メンザシン menzashin0213 報恩謝徳 

日本で生まれ、日本で育てられた事に感謝し、日本の伝統と伝承を学び、後世の世代へと繋がる事、それが私の希望です。

神仏習合の神と白山比神の御事 菊理姫神

2013年05月31日 | 日記









 

 



神は、「隠り身」の存在であり、我々人間の目には見えない。


日本では古くからそう考えらえてきました。

 

六世紀に仏教が伝来すると、その影響から「神の姿」が目に見始めました。

 

それは、仏教の信仰対象の「仏像」の存在が広まったことにより

 

「神像」を作られるようになってきたからです。

 

日本に仏教が伝来すると、多くの人々が仏教に帰依するようになりましたが

 

その多くが、「仏は神の一種」ととらえ、「帰依しても日本の神々の信仰を


捨てなくてよい」と考えていました。

 

結果的に、神と仏の両方を信仰する、日本独自の信仰体系が出来上がっ


ていきました。

 

こうした中で、神道と仏教は複雑に絡み合い、双方に正式なルーツを持た


ない「神」が生み出されていきました。それを、神仏習合の神と言います。

 

また「日本の神々は、仏(如来)や菩薩が人々を救うために権りに姿を表


したもの」とする「本地垂迹説」の思想も生まれてきました。

 

