1月も早24日を迎え、来週末はもう2月に入る。季節は大寒から
立春へ流れ、日々目まぐるしく変わろうとしている。だが寒さは
いまだ容赦なく、そして春はまだずいぶん遠くにいるようである。

2月を如月と書いて、きさらぎと読む。だが両者に関係はなく、
歳時記と漢字が合わさったもの。きさらぎには諸説ある様だが、
草木張月(くさきはりづき)とするのが、最もすきなものである。

3週続けて神戸と長崎を往復し、そろそろ疲れが溜り、いかにも
背中が重く、ピノキオ状態である。酒は脳を破壊すると聞き、極力
控えてはいるが、やはりポンコツにはガソリンにオイルが欠かせない。

長崎の街はいま、日に日に朱に染まり、大小様々なランタンが風に
揺れ、低く垂れさがった空から、龍が躍り出るのを待っている様。
ホテルも来週末からしばらく満杯という。小雪模様の中街が燃える。

朱に染まれば赤くなるというが、同じ赤でも様々ある。油絵でよく
使った赤はChinese Redであった。燃えるような赤で和名「緋色」。
対して朱はVermillionが相応しい。これは萌えるような赤である。

長崎の中国総領事が「今は尖閣などで・・」と、春節を前に何かに
コメントを発表されていた。本国に比べれば緋でなく随分朱である。
互いに人々と共に生き、目前にいれば自ずと柔らかいものになる。

朱であれば、染まってもいいかなと思ったりする。戦をする位なら、
己の緋色は臍した三寸に収め、まずは足元を固めたい。グローバル
の言葉を武器に、己が民を脅す輩の方が、余程御し難しである。

ただ彼方の人も、自国の歳時記に他国の古の言語を宛てはめて、
狭小な国土で生き抜く民を知るべきである。さもなければいったい
数千年を経て我々は何をしているのか。諸事、無に帰すばかり。

小雪舞い散る街にランタンが溢れ、玄界灘から吹きすさぶ北風の中、
手と手とつなぎ歩けば、きっと春の訪れを感じる。そんな季節が、
春節を祝うランタン祭りである。きっと今宵も、長崎は萌えている。

三神工房


謹賀新年

2014-01-04 | 日記・エッセイ・コラム

元旦の朝、地元の清酒・生酒をお屠蘇に、お節と雑煮を頂いた。
傘寿を超えた母が、年の瀬まで丹精した料理である。出来れば
楽をさせて出来あいの物をと思ったりするが、なにぶんこちらも
還暦を超えたお付き合いだけに、母にそんな理屈は通らない。

実家の津、といっても地元は松阪ながら、我が家の雑煮は角餅
である。近在に住む妹夫婦が、私の方も分も合わせて、毎年餅
をついて実家へ届けてくれるのである。届いたばかりのあんころ
餅も美味ながら、年の初めに頂く澄まし汁の雑煮は格別である。

確か年始の番組だったか、角餅と丸餅の境目はどこかという、
誠に平和な放送を見た。都内の街かどインタビューから始まり、
西へ移り、名古屋の人に「三重があやしい」と言わしめた。画面
は現地の探索となり、結果、伊勢と伊賀の国が境と判明した。

境は歩いても行ける距離で、見事に角と丸の餅が対峙していた。
ただその境が、どの様に北へ延びているかは、視聴者の皆様へ
と委ねられた。それは親切なプロデュースなのかも知れないが、
ただの時間潰しでしかないのか、という後味の悪さが残った。

三重には伊勢神宮がある。そして原発がない。長年計画があり、
それを地元の力ではね返してきた。候補地は、1300年もの間、
天照大神を祀る伊勢神宮を支える、海の幸の宝庫の近くである。
もし原発ができていて、津波に襲われたらと思うと、ぞっとする。

 

正月、芥川龍之介の「羅生門」を再読した。蛇の肉を魚の干物と
偽り売っていた女の骸から着物を剥ぐ老婆に、下人は「勇気」を
持って老婆の着物を剥ぐのである。生きるために骸の服を剥ぐ
老婆から、その着物を剥ぐ下人もまた生きるためと嘯くのである。

今年平成26年、戦後も70年近くになり、街にものは溢れ、みな
平和を享受している。為政者は、更なる国家発展の為に原発は
必要と説く。言われることは間違いない。だがそれは、我が国の
永遠の発展を担保出来るならば、という条件付きではないか。

いまから60年後、300年後、そして1200年後、日本がどうなって
いるのかを考えれば、自ずと道は決まるのであろう。1300年間
ご遷宮を支えてきた「もの造り」の伝統とその意志は、必ずや原
発の多くの問題も解決し、すべからく日本国人を守る筈である。

実家での短い正月を終え、雪花が散る鈴鹿峠を車で走りながら、
後ろに広がる伊勢平野を今更のように懐かしく、誇りに思った。

そして、もう30年を超えて通い慣れた奈良の道を抜けて、夕日に
染まるチヌの海を目指した。住めば都、現実へ向かって走った。

母の無事を祈りつつ、来年も良い正月を迎えられますようにと。

三神工房


2013年もあと二日

2013-12-30 | 日記・エッセイ・コラム

最後に事務所の玄関の丸窓を拭いて、大掃除の掃除納めと
なりました。今年はお隣にヘアサロンがオープンされ、偶然
同じような丸窓となり、華やかになりました。

さあ津へ向かって走ります。

2014年、どうか良い年でありますように!!!

三神工房

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