久しぶりに寄ったママさんのお店で、「長期夏休み」のPOPを
見た。今は年に数回寄る程で、今回も真冬以来のご無沙汰。
それでも残っていたキープの焼酎の棚に、それは貼ってあった。
「どうしたの?」と聞くと、ママは、梅雨の合間の晴天で開けた
窓から入る浜風にそよぐ髪を気にしながら、「入院するの」と
は言った。見れば、どこかやつれている。年齢もあるだろう。
30年来、ママさんが店を変わる度に飲みにいった。私がまだ
30代の始め、船乗りの集まることで有名なBARだった。私も
ドイツ人を連れてよく行った。興に乗るとママを囲んで客が皆
ドイツ語で歌を歌った。ドイツ語の出来ない私も郷愁を覚えた。
私は、黙って焼酎を飲んだ。しばらくして、妙に派手な女性の
三人組み。店に出勤する前の腹ごしらえらしい。若いママと、
その従業員。会話は喧しい。件のママは、忙しく料理を出す。
そのあと初老の男性がひとり。遠来の客の様だが、若いママ
が声を掛けたので、常連と知る。少し遅れて、年配の女性が
ひとり、私と若い三人組の間の席に座る。私はひとりで焼酎
をお代わりした。グラスが空けば、そっとママが注いでくれる。
心の中でママの病状を思った。秋になれば、店を再開すると
いう。だがその保証はない。私が心配しても役に立たない。
全快を祈るばかり。ママの店が消えれば、私の行く店もなく
なる。街の新陳代謝ではあるが、残った者にも感情はある。
時間が来たのか、若い三人がバタバタと消えた。残った初老
と私の横の女性が、夫婦と知れた。ママが会話を振ったのだ。
「この前、**君が来てくれたわ。ファーストだってね!」妙に
華やいだママの声に、初老の夫婦は、嬉しそうに答えていた。
「明日、息子の船が出港なんで、今日は神戸に泊まる」
「▲▲造船所の最後の商船に乗るなんて**は幸せよね」
三人の会話は弾んだ。聞いていると、初老の男性も元船乗り。
親子二代、▲▲造船の新造に乗るという。「あそこの入門は
厳しいから、お前・・・・・」と、少し酔ったのか説教染みてきた。
私は、少しして勘定を払い、先に店を出た。出る際に、いつも
の通り、「お先に」と夫婦に声を掛けた。エレベーターホールまで、
ママが見送ってくれた。彼女は、閉まり掛けたドアの向こうで、
前で手を揃え、ゆっくりと腰を折っていた。いつもの姿だった。
街は、人で溢れていた。皆、若い。皆、はつらつと歩いていた。
(いったいこの街はどこへいくのだろ)と、妙に感傷的になって、
私は家路を急いだ。きっとこうやって時は流れ、時代は移ろう。
街も人も代わっていく。それが、生きるということかも知れない。
そしてそれは、きっと皆に平等なのであろう。私は、ひとり初夏
の街を歩きながら、そう思った。なぜなら、いつか私もこの街で
肩で風を切っていた。あの時代を精一杯生きていた。でもまだ、
終わった訳ではない。私は私なりの、新しい生き方を探さねば。
三神工房