翌日は雨だった。朝の天気予報によれば、台風が九州の南海上か
ら和歌山県へ向かっているとか。あまり大きな台風ではなく、上陸
までに熱帯低気圧に代わるという。私は朝ごはんを頂きながら、自
転車で出発するつもりでいた。頭にあるのは日程だけである。
初日は津から和歌山まで約190キロ。2日目は和歌山から田辺ま
で、たった80キロ弱しか走っていない。全行程約500キロを実質4日
で駆け抜ける予定だった。1日125キロを走るとして、平均時速15キロ
で1日の走行時間は約8時間を想定していた。走行距離としては、
2日で270キロだが、自分の体力と相談すると自信がなくなっていた。
鈴鹿峠を越えることは確かに辛かったかったが、それ以後平坦も
多く、安易だった。しかし紀伊半島の周遊でもっとも自転車に過酷
なのは、熊野から紀伊山脈に分け入っていく国道42号線だった。
よってその手前の熊野では同級生の実家へ泊めてもらい2日を過
ごす予定。そして峠を越えた紀伊長島でも友人の家に2泊と決めて
いた。合計7泊8日で松阪へ帰れば、彼女の誕生日に凱旋するこ
とが出来ると目論んでいた。そのためには田辺で足止めを食らう
訳にはいかなかった。
「今日は無理だ。もう一泊していきなさい」
と、朝ごはんを終えた親父さんがお茶を飲みながら、そう言った。
「それはそうですよ。台風がまともにこちらへ向かっているんです。
自転車で走るなんて、そんな無茶をしてはだめです」
夫人の言葉に取りつく島がなかった。(いや、予定を変えると、
彼女の誕生日に間に合わない‥)とは言えなかった。
私は食事のあと自転車の整備をすると言って、玄関前へ出て空を
窺った。それはまだ遠くを見れば上天気の夏空なのだが、上空は
黒い雲に覆われ、頬へ伝う風は台風の来る前兆を示していた。
それは1年の夏から山岳部に所属して、山で積んだ天気予報の
知識と経験からして、間違いなかった。
しかし旅の目的は、彼女の誕生日に紀伊半島を一周して凱旋する
こと以外のなにものでもない。それは北海道でも良かったし、九州
一周でもよかった。だがそんな大仰なことよりも、手っ取り早く近場
の紀伊半島を回れば、きっと彼女は自分の男らしさを認めてくれる
であろう、という単純な発想なのであった。
「すみません、とにかく先に進んで見ます。途中で駄目なら引き返
して、またお世話になってもいいですか?」
私の言葉に、最初は聞く耳を持たなかった二人も、「大丈夫です。
自分は山岳部に所属していて、今年の冬に南アルプスへ登るため
に、この旅行を計画したんです。つまり、体力と経験を持って乗り
切ることが第一義なんです」
自分でも、どこからそんな言葉が出てくるのか不思議だった。後
から思えば、それほど彼女の存在は大きく、その為だけに生きて
いたと言っても過言ではない。
ご夫婦には必ず無理をしないと約束して、私は10時過ぎに田辺を
出発した。街中を抜けて国道へ出ると、まだ痛むお尻もサドルに
慣れ、ドロップハンドルを握りながら、ただ道路の白線を見つめて、
ひたすらペダルを漕いだ。先になにが待っているのかよりも、この
日焼けを見たら、彼女はなんと言うだろう。このパンパンの太もも
を見たら、どう思うだろう。と、ただただ自分の目標を目指した。
それはまるで太古の若者が、丸太をくり抜いた小舟で大洋に繰り
出すかのように雄々しい走りであったろう。若さとは、無限のエネ
ルギーを発する、神から男に与えられた、一種狂気の沙汰なの
かも知れない。
以下次号。
三神工房