この思想により、神々を「権現号」をつけることが盛行し、中・近世を通じて


「権現信仰」は盛んとなっていきました。


また、修験道の信仰と相まって、蔵王、熊野、白山、箱根、出羽、日光等


の山岳地帯においては、山岳神について、権現号で呼ぶことが多くなりま


した。


なお、習合していったのは、神道と仏教だけではなく、道教や陰陽道など


とも習合していきより色々な性質を持ちあわせた神が誕生していきました。


私が個人的に、この神仏習合、神仏合体という日本独自の考え方が大好


きで、先駆者の方々の先見性については、とても素晴らしいことだったと


思っています。


日本国は建国以来、他国に占領され、占領国の信仰する宗教や神を信


仰することへの強要をされたことはなく、


殆どの世界中の大陸で、戦争と弾圧により、それまで信仰していた宗教を


戦勝国が崇拝する宗教へ改宗しなければならなったことなどの歴史は、


後世に真実として今なお色濃く刻まれていますが、


現在の世界の宗教は、一神教(キリスト教、イスラム教など)と多神教(日


本神道、仏教、ヒンズー教など)に大別され、「唯一の神」として信じ合う、


キリスト教とイスラム教の教徒は、創始以来、幾度となく


宗教戦争(十字軍から現在の中東戦争まで)を繰り返し、現在でもキリスト


教VSイスラム教の国々は、聖戦と称して


戦争やテロが絶えず、一日たりとも休戦になる気配すらありません。


自分たちが信じる「唯一の神」以外に神様は無く、仏教などは儒教と同じ


く、人間教育の一説程度の認識にしか残念ながら思われていないのです。


お釈迦様が誕生地ネパールの南部で布教していったインド地区でも、バ


ラモン教、ヒンズー教、は侵略にてイスラム教に武力で支配されていっ


歴史は、建造物のモスクやタージマハールなどを見ても、現在でも確認


することができます。


以前のブログで記載しましたが、日本神道とは、日本古来からの自然神、


外国からの宗教を融合し、日本人の生活の中から発生した土着の神の


国津神、高天原の神の天津神、が日本の国で共存して、「八百万の神」と


して国を見守り、外来の仏教、道教、儒教、陰陽道など、山岳信仰の


修験道を断絶させるには至らず、言わば、いいとこ取りのように


良い解釈をしながら、神仏習合、神仏合体しながら、現在迄伝承してきた


事は多神教国家であった事と、それでいながら、現在においても


天皇陛下(すめらみこと)を象徴として、日本神道が日本国の祭りや年間


行事や人生儀礼に色濃く根付いていて、四季とともに自然とともに


共存共栄する宗教感、道徳感は、世界に類をみない


素晴らしい伝統と伝承が日本国に備わったと思っています。


今年度は、2月から白蛇の巳年、5月の国津神の出雲大社の大国主命、


10月の伊勢神宮の天照御大神様、の大遷宮のご縁年であり、


今現在生きている方々が今後経験しないであろう、大神様達と八百万の


神様達が蘇る、復活する、神と人間が同一し、太古から未来迄つながる、


伊吹、息吹、気吹が日本国に吹き込まれる、6月1日から


色も音も数も鮮やかに変わって行きます。


神風に乗り、天高く、地低く、大気を受けて いきます。


そこで、私自身も生活環境がガラッと変わり、6月1日より 新しい生活、


新しい仕事、で気が変化する三年ニヶ月間迄関東地区と行き来すること


が多くなり、ブログの更新も殆ど難しいかも知れません。


前回は2月13日の誕生日迄、今回は入院以来から本日迄続けてきました


が、体調も回復し、ほぼ健康体に回復しましたので


世の中の為に少しでもなる事を実行していきたいと思っていますので、ご


了承の程よろしくお願いします。







神棚に供える神饌と四方を守る神仏

2013年05月30日 | 日記






神棚にお供える神饌はご縁日によって変わって来ますが、上記の一枚目の写真は、毎月3日の金龍神様と黄金山大神様のご


縁日でお供えする、卵と餅を我家の神棚に上げる前の状態です。


卵は鶏が、アマテラス様が天の岩戸にお隠れになった際に、岩戸が開いて朝となった際に、鶏が鳴いて夜明けになった伝説


ら、卵をお供える事は、新しく開かれていく事の吉祥と考えられています。

 

伊勢神宮で、鶏が放たれている事はこの事に由来しています。


餅は長寿を表していて、例えば金運開運を御祈願しても健康でなければ成就はできず、天命まで末長く生きれる事に由来


します。金龍神様は、健康長寿を授けられるのです。


二枚目の写真は、ご縁日以外の通常日に神棚に供えようとしている直前の、水と米と塩と魚と昆布のお供え物です。


神様の大好物は水であり、毎朝神器の水をお取り替えしていても、水が翌日まで残っている時と減っている時があります。


暑いので蒸発したとか、器が穴が空いているなどでは無くて、水が減っている時は神様が来た後なのです。


米は日本人の主食であり、霊力が備わる食べ物です。


魚は人間が、霊長類への進化の過程で海から陸へ、そして二本足で歩行する地上の生物へと変化していきましたが、言わ


ば海は故郷、魚は私達人類の祖先である訳ですので、感謝し祀られる訳なのです。


昆布は、締める事、神様と人間を繋ぐと言う意味であり、非常に大事なお供え物であります。


塩は清める浄化するの意味で、水と塩は混ぜ合わせると塩水の海水になる事を表します。


禊と御祓は、黄泉の国から伊奘諾尊が筑紫の日向の海水の塩水にて身体を清めた事に由来し、神棚は地上であり、その空間


に塩水として海水を擬似的に創り出し、空間を清めている事に由来します。


塩は地上に無い物質でありますので、神棚以外にも、天からの雨と地下の水と混じりあい、塩を巻いた敷地が清められ浄化


ることに使用されます。建物の入り口、玄関口に盛り塩を置いている光景を見る事もあろうかと思います。


本年度の日本国は、生涯に一度の大遷宮とご縁年が重なる年であると、以前にもブログに投稿しています。


仏教では、故人がお亡くなりになってから49日間、あの世に逝くまで四天王が四方を守り導きますが、


今年日本の神々は、全てを蘇るために、下記の四柱の神様が特別に結界と神縁と神人を守ります。

 











自宅で花が咲いていましたので、下記の写真に載せます。

 
















