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チャリンコ逍遥

ポタリング・サイクリングの写真
音楽やピアノレッスンに関する雑感
写真:2013年5月京都 嵐山 渡月橋にて

子供たちは日々進化する

2018年02月11日 | ピアノ

(私の生徒のかわいい手作りクッキーやチョコ・・・

自分のピアノ練習中に

つい「つまみ食い」・・・

・・・あれっもう残り 1個

わたくしこと
長いこと「ガラケー」で頑張ってきたが

(・・・ってなんの為によ???)
今年正月からようやくスマホに乗換え
「おーっ‼️とうとう先生が進化した~
(パチパチ👏)

とレッスンに来る生徒と
そのお母さんに拍手される始末

(わしゃ「原人」かい!?)


ちょうどマイ携帯が「ぶっ壊れ寸前」と
契約の「違約期間外」になったのが理由



チャリのハンドルにスマホをとり付けて
グーグルMAPで「サイクル・ナビ」も楽しんでいる。

また「LINE」でのやりとりや
生徒達が紹介してくれるスマホゲーム
「逆転オセロニア」に結構ハマっている。
「ちまちま」「チカチカ」したスマホの画面に
初期老眼のしかめっ面で「にらめっこ」



まだスマホも普及していない頃
「芸大のホロヴィッツ」の異名をとるピアニストの斎藤氏が
あるピアノ音楽雑誌に掲載していた・・・
最近の芸大生はゲームの「時間の浸食
による「練習不足」の学生が多いと
嘆いていた記事があった。

一流芸大生達でもゲームでこのありさま。
「いわんや・・・・をや‼️」

スマホでいつでもどこでも
簡単にゲームができる現代
「スキマ時間」のつもりが・・・
ついどっぷり「メイン時間」・・・

僕もピアノ練習不足に陥らないよう
せいぜい気をつけよう。
書籍も読むように心がけないと。
あえて自分の机に勉強すべき楽譜・音楽専門書を
ぱっと開けるようにいつも数冊は並べている。


生徒のお母さま方とも
ほとんどLine交換し
Lineで気軽にやりとりしている。
(結構 スタンプ攻勢が・・・汗)
実名で載せているお母さまも
おられるが「〇△ちゃん」や
ニックネームの方も多いので
誰が誰やら判るか心配だったが
使っていると「トークの内容」で
別にその点は問題なく使えている。
何とかいけるもんだな~(原人感心)


「電話」ほど相手の都合を無視して
ずけずけと迷惑
・・でもなく
「手紙」ほど手間と時間がかかり堅苦しく
・・でもなく

「電子メール」はその中間でちょうど良い!
・・・と今まで思っていたが

「Line」と比べると

「メール」「ショートメール」も
2手間3手間以上
かかるものだなと痛感。



Lineの「既読」表示機能が
僕には何か「せからしい」
感じがして嫌だが
池上彰さんのTV番組で
Lineの「既読表示」は
東日本大震災の生存安否確認
がきっかけで作られたと聞いた。
へぇ~知らなんだ~(原人感心)


まあそんなこんなで
2018年も始まりそろそろ
受験や卒業式のシーズンに入ってきた。
それらに向けて生徒の活躍の知らせも・・・

ーーーーーーーーーーーーーーー

H君の事
少年野球チームに所属し
日々野球の練習・試合に忙しい小5の生徒
ピアノ練習もレッスンも
少ない時間を有効に使い
コツコツと真面目に取り組み
「着実な力」を積み重ねている。
礼儀正しく大人しく
いつも穏やかなスマイルを絶やさない。
その彼が今年の
「和歌山県市町村対抗ジュニア駅伝競走大会」
に和歌山市のチーム選手として
出場が決まった!
(しかも最も難所区間を走る)
大健闘を祈る!


K君の事
昨年末の「おさらい会」で「完璧」なトリを弾いた
国立中3の生徒は公立高校受験のつもりが
年末になって突如、私立進学高校・・・
(和歌山で有名な進学校・甲子園常連強豪校)
に志望を替え1月末に見事合格!
受験前のたった3回レッスンを休んだだけで
今も夜遅くチャリでピアノレッスンに
寒い日も暑い日も通い続けている。
その生徒のお母さまが仰るには、
受験勉強で1月レッスンをお休みしている間も
「受験科目にピアノがあるんかい!」
言いたくなるほど毎日練習曲などを
弾きまくっていたそうだ。
和歌山に引越して以来2年近くレッスンしているが
ピアノもクラブ(体育会系)も勉強も
すべてにおいて「自分を律して」「人に頼らず」
「自分なりの楽しむ術」も心得ており
内面的にもしっかり「自立」している
・・・好青年の彼にはそんな印象をもっている。


J君の事
同じくもう一人
往復約5キロを毎回チャリで夜遅く
レッスンに通ってくる中2の生徒もいる。
彼も体育会系のサッカーに入っているが
夏などクラブで真っ黒に日焼けしながらでも
続けてピアノレッスンに通っている好青年。
数年前、難関倍率の和歌山市の公立中学受験に
合格したのに何と!!それを蹴って
両親の意向と対立しても
あえて近くの普通の中学に進学。

それぐらい強い自分のスタンスやポリシーを持ち
それらを曲げない意志の強さ・頑固さを持つ異才。
小1からピアノを全くの1から僕のもとで学んでいる。
本人には音楽の進路に進む気は全く無いが

小学生の時、ピアノコンクール本選(神戸)でも
関西の受験者80~90人の内、見事「第1位」をとった。
(和歌山予選でも1位2位無しの第3位のトップ)

(本選での第1位トロフィー・・・デカッ!
彼自身の「努力と才能」の勲章であるが
僕にとってものような思い出写真
この写真をこの記事の生徒の皆に捧ぐ)

1から教えている生徒だけに嬉しさはひとしお。
やはり彼も小さい時から内面的に
しっかり「自立」している。
周りに対する「甘え」がない。


Y君の事
同じ中2の生徒、もう3年ほど「おさらい会」には
出ていないが毎日、難関進学校・西大和学園
に電車で奈良まで通学している。
土曜も学校があるが、奈良から帰って来て
そのまま
ピアノレッスンに通っている。
朝4時半ぐらいに起きて電車通学の日々。
鬼のような学校の宿題・テスト・・・
当然、家でのピアノの練習は物理的に厳しいが
それでも休まずレッスンに通い続けている。
ジャンルはどうあれピアノ音楽にも
強く興味を持ってきている。
おしゃべりだが性格も良く
賢い好青年なのでとても好感を持っている。
ピアノはなかなか如何ともし難いが
何とかして彼のピアノ力を向上させたいと願う。


H君の事
過去に近所の市立高松小学校から
超難関の奈良・東大寺学園に合格した生徒もいた。
毎年、おさらい会ではジョン・レノンの曲や
モーニン(JAZZ・アートブレーキー)など
結構シブい曲を好んで弾いていたが
受験でもレッスンを休まず飄々と通い続け
東大寺に楽々合格した印象がある。
東大寺に合格・進学後
一年間は和歌山から電車通学したが
結局、医大にお勤めのお父さんを残して
家族全員奈良に引越してしまった。
東大寺学園ではオーケストラ部に所属
6年間オケでホルンを頑張り切ったそうだ。
自転車も大好きで、奈良の自宅から京都まで
よくサイクリングするという。
今は高3・大学受験真っ最中だが
ちゃんと長文で自分の近況を年賀状に
書いてくる余裕すらある。


Y君の事
年長からずっとピアノを教えている生徒が
大学受験で教育学部(音楽)を志望し
一年間かけて受験勉強に頑張っている。
センターも志望A・B判定の
好成績で突破したそうだ。
あとは2次試験(実技のみ)
ピアノと声楽
指定の課題曲はベートーヴェンのソナタ
仕上げと暗譜に猛練習のラストスパート。
過去に彼が「おさらい会」で弾いてきた
数曲のベートーヴェンのソナタの方が
2次試験の課題より断然「難しい」ので
多分大丈夫だろう。(でも油断禁物・・)
(簡単な曲は他人と「差」を付けにくい)

・・・僕が高校生の頃(県立桐蔭高校)
授業を受けた音楽教師に
杉原治 先生という方がおられたが
最近その杉原先生が
和歌山県の表彰を受けたと聞く。
いつも授業前に音楽室へ僕はダッシュで一番のり
杉原先生所蔵の珍しいクラシックLPなど
この一生徒「ピアノ・クラシック」オタクの僕に
あれこれ見せてクラシック談義してくれる。
ある日、他に誰もいない教室で一人先生は
バッハ「主よ人の望みの喜びよ」を
ピアノで弾いておられた。
僕は先生の演奏を聴きながら
「バッハのカンタービレ演奏とは
かくあるべし!!!
と感動したことが懐かしい。
数年後、教育実習生として初めて母校に
出向いた時、校舎の2階の窓から
「よっ!元気かい!」と
声がするので見上げると杉原先生だった。
僕の「顔」を憶えてくださっていた事に感激した。
・・・さてY君は
音楽教員を目指してこれから進む以上
音楽を「習う」立場でなく
音楽を「教える」立場を目指すのだから
楽で甘くたのしい道であろうはずがない!!
人の2倍3倍・・いやそれ以上
覚悟して頑張らないと・・・
どうか杉原先生のような
素晴らしい音楽教師になれるよう心から願う!


