「エンジンの音 轟轟(ごうごう)と」で続く言葉は勿論「隼(はやぶさ)」なんですが、
今時そんなの知るわけねぇだろ!!って突っ込まれる程、風化してしまったのか忘れ
去られてしまったのか可哀想になってくるレシプロ機。もとい旧日本陸軍の主力戦闘機
として当時名を馳せた中島キ43一式戦闘機「隼」。海の戦艦「長門」、空の戦闘機「隼」
なんてモノはとっくになくなり、時代は戦艦「大和」と日本の名機「零戦(零戦をぜろせん
って呼びたくないけどさ)」になってますね。まあいいんだけどさ
戦後、爆発的に広まった零戦の名と共に、もってあまった貧弱武装と零戦弱みとなる防弾
措置無しの要らないおまけまで付けられ、更に海軍機と違い隼の後継機が続々と出ていた
陸軍機であっては、どうも存在の薄く見えてしまうものです。
上は第~分前に作った隼二型
いや、そうじゃない。隼はその出生こそ妙な経緯でゴタゴタしてますが
(旧日本軍に限らず何処でも開発問題は付きもの)その性能はピカイチでした。
ノモンハン事件で大活躍を果たした初の陸軍低翼単葉機である九七式戦闘機(キ27)に
試験飛行であっさり落第点を喰らうも改良型のキ43-Ⅱ、そして本仕様である隼二型
開発の末、(が、そもそもこの二案も間に合っていない。同時開発の重戦キ44「鍾馗」
の不備も重なり結局キ43-Ⅰの最低限改修を行った後、昭和16年(皇紀2601年である為)
"一式"戦闘機として)採用、量産されました。
格闘性能が九七式に比べ劣るものの(当然発動機の出力が上がり固定脚から引き込み脚
に変わるため機体も大きくなり重量が増すのは当然の事。それで旋回性能をもっと良く
しろというのならさらに機体は鈍重になるのは目に見えている)十分な航続距離と上昇力
そして零戦にはなかった燃料タンクの防弾措置が、隼の名を一気に上げることになりました。
(無論、初期段階の不具合も多く機体の強度不足による翼のシワ、果ては空中分解まで引き起こした
(改良型として一型乙となる。主翼の補強及び機銃の換装落下タンクの回収など)
隼の特徴として零戦と比べ武装が少ないことが先ず挙げれますが、これは陸軍が要求した
事でエンジンが非力なため格闘戦に重視し、固定機銃を二つに指定した事、隼の主翼の主桁が
二つあった為主翼に機銃を取り付けられなかった事が考えられます次に防弾措置です。
零戦と違い、隼は採用当時から燃料タンクに防弾措置のゴムが備え付けられており、
二型からは四式戦「疾風」と同じ防弾仕様になってなっています。これにより連合軍戦闘機の
攻撃に対しての一定の効果を上げ、搭乗員の生存率底上げにつながりました。
続いて空戦フラップ。これは二式戦闘機「鍾馗」にも採用されてますが蝶形フラップと呼ばれ
蝶の羽の様な動き(本来だと逆の動きなんだけど・・・)によって揚力を起こし旋回能力を向上する
目的で装備されましたが、あまり使われる要素ではなかったようです。
隼上面より 組立時風防を思いっきり踏んづけて割れてしまった 塗装もそのせいか適当に…
隼はそれ以降エンジンの換装に武装や防弾部の強化に加え各細かな形状を変えつつ一型・
二型・三型と改良を重ね、終戦まで陸軍の主力戦闘機として活躍していきました。
(隼の主な生産は中島が行っていたが二型統一から立川、さらに三型は立川のみが生産を行っている)
終戦まで生産された数は5751機。零式艦上戦闘機10402機に次ぐ国内第2位の生産数です。
いかに開戦当時、無敵を誇った零戦も次第に強力なエンジンと武装、そして物量に押され
苦戦を強いられると同様、隼も同じ運命を辿ることになります。戦時末期、両機とも
特別攻撃機に使用されたことはあまりにも有名です。
で、今日(22日の現在)で描いたのがその隼です
モデルは二型そのものでも斑迷彩はその場でささっと決めました。