全国の一の宮の起源

2013年05月29日 | 日記






一の宮とは、平安時代の十一世紀頃に整えられた社格を表します


すべての一の宮は、朝廷によってまとめられた「延喜式神名帳」に記載された


式内社から選ばれ、任地に赴いた国司は、まず一の宮に参拝したと言われています。


その名の通り、一の宮は一国の総鎮守として二宮以下の神社に対して優越する存在で


ありましたが、時代が下るにつれて変化があったようで、一国内の二社以上の一の宮が


存在することもあります。


明治以降の近代社格制度では、全国の神社が国の神衹官が管轄する「官社」とそれ以下の


「諸社」に分類されましたが、多くの一の宮は近代社格制度でも官社に位置づけられました。


又、一の宮や二の宮という称号は一国についてだけではなく、一郡や一郷、あるいは一社内の


各神殿における格付として付け加えられることもあったため、かつての国の数より多く存在


している現状があります。


一の宮の祭神には、天津神よりも国津神系の神様を祀ることが多くあります。


これは、土地の人々と深い繋がりを持つ歴史ある神社の中から、国ごとの一の宮が


選ばれた結果と考えらています。


江戸時代の初期に、神道家の橘三喜が延宝三年から二十三年かけて全国の一の宮を


参拝し、その記録を「諸国一宮巡詣記」全十三巻として著わしました。


これをきっかけに、多くの人々が一の宮巡礼を行うようになったと伝えれています。






御朱印帳と陰徳

2013年05月27日 | 日記












私の御朱印帳も四冊目を終えようとしています。


上記の写真は、熊野那智大社から始まった御朱印帳と、成田山新勝寺から始まった御朱印帳です。


特別、何処の神社仏閣の御朱印帳から始めるという規則等は決めてはおらず、


丁度、前回の御朱印帳が埋まり、続けていく途中で、偶々その神社仏閣や聖地に出向いた場所での御朱印帳を


購入し、又そこからの御朱印帳から開始して続けていくようにしております。


御朱印を記載していただく意味とは、旅の記念スタンプ等の目的では無く?自分自身が亡くなった際に遺族の人達


が棺の中へ、生前に愛用していた物を入れて旅たたせる習慣がありますが、その中に自分自身が出向いて徳を


積んで歩いた場所全ての御朱印帳を一緒に棺の中に入れて頂き、合わせて火葬します。(閻魔大王は地蔵菩薩と習合)


そうすると、あの世の始めに閻魔大王様にお目通りする際に、今世の所業は見抜かれてはいるのですが、


御朱印帳を閻魔大王様が見て、その方がこの世で徳(陽徳では無く、陰徳)を積んでいたかどうかを判断されて


あの世で行くべき場所をそれぞれ案内されると言われる言い伝えがあるからです。


どの様な人であれ、殺生(魚や肉を食べる事)、貪瞋痴(怒ったり、愚かな心で疑って見てしまう事)は、


誰でも経験している事であります。取り返す事、消ゴムで消す事が出来ない所業等は色々とありますが、


陰徳を積む事は、懺悔の一つの行いでもあり、人間が幸せになるには、他人を幸せにする事への実行が不可欠で有り、


所謂、世の中の生きとし生きる全ての者の平和と安寧を御祈願し、その下支えをする行動は本来の人間の有るべき姿です。


勿論、陽徳も素晴らしい事ではありますが、自分自身の名誉とかの側面も垣間見えますので、隠徳に比べると


本来の世界の恒久的な平和を願う行為としては、徳を積む本質からみて、充分とは言えないと思います。


本日、28日のご縁日の銀龍神の南無大日大聖不動明王様の様に 不動となるべく、日々精していきたいものです。


曹洞宗の教え

2013年05月27日 | 日記



 

昨日の午後から、妻方の親戚の方がお亡くなりになり、私も葬儀に参列してまいりました。


葬式を執り行った仏教宗派は、曹洞宗の導師様(和尚様)であり、葬儀の初七日法要の際に私達に説法が


ありました。

 