MっちとMちゃんの事
今は憧れの医療関係の仕事に多忙な毎日を送る元生徒・・・
彼女は中2~高校~看護学校在学中までピアノを教えたが
もともと和歌山で(おそらく)一番厳しく怖い
音大生・プロ養成の有名な先生のもとで
幼児からレッスンを受けていた。
まず幼児から新品グランド・ピアノを買わされ
検定・コンクール・エチュード勉強会
ポーランド国立クラクフ室内管弦楽団とのピアノコンチェルト共演
親御さんも金銭的にさぞ大変だったろう・・・
ピアノレッスン数十分のあとは
先生のキツイ「お小言」が何と一時間半も!
自衛隊ご出身のお母さま!でさえ
その先生のお小言に
親子共々度々「泣かされた」という。
そして不思議な事に(笑)
彼女はおそらく和歌山で
一番「やさしい」先生(笑)
であろう僕のもとに通うことになった。
中2春に引き継いだ時点で彼女は確か
チェルニー練習曲・バッハ「インベンション」途中
ショパンでさえ弾いたことのあるのは
ワルツ第1番と子犬のワルツぐらいだったと思う。
教本・曲目では決して進度が早いほうではない。
だが!大変驚いたことに・・・
それまでの歳月
ただひたすら砂を噛むような修行のように
武道家の厳しい修練のように
無味乾燥な面白くもない「エチュード」中心に
よそ見もせず、レパートリーも増やさず
「基礎」を徹底的に「磨きに磨いて」きた事だ。
僕がはじめて彼女をレッスンした時
古いタッチやフォームには若干疑問はあったが
ピアノを「弾く技術」そのものは
プロ並みに既に恐ろしく「完成」されていた
しかもバッハ・ショパン・ベートーヴェンなどの
芸術作品は未だほとんど手付かず
最高に基礎力を「お膳立て」された生徒が
絶妙のタイミングで僕の生徒に加わった!
彼女は全く音楽専門志望ではなかったが
その後は中2~成人後まで
彼女に詰め込めるだけ僕も最大限に
バッハ「平均律」ショパン・エチュード
バラード・スケルツォ・・などはじめ
大作曲家の大曲・難曲の数々を
教え込んだつもりだ。
ある時こんなことも・・・
彼女が看護学校生の時、コンクールの
公開レッスンのモデル生に抽選で選ばれた。
僕も昔、著作を読んだことのある
伴奏で有名なピアニストのH先生が
公開レッスンの講師。
普通、公開レッスンはモデル生の演奏の
欠点・問題点をあれこれ指摘・指導するが
奈良の音楽ホールでの公開レッスン上
彼女の演奏を聴いたH先生は
「あなたは私より上手い!」と手放しに絶賛。
「あなたはそのままで上のステージに進めるでしょう。」
と太鼓判。何も指摘することも無く終わってしまった。
ホールに折角公開レッスンを勉強しに来ている多くの
他の先生やその生徒・父兄さんたちはお気の毒に(笑)

憧れの看護師となり、日々激務に働く彼女も
「手術室」勤務で強い消毒のせいで

可哀相にピアノが弾けないくらい手が荒れてしまうという。
時折「おさらい会」に後輩たちの演奏を聞きに来ては
仲の良いうちの老母と談笑している。

そんな彼女が最後に「おさらい会」に出演した時
彼女は僕に一つの「置き土産」を残してくれた。
アートキューブという小さなホールの舞台
肩もあらわな深紅のロングドレスで
コンクールでも弾いたラフマニノフの曲を
トリでバリっと弾き切った。
その演奏を聞いていた
一人の生徒(当時小2ぐらい)が
彼女の演奏姿に感化され
それまではレッスンでも舞台でも
「適当で」「練習不足」
「ちゃらんぽらん」な演奏ばかりしていた
(ちょっと言い過ぎかな?・・・謝)
その子は、まるで人が変わったかのように
急激・猛烈な勢いで教本や練習曲に
「真剣」に取り組みだした。
ショパン・コンクールASIAなど自発的に
様々なコンクールにも挑戦しだした。
一週間で10曲近く宿題以上の
練習をして来る事も度々。
他の習い事もたくさんなのにピアノも熱心。
どこにこんなに練習する時間があるのだろう?
こんなに急激に練習・成長する生徒は見たことない。
その生徒は小5小6と卒業式で2年連続ピアノ伴奏もした。
(訂正:小4から3年連続だそうだ・・本人談)

中学生になり昨年「おさらい会」では
「司会」もして僕を手伝ってくれた。
もう7年近く毎週遠い海南市・藤白という所から
お母さまが車で送り迎えをしてくれている。
普段は超おしゃべりで元気で明るいが
ショパンなどのピアノ曲では僕と同じ部分で
大人でも理解しがたいような
「影」「絶望」「悲しさ」「怒り」の
ようなものをお互い暗黙で感じ理解できる。
技術的にはまだ勉強すべき点はあるが
彼女の演奏表現には「ウソ」がなく
自分の正直な「心の叫び」を100パーセント
音に託せる才を持つ。
往年のコルトーやパデレフスキーのように
「心」で聴かせるタイプ。
ちなみに彼女と僕はお母さんそっちのけで
「進撃の巨人」の話題で盛り上がり
レッスンが中断すること度々(笑)


Sちゃんの事
うちの生徒は何故か昔から
学校の卒業式の伴奏を
任される事が多い。
小・中と連続で卒業式で
伴奏した生徒も何人かいる。
毎年生徒の2人以上は
自分の卒業式で伴奏していた。
昨年は附属小・下津小の6年生が
それぞれ式で伴奏を任された。
・・・が今年はだれも伴奏しない。
連続記録がとうとう途絶えてしまった。
いや待て・・・
でも卒業式で6年生を送り出す
在校生の伴奏を音楽の先生から任された
小4の生徒が一人いるぞっ
彼女は小3の昨年も卒業式で伴奏を任された。
フランス人形のような端整な顔立ちの女の子だが
とにかく「おてんば」さん
普段のレッスンでは丁度前の時間帯が空きなので
僕が時々ピアノを夢中で練習していると
そ~っと部屋に入ってきて突然耳元で
「ワっつ!!!!」
とガチにおどかされる。
ビックリして反射的に
僕も「うわっぁぁぁ~!!!」
と大声で叫ぶと
逆に彼女もビックリ・・・
毎度のことながら
こんなビックリ・スパイラル
を繰り返している。
「ピアノ」の成長で僕を
ビックリさせてほしいものだ。

・・・久しぶりに一気に長文を打ち込んだ(疲(*_*))
まだまだ書きたい生徒の事があるが
持病の「頚椎症性神経根症」の
慢性的な首・左腕のしびれ・痛みが強くなってきたので
この辺で一休み一休み・・・ 

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雨ニモマケズ 台風ニモマケズ

2017年10月23日 | ピアノ

毎年ピアノ・コンクールに健気に
挑戦し続けている小6の生徒のこと。
大人しく純真でおっとりした性格。

ちなみに彼は小学生ながら
コンピューターの本格的な
プログラミングに超詳しい。

年中からピアノを習い始めた頃は
「大丈夫かいな?」と
心配になるくらい

レッスン中でも
「おぼつかないような」

心もとない感じだったが
とにかくコツコツ真面目に
言われた宿題は時間がかかっても
いつも「きちん」と仕上げてきた。


小学生になってからは
ピアノ・コンクールも

一年ほど受けなかった年はあったが
当初はなかなか結果がでなくても
決して挫けず
悔しさを前に向けて

毎年、真摯に挑戦し「続けて」きた。

「コツコツ」「持続」の鏡のような生徒。

今夏、コンクール予選を突破し
10月の本選を受験。
高評価・好成績を残した。

生徒は大阪音大ホールで受験したが
ちょうどその日の夕方ぐらいから
台風21号が和歌山・大阪に近づき
折からの猛烈な暴風雨で
南海線の鉄橋線路が
グニャリとゆがんだり
各地峠道が土砂崩れなどで
電車は「阪和線・南海線」
それに「阪和高速道路」まで
和歌山~大阪が
終日不通・通行止めに。


唯一通れるのは
地道(国道・県道)の峠のみ。


お母さまと本選の状況・結果など
逐一メールでやり取りしていたが
次第にコンクールよりも
台風状況の方が心配に・・・


生徒はその日、一家全員で
「電車」で大阪に来ていたので

あわやどこかで一泊せねばならぬ
「帰宅難民」状況に追い込まれたが
「和歌山で乗り捨て可能」な
レンタカーで
「地道」を通って
ようやく深夜に
和歌山市まで帰ってきたそうだ。
(大変にご苦労様でした。)


北・東・南を山地に
西を海に
四方を囲まれた和歌山市は
たかだか台風のような雨風にさえ
すぐ交通が遮断されてしまう
もろさ・危うさを露呈している。
南海トラフ巨大地震など
大災害の際には

一体どうなるのだろうか・・・


コンクール本選では
緊張によるミスが

いくつかあった為
「僅差」で惜しくも
全国へは行けなかったが

一人の年配審査員の先生は
こんな熱く強烈な
嬉しい講評をくださった。

点数もこのコンクールでは
申し分ない高得点!
(なおさらミスが痛い)
(一度この御大先生と一杯飲みながら
ゆっくり音楽を語り合いたいなぁ・・・)

数週間後、毎年秋に開く
ごく小さな「おさらい会」
舞台裏では直前まで緊張で
「手の震えが止まらない・・」
と僕に不安げに切々と訴えていたが
舞台に出て鍵盤に手を置き構えると・・・
まるでショパンの霊が
乗り移ったかのような
神がかったというか・・・
弱めで詩的に繊細な音色で・・・
背中を丸め 鍵盤に顔を沈め
体全体でゆれるように
ショパンの小さな遺作ワルツを
まさに「玲瓏」に弾いていた。

彼の演奏中は皆シーンとしていた。

こんな音色はレッスンでも聴いた事がない。
先ほどの審査員の先生の講評もうなづける。

彼には秘めたる大きな何かがありそうだ・・・

春には中学生になる・・・
次のコンクール挑戦に向けて
レパートリーを増やすため
得意のバロック作曲家の作品を
彼らしくコツコツ頑張っている。

記事の内容と投稿日時が
若干食い違うのは
最初に書き始めた時から
3カ月以上も中途で
「下書き」のままお蔵入り
現在2018年2月
ようやく「下書き」から「公開」に。

君の「活躍」を放ったらかして
〇〇君 ごめんなさい

・・とは言っても
うちの生徒は誰も
わしのブログなんぞ
見ていないはずだ・・・


何の縁もない見知らぬ
不特定多数の人には
躊躇なく発信するが
知人には決して見られたくない
得てして「ブログ」とは
こんな傾向性があるのだろう。


m(__)m

 

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雑感

2016年10月20日 | ピアノ

今週は生徒のコンクール
があったり・・・

国際ピアノコンクールで
何と予選・本選同日!