今時そんなの知るわけねぇだろ!!って突っ込まれる程、風化してしまったのか忘れ
去られてしまったのか可哀想になってくるレシプロ機。もとい旧日本陸軍の主力戦闘機
として当時名を馳せた中島キ43一式戦闘機「隼」。海の戦艦「長門」、空の戦闘機「隼」
なんてモノはとっくになくなり、時代は戦艦「大和」と日本の名機「零戦(零戦をぜろせん
って呼びたくないけどさ)」になってますね。まあいいんだけどさ
戦後、爆発的に広まった零戦の名と共に、もってあまった貧弱武装と零戦弱みとなる防弾
措置無しの要らないおまけまで付けられ、更に海軍機と違い隼の後継機が続々と出ていた
陸軍機であっては、どうも存在の薄く見えてしまうものです。
上は第~分前に作った隼二型
いや、そうじゃない。隼はその出生こそ妙な経緯でゴタゴタしてますが
(旧日本軍に限らず何処でも開発問題は付きもの)その性能はピカイチでした。
ノモンハン事件で大活躍を果たした初の陸軍低翼単葉機である九七式戦闘機(キ27)に
試験飛行であっさり落第点を喰らうも改良型のキ43-Ⅱ、そして本仕様である隼二型
開発の末、(が、そもそもこの二案も間に合っていない。同時開発の重戦キ44「鍾馗」
の不備も重なり結局キ43-Ⅰの最低限改修を行った後、昭和16年(皇紀2601年である為)
"一式"戦闘機として)採用、量産されました。
格闘性能が九七式に比べ劣るものの(当然発動機の出力が上がり固定脚から引き込み脚
に変わるため機体も大きくなり重量が増すのは当然の事。それで旋回性能をもっと良く
しろというのならさらに機体は鈍重になるのは目に見えている)十分な航続距離と上昇力
そして零戦にはなかった燃料タンクの防弾措置が、隼の名を一気に上げることになりました。
(無論、初期段階の不具合も多く機体の強度不足による翼のシワ、果ては空中分解まで引き起こした
(改良型として一型乙となる。主翼の補強及び機銃の換装落下タンクの回収など)
隼の特徴として零戦と比べ武装が少ないことが先ず挙げれますが、これは陸軍が要求した
事でエンジンが非力なため格闘戦に重視し、固定機銃を二つに指定した事、隼の主翼の主桁が
二つあった為主翼に機銃を取り付けられなかった事が考えられます次に防弾措置です。
零戦と違い、隼は採用当時から燃料タンクに防弾措置のゴムが備え付けられており、
二型からは四式戦「疾風」と同じ防弾仕様になってなっています。これにより連合軍戦闘機の
攻撃に対しての一定の効果を上げ、搭乗員の生存率底上げにつながりました。
続いて空戦フラップ。これは二式戦闘機「鍾馗」にも採用されてますが蝶形フラップと呼ばれ
蝶の羽の様な動き(本来だと逆の動きなんだけど・・・)によって揚力を起こし旋回能力を向上する
目的で装備されましたが、あまり使われる要素ではなかったようです。
隼上面より 組立時風防を思いっきり踏んづけて割れてしまった 塗装もそのせいか適当に…
隼はそれ以降エンジンの換装に武装や防弾部の強化に加え各細かな形状を変えつつ一型・
二型・三型と改良を重ね、終戦まで陸軍の主力戦闘機として活躍していきました。
(隼の主な生産は中島が行っていたが二型統一から立川、さらに三型は立川のみが生産を行っている)
終戦まで生産された数は5751機。零式艦上戦闘機10402機に次ぐ国内第2位の生産数です。
いかに開戦当時、無敵を誇った零戦も次第に強力なエンジンと武装、そして物量に押され
苦戦を強いられると同様、隼も同じ運命を辿ることになります。戦時末期、両機とも
特別攻撃機に使用されたことはあまりにも有名です。
で、今日(22日の現在)で描いたのがその隼です
モデルは二型そのものでも斑迷彩はその場でささっと決めました。
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