仰木監督に続き、また悲しい知らせが届いた。
藤田元監督の訃報・・・
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■藤田元司元監督が死去(G公式-チーム情報2006.02.09)
↓(抜粋)
ジャイアンツのエースで監督だった藤田元司(ふじた・もとし)さんが
9日午後6時40分、心不全のため都内の病院でお亡くなりになりました。
74歳でした。
・原監督のコメント
「なんとコメントしていいか分からず、戸惑っています。容態が悪いことは
聞いていました。それでも心の奥底で『藤田監督が亡くなるわけないだろう。
俺をずっと見守ってくれる人なんだ』というお願いに近い妄想を抱いて
いました。だから、今になっても信じられない気持ちです。私にとって
恩師という言葉以上の恩人であり、かけがいのない人でした。今こうして
あるのも、藤田さんあってのことです。しっかりしたコメントを残さなければ
いけないのでしょうが、今はこれだけ話すのが精一杯です」
・桑田真澄投手のコメント
「キャンプに来る前、ごあいさつに伺おうと思っていたのですが伺えず、
お会いできなかった事が心残りでなりません。僕の野球人生において、
藤田さんがいらっしゃらなかったら今の僕はいなかったでしょう。
ピッチャーとはなんたるものかという事を、教えていただいた方です。
本当に残念です。心よりご冥福をお祈りいたします」
![](http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-060209-3303.jpg)
■元巨人監督、藤田元司氏が死去(nikkansports.com)
↓(抜粋)
第1次政権時代は江川卓、西本の両エース、2次政権では斎藤、桑田、槙原
を中心に巨人投手王国時代を築いた。その手腕は高く評価され、96年には
野球殿堂入り。巨人OB会会長も務め、沢村賞の選考委員などに名を連ねた。
昨年11月、正力松太郎賞の選考委員会でも姿を見せていた。
■藤田元司氏が死去-元巨人のエース、監督(SANSPO.COM)
↓(抜粋)
最初の監督就任は長嶋茂雄監督の後任で、2度目は王貞治監督を引き継いだ。
いずれもスター監督の後継としての困難を克服し、チームを再建した手腕を
高く評価された。“瞬間湯沸かし器”といわれるほど短気だったが、
普段はグラウンド上でも球場外でもマナーがよく、「球界の紳士」といわれた。
・巨人・斎藤雅樹投手コーチ
「外出先で一報を聞いたとき、言葉をなくしてしまった。僕にとっては
プロ野球界で最大の恩人。今の自分があるのは藤田さんのおかげだと
思っている」
・中日・川相
「プロとしてのキッカケを作ってくれ、ここまでやることのできる
キッカケをも作ってくれた監督でした。自分をレギュラーにしてくれた
監督でした。体調がお悪いのは聞いていました。いまは感謝の気持ちで
いっぱいです」
■名門救った忍耐の人 藤田元巨人監督(スポーツナビ)
↓(抜粋)
「ガンちゃん」が逝った。この呼び名は名前の元司の「元」を音読み
したものが最初である。プロ入りすると、そう身であることと元司から
インドの元首相ガンジーにイメージを重ね「ガンジー」とも呼ばれた。
振り返ってみると、ガンジーと同じ苦難の道を歩み、愛称がそれを暗示
していたような気がしてならない。
耐え続けた野球人生といえた。さっそうとしたマウンドでの姿は
「球界の紳士」との評価を得たが、怒ったときの迫力はすごかった。
相手は震え上がったものである。「忍」と「怒」。細い体に男の美学を
包み込んだ人だった。
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藤田さ~~ん
・゜・(つД`)・゜・
現役時代は知らないんですが、
監督をされてる時のイメージは
『 紳士 』
とても“瞬間湯沸かし器”と言われてるような
一瞬にしてカッ!と怒るイメージはなく、
温かい情のある人(おじさまって感じ)に見えました。
でも、そのやさしいイメージだけでなく、
とても心の強い、内に秘めた熱さを持ってる人。
そんな風にもお見受けしました。。
なんと言っても、斎藤、桑田、槙原の三本柱を作り上げ、
ジャイアンツが投手王国と呼ばれたあの輝かしい時代が
思い出される。。
ふと、以前『情熱大陸』に桑田投手が取り上げられたのを思い出した。
その時の記事→【夢を続ける - 桑田真澄】
肘の手術後、自分の思ったとおりに投げれなくて悩み、
藤田監督に相談に行った。
そこで「お前はよくやったよ」と言われるだろうと
予想していたのに、藤田監督の言った言葉は
「桑田、ボロボロになっても、
石にかじり付いてでも、
一年でも長く野球をやれ」
予想を反した答え。
でも、その言葉を貰ってから、
ずっとここまでやってこれたという。。
桑田投手のコメントに
「僕の野球人生において、藤田さんがいらっしゃらなかったら
今の僕はいなかったでしょう。」
とあります。
三本柱として活躍した桑田。肘の手術後悩んだ桑田。
藤田さんがいなかったら今の桑田はいない・・・。
復活する桑田投手の姿を藤田さんに見てもらいたかったですね。。
藤田監督って、たしか元木をドラフトで
「待たせたな。。」と獲ったんだったよね?