「通るかどうかわからない」
本選の曲も予選前から
用意しなければならず大変だ。

僕の生徒(小学生)は
予選をバッハ
本選をショパンで
それぞれ用意し挑戦した。

予選を通過し
さらに本選も通ると

11月中~下旬の
ファイナル ステージへ進める。

 

また他にも・・・

コンクールに絡んだ
相談や問い合わせ
などもあり・・・

最近はコンクールからは
「逃げの一手」の僕でも

色々考えさせられた
一週間であった。

 

実はここ2・3年ほどは
生徒のコンクールを
「こちらからは」
全く勧めないようにしている。

 

過去に多い時は毎年
10人以上がコンクールを受験していた。

 

「コンクール」とは
受験する生徒本人も大変だが

指導する教師も
サポートする父兄も
大変だからだ。

ホント何かと結構疲れる。

しかも大切な発表会とも
時期が重なりやすいし。

 

はっきり言って
僕の中ではピアノコンクールや
ピアノオーディション
検定など
より

私のかわいい生徒達が
ポロポロと音を落としながら
(泣)
弾く「発表会」の方が大切だ。

 

僕自身の勝手な(笑)
理念としては
本来・・・

「普段のレッスン」
「お家での練習」
 のための

「コンクール受験」
でなければならない!

と考えている。

 

コンクールに出場した事により
(結果や勝ち負けに関わらず)
普段のレッスンやお家での練習が
さらに熱心に、より自発的に
上昇志向を持ち

より「深く」「楽しく」
音楽と向き合うように
生徒が変化していかなければ

「何の意味もない」と考えている。

 

そもそも・・・

ピアノで「本当の」
世界的演奏家として
息長く幅広く

活躍できる人間など

広大な砂浜の砂の
ほんの「ひとさじ」
ぐらいであろう。

あの・・・
ショパン国際ピアノコンクールや
チャイコフスキー国際コンクールでさえ

1位になっても
その後・・・
「世界最高のピアニスト」として
長く活躍出来るわけでもない

(コンクール優勝者は
例外を除いて結構「一発屋」で
終わる場合が多い。)

 

生徒の「人としての」
内面の成長と変化

「人間的かつ芸術的成長」
の助長のために

コンクールはあるべきだ。



家庭内で連弾や伴奏を
楽しむのも素敵だろう。

学校行事のピアノ伴奏に
挑戦するのも良いだろう。
 

昔から、うちの生徒は
仮に発表会では
今一パッとしなくても
合唱祭や卒業式の
難しい伴奏などで
活躍している子が何故か多い。

・・・ホンマ
どういうことやねん???

 

「すべてはコンクールのため」
レッスンやピアノ練習に
なってしまってはいけない。

 

「勝利至上主義」
「大会至上主義」
に陥ってはいけない。

 

勝って良い時には
「人を見下す心」
「驕りや慢心」
が生じやすく

負けて悪い時には
「卑屈な心・嫉妬」
「人を貶める心」が生じる。

 

これでは高邁な芸術を志す者
演奏する者としては
全くの本末転倒であろう。

ショパンもバッハも
「競う」ための曲なんか
一曲も書いていない。

 

ピアノ以外の勉強や
スポーツ・その他習い事
すべてにおいても
当てはまる事だと思う。

 

・・・とか
なんや かんや
言いましたが

僕は自分の理念や考えが
「正しい」なんて
これっぽっちも思っていない。

そこまで「おめでたい人間」
ではないと思っている。

 

人は誰しも
自分自身の信念・理念
を「支え」として
「より所」として
毎日行動している。

一人一人が全く違う信念
考えを持ち
それらがぶつかり
交差するから世の中面白い。

その理念・信念(自我)は
その人がそれまで歩んできた
人生での経験や関わった人々に感化されて
築かれたものなのかもしれない。

 

まあ、そんなこんなで
色々思うところあり

しばらくはコンクールから
離れようと考え

しかも今現在は入門初歩の
生徒が大半なので
ここ2・3年来は
普段の生徒のレッスン・強化を
目標にしている。

 

それでも・・・

 

こちらが全く勧めなくなっても
やはり自分から熱心に
コンクールを受けたい

と申し出る健気な生徒が
2・3人いる。
(毎年同じ生徒だが・・・)

 

今年は、僕の生徒では(小学生)

国内ピアノコンクール 

国際ピアノコンクール 

がそれぞれ果敢に挑戦した。

 

皆それぞれ今回は
予想以上に良い結果を出してくれた。

国際コンの1人は
まさかのファイナルまで進んだ。

(チェコ人男性ピアニスト1人、そして

ショパン・コン・アジアの審査も兼ねる

日本人ピアニスト2人(1人は審査委員長)

の計3人の厳しい審査から

予選・本選各90点以上の高得点を獲得し

ファイナルへの切符をつかんだ生徒が

その賞状を片手に僕と一緒に写真を撮る。

 

※バッハはちょっとロマンチックな仕上げ

で行ったが(僕の趣味かな?)

逆にそれが審査委員長から

「レガートの大変美しいバッハ」と講評を頂けた。

 

自分の生徒ながら

その普段からの真面目な練習量と

本番での強靭な精神力に脱帽。

 

※一つ思い違いされては困るが

この国際コンの生徒は

ピアノがメインの習い事ではなく

もっと大事な将来の進路に関わる

「別の習い事」がメインである事。

 

毎週何回もその別の習い事の稽古と

鬼のような量の宿題、頻繁な検定

・・・でも

そこでも県で2位など結果を出している。

 

だからといってピアノとその習い事

またそれら以外の習い事も(ビックリ)

普段の練習・取り組みに「優先順位」をつけず

どの習い事もおろそかにせず

自分で時間など工夫して

どれも頑張り切っている事。

 

もし僕の他の生徒がこのブログを見ていたら

多分誰も見ていないだろうが・・・(笑)

 

この点も「すごい!」と思って

「よしっ!自分も!」と見習ってほしい。

 

(※ よく「ショパン・コンクール」の事を

ショパコン」という人が多いが

ショパンを数十年弾き続けてきた自分には

何かショパンをバカにしたような

「腹が立つ」言い方なので

僕は略しても

「ショパン・コン」と言う。

・・・・別にそんな事どうでもいいって?)

 

兵庫・宝塚ベガホールや

大阪・豊中のホールなどでも

大健闘してくれた他の生徒の

挑戦結果も含めて詳しい事は

また気が向いたらブログに書こうと思う。

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あちこちとサイクリングなどで遠出すると

林家ぺー・パー子

ほどではないが

写真を撮りまくってしまう。

止まっては撮り

止まっては撮り

(おかげでスピードが出ず安全走行だが。)

 

わたくしのパソコンの中には

サイクリングの大量の写真が

どんどん貯まっていく・・・

 

どのみち、自己満足・ストレス発散のための

他人にはどうでもよい写真・文章ばかり

そんなこんなでブログ更新が面倒になってきた。

 

半年近く更新を放ったらかしてしまった。

(何か知らん間にレイアウト変わってるし・・・)

 

・・・どうか悪しからず

・・・m(__)m(謝)

 

生徒がくれた「JAZZ羊羹」

う~ん💛おいしい~ 

他にもこの一週間

クリームたっぷり(大好き)の

「高級モンブランケーキ」

土佐の美味しい「塩けんぴ」

柿・リンゴ・クッキー

・・と、生徒の皆さんからの

有難い差し入れが(合掌)

・・・・食欲の秋

 

 

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ピアノ馬鹿の「取るに足らない独り言」

2016年03月07日 | ピアノ

昨日からの
季節外れの陽気で
うちのサクランボ
の桜も8分咲き

本気で「音楽の道」
を目指した
中学生の頃より
既に45歳になろうかという

自身の「しがない」
ピアノ半生の中で

パンを食べぬ日はあっても
ショパンを弾かない日はない

と言い切れるぐらい
ショパンとバッハ
の作品の存在は大きい!


・・・・・・・・・

先週日曜日の新聞

ある全国紙の一面に

今年の
「第17回 ショパン・
国際コンクール・in ASIA」

ファイナル最終選考の
アジア大会(国際大会)
に於いて

銀賞(金賞無し)
実質トップ入賞した
一人のピアニスト
(大学4年生)の

体験記事が綴られていた。


実は・・・
その男子学生は
僕と同じ大学の4回生。

それが何より
自分にとって

嬉しくもあり
反面「衝撃的」だった。


(因みにその大学OBには
元・ウォルト・ディズニー・ジャパン初代代表取締役
現・スタジオ・ジブリ代表取締役会長
の2役を一人で歴任した
凄まじい人物もいる

・・・だが

今現在、創価大学で
本格的に音楽実技的サポート
を受けられる
施設環境・教授陣は、
僕が在学中の
20数年前とは大いに様変わりし、おそらく事情がかなり異なっているであろう!


その新聞記事の25歳の学生は
何と小3
アップライトピアノ」を

はじめて買ってもらい
ピアノを習いはじめ

大学ではピアノを
置けない不便な「寮生活

数年前に漁師の父親が
海難事故で死亡。

また自身も重い
視覚障害を背負い・・・

トンネルの出口のように
ほとんど「視界」が
無いという・・

ピアノを練習できなかった
5年のブランクを

乗り越えての
圧倒的な練習量。

凡人なら
くじけそうな逆境・苦境に

打ち勝って・・・
もぎ取った栄冠

僕にとって大変衝撃的な
その記事

・・・その学生の
「一念の強さ」というか

「強さ」の「源」とは

一体何なのだろうか

・・・・・・・・・・・・

そんな「すごい野郎」と
比べるつもりは無いが

僕自身の子供の頃の
ピアノ教育環境も

決して良かった
とは言えない・・・

・・・でも本当に
良い師匠にばかり
師事できた事は
「音楽の神様」に感謝

わが母は僕が
小学2年ぐらいまで
ずっと楽器店派遣の
ピアノ教師をしていた。

出張レッスンが
主だったが
当時・・・
長屋(借家)住まいの
狭い
4畳半のピアノ部屋に
生徒が来ることも多々あった。

今のご時世では
信じられないが
常時50~60人も
生徒を持ってたそうだ。

(写真)
ピアノ教師時代の母。
(生徒のおさらい会)
実はこの時
母の「お腹の中」にはが居る。
そのせいでスカートが
つりあがっている。

つらつら考えると・・・
お腹の中に居るころから
胎児のころから
「発表会の舞台」に
上がってたという事かな?

毎日、生徒達の弾く
バイエル・ソナチネが
「胎教音楽」だったろう。

ちなみにピアノ教師
である母からは

「一切」ピアノの
手ほどきを受けていない!

「ドレミの弾き方」さえ
教えてもらっていない!

