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DOROの海(どろのうみ)

ここは個人の勝手な妄想と独断と偏見で凝り固まったゴミ箱の一種です

七四年六月二十九日更新"折角だからペラを回してみよう"其ノ二

2014-06-29 23:58:33 | 趣味。絵やら模型やら料理やら

せっせとせっかくなのでペラを回す其ノ二

テストにて仮配線で回転を確認し問題なさそうなので主翼を密閉させます。

現在では配線はビニルなどで被覆され絶縁状態も良いものの、当時の電気配線では銅線に紙などを巻いて塗料でコーティングしただけの粗末なものも多く温度や湿気でシールドが剥がれて絶縁不良や漏電による不具合も絶えなかったと思います





主翼の組付

当初計画してあった四千キロに及ぶの航続距離確保の為、洗練された空力学的な胴体ラインと主翼の大部分を占めるインテグラルタンクを採用し、十二試陸上攻撃機として昭和十四年十月二十三日に初飛行。昭和十六年四月に「一式陸上攻撃機」(G4M)として正式採用されました。

主翼の燃料タンクにおける被弾による火災の影響も考慮され、十分な防弾措置を三菱は検討していましたが、海軍の横暴な官僚風と戦闘機無用論が横行し、太平洋戦争勃発後の連合軍の新鋭戦闘機の前に被害を増やすばかりとなる結果を生みます。それでも初期の一一型から防弾ゴムの装備はありました。しかし連合軍側の物量の前、特に敵戦闘機の数とその機銃からなる弾幕。艦船からの対空砲火には、なす術のない状態だったのかもしれません。二二型からは速力と航続距離の低下に目をつぶって防弾措置の強化を図り、一定の成果を見せます。





操縦席ドアップ


一式陸攻、単に陸攻等とも呼ばれます。三菱が前に作った九六式陸上攻撃機は、中攻と呼ばれていました。
後継機となる筈だった空技廠の十五試陸上攻撃機「銀河」(P1Y)の配備が遅れに遅れ、終戦まで使われます。人間ロケット「桜花」の母機(二四型丁)、終戦後の事後処理の為機体を白く塗り上げ緑十字を掲げた緑十字飛行等、数々の運用方法にも使用された機体の一つです。

インテグラルタンクの為か、同時期に海軍航空の主力として活躍したA6M、B5N、D3Aの被弾後の呆気ない程の防弾措置のなさがイメージとして定着してしまったのか、弾一発で火を噴く様から「ワンショット・ライター」と比喩されていますが、最近の文献ではF6Fですら撃墜に手こずった経緯もあるので機体の評価の見直しが必要かと思います。


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