元木さんも悲しんでることでしょう。。
そうだ、藤田さんの野球解説好きだったなぁ~~~
藤田さんのご冥福を心からお祈り致します。。
↓(ー人ー)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b6/357223ff4bc602c694b09be177f242e3.png)
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藤田元監督の訃報・・・
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■藤田元司元監督が死去(G公式-チーム情報2006.02.09)
↓(抜粋)
ジャイアンツのエースで監督だった藤田元司(ふじた・もとし)さんが
9日午後6時40分、心不全のため都内の病院でお亡くなりになりました。
74歳でした。
・原監督のコメント
「なんとコメントしていいか分からず、戸惑っています。容態が悪いことは
聞いていました。それでも心の奥底で『藤田監督が亡くなるわけないだろう。
俺をずっと見守ってくれる人なんだ』というお願いに近い妄想を抱いて
いました。だから、今になっても信じられない気持ちです。私にとって
恩師という言葉以上の恩人であり、かけがいのない人でした。今こうして
あるのも、藤田さんあってのことです。しっかりしたコメントを残さなければ
いけないのでしょうが、今はこれだけ話すのが精一杯です」
・桑田真澄投手のコメント
「キャンプに来る前、ごあいさつに伺おうと思っていたのですが伺えず、
お会いできなかった事が心残りでなりません。僕の野球人生において、
藤田さんがいらっしゃらなかったら今の僕はいなかったでしょう。
ピッチャーとはなんたるものかという事を、教えていただいた方です。
本当に残念です。心よりご冥福をお祈りいたします」
![](http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-060209-3303.jpg)
■元巨人監督、藤田元司氏が死去(nikkansports.com)
↓(抜粋)
第1次政権時代は江川卓、西本の両エース、2次政権では斎藤、桑田、槙原
を中心に巨人投手王国時代を築いた。その手腕は高く評価され、96年には
野球殿堂入り。巨人OB会会長も務め、沢村賞の選考委員などに名を連ねた。
昨年11月、正力松太郎賞の選考委員会でも姿を見せていた。
■藤田元司氏が死去-元巨人のエース、監督(SANSPO.COM)
↓(抜粋)
最初の監督就任は長嶋茂雄監督の後任で、2度目は王貞治監督を引き継いだ。
いずれもスター監督の後継としての困難を克服し、チームを再建した手腕を
高く評価された。“瞬間湯沸かし器”といわれるほど短気だったが、
普段はグラウンド上でも球場外でもマナーがよく、「球界の紳士」といわれた。
・巨人・斎藤雅樹投手コーチ
「外出先で一報を聞いたとき、言葉をなくしてしまった。僕にとっては
プロ野球界で最大の恩人。今の自分があるのは藤田さんのおかげだと
思っている」
・中日・川相
「プロとしてのキッカケを作ってくれ、ここまでやることのできる
キッカケをも作ってくれた監督でした。自分をレギュラーにしてくれた
監督でした。体調がお悪いのは聞いていました。いまは感謝の気持ちで
いっぱいです」
■名門救った忍耐の人 藤田元巨人監督(スポーツナビ)
↓(抜粋)
「ガンちゃん」が逝った。この呼び名は名前の元司の「元」を音読み
したものが最初である。プロ入りすると、そう身であることと元司から
インドの元首相ガンジーにイメージを重ね「ガンジー」とも呼ばれた。
振り返ってみると、ガンジーと同じ苦難の道を歩み、愛称がそれを暗示
していたような気がしてならない。
耐え続けた野球人生といえた。さっそうとしたマウンドでの姿は
「球界の紳士」との評価を得たが、怒ったときの迫力はすごかった。
相手は震え上がったものである。「忍」と「怒」。細い体に男の美学を
包み込んだ人だった。
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藤田さ~~ん
・゜・(つД`)・゜・
現役時代は知らないんですが、
監督をされてる時のイメージは
『 紳士 』