僕がピアノを
はじめたのは
小学校1年生の時(6歳)

1キロほど離れた
先生のお宅へ

チャリで一人で
レッスンに通っていた。


中1の時
自分の中で

「指揮者・ピアニスト」になる!
・・・という

将来の目標が湧き上がり
吹っ切れたように
猛然と練習し始めるが



同級生では
音大を目指して
同時に何人もの先生
につけてもらって
小さい頃から
「グランド・ピアノ」
を与えてもらって

そんな恵まれた
音楽教育環境の
友人達を
うらやましく思った。

「△△さんは毎日
自分の「グランド」ピアノで

和歌山と東京の二人もの先生に
レッスンを習ってて

うらやましいよな・・・」

という風にボヤくと


母は決まって・・・


「私のアップライト・ピアノは
私が
娘時代に勤めた給料で
買ったのだから

あんたも将来
自分のお金でピアノを買いなさい
先生に習いきれないところは
自分で努力して勉強しなさい。」

と一蹴(トホホ・・)


だが・・おかげで
「ピアノ練習」に対する

「ハングリー精神」がついたが・・・

うちの母は
子供の僕や妹に対して

キツく叱ったり
怒ったり

ましてや「手を挙げる」事など
全くないぐらい
優しい母であったが

決して子供を
「甘やかす」母ではなかった。

だから僕も妹も
小さい頃から

両親にワガママを言ったり
物をねだる事も無かった。

「親にねだる」事は
「恥ずかしい」事

という意識が
ずっとあった。


結構貧乏だったし
・・・(T_T)

その代わり母の
アップライトピアノを
高校(大学)まで
文字通り「弾きつぶす」
ぐらいまで猛練習した。

ピアノが壊れるくらいの
「練習量」とは
どんなものかは
ご想像にお任せする。

僕は子供の頃より
物を大切に神経質に
扱うタイプだが
それでも
とにかく・・・
どの楽器店も
引き取ってくれない
ほどにまで・・・

母にとって
「思い出深いピアノ」を
ボロボロに
使いきってしまった。

僕にとって母に対する
一つの大きな「負い目」である。
ピアノは自分一人で
「解体」して処分した。(笑)

ピアノ内部の鋼鉄フレームは
近くの金属工業に持ち運んで
買い取ってもらった。(笑)

解体したピアノ部品の残りを使って
父が時計を作ってしまった。

同じく父がピアノの残った部材
(ピアノのふた)を
棚飾りにしてしまった。

以前の職業で
とある部門が
実質撤退・廃業状態に
なったのを機に

自分のしたい仕事
ベクトル的な
「ピアノ教育」を

何のバックグランドも無く
文字通り「一人」ではじめる。


もちろん最初は
たった一人の
小学生の生徒から始めた。

その生徒(サキちゃん)は
今は
幼稚園の「サキ」先生として
日々立派に頑張っている。

当初は僕がピアノ教室を
始めることに

反対とまでは言わなくても
とても懐疑的な母だったが

今では・・・
レッスンや発表会の
「待ちスペース」に
ちょこちょこ顔を出しては
生徒の子供達と談笑している。

僕としては正直
母に来られると
邪魔で鬱陶しいのだが・・・


「別にいいでしょ・・・
皆カワイイ「孫」がわりの
子達なんだから・・・

それに、あんたは
どうせ一生結婚せえへんやろし

私はこの歳でも
「孫」も抱っこできないしね。」

これを言われると
何も反論できない。

これは母に対する
2つ目の負い目。

高校一年生の頃(30年前)
綺麗な部屋に見えるが
実は「ヨド物置」に
照明をつけただけのもの。
鉄板なのでクーラーも
無い夏の練習は地獄
サウナ状態!

当時は
借家住まいだったので
狭~い家の中では
ピアノを練習しにくいので


庭に物置を建てて
そこにピアノと本とレコード

と一緒に体よく
追い出されてしまった。


神戸女学院・音楽学部
ご出身の先生に
バッハを中心に

ピアノを習っていた頃


先生は当時40歳前後で
小学生の子供さんが
お二人いらっしゃったが


ご聡明で
美人で
リストが得意で


凛として明るく
サッパリした先生・・・

そんな先生に「大人の女性」への
ほのかな「憧れ」の気持ちもあった。

いつもレッスンのあと
夜8時過ぎまで

1時間ほど先生と
色々雑談するのが

たのしみだった。


僕は決して真面目な
生徒ではなかったが
先生には贔屓目に
大変可愛がって頂いた。


・・・やがて

空腹に我慢できなくなった
子供が先生に
無言で「突進」してくると

僕も帰宅。

そんな思い出が
写真を見ているとよみがえる。

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サンタちゃん

2015年12月19日 | ピアノ

あと4日ほどで今年のレッスンも終りです。
レッスン室や家の床もワックスがすっかり
取れてきたので、久しぶりに家中全部ワックス
がけすると、腰が痛くなってきた。(歳かなぁ~)


今日は一足早い小さなサンタさん登場です。
5歳・年長の女の子。


おぼえたてのクリスマスソング弾いています。
この後、「ねえ、先生弾いてぇ~」と、
元気いっぱいのカワイイお歌に合わせて
「赤鼻のトナカイ」「おめでとうクリスマス」や、
5番まである「あわてんぼうのサンタクロース」
を2回も!(計10番)伴奏弾かされる事に。 (◎_◎;)

クリスマス童謡ばかり弾きすぎたので、
気分転換にMoodyな「戦場のメリークリスマス」を
弾いてみたが、小さな子供達はキョトン
・・・(当たり前だが)

結構、生徒の子供たちは、このクリスマス時期になると、
前後のレッスン時間帯の顔なじみの生徒同士で
レッスンで会った時に、お菓子の交換などしているようです。
カワイイお手紙やチョコや駄菓子など・・・
時には、手作りクッキーとシラス(魚)を交換してたり(笑)

生徒の子供達同士の、罪のないカワイイ会話ややり取り
を見ていると、思わず和まされ、平和な優しい気持ちになります。

 

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オーケストラ・スコア・リーディング 伊藤栄一先生のレッスン

2015年12月06日 | ピアノ

週末土曜の晩は大抵
朝まで起きているが

昨晩は寝てしまったので
珍しく日曜早朝に目が覚めた。

早起きは三文の得・・・

久しぶりに
オーケストラ・スコアの
勉強でもしようと

比較的簡単なスコアを
3冊ほど取り出した。

シベリウス 交響詩「フィンランディア」

シベリウス 組曲「カレリア」

(ブライトコップ社版スタディ・スコア)

ムソルグスキー・ラヴェル編「展覧会の絵」

(日本楽譜出版社版スタディ・スコア)

プロのオーケストラ指揮者の場合
指揮者が本番の舞台に立って
タクトを振る直前までに
すでに「指揮者」の仕事は
90パーセント以上終わっている。

一つの楽曲を
スコア(楽譜)を通して
徹底的に勉強し・・・

その後、実際のオーケストラ練習で、
オーケストラに自分の解釈を色付けする。
そうして本番を迎える。


まさに「演出家の仕事」そのもの。

ある意味ピアノ教師も自分の
生徒に解釈を色付けする点では
指揮者と共通する面もある。



まあ、巨匠や大指揮者の場合、
普段の練習は「副指揮者」が務め
本番のプログラムの各楽曲をオケが
一通り弾けるようにお膳立てをし、
本番直前の3回ぐらいのリハーサルで
初めて巨匠・大指揮者が受け継ぎ、
本番を振る事も多々あるが・・・

僕のような
ごく普通のピアノ教師には
お膳立てしてくれるような
弟子の教師も無く、

まず宿題嫌いな子供たちを
何とか毎日お家で練習させる・・・
次元で悪戦苦闘だ(苦笑)


私の恩師、伊藤栄一先生は
戦後日本のクラシック音楽
草創期にご活躍された

「指揮者・ピアニスト」



従って学生のレッスンでも
よくオーケストラ楽譜を読みながら、
即ピアノで演奏されていました。

ピアノ楽譜は基本的に
ト音記号・へ音記号の
2段」の大譜表だが・・・

普通タテに「20~30段」は
あるオーケストラの楽譜を
即座にピアノで弾く
人間離れした難しさは、
当時、学生の僕には、
想像を超える「神業」にしか
思えませんでした。


皆さんは
下記の楽譜例
たった7小節
演奏時間にすると
たった数秒間
しかしタテに26段のスコアを
読みながらピアノで
弾く事が出来ますか

伊藤先生は
この程度のスコアは
造作も無く簡単に
弾かれていました。


もちろん学生の僕にも
課題としてよく
スコアで弾かされました(鬼ッ

(オーケストラ・スコアの1ページ
色をつけた楽器パートが移調楽器)

しかも、ピアノでスコアを弾く
難しさを倍増しているのは
これら移調楽器群だ。



特に移調楽器の多い
管楽器は記譜されている音より
実際には違う音程が出る
記譜法で書かれている。

つまり書かれた音符を
このままピアノで弾いても、
オケで実際に鳴る正しい音程にならない。

ピアノで弾く場合は、
書かれている音符より
それぞれ楽器により
何度上、何度下など
常に頭の中でキーを動かして
読み直さなければならない。

最近は指揮者コンクール
などの影響で、
オーケストラ・スコアどころか
ピアノさえろくに弾けない
(世界的な指揮者の中にも)
指揮者も多い。

過去のE・ラインスドルフや
伊藤栄一先生のような
本当の「楽譜を読む力」
を持っておられる指揮者は
次第に少なくなっていくのだろうか。

・・・かと言って、
伊藤先生のご指導は、

「手取り・足取り・
奥義や便利なコツを
懇切丁寧に1から
教えてくださる」

・・・なんてそんな

「甘っちょろい」ものではなく


こちら(学生)が毎日
「必死」で頑張らないと
たった5分も見ていただけない
というような厳しいご指導でした。

僕もただ一度だけ・・・


「こんな練習じゃ

君自身の信頼を失うよ!!

