misty green and blue

Life is like an onion...

なんば。

2020-03-15 | something

マイケルの大阪公演がきっかけで、難波がちょっと身近になった
それまでは、馴染みのない街だった

誕生から学生時代までを大阪・東京・兵庫で暮らした
兵庫が一番長く、そのせいか大阪よりも兵庫の方が親しみを覚える

関東での生活が長くなり、いわゆる関西弁を使うことはなくなった
関西弁が定着しなかったのは、一時東京に住んでいたことと無関係ではないだろう
関西弁が抜けて、すぐに標準語が話せるようになった
ただ、興奮すると思いがけず関西弁が飛び出すことも稀にある

私の話す関西弁は、大阪弁・神戸弁・紀州弁をミックスしたものだと思う
両親は紀州弁だった
先生や友達は、その時代によって大阪弁と神戸弁が交錯していた
言葉に関しては、その使い方よりもイントネーションに懐かしさを感じる

当たり前だが、難波で耳に飛び込んでくる言葉は、大阪弁だ
行き交う人々が少ないのは、外出を控えている人が多いせいからだろうか
確かに観光客はほとんど見かけなかった

新幹線の車内もガラガラだった
自由席でも余裕で座れたに違いない

それでも、首都圏発‘安い値 大阪1泊旅行’は、リフレッシュにはもってこいの、貴重なひとり旅だった
夕方にチェックインした私は小1時間程寛いだ後、散策のためホテルを出た
散策に選んだのは、“緑との共存”を謳うなんばparksだった
大阪球場の跡地にJon Jerdeが設計した、地球上の大峡谷に似せるために悠遠なる時間と地層を模した壁面に覆われた段丘上の建物 ― その外観は雄大にして壮大、天晴だった
3階から9階まで植栽を多用、とりわけ南海ホークスに在籍した元選手を始めとする旧大阪球場に縁の深い人物の手形モニュメントが設置されている屋上部分‘屋上庭園 パークスガーデン’の、ライトアップされた夜間に控えめかつ幻想的に浮かび上がるさまが印象的だった
1時間強の庭園散歩を楽しんだ後は、待ちに待ったディナータイム
ここぞとばかりに大枚をはたく予定だったが、その勇気がなく、結局はいつもの?イタリアンに落ち着いたのだった

翌日はお目当てのパン屋さんでゆったりランチに舌鼓を打つ予定だったのだが、私の方向音痴が仇となり、生憎おじゃんとなってしまった
不運が重なったのだ
事前の問合せで道順を記録したメモを忘れてしまった
電池切れのため携帯電話が使えなくなってしまい、電話もままならなかった
あ~あ、ホンマに阿保やなぁ。。。。

妥協して入った、なんばwalkで軒を連ねるとある一店舗 ―
サンドイッチに使われた食パンは、パサついて弾力がなく、実に味気なかった

次回の楽しみに取っておこう

次回は.....あるのだろうか
今年中に出来れば、マイケルに会いたい

思い出の大阪で、もう一度、会えると.....信じたい


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