北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

夕焼け・日の出前・旧深見トンネル

2008-08-07 13:43:15 | 自然・風景
一昨日、職場からの帰りに坂道を下っていると杉の木立から見える雲がピンクがかり、入道雲の残りがその奥に少し顔を出していた。そして昨日も、西の空は少し焼けていた。夕焼けを見たのは久しぶりの感じがするなあ、とカメラに収めました。

昨夜は疲れていて早く寝たので、今朝は久しぶりに5時前には目が覚めた。ブログを覗くと、ささ舟さまがコメントで亀岡の白蓮がきれいですよ、と教えてくださった。蓮と言えばそうだすぐ近くの福徳寺前の蓮が気になり足を運んだ。割と咲いているなあ。でもここは花によってタイムラグがある。正面の広場への道は鹿除けのためであろうネットが張られていたがそれをかいくぐって池に近寄った。蓮の葉の水滴や畦道の草の雫の方がきれいだ。

折角なので西の山裾の道を廻って帰ることにした。朝日がまさに出んとしている。矢谷で畑仕事を終えられたおじさんと少し話を交わし、塩田へ。稲田の雫がきれいだったのでガシャっと一枚。日の出直前、塩田から北東方向を望んだ早朝の風景です。





昨日はゼミの西の鯖街道歩きの為に河内谷へ下見に行った。河内谷は、聞法寺跡、木梨軽皇子伝説、知井十苗などの話があり、またその渓谷美を楽しみつつ、深~い谷を奥へと進んだ。谷の最奥から深見峠を越え、車をデポした今の深見トンネルの入口方面へと下りてくるところに、我が懐かしの昔の深見トンネルがあるので少し近づいてみて撮った写真が次のものです。





旧トンネルにはゲートも無く通り抜けできるのだろうか。ヘッドランプを付けて中を歩いてみたい気もするが、幽霊伝説もあり少し怖い気もする。少しだけ中に入ったが痛んでいる様子はなく、あれ昔はもっと古い感じがしたのに、と意外であった。このトンネルを通ったのは今のトンネルの工事中だったなあ、何年前かしら。

深見峠の上をあるいていると、トンネルが出来る前に通っていたというバス道もあった。う~ん、これは一度歩いて見たい。またこの峠まで安掛から木材が人によって運ばれたそうで、木を弓削側の谷へ落とした跡もあるという。昔の人達の苦労と逞しさを感じた。


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4 コメント

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遠く近く古里。 (道草)
2008-08-07 16:30:23
塩田の先祖の者たちが眠る墓を訪れたのは、もう何年前のことでしょうか。この四月にmfujinoさんの車で通ってもらいましたが、我が古里は最近はかなり距離が近くなったようです。またいつか、ゆっくりし訪問したい気持ちです。

「ふるさと」    井上 靖

〝ふるさと〟という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、どれもいい。
外国でも〝ふるさと〟という言葉は例外なく美しいと聞いている。
そう言えば、ドイツ語のハイマートなどは、何となくドイツ的なも
のをいっぱい着けている言葉のような気がする。漢字の辞典の
援(たす)けを借りると、故園、故丘、故山、故里、郷邑(きょうゆう)、
郷関(きょうかん)、郷園(きょうえん)、郷井(きょうせい)、郷陌(きょうは)、
郷閭(きょうりょ)、郷里、たくさん出てくる。故園は軽やかで、
颯々と風が渡り、郷関は重く、憂愁の薄暮が垂れこめているが、
どちらもいい。しかし、私の最も好きなのは、論語にある〝父母国〟と
いう呼び方で、わが日本に於ても、これに勝るものはなさそうだ。
〝ふるさと〟はまことに、〝ちちははのくに〟なのである。
ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、陽よ。
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父母国 (mfujino)
2008-08-08 20:10:59
この写真は、夕陽は井崎から塩田方面を、また朝の風景は塩田から井崎への農道、紺屋橋の手前から撮りました。道草さまからすれば祖父母国の写真ですね。そうです、塩田は近いです。その気になられましたらいつでもアッシー君になりますのでお申し出下さいませ。
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いつか観た夢か (硯水亭 Ⅱ)
2008-08-23 23:03:54
    Mfujinoさま

 あっという間に記事が満載されていて、小生はいかに横着しているか反省するだけです。それにしても美しい写真ですねぇ。夢にまで出てきそうです。鄙びの暮らしは次第に人間を純化して行くのでしょう。もしも鳥だったら飛んで行けるのに、今年は残念の極みです。でも杖なしで最近少しずつ歩けているようです。焦らず頑張ります!
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自然の中の生活 (mfujino)
2008-08-24 23:59:07
硯水亭さま、 回復順調の様で何よりです。焦らずじっくり時間を掛けて直して下さいませ。仰るとおり、田舎は人間を鈍化させてくれます。大阪にいるときの様なあくせくした気分ではなくなったように感じます。自然を感じる環境での生活に満足しております。ちょっと話は違うかもしれませんが、岡山に住む我が末娘が旦那と来て京都市内で遭いました。どこで落ち合うかのメールのやり取りに「山からおりてきてくれないか」という表現が入っていて苦笑してしまいました。そこまで山奥に暮らしているとは自覚していないのですが、、
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