と5分でレッスンを
打ち切られた
痛い経験があります。

先生は「技術は見て盗め」
と言わんばかりに
先生がオーケストラ・スコアを
ピアノで弾かれる時は
先生の「譜めくり」を
必ず任されました。

もちろん、それだけでは
オケ・スコアをピアノで弾く
技術は到底身に付きませんが、
あとはどういう勉強を自分ですれば
先生の技術に近づけるかは、
側で「譜めくり」させて頂いて、
自分なりに明解に道筋が見えてきた。

僕が先生に、
F・ショパン 
ピアノ協奏曲第1番ホ短調
第1楽章のピアノレッスンを
していただいた時でも、

先生はオケパートを
ピアノ編曲された楽譜を
一切使われず(スゴイ神業)

オーケストラ・スコアのみ
で伴奏なさってくださいました。

僕にとって学生時代の
貴重で美しい思い出の一つです。

20数年前 創価大学の学生時代
レッスン授業の教室にて

(当時はチャリ毛を切るのが
流行ったんだっけ・・・)

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市内音楽ホールの予約事情を長々と愚痴る((+_+))

2015年09月15日 | ピアノ

「おさらい会」(発表会)が眼前に迫ってきました。
もうすっかり仕上がっている生徒に安堵する一方、
この時点でも、まだ最後まで仕上がっていない生徒に
(毎年のことながら・・・)
ヤキモキする時節になってきました(ため息;)


去年から県文化施設内の音楽ホールを利用しています。
とても利便性の良い音楽ホール。

・・・だが、去年あたりから、
その音楽ホールが市内出身の
某Vn演奏家を音楽監督として、
身近に聴けるクラシックコンサートなどを
企画するようになった。

このような音楽啓蒙活動は素晴らしいと思うが、
僕のような、
(吹けば飛ぶような)ピアノ教室からすると、
優先企画・イベントで土日が先に占められ、
一般人の土日の抽選枠が限られる結果となり、
正直「しめ出された」感が強い。

他のピアノ教室の先生方も同じように
お困りのことだろうと思う。

数カ月ほど前、予約抽選日・・・

今年11月分の抽選の数時間前に、
11月の「土日」の空き状況を聞くと、
何と!たった2日分しか空いていなかった。
他の土日はすでにホールの優先企画で埋まっていた。

(昨年と全く空き状況が違う・・・)

困った・・・とっさに

たった2日の枠をかけて抽選に望むよりも、
抽選後、11月の抽選にもれた人が
10月の空きを求めてに流れてくる前に
今確実に押さえる方が賢明と考えて、

11月をあきらめ、
既に抽選の終わっている10月で
空いている週末を予約した。
(国体で10月は運動会が少ないし。)

・・・・・・・・・・・・・

それまで長年利用していた
別の多目的ホールは、
斬新なホールのデザインも良いが、
何と言っても、
周りの風光明媚な景観が最高だった。
「この景観の中でピアノ発表会を開きたい」
そのホールができて2年目くらいから
ずっと「おさらい会」に使っていた。


昔、高校生だった妹が、毎日のように、
「ふたり」とかいう映画のビデオを見ていた。
その映画で、「お寺」でピアノ発表会をする素敵なシーンがあり、
僕もお寺のような空間でピアノ弾きたいなぁ・・・とずっと思ってた。

映画の主人公がシューマンのノベレッテ第1番
を弾いていたので、当時、妹が・・・

「お兄ちゃん!私、シューマンのノベレッテ第1番弾きたい!」
と、だしぬけに言い出す。
「アホッ!練習曲も真面目にやってへんのに、シューマンが弾けるかっ!」

とは言ったものの、妹に楽譜を借してあげた。
・・・が、案の定、妹は一週間ほどで挫折していた。

そんな「お寺で発表会(笑)」というコンセプト
に近い(と僕は勝手に思い込んでる)市内の某多目的ホール。
自分の中では理想的だった。

ただ、ホール側の規則で、
駐車場が遠く離れた海水浴場の有料駐車場まで
停めにいかなければならず、しかも、
当日、ホールの来場者用駐車場を「使わせてもらえない!」
晴れた日はよいが、雨風の強い日には難儀する。

何と運悪く、2年連続!爆弾低気圧のような天候にぶちあたり、
父兄はもとより、ドレスアップの可愛い生徒達もビシャ濡れの
散々な目にあった。

椅子も開演前に100席ほど自分で並べなければならず、
(片づけ時はその場にいる生徒父兄の方々が皆手伝ってくれた。)
結構、準備・片づけも大変だった。

一昨年、父兄の方々にアンケートをとり、市内の各ホールの希望を
とったところ、市内文化施設内のホールの希望が若干上回ったので、
それを機に昨年より、別ホールの抽選に応募している。

・・・・・・・・・・・・・・・・

年々、和歌山市内での各音楽ホールの予約事情が厳しくなってきている。

うちの場合、毎年、小規模のホールでも客席がすきすきの状態なので、
文化会館・市民会館などで開いても仕方なく、
逆に「コミセン」という手段もあるが、
生徒にはできるだけ、音響・照明のしっかりした「音楽ホール」
で弾かせてあげたい。

冗談にも、グランドピアノ置いてる「お寺」でも探したくなってくる。

 

近所のお地蔵さんの「地蔵盆提灯」

子供の頃の懐かしい友達の名前の古い提灯もいくつか見かける。

この提灯の坂道を下ると別世界に迷いこみそうな・・・?
(泉鏡花の世界)

 

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生徒のコンクール(神戸)

2015年07月20日 | ピアノ

和歌山もようやく梅雨明け発表とのこと。

「海の日」だが午前中、生徒のレッスン。

また別に、小5の女の子が1人、
神戸へコンクール予選を受験しに行ってる。
自由曲・課題曲・バロックなどのコースに分かれるが
その生徒は「バロック」コースで戦う。
(指定されたバロック作曲家の
膨大な作品群から自由に曲を選ぶ。)

 

コンクールを生徒に受けさせる先生は
厳しい指導でストイックな練習を生徒に
課す先生が多いと思いますが、
およそ僕ほどその点で「ゆるい先生」はいない(苦笑)
と、自分でも思う。(情けなや・・・)


その女の子は、
コンクール1週間前はUSJに遊びに・・・
2日前には、神社の夏祭りに・・・・

普通に厳しい先生なら
「ユニバーサル?祭り?何言ってるの!
コンクール前の休日は
朝からずっと練習なさい!!(怒)」

と一喝するところだろうが、

僕は
「まあ思いっきり楽しんできて。
手を怪我しないでね~。(^^)/」
といったところ。
普段は他の習い事も含め
家で猛烈に練習する生徒なので、
発散も大事かなと思うのですが・・・ね?

 

僕は、子供の頃からレコード・音楽が大好きで、
LPジャケットの演奏家達に憧れ、
「クラシック(←この言い方は嫌いだ)音楽とピアノ」
一筋約40年!で来ましたが、
「本当に良い音楽」は、良書・良き友人以上に
心の支え・より所となる素晴らしい世界で
あることを実感している。


だから、なるべく生徒には
「先生」や「親」に強制されて
いやいやピアノ音楽や練習に接するのではなく、
自分の力で目で耳で、一歩一歩先に歩み
頑張った向こうに見えてくる世界を
つかんでほしく思う。
僕の役目はあくまでその時々の
「より良い方向修正」にあると考える。

 

閑話休題

・・・さて12時半すぎ
早速、神戸に出陣中の生徒から電話。
結果は、小5・6年生バロックコース受験者中、
第1位の点数!優秀賞!
トップ通過で次の本選に進めることになった。

 

他の自由曲コースのプログラムを見ると、
なんと小学1・2年生でリスト「ラ・カンパネラ」
を弾いている受験者もいる(ひえ~恐っ!)

その前後の普通に小学校1・2年生程度のカワイイ曲を
弾いている子が全く気の毒に感じる。

・・・・・・・・・・・・・・・

大阪や京都でよりも、
神戸での受験は、僕には運気が良いのか、

去年も別のコンクールの本選で
関西の受験者80数人中、
僕の(当時5年生)の男の子が
第1位金賞を獲ってくれた。
小1からドドドドの簡単な曲で習い始めたが、
数年でかなりの曲を弾きこなすまでに。
どんな単純な簡単な曲でも、
侮らず、いつも丁寧に、曲に対する姿勢。
大人でもうなるような「美音」で弾く。
よいセンスの持ち主。

他にも同じく去年神戸で、
優秀賞を2回続けて獲った小3の女の子。
全国には行けず、悔しくて大泣きしたが、
それでもめげず、普段のレッスンもよりまじめに
取り組んでいる。

今日、第1位をとった女の子や、
去年、神戸で頑張った二人も
けっして皆、コンクールでは
良い時ばかりを経験していない!

何度も辛酸をなめて(僕も一緒に)、
それでもめげず、気持ちを腐らせず、
頑張っているところが大切だと思う。


賞や順位云々よりも、この点を
他の生徒にも見習ってほしい。
(コンクールに関係なく、
ピアノを「習う」という観点で)

・・・・・・・・

夕方、神戸から帰ってきた女の子が家にも帰らず、
まず、詳しい報告と賞状を見せに寄ってくれた。


・・・午後7時半すぎ・・・・・
中学の野球部で頑張っている生徒が
今日は、準決勝・決勝で勝ち、
その中学が市内で「初」優勝した
(僕の母校でもある)

今日は炎天下、2試合もしているのに、
ピアノレッスンを休まず、
いつもの7時半にやってきた。

野球部は毎日つらい練習を重ねているので
その分とても嬉しそうだった。
次は県大会だそうだ。
・・・おいおい。発表会の練習大丈夫か?(不安)

今日はそんなわけで、
2つも生徒が「優勝」
持ってきてくれた。
ありがとう。

生徒が帰って後、屋根裏部屋から
港まつりの「花火」を見る。

良い気分で花火を見ながらビール
で祝杯でもあげたいが、
僕はもう15年ぐらいお酒を飲んでいない。
20代・・違う仕事をしていた時は
毎日あびるほど飲んでました。
30代・・ぱったりお酒をやめた。
特に理由はないが、お酒をやめたので
体が重だるくゴロゴロすることなく
夜たくさんピアノを練習できるようになった。
「オレンジーナ」で乾杯!

