

仕事の研修で損害保険の地震保険(火災保険)の講義に参加しました。
女性の講師の方が、プレゼンをしていましたが、東日本大震災発生後に
被災地域の代理店の担当者の方々が、被保険者の方々の安否確認や
保険金の請求書に記名捺印して頂くために避難所へ出向く際、
自動車が乗り入れれない場所には、自転車で、徒歩でリックサックに書類
を入れて訪ねていた活動を見た時の事を思いだされ、涙声で
体験談を説明していたシーンがありました。
当然、それは契約者や被保険者のみならず、避難所に身を預けている
方々の惨状に対面していた事と、仕事を通してではありますが、
代理店の方々が被災者のために、何とかお役に立ちたいと言う気持ちや
現場の声を聞くための姿を垣間見たときに、何とか受け皿になろうと
日々奔走していた担当者の方々の映像を思い出されたからだと思います。
以前にブログにて、東日本大震災の時、私自身は建設業に携わる身
として、宮城、岩手の沿岸部を中心として、3月下旬から5月上旬まで、
休日返上で、毎日早出残業体制で、被災地の仮設住宅の建設工事を
自社の人員、重機のみならず、沿岸部の同業者の仲間で対応が出来る状態
の人達と包括的に、現場を数50ヶ所近く、躯体工事を同時進行で突貫工事
として施工し、執り行なっていた事を思い出しました。
中々、所縁のある石巻市の鮎川浜地区には、満足のいくボランティア
活動は出来ずにいて、焦りもありましたが、あれだけの大規模の惨状の最中、
何とか被災者の一人でも多くの方々に、5月連休迄には仮設住宅に入居を
されて、個室で足を伸ばし、寝床に就いて頂きたい気持ちの一心だけで、
仕事を進めていました。
地域社会に貢献したいと言う理念と、雑音は聞かないようにして、夢中に
なって取り組んでいた自負もありました。
立場や業種、アプローチの違いが多々あれども、仕事を通じて、世の中に
貢献したい、社会を構成する一員でありたい、一企業でいたいと言う気持ち
は、働くと言う事の意味の最大の原点だと思うのです。