簡略しますと、御釈迦様の教えでは禅を組む事とは 気 を沈めて 上気 させず貪瞋痴(とんじんち)の三途


の川を渡る修行である事


禅は、正しい 姿勢 正しい 呼吸 正しい心 で行う 三つが基本が整う事で、悟りの一歩が開かれる事


身体のへそ下にある 人間の気は 怒りや悲しみによる感情で、へそ下から身体の上部へ上気していき


喉仏過ぎて、頭にまで 気が登ってしまえば、頭にくる、気が変わる ことに変化し貪瞋痴にとらわれてしまい


ます。


その気を、へそ下に留め置くために禅が行う事が、必要不可欠であることを説かれていました。


又、お勤めをするお経は、摩訶般若波羅蜜多心經 そして 修證義 第一章 緫序で読経 を行いましたが、


供養する仏心の境地で読みあげれば、床を這う音で導師様まで届き、供養する仏心が足りず読みあげれ


ば、天井を伝わる音で導師様に届くとも説かれていました。


仏となられる方に供養するには、蝋燭とお線香と花と水とお供え物の5点が必要で、ある人は、何故?水も


お供え物も食べられないのに、仏前に供えられるのですか?と聞かれる方もいらっしゃいますが、


供養する私達は、亡くなられた方の菩薩業を応援するために、各法要などを行いますが、


供養する心とは、私達の食物を仏様にも食べていただこうと思う気持、それは親子や兄弟、親友、恋人


と分かち合う気持ちと同じであり、供養する人達が仏前に供えた瞬間の気持ちだけで


仏になる故人へ伝わり、供養の一つとなるそうです。


花は空間を浄化する、お線香は香を食していただく、蝋燭の明かりは仏様と通じる事から由来します。


私は個人的に仏教では弘法大師様に帰依しておりますので、真言密教を毎日のお勤めにしておりますが、


真言宗でも曹洞宗でも唱えられる、一般的に有名なお経である 般若心経や観音経、も読経しますが、


曹洞宗の基本である 禅と お経である 修證義 第一章 總序 にあります 最初の一行目


「 生を明らめ 死を明らむるは 佛家一大事の 因縁なり 」


このお経の一行目が私自身、いつも仏教の事を思うときに、心に抱いている大事なお言葉なのです。


父方や母方の生家も曹洞宗なので、修證義は折に触れて、その生家でお盆や彼岸には


幼稚園くらいの時から、読経はしていましたのでいつもそう思う様に心がけています。


蔵王連峰 神々しい 悟りの世界

2013年05月25日 | 日記

















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蔵王町倉石岳刈田岳山頂 奥之院蔵王連峰の里では、太陽が出ていても吹く風は


冷たく感じていましたが、山頂に登ると無風でとても暖かく、娘は「こんな不思議

 

な感覚は始めての経験だ」と言っておりましたが、私は仏の黄金の世界感を感じて

 

いて澄みきって眩くて暖かく神々しい空間は、悟りの世界なのだと感じました。


遠くに月山を見渡せ、雲の上に出た山頂部分が有頂天に見えた蔵王連峰でした。


(愛犬ミントも元気に登頂することが出来たようです。)


蔵王連峰と魂の故郷

2013年05月25日 | 日記


 


昨日に投稿した、三浦雄一郎さんのエベレスト山への登頂の動画の映像を

Youtube にアップロードしました「世界最高峰エベレスト山 80歳で登頂 三浦雄一郎」

youtu.be/Xmnx-pU2UG8

を見ていて、蔵王連峰の御釜の緑青色の映像が、ふと頭に浮かんできました。

そこで、本日と明日、家族を連れて蔵王遠刈田温泉に入り、蔵王連峰に行ってきます。

蔵王連峰は、修験道の始祖 役行者が、白鳳8年に大和国吉野山で獲得した

蔵王権現を蔵王山(不忘山)に奉還し

奥羽山脈を修験道の修行地にした事に名前を由来します。

役行者が修行地として開山した地は、全国にありますが、その地に行きますと

私は、満願の踊り(鬼剣舞)の音と踊りの映像が、何故か?いつも感じます。

( デンスコ スッタク デンデンコ  デンスコ スッタク デンデンコ  の音と鼓動 )