 

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生徒のコンクール(ザ・シンフォニーホール)

2015年04月01日 | ピアノ

今日は、生徒がコンクール近畿地区大会に挑戦する。

予選(和歌山)

本選(大阪)

と勝ち残って、いよいよ今日は

全国大会をかけて挑戦する。

 

前年度は、この近畿大会まで

僕の生徒が5人勝ち進んで、

うち全国大会へ2人進んだが、

今年は、このコンクールを受ける僕の生徒が

少なく、また予選・本選で残念だったりで

1人しか残らなかった。

 

しかも、今日はあまりモチベーションが

上がらない。何故かというと、

こんなことは初めてだが、

課題曲はA曲 B曲 から

どちらかを選ぶが、なんとA曲の方へ

極端に申し込み人数が殺到し、

なんと二百数十人になってしまった。

片やB曲は八十数人。

 

全国進出は半分、運否天賦の

諦めムードの中の挑戦となる。

・・・とはいえ、可愛い健気な生徒には

どんな不利な状況でも、心を集中して

平常心で、音楽を「真剣に」そして「楽しむ」よう。

はっぱをかけてきました。

 

生徒はもうすでにシンフォニーホールに到着していた。

僕は何とか演奏前にぎりぎり到着。

過去には朝比奈隆の伝説的名演など

が生み出された。音楽の殿堂

「ザ・シンフォニーホール」

決して大きなホールではないが、

何と言っても世界に誇る「音響」が素晴らしい。

 

演奏会やコンクールで

僕がホールで座る座席(自由席)は

いつも一番左の壁側。

演奏者の「手の動き」が良く見えるし

壁に反響する独特の音も味わえる。

オーケストラの場合でも

指揮者の手の動き、コンサートマスターとの

「暗黙のやり取り」もよく見える。

・・・眠たくなったら、壁にもたれる事もできるし。

 

どの子も

この舞台に立つまで、何百回と皆、

真剣な練習を重ねてきたのだろう。

 

皆この舞台の為に多大な時間と練習を費やし、

たった一回きりの1分足らずの本番。

厳しい世界である。

 

課題曲はとても簡単だが、

一聴すると、その子が普段どんな

レベルの練習曲まで進んでいるか

普段どんな練習をしているか

ピアノを教える者ならすぐ判る。

いわんや審査員の先生がたをや。

 

小学生とはいえ

音の響き、リズム、音楽全体の流れなど

皆、スキの無い演奏が続く。

 

時々「息を飲むような」すごい演奏が始まるが、

そんな時に限って最後にミスしたり

なかなか「舞台の魔物」はしたたかに

演奏者を苦しめる。

 

自分のかわいい生徒の番になると、

やはり見ている僕も自分が舞台で弾く以上に

緊張する。

今まででもそうであるが、

生徒が弾き始める瞬間まで

いつも心の中で、

「どうか本人の最高の力を出し切れますように。」

仏様に祈ってしまう(笑)

 

淡いピンクのドレスを着た僕の生徒は

ミスも無く、テンポも安定して、

力むことも無く、レッスンと比べても

本番が一番よい演奏が出来た。

この絶望的状況の中でも、

すこし先に進む希望がもてる演奏だった。

 

舞台にはトロフィーがすでに飾られている。

コンクールは拍手も撮影も禁止だ。(この写真は休憩中)

 

小雨の中、

次々とホールに受験者が

やってくる。

 

先生や父兄と記念写真を撮る受験者たち

 

いつの間にか晴れの天気に。

さて、なにしろ人数が多くなったコースなので、

結果発表も夕方6時前。

まだ正午前なので、

梅田近辺で時間をつぶす。

 

関西の演奏家・音大・芸大生・専門的な音楽愛好家なら

ご存知のクラシック楽譜専門店の老舗

「ササヤ書店」に行って楽譜の立ち読み。

高校の頃からよく電車でササヤに輸入楽譜を買いに来たり、

通販でもササヤから購入していたが、

ここ10数年来、ネット時代に入ってから、

滅多にササヤで楽譜を買う事も無くなった。

久しぶりの「ササヤ」の狭い店舗の雰囲気が落ち着く。

 

丸ビルのタワーレコードで

メンゲルベルクのテレフンケン全録音集成

のCDを購入したり、

喫茶休憩したり、

でもまだ時間がある。

今度は阪急北まで歩いてみる。

 

超久しぶりに阪急「古書の町」をぶらつく。

古書の街 入り口

 

古書店で、希少な音楽書をお買い得で購入。(上機嫌)

 

「古書の街」を出ると、

こんな都会のビル街に神社が。

 

梅田芸術劇場あたりをぶらぶら。

劇場の公演を見ると、ミュージカルや宝塚歌劇団の

演目がずらりと多い。

(おっさんの僕には一寸わからない世界だなあ~)

小学生で、

ミュージカルや宝塚の舞台に憧れ、

その道をめざして一途に研鑽を積む、

心身共に明るく元気一杯の生徒がいます。

彼女も、ここによく来るのだろうか?

(将来の何々組スターの卵かも知れないから、

今の内にサインもらっとこうかな?)

 

「古書の街」で思いがけず入手した

入野義郎大先生(翻訳)の本を、

梅田芸術劇場ちかくのこのベンチで

1時間ほど読みふける。

 

さて、そろそろ夕闇迫ってきました。

シンフォニーホールへ戻りましょうか。

中津(梅田駅北)を遠まわりしながら

ボチボチ歩きだします。

中津から梅田駅周辺を望む。

 

梅田スカイビルの中を通ります。

 

シンフォニーホールで結果発表前に

コンクールでは珍しく、

審査員の先生の演奏が2曲ほど、

「水の反映」と「ラ・カンパネラ」

特にカンパネラは、独自の編曲だろうか

装飾音を少し変えていた。

お疲れなのかミス音も多かったですが、

「ピアニスト」気迫あふれる素晴らしい演奏でした。 

 

・・・・さて結果発表

準優秀賞から順に発表していく。

僕の生徒は「優秀賞」だった。

今回はドボン!(入賞無し)覚悟でしたが、

全国は無理とはいえ、あの大人数の中、

大健闘してくれました。

優秀賞は小トロフィーと賞状。

 

ロビーで詳しい成績表をもらう為、列に並んでいると

僕以外にも男性のピアノの先生が多いのに驚いた。

(※成績表をもらうとき、保護者以外の「先生」の場合は、

係の人が「何々先生」と呼ぶので。)

 

本人は優秀賞でも嬉しそうでなく

全国に行けなくて残念そうだったが、

(ホールのあちこちで、

賞さえもとれずに泣いている子

が多いというのに・・・)

審査員の先生の演奏に感動していました。

家に帰ってからも、動画サイトで

「カンパネラ」の動画を、寝るまで

何度も見まくっていたそうです。(感心)

 

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生々流転・飛花落葉

2015年01月20日 | ピアノ

僕が今住んでいる家は元々、母の実家である。

国道から一つ裏に入った通りにあるが、

この通りを自宅から100メートルほど突き当たったところに、

「和歌山音楽教室」という個人宅教室が昔から(僕が生まれる前より)

ずっとあった。

 

 

ある程度の年齢以上の相愛大のピアノ科出身の方は、

レッスンに通われたであろうし、ご存知であると思う。

 

 

(※僕自身は学生時代、東京で音楽を勉強し、

また、小・中・高と和歌山で習った先生は、

大音や神戸女学院ご出身の先生であったので、

こんなにすぐ近くに住んでいながら何故か縁がありませんでした。)

 

 

和歌山市のピアノ教室・音楽事情・市内の音楽的歴史に

大変お詳しい老舗楽器店の店長いわく、

 

『「和歌山市から進学する音大で最も多いのが相愛大」

である根幹を築いた昔からの教室』

であったという。

親類の方が、相愛のピアノ科教授であったそうだ。

 

俗っぽく言うと、それだけ「強力なパイプ」があるという事であろうか。

(あまり、これ以上は言わずもがな・・・ですね。)

 

 

実は10年ほど前、その和歌山音楽教室の先生がお亡くなりになる前ぐらい、

よくうちの両親の珈琲店に飲みに来てくださっていた。

 

もちろんその頃は、僕も既にピアノ教室を開いてレッスンをしていましたが、

ご高齢で体調もかなり衰弱されているようで、

別段、音楽的なお話を伺う事も出来ずじまいでした。

 

お店に来られなくなってほどなく、お弟子のピアニスト3人による

「○○先生追悼演奏会」の広告で訃報を知りました。

 

 

・・・・・また、その2軒隣に奈良の大学でピアノ科の教授をされている先生も

お住まいでしたが、ご高齢で数年前にお亡くなりになられました。

たしか、バッハ演奏で有名な豊増昇に師事した事もあったと聞きます。

 

音楽教育の重鎮お二方のお住まいからピアノの音色が途絶えて久しく、

やがて空き家となり、今は国体に向けて秋葉山の切通し拡張の為、

取り壊されてしまいました。

 

 

道路拡張工事のため、取壊し中の(元)和歌山音楽教室(赤丸の部分)

2階には受験生が寝泊まりできる部屋まで備わってたそうです。

多くの受験生や子供たちが、緊張しながら、笑いながら、泣きながら、

足繁く通ったであろう和歌山の元祖的音楽教室。

 

・・・・同じピアノを教える者として色々思い巡らせながら

その跡地のすぐ横から、秋葉山に登っていきます。(ちょっと散歩)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しく作り直された展望台。

前の古い展望台はコンクリートで中が見えにくく、夏の夜などしばしばヤンキーのたまり場になったりして良くなかった。 

 

 

梅林横の径(僕が秋葉山で一番好きな風景)

まるで、ブラームスが散歩してそうな・・・

散歩するブラームス

 

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発表会&ショパンコンクール「連チャン」

2014年12月07日 | ピアノ

早朝まで降っていた雨もあがり、
晩秋の青空の中、発表会の会場へ向かう。

今年は今までずっと使っていた会場とは別の会場になる。

    以前の会場  今回の会場

ピアノ  ぺトロフ  スタンウェイ

鍵盤   やや重い    超軽い

ペダル   超軽い    超重い

調律具合  〇     △~X

音色   まろやか   よく鳴る

ホール音響 △      ◎

利便性   〇      ◎

駐車場   △      △

簡略に自分なりに比較してみました。

 

ピアノを試弾きしてまず感じたのが、
調律状態がかなり危なくなっていました。

グランドにしては、
鍵盤の重さ(反動)がアップライトや電子ピアノ並みに
大変軽めに調整されていました。

重いグランドピアノで弾きなれた人には、
空気をつかむような感覚で逆に弾きづらい。

ピアノを運ぶキャスター(駒)が付いたままなので、
子供の力で弾いてもあまり影響がないが、

大人が和音など強く弾くと、一瞬ピアノ自体がグラッ!と動く。
(これは感覚的にかなり焦ります。
おかげで普段はほとんど譜の方を見て弾く僕も、
今回は鍵盤や手元もよく見ながら
演奏しなければなりませんでした。
小学生の生徒は軽くて弾き易かったようでしたが・・・。)

