昨日は、パルシステム東京・市民活動助成基金の助成団体の訪問。
午後遅い時間から、重い障害のある子どもたちの放課後活動の様子やスタッフの方々の話を聞きに、西国分寺、重症心身障害児の余暇活動グループ「ひょうたん島」へ。
スタッフと言っても、ほとんどが保護者。
心ある特別支援学校の教員が放課後も付き合い、何年もかけ、地道に、音楽療法などでこわばる心をほぐし、子どもたちの発達を促す。
週に一度の集まりは、確実に子どもたちの社会性を育てている様子を聞きました。
重すぎる障害の子どもたちは、自宅にこもって介護を受けることが大前提になった支援メニューがほとんどで、行政の支援の枠組みと合わないものにはお金が出ません。
子どもたちが他の子と一緒に放課後を含め、余暇を楽しむといった社会的な活動は想定されていないのです。
幸いなのは、活動の中心的な拠点になっている国分寺市障害者センターには、楽器やスヌーズレンという北欧生まれのリラックスルームが設置されていること。そこで過ごす子どもたちのゆったりとした様子に、こちらが癒されるほどでした。
その後、「府中緊急派遣村」へ。
スタッフ(ほとんどボランティア)と被支援者のミーティング+助成金執行状況と会計の話を聞きに行きました。
一所懸命に想像しても、当事者ではない私にはわからない苦しさがある。
でも、わからないからと言って簡単に「わかりません」と言うわけにもいかない。
なぜなら、今、この時間を一緒に生きている仲間だから。
話を聞けば聞くほど、どう考えてもセーフティネットとしての役割を最も果たさなくてはならないはずの行政はどうなっているのか?
?が頭から消えることはありませんでした。
ホームレスの方の相談受け、アパートへの入居、生活保護申請、社会復帰、その後の心の支援、などなど伴走者としてのスタッフが手弁当でやっていくには、そろそろ金銭的には限界がきているようでした。
支えは、一人ひとりの社会復帰を見ていくこと、感謝され、やってきてよかったと思えること、行政が見放しても自分たちはとことん付き合うという確固とした信念のよう。
支援者側も被支援者側も、一緒の土俵でがんばるということを信条にしていました。
住まいが見つかっても、社会復帰をしたと表面的に見えても、そこからまたいろんな事が起きる。それでも見捨てない人たちが行政のできない、最も重要なことを手弁当でフォローし続けています。
ミーティングは、行政との話し合いの進捗、相談会の状況報告、○○さんの今の状況報告、○日になんとかアパートに入りましたという人の話、年末の派遣村の運営について、など。
公的支援があってしかるべきこのような活動に、なぜ公的な支援が行き着かないのか。
ずーっと考えていました。
行政は、現状の枠組みに入らない、しかし重要なことを柔軟に支援するしくみがない。担当者も感度が低いから突破する必要性すら感じていない場合も多々。
どうすればそこを突破できるのか。自主活動ではどうにも限界がある。
自戒をたっぷりこめてだけれど、世の中を憂うことなんて、本当に簡単。
おまえは、目の前の困っている一人にしっかり向き合い、救おうとするアクションができるのかと問われています。
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