goo blog サービス終了のお知らせ 

三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

佐世保・西海橋

2011-09-27 | 旅行記

今日は仕事で佐世保。

午後、長崎への道程、西海橋を通り長崎へ。

昨日より体調悪く、天候同様BLUE。

まあ長い人生、こんな時もある。

110927ss   

  

  

  

  

  

   

110927ss_2   

   

   

   

   

   

   

110927ss_3   

   

   

   

 


紀伊半島周遊

2011-08-23 | 旅行記

8月18日(木)所用・墓参り・夏休みを兼ねて、実家へ帰ることになり、
思いきって紀伊半島を回って帰ることにした。「白浜の夏」を書いた
せいもあり20年ぶりに走った。人生三度目の紀伊半島周遊である。

<串本海中公園付近x3枚>

_3140_3      

     

     

     

     

     

     

       

       

_3140_4   

   

   

   

   

   

   

   

   

_3140_5     

    

    

   

   

   

   

   

   

<新宮から鵜殿へ熊野川越え>

Photo_2    

   

   

   

   

   

   

   

<七里美浜付近x2枚>

_3147_2     

    

    

    

    

    

    

   

   

3149_3    

   

   

   

   

   

   

   

夕方4時頃、尾鷲市内栄町のホテルへ到着。荷を置いて、
町を散策。あまりの寂れ様に写真を撮ることが憚れた。
その夜は居酒屋で肴を味わい、中学2年の春に転校以来、
45年ぶりの尾鷲の夜を堪能した。

二日間の夏休み、あっという間。でも45年の月日と、さほど
変わりがないのかも知れない。光陰矢のごとし。

三神工房


白浜の夏 ⑧

2011-08-16 | 旅行記

車は、道路公団の道路警備車両だった。台風の接近で道路の状況
を監視して回っていたのである。私は気付かなかったが、和歌山から
串本へ向かう途中、一度私を追い越し、串本まで行った帰りだった。

(こんな台風接近の中、大丈夫か)と、二人で話をしていたらしいが、
まずは道路の状況確認をと、先を急いだとのこと。しかし正に台風
が上陸した個所で立ち往生しているとは、大人に取っては迷惑も甚
だしいと、運転していた方は憤慨していた。しかしその言い方はまる
で押し付けがましくなく、助手席の方から「しかし、若いっていいよな」
の一言に、思わず頷いたりしていたのである。

彼等は、台風の上陸地点を見ると、再び串本へ向かった。それは、
事務所へ帰る方向とは真逆なのだが、もう一度串本まで見て回ると
いいつつ、私を送ってくれたらしい。田辺から串本までおおよそ70
キロほどの距離だが、私をピックアップしてくれた地点が田辺から
30キロあたり。残りは車で揺られて走ったことになった。途中色々話
をする間に運転手もすっかり打ち解け、初対面とは思えないほど話
が盛り上がった。最後は串本の灯台まで案内してくれたのだった。

「頑張れよ!」「気をつけてな」と、二人は声を掛けてくれて、国道を
和歌山へ向けて登っていった。突然兄貴が二人出来て、そしてあっ
と言う間に別れがきた。自分なりに、これが独りで旅をするということ
だと分かっていても、それはつれない、そして侘しいものだった。

串本あたりで一泊してもよかったのだが、車で送ってもらった結果、
まだ1時を過ぎたところであり、台風一過天候も夏真っ盛りになり、
私は先を急ぐことにした。熊野まで約70キロ。うまくいけば日が暮
れるまでに友人の家へ辿りつける。私は国道沿いの公衆電話から
友人の了解を取り付けると、自転車を走らせた。ずぶ濡れになった
服もようやく乾き、太平洋を右手に見ながら、軽快に走った。

途中腹が減ったことで、田辺の家で弁当を持たしてもらったことを
思い出し、そこで電話をせねばと気がついた。再び国道沿いの公
衆電話で止まると、電話を掛けた。案の定、二人は電話を待って
いてくれた。交代で話をしつつ、夫人の方は涙を流しているようだ
った。私は電話を終えて、近くのバス停のベンチで夫人の作って
くれたおにぎりを頬張った。それは和歌山名物の目張寿司といい、
お握りを大葉で巻いたものだった。食べる時に、そのあまりの大き
さで目をいっぱい広げて食べることから「目張り」という名が付いた
という。夫人のそれは目を張るほどの大きさではなかったが、私は
涙でお握りが見えないまま、頬張って食べた。その味は格別だった。

小一時間昼食を兼ねて休みを取ると、身も心もすっかり元気になっ
た。しかし和歌山に台風が上陸したことは親も知っているはずと思
うと、もう一度公衆電話のあるところへ引返し、家に電話を入れた。
これも案の定、母は大声を上げた。それほど心配だったのかと
思うと、詳細を話すのは気が引けた。田辺の町で親切なご夫婦に
世話になり、台風が行ったあと田辺を出たことにした。うっとうしい
ほどしつこい母の物言いに、自分から切るよといって話を終えたが、
いったい自分はなにをしているのか分からなくなったりした。結局、
俺はまだ子供で、親の監視のもとでしか生きれないのかと思うと、
どうにもやりきれなかった。親の心子知らず、とは良く言ったもの
である。今となっては、もう考えも付かない発想ではあった。