 

準備時間もつかの間、あっという間に開始時間。

 

ほんの少し「おさらい会」の様子を書き出してみると・・・

 

トップバッターは

もうすぐ5歳になる年中の女の子。

今日の発表会がずっと楽しみで、

もちろんはじめての舞台。

しかしいざ舞台に来ると、

明るい舞台照明。客席の見知らぬ顔ぶれ。

普段は元気なのに、さすがに緊張で物怖じしてしまい、

客席の方を見ることができない。

弾いている間も、心細いのか

左に座っている僕の方ばかり向いて弾いていた。

でも一人で弾く曲の時には、

少し慣れてきたらしく、まっすぐ前を向いて弾けてきた。(安心)

舞台裏に戻った時は、もう「ニコニコ」として

舞台裏からなかなか戻ろうとしませんでした。(笑)

次の、年長の女の子も去年までは

先生と連弾だったが、今年はすべて一人でギロックなどを演奏。

(出番前に、この二人は舞台袖で、

お互いのドレスやアクセサリーの

「見せ合い対決」をしていた。)

 

いつもは先生との連弾が多いが、

今年は何人か生徒同士の連弾に挑戦してくれました。 

 

まだ習い始めて半年になるかならないかの

生徒同士だが、(姉妹)連弾に果敢に挑戦してくれました。

マーサ・ミアーの暖かな感じの2曲、

二人は舞台袖でかなり緊張した表情。

でも本番は初挑戦とは思えないほどの

堂々とした演奏を聴かせてくれました。

弾いている姿勢や手の構えも二人とも

「お手本」のように良く、これからが楽しみ。

 

男の子二人、レッスンでは

なかなか最後まで、二人の連弾が合いにくかった

「小さな世界」の(いとこ)連弾も

本番はすごい集中力で、

最後までつっかえず弾き通してくれた。

 

お父さんと生徒の「アナ雪」連弾も、

(実はピアノとヴァイオリンの名手のお父さんだけに、)

安定した連弾のサポートに脱帽。

 

会前日まで学校の期末テスト。

しかも発表会当日の午前中、

学校のマラソン大会を走ってきて、

午後から舞台で「幻想即興曲」を弾いた

「超人レース的」中学3年生の女の子もいます。

 

トリは、普段は部活のテニスの猛練習で、

気の毒なくらいヘトヘトになりながらも

レッスンに通っている高校生の男の子。

習い始めた頃(年長)は、大人しい子でしたが、

今は堂々とベートーヴェンのソナタを弾くほどの好青年に。

いつもは力まずに曲とたわむれる様に弾くのが

彼の演奏の特徴ですが、今日はベートーヴェンと

向き合うような迫力というか気合が入っていました。

などなど・・・一人一人書き出したら限りがないのでこのくらいに。

 

流麗にモーツァルトと会話するような繊細な演奏をする子。

 

緊張どころか人前で弾くのが
楽しくて仕方がないくらい顔の表情に出ている子。

 

緊張で記憶が飛んで演奏が止まってしまった子。

 

ものすごく速くなってしまった子。

 

練習不足のミス音が多すぎて、
まったく別の曲に変貌してしまった子。
(神様~!仏様~!助けて~)

 

緊張で終始両手が全く合っていなかった子。
(逆に器用だなと感心(苦笑))

 

・・・でも皆一人一人「懸命に」弾いてくれました。

僕と生徒のみ知る、
舞台に立つまでのそれぞれの
小さなドラマがあっての演奏なのですからね。
みんな本当によく頑張ってくれました。

 

僕はつくづく「良き」生徒に恵まれ感謝。

 

帰宅後、毎年おさらい会当日の夜は、
必ず会のビデオ録画を全部見る。

 

 

録画を見終え、夜中の1時半に寝るが、
その2時間半後の午前4時に起床

(眠っ!)

30日(日曜)朝5時半、まだ暗がり・・・

バス停で空を見上げると、寒空に北斗七星が煌々と・・・・。

生徒の国際ショパンコンクール in Asia

第16回ソロ部門・地区大会(神戸)」への挑戦を

見届ける為、朝6時発の南海電車に乗りこむ。

かわいい生徒が健気にも、ショパンコンクールに挑戦する。

 

勝てとは言わない。自分のベストを出し尽くせるよう願うのみ。

 

もちろん、「明確な解答の無い」芸術分野の

「コンクール」とは理不尽・不条理がつきもの。

また非情なものであるが、生徒と一緒に何かに向かって

一緒に「」をみれて幸せだ。

 

市駅(南海電車)~難波~尼崎(阪神電車)~神戸三宮(8時到着)

神戸芸術センター ショパン・ホールへ いざいざ。

ショパンホールは、ホールといっても大変小さく、大学の教室的な作り。

昨日の発表会会場の3分の1ぐらいの部屋。

舞台もなく、そんな狭いところに何と

プレイエルのコンサートグランドがドンと鎮座している。

プレイエル(ショパンが愛したピアノ)のコンサートグランド。

(否が応でもテンションUP!)

国際コンクールなので審査員の顔ぶれに外国の先生方も。

併願制なので、すでに他地区で入賞決めた人の当日欠場もかなりあった。

(受けなかった併願の分の受験料は返ってこないので、受験料だけでも

10万円ぐらいは平気でかけている「筋金入りの」受験者が多いのだろう。)(恐)

プログラムも顔写真・演奏曲・学校名まで記載された立派な分厚い冊子。

生徒の受けるコースでは和歌山市からの受験者はその生徒一人だけだった。

 

受付までまだ一時間ほどある。

僕の生徒はまだ和歌山から到着していないようなので、

すぐ近くの北野・異人館街を散歩する。

早朝の異人館街

異人館街で朝食でも食べたいが、

日曜早朝で店もまだ開店していない。

ラインの館(シューマンの交響曲第3番「ライン」が流れてきそうな感じ?)

裏路地って大好き。(人生裏路地独歩独楽)

携帯子供用ペダルなど荷物を持ち、

背広に革靴で坂道を歩くと疲れる。

高台の公園で一休み。

オランダ坂(有名な「うろこの館」へ続く道)

「うろこ」までは行かず。

この「サックスおじさん」のベンチに腰掛けてると、

睡眠不足で爆睡しそうになった。(危なっ!)

眠気覚ましにリポビタン一気飲み。

萌黄の館

なんだかんだで、結局ぶらりぶらりと異人館街をほぼ廻ってしまった。

いかん!いかん!観光気分になってしまい本来の目的を忘れそう。

そろそろ生徒も神戸に到着している頃・・・・

さて、「本命」のホールの方へ戻りますか。新神戸駅方向へ坂道を下る。

 

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平々凡々な一日

2014年10月28日 | ピアノ

先月9月21日に
4歳からずっと習っている
中3の女の子が
吹奏楽部の定期演奏会で
フルート・ソロや
ピアノ演奏もするので
愛弟子の晴れ舞台を見るべく
市民会館に花束片手に足を運ぶ。

(彼女は12月にフルートで
コンクール全国大会にも出る。
※ピアノで出て欲しかったが・・・・)

4歳でピアノを習い始めた当初は
とにかく人見知りで
毎回泣いてばかりで
ほとんど数か月の間は
レッスンになりませんでした。

童謡や子供の歌を弾いても
なかなか泣き止まず
当時の僕はまさに
「犬のおまわりさん」状態。

そんな彼女が今や
堂々と舞台で
フルートやピアノを演奏し
副部長として部員を
まとめ引っ張っている。

また彼女は「絶対音感」も
吹奏楽部員の中で
「一番優秀」と
顧問の音楽の先生に
大変信頼されているそうだ。

演奏を聴きながら
感慨もひとしおです。

さて・・・
しばらく客席で聴いているうちに
左肩から左腕の肘にかけて
突然、強烈な痛みが起こり
じっと座っていることも出来ず
ロビーに出たり
立ち見で聴いたり
・・・とにかく
肩・腕の痛みで
じっとしていられない。

傘の先の鋭い鉄の部分で
思いっきりグイグイ
突かれている感じの痛さ!

彼女が無事ソロや
ピアノ演奏を
終えるのを見届けるや
最後まで聴きたい所
這う這うの体で家に帰る。

 

翌日、病院で診てもらうと
レントゲンと症状から
「頚椎症性・神経根症」
(けいついしょうせい・しんけいこんしょう)
との診断を受ける。

頸椎の背中側に
小さなトゲ状の部分ができ
それが神経にあたり
強烈な痛みがはしるという。

レントゲン写真で
「これが頸椎のトゲ状の変形部分・・・」
と言われても
僕のような素人には、
ほとんど判らないぐらい
小さな変形。

 

痛みは「4週間から半年」
(超アバウト)
ぐらいで収まっていくというが
秋には生徒のコンクール予選・本選
そして発表会も控えてるのに
何カ月もこんな痛みが続くと
どうしようもない。

症状が長期に酷いときは
「手術」という手段もあるそうだが・・・。

もらった薬はロキソニンのみ。
自然治癒を待つしかないようだ。

24時間治まらない痛みもつらいが
最もつらいのが痛さの為
たった3分もピアノが弾けない事である。

腕の筋肉自体は
何ともないのだが
神経なので弾いていると
腕に激痛がはしり
痛みで指に力が入らない。

痛みは左なのに
右手だけで弾いても
左腕に痛みがはしる。

 

生徒のレッスンは
何とか痛みを我慢し
指導できるが
手本弾き・連弾がつらい。

椅子もじっと座ってると
痛くなってくるので
部屋内を立ったり
歩いたりしながらレッスンする。

 

自転車も右片手走行である。
ロードは体勢的に無理

おいおい乗るなっ!
って言われそうですが。

睡眠も
「仰向け」
「うつ伏せ」
「左向き」
に寝れないので、
唯一「右向きに」のみの体勢で寝る。

・・・が寝入って無意識に
寝返りを打つと
とたんに激痛が走り
目が覚めてしまう。

そんな感じで、
特に
痛みがひどかった
2週間ほどの間は
「熟睡」できず
ちょっと痩せてしまった。

 

僕にとってピアノを
全く練習出来なかった2週間は
精神的に大変つらく
かわりに作曲に専念したり
遠藤郁子のショパンCDを
聴いたりしていた。

ショパンを弾く
「日本人ピアニスト」では

遠藤郁子が僕の中では最高です。

 

毎日、カレンダーに痛みの具合を
グラフ的に記していく。

10月14日(4週間目)
ぐらいを境に
ようやく痛みも弱くなり、

自由な体勢で仰向けに
寝れるようになってきた。

ピアノも(左に弱い痛みはずっと感じるが)
普通に長時間、練習出来る様になってきた!

