メンザシン menzashin0213 報恩謝徳 

日本で生まれ、日本で育てられた事に感謝し、日本の伝統と伝承を学び、後世の世代へと繋がる事、それが私の希望です。

小林建太選手の直向きな生き様

2013年05月14日 | 日記

 





小林建太 最後の戦い その1(平成25年6月12日)       14分34秒


YoutubeのURL    http://youtu.be/ovUsscjn4TY


小林建太 最後の戦い その2(平成25年6月12日)        4分21秒


の2つの動画をYoutubeに、5月13日の夜にアップロード致しました。




5月12日、愛犬のミントの誕生日の事だけを、前回のブログに投稿致しましたが、


当日は、プロレスラーの小林建太さんの引退試合の日でもありました。


小林建太さんの試合は、プロレスのルールも分からない頃の私の息子と


3回程、試合会場で観戦をしたことがあります。


リングに登る花道で、応援しながら、体を触れせていただいた時に、


あれほど強靭な力で戦われるのに、筋肉の感触はとてもやわらかくて


ビックリした事を、今でも覚えていますが、パワーを最大限に引き出すためには、


しなやかな肉体も、トレーニングをして作らなければ、怪我の予防と関節技などの


対策の為に必要なのであろうと、当時は考えていました。


同世代の方でもあり、小林健太さんは、プロレス団体のノア(当時の社長は三沢さん)


では、団体のトップ人事の方ではありませんが、戦う姿勢、闘志、は言葉で説明しなくても


小林建太さんの一挙手一同を見ていれば、ひたむきさと真面目さ、実直さが、誰にでも


感じとれるからこそ、あれだけの熱狂的なファンの方がいらっしゃるのだと思います。


「昭和の時代の男性像」の哀愁が感じられ、適切な表現かはわかりませんが、


「スーパーサブ」、主役を超える実力者の表現が、私の脳裏には浮かんできます。


過去にサッカー日本代表が、ワールドカップ予選で引きけて、本選出場には至らなかった


俗に言われる「ドーハ―の悲劇」の大会では、主役は、三浦知良選手、ラモス選手、他


でしたが、スーパーサブと言われた中山選手が大活躍し、最終決定試合まで、日本が


試合を進めた当時から、「スーパーサブ」と言う言葉を、私が好きになっていきました。


(因みに、ワールドカップ本選で日本人初ゴールをアルゼンチン戦で、得点入れたのは


中山選手でした。) スーパーサブと言う言葉の私なりの解釈は、懐刀、参謀、最終兵器、


会社では、支店長や支社長の次の上席である 副支店長 や次長、であるとか、社長


の次の 専務、主将の次の 副主将 副キャプテン、など日本語の表現では、副 がつく


ポジションであるとか立場の方々を「ナンバー2 」と言われ トップの次の方達ですが、


このナンバー2の方が、土台越しを支える、影の実力者、仮に、トップにカリスマが居ても


ナンバー2の人がいるからこそ鉄壁でいられる事は、戦国大名等の例をみても随所であり


小林建太さんの人柄や誠実さ、病気との戦い(腎臓がんのために片方の腎臓を手術で


取り除き、その後に試合に出た事など)前向きなトレーニング等の、日々精進される姿勢


に、本当に尊敬をしております。 きっと奥様も、そんな小橋建太選手を尊敬をして、人柄を


支え続けてきたのだと思います。 例え、{スーパーサブ}とは言われない方であっても


上記のサッカーの三浦知良選手も同世代の方でもありますが、いくら世間には「キングカズ」


と言われていても、常にストイックな状況に自分を置いている姿勢には、感心させられます。


同世代で働いている私達一般の人達は、小林建太選手やカズ選手が頑張っているから


自分達も頑張っていこうと思った事がある同世代の方は、少なくはないと思っています。