しかし自然は雄大だった。リアス式海岸の入り江は、ひとつひとつ
がまったく違った景観をしていた。青い海がきらきらと光り、台風
一過とはいえ浜風は心地良かった。また七里美浜といって、海岸
が砂浜ではなく、碁石で出来ている浜も絶景だった。自転車を漕
いでも漕いでも浜は続く。真っ直ぐな国道を、白線の上に車輪を
合わせながら、走って走って走った。どこからこんな力が出てくる
のかと思うほど、充実した時間だった。これが青春だ、などとは思
わず、どこまでもこの時間が続いていくと信じて疑わなかった。

以下次号

三神工房


白浜の夏 ⑦

2011-08-15 | 旅行記

それはあまりに突然だった。私は体中から雨が流れおちるのを感じ
ながら、茫然と空を見上げていた。まるでドーナッツの中に(入った
ことはないが)立っているように、周りのどす黒い雲が渦を巻いて
空に立ち上がり、その上で真っ青な空がきらきらと光っていた。

(これは‥台風の目、なのか)と気が付いたころには、丸い空の一
部が山の頂きに掛り、やがて飛ぶように去っていった。私は幽霊を
見たあとのように、なす術を知らず、自分がなにをしているのかさえ、
定かではなかった。そんなあほ面に再びポツポツと雨の滴が当たり
始めると、誰が蛇口を捻ったのか、バケツの水をひっくり返したよう
に、ふたたびシャワーの雨が降り出した。目と言わず口と言わず、
開けている穴には容赦なく、冷たい水が流れ込んできた。またか、
と思った私は、青空を見たことを忘れたように、自転車を押した。

それから何分歩いただろうか。道が再び右方向へカーブしている
のが分かった。また岬へ出るのか、と思うと、そのままへたりこん
でしまいそうだった。(なんで俺はこんな所にいるのか。なんのため
にこんな目に逢わねばならないのか)と、自問自答し始めた。もと
より雨は待ってくれない。風は前にも増して、自転車ごと谷の底へ
誘ってくる。逆に自転車の自重がなければ、とっくに身一つ飛ばさ
れてしまいそうだった。もう私は、両足を広げて胸を自転車のサド
ルに預け、両手でドロップハンドルを握ったまま、立ち往生した。

長い髪が頭の上から滝のように流れ落ちるのに任せ、額から目を
覆う。こんなことなら坊主頭にしてくればと後悔した。なんと髪をか
きわけても、長い髪が目を塞いでしまう。なんどもどけながら、もう
駄目かも知れないと思い始めた時だった。土砂降りの向こうに、
かすかに明かりが見えた。横殴りの雨と砕けた波頭の滴で、視界
はほとんどない。しかし仁王立ちして道路の先を見通すと、微か
だが、光が近づいてきた。それは橙色というのか、少なくとも自分
の周りにあるすべてのものの中で、唯一暖色なのである。冷たさで
凍え始めた指先で触れたいと思うほど、目前の灯であった。

それは案に相違して、車だった。天井に黄色いランプを点滅させ
ながら、音もなく止まった。いや雨が道路を叩きつける音で、なに
も聞こえていなかった。運転席の窓が半分開いた。男がなにか
どなっているが聞こえない。ドアが開いた。助手席の方も開いて、
他の男が車の後ろへ回った。私はなすすべもなく立っていた。

「早く後ろへ乗りなさい。」
「でも‥体がこんなべたべたで‥」
「馬鹿言ってんんじゃない。死んでしまうぞっ」
「はあ、でも自転車が‥」

気力が失せていたのか、私は男に言われるまま、そしてもう一人
の男がハッチバックのドアを開けて、私の自転車を車に乗せるの
を見ながら、ようやく運転手に追い立てられて後ろの座席へころ
がり込んだ。座った座席はもちろん、まるで服をしたまま小便を
しているように頭から首から上着から滴り落ちる雨水は、ショート
パンツの股間から車の床へ流れ落ちていた。

「なにやってんだ、こんな日に自転車で‥」と、運転席から罵声を
浴びせかけられた。「はい、すみません」という自分の声が鼻声
で、あっと言う間に体中が震えだした。「おい叱る前に、暖房に
した方が良さそうだ」と、助手席の男はそういうと、自分の首に
巻いたタオルを放り投げてくれた。私は、ちょっと汗臭いなと思い
ながらも、餓鬼のように頭から顔からふきまくった。たちまちタオ
ルがべたべたにはなったが、前方から流れてくる暖房の風と相
まって、ドクドクと血が流れ始めるような気がしていた。

車は徐行しながら、それでも確実に私を運んでくれた。道すがら
集落の近くを走ると、家々が雨戸を閉めてつっかえ棒を打ちつけ
てあるのを見ながら、自分の浅はかさを知るばかりであった。