とても“瞬間湯沸かし器”と言われてるような
一瞬にしてカッ!と怒るイメージはなく、
温かい情のある人(おじさまって感じ)に見えました。
でも、そのやさしいイメージだけでなく、
とても心の強い、内に秘めた熱さを持ってる人。
そんな風にもお見受けしました。。
なんと言っても、斎藤、桑田、槙原の三本柱を作り上げ、
ジャイアンツが投手王国と呼ばれたあの輝かしい時代が
思い出される。。
ふと、以前『情熱大陸』に桑田投手が取り上げられたのを思い出した。
その時の記事→【夢を続ける - 桑田真澄】
肘の手術後、自分の思ったとおりに投げれなくて悩み、
藤田監督に相談に行った。
そこで「お前はよくやったよ」と言われるだろうと
予想していたのに、藤田監督の言った言葉は
「桑田、ボロボロになっても、
石にかじり付いてでも、
一年でも長く野球をやれ」
予想を反した答え。
でも、その言葉を貰ってから、
ずっとここまでやってこれたという。。
桑田投手のコメントに
「僕の野球人生において、藤田さんがいらっしゃらなかったら
今の僕はいなかったでしょう。」
とあります。
三本柱として活躍した桑田。肘の手術後悩んだ桑田。
藤田さんがいなかったら今の桑田はいない・・・。
復活する桑田投手の姿を藤田さんに見てもらいたかったですね。。
藤田監督って、たしか元木をドラフトで
「待たせたな。。」と獲ったんだったよね?
元木さんも悲しんでることでしょう。。
そうだ、藤田さんの野球解説好きだったなぁ~~~
藤田さんのご冥福を心からお祈り致します。。
↓(ー人ー)
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つД`)・゜・。・゜゜・*:.。
見てもらいたかったね・・・・・
つД`)・゜・。・゜゜・*:.。
>見てもらいたかった
同感です。
私の、藤田監督に関しての記憶はあまりにも少ないのですが、エピソードはいっぱい聞いてます。
また一人、偉大な方が亡くなられ、残念です。
(うち日本一2回)の名将、藤田元司
さんが昨日の夜に他界したそうです。
思えば、私が知ってる、ここ30年の
巨人の監督で「本当の意味」で名将と
いえるのは、藤田さんだけだったの
ではないかと思います。それだけに
本当に残念です…
http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/
藤田さんでした。
思い起こせば原さんが入団した年から
私のジャイアンツファン歴がスタート。
その当時の監督は藤田さんでしたから
この訃報を聞いたときは本当にショックでした。
病気との戦いでお疲れになったと思うので
今はゆっくりと安らかに眠ってもらいたいです。
藤田さんって、王監督の後、長嶋監督の後と、
困ったときの藤田頼みみたいに監督就任されて、
堅実なチーム作りをして勝利へ導いたというイメージですね。
*しゃけさん*
初めまして。
あちこちの藤田監督訃報記事のコメント欄で
お見かけしたような・・・
藤田監督自身は派手ではないけど、
“名将”だと思ってますよ。
*HILOVINSONさん*
選手でいうと、
原・中畑・篠塚・吉村・江川・斎藤・槙原・西本などなど
数え切れないスター選手がいたGの黄金時代ですよね~
藤田さんは、ずいぶん長く心臓を患ってらしたとか・・・
それでもジャイアンツへの思いは熱く、
気にしてらっしゃいましたね。
天国から「原、よくやってるな」と笑顔で
見守っていてもらいたいですね。。
藤田さんと言えば、近鉄との日本シリーズ
で3連敗して、後がない4戦目の先発が確か
香田さんで、「まさか・・・」と思ったが、
その試合見事勝利し、そこから怒濤の4連勝で
見事に日本一を成し遂げました。
2軍からの若手をうまく使いジャイアンツ
の黄金時代を築きあげた人でした。
斎藤投手を日本一の名投手に育て、桑田・槇原を
含めた3本柱を確立し育て上げ、投手王国を作った
のも藤田さんでした。
ご冥福をお祈りいたします。
藤田監督時代のようなジャイアンツに蘇らせてほしいですね。
桑田投手が言うように、藤田元監督みたいな人生の師に出会いたいですね。
「優勝予告」制作に参加させてもらいます、またよろしくです。
桑田投手も復活するぞと更に気持ちを引き締めたでしょうね。
「優勝予告。」の方、こちらこそヨロシクです!