神仏習合、神仏合体の教えを役行者と、弘法大師空海様が開山された修験道

の全国各地の聖地では、常に圧倒的な霊力をいつも感じられます。

人生、山あり 谷あり

人は、故郷の山に帰る事が体感できます。

大海で禊ぎ祓われ魂は、故郷の山に帰っていくのだと思います。


世界最高峰から繋いでいく

2013年05月24日 | 日記












世界最高峰の山のエベレスト山の頂上に、日本人冒険家の三浦雄一郎


さんが、登頂したニュースが流れています。


80才7ヶ月の年齢である事と、親子でこの年齢で頂上へ登山できたのは


三浦さん親子が世界初なそうです。


もちろん、三浦雄一郎さん自身の年齢的な実績については、とても素晴ら


しい事でありますが、私が個人的に親子で世界最高峰に登頂できた事が


何よりも変えられない素晴らしい事を達成されたと思っています。

 

三人の子供さん(娘さん一人、息子さん二人)が父親を強くサポートし、


親を尊敬し、決断に従い応援する姿は、本来の人間のあるべき姿で


あると思います。


老いという現象は、身近な人間の中では、自分の親を見て体験する事だ


と思います。


私自身も父親の、老いという現象の介護を、3年間程経験しました。


神社や神棚などで、注連縄を見かける事があるかと思います。


注連縄の意味は、「つむぐ、つなぐ、繋がる、末広がりに」 という伝統が


私達、日本人に受け繋がれています。


三浦さん親子は、その日本人の伝統である、「親から子へ、子から孫へ、末広がりに」

 

繋がっていく事を、体現したのと思っています。


末広がりの数字 8 の80歳に、日本の神様が甦るこの 平成25年の年に

 

世界最高峰エベレストの山の頂から、気吹きを送り込んでいただいたのだと思います。






出羽 三山拝詞

2013年05月22日 | 日記





 

 

 

 



三山拝詞 (三回奉唱)

 



綾に綾に竒しく尊と        月山神の御前を拝み奉る


綾に綾に竒しく尊と        出羽神の御前を拝み奉る


綾に綾に竒しく尊と        湯殿山神の御前を拝み奉る



あやにあやにくすしくたふと   つきのみやまのかみのみまへを おろがみまつる


あやにあやにくすしくたふと   いではのかみのみまへを おろがみまつる


あやにあやにくすしくたふと   ゆどののみやまのかみのみまへを おろがみまつる



熊野観心十界曼荼羅

2013年05月21日 | 日記


 

 

 

上記の写真は、熊野比丘尼(女性の修行者 尼さん)が、熊野三山の


造営のための浄財を勧進するために、全国に持ち歩いた絵解きに使用


した曼荼羅です。


字が読めない庶民に、分かりやすく十界を説明するため絵の曼荼羅で


説いていました。


私達が、生を受けた時から、亡くなるまでの時も、天上界や地獄界も

 

全て鳥居を通して、自分の心と繋がっており、熊野詣での意味が表さ


れています。


この様に熊野比丘尼のお役目をしていた方々を、先人(せんだち)と


言い、広く一般の方々にも、信仰心でお導きをしていました。


「魂の甦る熊野詣で」の由縁です。






神拝詞 (金華山黄金山神社)

2013年05月20日 | 日記

 

 

(二拝)



 掛巻も畏き   黄金山神社を遥に謹み敬ひ    拝み奉りて


かけまくもかしこき   こがねやまかむやしろをはるかにつつしみうやまい

おろがみまつりて 



天皇陛下の大御代を      常磐に堅磐に斎ひ幸ひ奉り給ひ


すめらみことのおおちよを  ときはにかきはにいはいまつりたまい



吾    家族親族の末に至るまで   喪なく事なく   守り恵み給へと


あが  うからやからのせにいたるまで  もなくことなく  まもりめぐみた

まえと


恐み恐みも白す


かしこみかしこみもまをす



(二拝二拍子一拝)


畏き光 垂れ給ふ

2013年05月19日 | 日記







 



根本熊野大権現

熊野速玉大社

熊野権現   夏越大祓式のご案内

 

 

私達日本人は、古来より神仏を敬い、祖先を崇め、神恩に感謝の誠をささげ、人として

 

本来あるべき姿(まことの美しさ)を求めて日々精進努力を致しております。

 

しかしながら、現世の厳しい環境にあっては、互いに傷つけ合い憎しみ合うなど

 

悲しい「過ち」をおかしたり、亦、知らず知らずのうちに予期せぬ災害や社会の不浄に

 