以下次号

三神工房


白浜の夏 ⑥

2011-08-15 | 旅行記

私は快調に国道42号線を南へ下っていった。自らが造り出すもの
とは違い、周りにきな臭い風が漂い、顔全体から汗が吹き出す。
それでも風通しの良い部屋で、10時間以上熟睡した体は、思った
以上に軽く、顎の下で上下する太ももにも力が漲っていた。折角の
ご夫婦の好意も振り切り、道を急いで出てきただけに、もう引き返
すことは出来ないと思っていた。道路まで出てきて見送って下さっ
たご夫婦の顔を思い出すと、両親のそれとだぶって、複雑だった。

右手に海、左手に国鉄の線路を見ながら、以前として視線は国道の
白線を見やりながら、道を急いだ。ハンドルを右へ左へ揺らしながら、
坂を登りもう息が続かないと思うころ、やがて道は必ず下る。ほっと
して上体を起こすと、ドロップハンドルの上部バーに片手を添えて、
足を止めて坂を下る。長い坂を下ると速度が増し、カーブに差し掛
かるとあらめてドロップハンドルを握り直し、顎を引いたまま視線は
前方に向け、風を切って走る。

そんなことをなんども繰返しながら、なだらかな下りを走っている時
だった。ふと右手を見るとリアス式の海岸は思った以上に谷が深く、
しかもそこへ押し寄せる波は、見たこともない荒々しいものだった。
まるで濃い藍色の波が大きく盛り上がったかと思うと、その頂きが
突然崩れ、真っ白な波頭を海岸の岩へぶつける。それは生まれ育
った伊勢の海とは違い、雄々しい、それでいて人の心を奈落の底
へ誘うような、大洋の海だった。

私は海岸から吹き上げる風で、自分の着ているポロシャツが吹き
飛ばされそうになりながら、自分が独り切りであることに気付いた。
田辺を出て2時間ほど走っていた。しかし道行く車がない。対向車
線も無人で、後ろから追い抜いていく車も皆無であった。(台風が
本当に近付いている?)朝のニュースを見て知っている筈だったが、
今その現場にいるんだという臨場感はまったくなかった。だがそれ
が現実だった。やがて目も開けておれないほど、強烈な雨が私の
体をすっぽり包んでいた。

無人の道路を30分程であろうか、もう時間の感覚がなくなるほど、
雨に打たれながら、私は自転車を押しながら道路の左端を歩いて
いた。(田辺へ戻ろうか)となんどか思ったが、あの優しいご夫婦に
叱られそうで気が引けた。見送ってくれて二人がどれほど心配して
いるか、その時の私に二人を思いやる余裕はなかった。(とにかく
先を目指そう)と、私は自転車を押しながら歩きつづけた。

もうパンツまでずぶ濡れで、川で泳いでいる様に体の芯まで冷えた。
右手で顔を拭かねば、吹き付ける雨で目も開けていられなかった。
坂に差し掛かると、自転車の重さが二倍にも三倍にも感じられた。
道が海に面した岬に出ると、海岸に打ち寄せる波が国道の護岸に
当たり、その波頭は十数メートルの高さになって私の体を叩いた。
自転車ごとふっ飛ばされそうになりながら、身を屈めるしかない。
自転車の陰から顔の水しぶきを拭きつつ沖合を見通した。押し寄
せる波の飛沫で真っ白な沖合も、風の加減でふっと見通せる瞬間
がある。しかしその先を見て私はぞっとした。何万隻もの軍艦が一
度に押し寄せてきたのかと見まがうほど、大小様々な波頭が次か
ら次へとうねりを上げているのである。

とっさに自分は溺れ死ぬ、と思った。小学生の頃、友達と台風一
過の川で遊び、流れてきた流木を縛って筏にした。皆で乗って遊
ぶうち、縛った縄が切れ、水中へ放り出された。なんとか水面へ出
たものの、岸の壁はぬるぬるで足が滑り、目を水面に出しまま溺
れ始めた、皆友が自力で岸へ上がる後姿を見ながら、ああ俺は
死ぬのかと思った。

もう水をガブガブ飲むだけ飲んで、目が水中へ沈み始めた時だっ
た。あれほど足がかりのなかった水中の岸の壁に右足が掛った。
指先がすぽっとはまる穴があり、そこへ力を入れると体がふっと
浮いた。その勢いで右手を伸ばすと木に手が掛り、あっと言う間
に体が浮いて、上半身が岸に上がった。そこで私は友人に引き
上げられ助かった。その時の思いが蘇っていた。

私は急いで岬を回り、谷の奥へ走った。どこか避難する場所を探
さねば本当に死んでしまうと必死だった。道は幸い山間へ向かい、
海岸の波頭が破ける音も遠ざかった。しかし風は更にきつくなり、
自転車を抱きかかえたまま空へ吸い上げられるのではないか、
とさえ思った。と、その時だった。まるで時間が止まったかのよう
に風が止んだ。そして映画の撮影でもやっていたのかと錯覚する
ほど、雨も止んだ。そして真上から日が射した。ゆっくりと背を伸
ばした私は、日の射す方へ顔を上げた。なんとそこには、丸い青
空があった。そしてそこへ、雨も風も吸い上げられていくように、
恐ろしいほど早い上昇気流が流れていたのである。

以下次号。

三神工房