台湾の避難所は地震後3時間で開設、パーティションの中でマッサージも受けられる…元々は日本から学んだ災害対応 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
台湾東部・花蓮沖を震源とする地震は10日、発生から1週間を迎えた。3時間で避難所の態勢が整うなど初動の迅速な対応が際だった。背景には平常時からの官民の連携、協力があった。(花蓮 鈴木隆弘、上海支局 田村美穂)
地震が起きた翌日の4日朝、約130人が身を寄せる花蓮市の避難所では、プライバシーを守るパーティションの中で、被災者がくつろいだ表情を見せた。マッサージも受けられ、子供たちはボランティアらとゲームを楽しんでいた。
避難していた主婦(69)は、「余震が心配で帰れない。避難所が早くできたのが救い。ここなら安心して過ごせる」と 安堵 の表情を浮かべた。
花蓮市の災害対応は速かった。蕭子蔚・社会労工課長は、地震から10分後には役所近くの小学校に向かい、避難所開設の準備を始めた。1時間後には、平時から連携する民間団体の代表らを結ぶLINEグループを作り、情報共有を進める。関係者が続々と集まってパーティションを設け、瞬く間に避難所の態勢が整えられた。設備やサービスの提供は、主に民間団体や企業が担った。
飲食店や民間団体からは、温かい弁当250~300食分が毎食、届いた。熱々のピザも提供され、被災者は笑顔を見せていた。食事の提供は各自が自発的に行っていたものだった。
この地域では2018年にも大きな地震があり、花蓮市は避難所を整えるのに2日かかり、間仕切りもなく被災者から不満が出た。こうした反省から、市は平常時から民間団体や企業とともに災害に備えた検討を進め、訓練も繰り返した。
今回の地震後は毎日、市と民間団体が集まって被災者の不便を共有した。健康保険証や身分証を失った被災者に、迅速に再発行するなどの対応をとった。蕭氏は「行政の力は小さい。民間と協力を進めた日頃の成果が出た」と強調する。
台湾では災害後、民間がボランティアで活躍する傾向が強い。特に慈善団体「仏教慈済慈善事業基金会」は各地に支部があり、災害の被災者支援に力を入れる。今回も提供した折りたたみベッド、パーティションは自ら開発、備蓄していたもので、顔博文・執行長は「日々備えているからできる」と語る。東日本大震災や能登半島地震の被災地に赴き、支援した実績もある。
台湾は元々、災害対応を日本から学んだ。銘伝大学の邵珮君教授(都市防災)によると、1999年の台湾大地震後、台湾は日本の制度を見習い防災計画を立て、自主防災組織の仕組みも参考にした。邵教授は「日本と台湾は連携し、助け合って防災対策を進めてきた。今回は普段から地域のつながり、民間の力が強い台湾の良さが出た」と分析している。