巻きこまれたり、触れるなどの「穢れ」を受けてしまうのが実情であります。

 

夏の大祓式は、このような社会全般の不浄を祓い除き、予期せぬ災害に巻き込まれる

 

ことのないように、また私達の意識・無意識に拘らず日々積み重なる災厄をきれいに

 

祓い清めて、夏に向かい疫病にかかりやすくなる時節を無事に過ごせるようお祈りする

 

大切な儀式であります。                        以下、本文は省略しました。

 

 みな月のなごしの祓する人は  千年の命のぶと云ふなり

 


日本第一大霊験所  全国熊野神社総本宮

 

熊野権現 熊野速玉大社  宮司 上野 顯 様よりの、お手紙を掲載しました。

 

 

 


エア マスター

2013年05月17日 | 日記






エア マスター は 龍神様と共にあります。

又、竜 と 龍 は違います。

竜 には、巣 があります。

龍 は、宇宙の始まりから、終焉まで 絶えず 動き続けている エネルギー体であり、

火星 で 魂魄 の源と成った エネルギー意識体は、その後地球に龍星として飛来し、定着をしました。

風の中の龍気をエア マスターは乗り、音は ヒューイ であり、風のヒューイ はトランジクションの龍性です。

風の中に、水の中に、火の中に、地の中に、宇宙空間を絶えず駆け巡る、龍気と龍性と龍体は、金龍、

龍、銀龍です。

金龍神様のご縁日は、毎月3日、13日、23日、で神仏習合します。

白龍神様のご縁日は、毎月7日、17日、27日、で神仏習合します。

銀龍神様のご縁日は、毎月8日、18日、28日、で神仏習合します。

自分自身は、13日生まれで、金龍神様と延命と記憶力を授かる 虚空蔵菩薩様が習合する風の龍性です。

白龍神様のご縁日の日は、いつも色んな事が明るみとなり、ショッキングな因縁で身を切られる冷たき慈悲

の水の龍性です。

銀龍神様のご縁日は、燃え盛る迦楼羅炎が智慧の浄化が現れる、火の龍性です。

8日には、マカビルシャナ様の光明が、

18日には、観世音菩薩様の慈悲が、28日には、南無大日大聖不動明王様の加持力が、習合します。

南無三宝龍神様は、宇宙に地球にエネルギー体意識体として、絶えず流れ続けています。



※ 因みに、上記の本文と写真のミントの因果性はありません。本日、お店でカットした後の写真でした。






神風の気吹が吹く年

2013年05月17日 | 日記





洗濯物を外に干す事も、清々しい季節になってきました。


人生は、七転び八起き とも 七難即滅 七福即生 と 例えられます。


人生では、七回 躓いて転ぶ事があっても、八回 立ち上がる精神


を持つ表現と、人生は 七つ の難 があり、その 七つ の難 を 


ただちに 滅び 福 と成す事  災い転じて、福と成す をも 表現して


ますが、人生には 七つ の転機があり、それを好機として波に乗る事


ができるのか? 七難に囚われてしまい、心の自由を失っていまうのか?


しかしながら、我が日本国には八百万の神様 があられます国であります。


八百万の神は、単数で 八 であり、末広がり を表します。


この 八神 が 七難 を 退けて、 神風 を 吹かせ 新しい 伊吹 


吹 意吹 を与えてくれます。それを 人間 が感じ取る サイン が  


朝風、夕風 の中にあります。


科戸の風の天の八重雲を吹き放つ如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風、


夕風 の吹き拂う事の如くです。        (大祓詞より)


今年度は、 60年ぶりの出雲大社の平成の大遷宮、20年ぶりの神宮 


式年遷宮(伊勢神宮)、12年ぶりの巳年御縁年の金華山黄金山神社の


大祭年、この様な神風と神波が 同時に 神の伊吹、伊吹、意吹、が放た


れる今年度の御縁年は、生涯に一度の大好機であり、八百万の神風を感


じて、自分の手で拾い上げる年であるのです。


大好機の風を、波を感じ、宿命、運命、使命、の三命 を確証する最重要な年なのです。