フランスの歴史上、最も有名な王妃 マリー・アントワネットは、卵型の輪郭に白い肌、豊かな金髪、身長154cm、バスト109cm、ウエスト58cm―
当時の美の基準を備えた美貌の持ち主だった
その圧倒的な美しさで人々を魅了、当時の社交界ではファッションリーダー的な存在だった彼女は、年間170着のドレスをオーダーメード、
その金額は年間10憶円にも及んでいたという
何より注目を集めたのが彼女の髪型で、最初は顔の1.5倍の高さだった盛り髪スタイルは徐々にエスカレートし、草木をあしらった‘庭ヘアー’や
船の模型を載せた‘船盛りヘアー’などの革新的スタイルで、女性たちの羨望の的となった
半日勤務だった去る12日、『マリー・アントワネット物語展』を開催中のそごう美術館に足を運んだ
彼女が実際着用していたドレスやヘアスタイルを複製、特別に再現したゾーン(写真撮影可)でその一端に触れ、体現した
入浴の習慣がなかったフランスへ嫁いだ後も入浴の習慣を続けることで、体臭を消すことが目的だった香水に大きな影響をもたらした彼女は、
当時のヨーロッパ貴族が愛用していたムスクや動物系の濃厚な東洋風の香りよりも薔薇、菫などの花やハーブなど植物系の現代の香水に近い、
優しい香りを愛用した
家具にも強い関心を示した彼女は、世界中から沢山の木材―マホガニー、黒檀、紫檀、ブラジル産ローズウッドなどを取り寄せ、装飾家具を造らせた
一方で日本製や中国製の家具、漆工芸品を好み、贈答としても用いていた
自分の趣味・嗜好を持ち込んだ唯一の王妃と言われるマリー・アントワネットは、彼女の自室と心のオアシス 離宮プチ・トリアノンの改装に
そのこだわりを遺憾なく発揮した
しかしながら、皮肉にも彼女が愛したファッションや世論を無視した華美で享楽的生活は、彼女の悪評を国中に広めていくことになる....
もしも彼女が王妃でなかったら―
革命の渦に巻き込まれ、断頭台で露と消えることもなく、37歳という短い生涯を終えることもなかったかもしれない
白衣に白い帽子を身に着けた斬首日当日、誤って死刑執行人の足を踏んでしまった彼女の口から咄嗟に出た言葉―
“ごめんなさいね、わざとではありませんのよ でも靴が汚れなくてよかった”
最期の言葉だった
旧態依然とした宮廷生活に新風を吹き込み、ハープやチェンバロを嗜むマリー・アントワネットは、音楽家としての一面も持ち合わせていた
作曲も試み、少なくとも12曲の歌曲が現存しているという
反逆のアーティスト
私のイメージするマリー・アントワネットは、王妃としてのそれではなく、アーティストとしてのそれだった
なるほど、そういう考え方もあるのですね。
僕のイメージはベタですが悲劇の女王です。
アントワネットが宮殿で贅沢の限りを尽くしたため、財政危機に陥り、庶民が飢えることになったと言われます。
ただ、財政危機の最大の原因は度重なる戦争でしょうね。
それが決定的になったのは、アメリカ独立戦争への参加でしょう。
敵(イギリス)の敵(アメリカ)は味方ということでアメリカ側について戦争に参加し勝利しますが、利はなかったのではないでしょうか。
そうやってフランス財政が厳しくなったとき、その矛先がオーストリアから嫁いだアントワネットに向かったのでしょう。
民衆から見た場合、贅沢な貴族の象徴だったのは間違いないでしょうね。
その後、革命に巻き込まれ処刑されますが、ロベスピエールらの恐怖政治、ナポレオンによる終わりのない戦争など、アントワネットがいなくなっても民衆が
楽になることはなかったと思います。
というわけで、革命の悪役にされてしまったアントワネットは悲劇だなって思いました。
既にフランスの財政は先代ルイ15世の時代から傾いていたそうですね
“革命の悪役にされてしまったアントワネット”は、おっしゃるとおり‘悲劇’以外の何ものでもないですよね。。。。
ただ、彼女のライフスタイルやファッションにスポットを当てた今回の展覧会は、彼女への印象が変わるほど衝撃的でした☆
かつて映画を通じてモーツァルトに対して抱いたロック的な側面をアントワネットにも感じたのです
ちなみに、以前フランスを訪れた時ヴェルサイユ宮殿を観光する機会があったのですが、捻くれ者の私(笑)は、あえて宮殿は避け、
その庭園にある離宮のひとつであるグラン・トリアノンを観賞しました(笑)
ルイ16世がアントワネットに与え、彼女の世界観が具現化されたプチ・・トリアノンに生憎行けなかったことが今も心残りです....