大好きな自転車もロードで
普通に乗れるようになってきた!

当初、病院で言われた通り4週間で
だいぶ楽になってきた!

 

(また再発するかもしれませんが。
・・・実は左肩の弱い痛みは
8年ほど前からずっと続いていた。)

 

「頚椎症性神経根症」は
40〜50歳に多い「生活習慣病」らしく、
普段の姿勢、
睡眠中の姿勢が大事だという。

僕は学生の頃よりずっと「枕」無しで
寝ていたので、それが一つの原因らしい。

病院の先生のアドバイス通り、
今はバスタオルを数枚重ねて
枕がわりに高さを調整しながら寝ている。

 

今日は日曜日、朝から秋晴れの最高の天気。

ちょうど「和歌浦JAZZマラソン」の日なので、
自転車で和歌浦を少しポタリングした後、
ライブ会場の一つ「アートキューブ」のベンチに腰掛け、
目の前の風光明媚な景観を眺めながら、
ジャズバンドの演奏を一時間ほど聴く。

バンドジャズだが、
各楽器のインプロビゼーションも
しっかりしており、
なかなかの名演だった。

腕の痛みもほとんど治まり、
こうして普通に何気ない休日の
ひと時を過ごせる事の「幸せ」を実感する。

不老橋の周辺は、
やはり和歌山市内でも
屈指の歴史と風格ただよう景観だ。

 

午後からは車に乗換え、
プログラム用の用紙を買いに行く。

プログラムといっても
パソコンで印刷した演目を
並べただけのシンプルなプリントだが、

ずっと発表会では、
僕なりの縁起を担いで
「音楽国家」オーストリア製の用紙を使っている。

少々高価ではあるが、
子供の頃の発表会のプログラムは
生徒にとって思い出の一つとなるもの
だから良い物を使いたい。

さあ今度は生徒のコンクールに発表会。
今度は胃腸がいたくなりそうですが。

 

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生徒には薦められない(?)超絶的名演!

2014年10月21日 | ピアノ

もう20数年ほど前
新宿3丁目と御茶ノ水

ディスクユニオン」という
中古レコード・中古CD専門店があり

当時、貧乏学生の僕は昼兼夕食を
「立ち喰いそば一杯(富士そば)」
で済まし
節約したお金で

出来るだけ安く多く
レアな名盤を店内で漁り
何時間も迷って購入していました。

そんな中で手に入れた
青春時代の思い出の一枚(CD)

チャイコフスキー
ピアノ協奏曲第1番
(1948年録音)

ブラームス
ピアノ協奏曲第1番
(1936年録音)

ブルーノ・ワルター指揮
ウラディーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)

(イタリア輸入盤CD) 

 

 

ホロヴィッツとワルターの共演も珍しいが
演奏が凄すぎる。
歴史的な超名演!

録音は古色蒼然
悪いどころではなく

大幅に録音がカットされていたり
音飛びがしたり

決して普通に鑑賞に耐えうるCDではない。

マニア向けのCDである。

 

 

音楽愛好家や
クラシックピアノを
勉強している人なら、

おそらく知らない人はいない
であろう神的存在・・・・

「ウラディーミル・ホロヴィッツ」

83年来日時には破格の
プレミア・チケット

たった1回の演奏会に
3台のホロヴィッツお気に入りの
スタンウェイ・ピアノを
アメリカから飛行機で
空輸。

ホロヴィッツ専属の
医師・料理人・調律師も
一緒に来日。

滞在ホテルの部屋は
ホロヴィッツの自宅の
部屋に
似せてわざわざ改装

・・・・などすべてが
伝説的ピアニスト。

(Vladimir Horowitz 1903- 1989)

 

(Bruno Walter 1876-1962)

 

そのホロヴィッツが
30~40歳台の若き日に
残した演奏がこのCD

このCDの演奏を一言で例えると

極端な「動」と「静」

極端な「ロマンティシズム」と
「ノイエ・ザッハリヒカイト」

相反するものが両立している。
・・・って感じでしょうか(笑)

 

 

演奏はあまりにも過激
ピアノが壊れそうなくらいの
鋭く
強烈なタッチ!

人間がここまで弾けるのか!

と思うほどの猛烈な
爆発するようなテンポ!

 

 

普段温厚なワルターも過激に
オーケストラもアンサンブル
が崩れようが、なりふり構わず
燃え上がっています。

チャイコフスキーの
第1楽章・第3楽章

各第2テーマでの
カンタービレは陶酔の極み!

ブラームスでの雷のような
ティンパ二のもの凄い強打

 

 

耳の肥えたアメリカ
オランダの聴衆でさえも

最後の音が鳴り終わらない内に

嵐のような拍手!!

  

もしコンクールで
こんな演奏すれば

予選で「落選」すること必定!

即舞台から引きずりおろされる(笑)

(神ホロヴィッツを
引きずりおろせる審査員
なんて誰もいないでしょうが・・・)

 

ヘビメタやパンクロックの
過激なパフォーマンスでも

この演奏に比べたら
子供の遊びのように
可愛らしく思えるほど。

 

はじめてこのCDを
家賃1万3千円の
ボロ学生アパートの
部屋で聴いた僕は

まるで「阿修羅」
「不動明王」
ピアノを弾いている
錯覚に襲われました。


「これこそ!
ピアノ演奏!
演奏芸術の神髄!」

とまで興奮して
日記に書いたこと
懐かしいです。

演奏があまりにも
過激なため
クラシック入門者や生徒には
ピアノ教師として
決して
すすめられません。

買ってはいけないCD
(すでに絶版です)

 

 ・・・が、今でも
体調や気持ちが
思わしくないときや

音楽の勉強に
行き詰まりそうな時は
必ず取り出して聴く
「学生時代の思い出の詰まった」

僕にとって
かけがえのない
大切な一枚です。

 

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クナパとバックハウスの喧嘩協奏曲? ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の名(迷)演・爆演

2014年06月19日 | ピアノ

ハンス・クナッパーツブッシュと言えば
巨大なオーケストラの「うねり」を感じさせる
スケールの大きな演奏をする指揮者である。

その指揮姿も音楽と同様
大河のようにスケールが大きく
悠然と堂々としたもので
僕自身にとっても
指揮者を志して真剣に勉強していた青春時代の
「理想像」の一つでありました。


スケールの大きな演奏と言えば
クナパの他に
オットー・クレンペラーも有名だが
クナパの方は、遊び心があり寛容的であるが
後者は哲学的であり、不寛容な厳しさがある。


ハンス・クナッパーツブッシュ
(1888-1965)


オットー・クレンペラー
(1885-1973)

いずれにしても、クナパもクレンペラーも
「古き良き時代の」巨匠大指揮者で
今現在、世界の有名な第一線で活躍する
指揮者を見回してもこんな「カリスマ指揮者」は
まず見当たらない。

最近、世界のクラシック音楽界も
コンクールあがりのやたらと器用な
優等生的演奏家が多く目立ち
事なかれ主義的といいますか
没個性的で画一的な傾向に染まっているように思う。
・・・・時代のせいかなあ。

はっきり言って
現在活躍中の指揮者・ピアニストも
まるで「判を押したように」
同じような解釈・演奏ばかりだ。


その証拠に

ここ20年来の「ショパン・コンクール」の
優勝者で巨匠または世界に君臨している
ピアニストがいるでしょうか?

名前さえ思い出せないほどです

ずっと昔のブーニンぐらいまでさかのぼらないと・・・

ロシア ピアニズムの神髄をネイガウス派の大御所たる祖父・父から受継ぐブーニン・・・

日本国内では一時大ブームになったブーニンさんも
言い方は悪いが、一発屋的なブームに終わってしまったような・・・1ファンとして誠に残念!

現代の巨匠バレンボイムにアシュケナージ
・・・両巨匠ともピアニストとしては
その膨大なレパートリーと人並み外れた技量に敬服しますが
指揮者としての演奏はいたって凡庸で
(毎回期待して聴くのですが・・・)
画竜点睛を欠く」つまらない演奏でガッカリです。

最近、ヨーロッパ指揮界を席巻している若手
ティーレマンやドゥダメルも個性に乏しい。
どこが素晴らしいのか理解に苦しむ。



・・・僕の耳が幼稚なのか、時代の風潮なのか・・・

※追記:ドゥダメルに関しては、
シモン・ボリバル・ユースオーケストラ
を振ったベートーヴェン交響曲
はトスカニーニやC・クライバーには及ばないが
若々しい緊張感・覇気に満ちて好演。

ある御大SPレコード研究者は
「最近の演奏は、みんな画一的
インターナショナルになってしまった。・・・」
「世界中のどこに行ってもある
世界中のどこでも均一な味
まるでマクドナルドやKFCのよう・・・」
と嘆いていました。
・・・・同感。

指揮者でなく、オーケストラ側にも原因がある。
現在のベルリン・フィルのように
最近はオーケストラが指揮者よりも
完全にイニシアティブをとっている場合が多く


オーケストラの楽員にとって
「うるさくない」または
「気持ちよく演奏させてくれる」
指揮者
を選ぶ傾向が
一つの原因になっているようにも思う。

故クラウディオ・アバドなど
まさにその典型的な例でしょうか。

指揮者一人の個性が100人のオケに浸透すれば
素晴らしい演奏が出来上がるが
その逆になると概して
つまらない演奏になってしまう。
「オーケストラ」の世界では民主的よりも
独裁・専制君主的な方が良い演奏が生まれるのかも。
(苦笑)

さて、
本題のベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番『皇帝』

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
バイエルン国立管弦楽団
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)

 

1959年ライヴ録音であるが
「鍵盤の師子王」の異名をとる
ウィルヘルム・バックハウス
ソリストに迎え
渋い響きのバイエルン響をバックに
役者は申し分ないほど揃っているが
演奏がとんでもない迷演である。

バックハウスもクナッパーツブッシュも
頑固な巨匠であるせいか
第1楽章冒頭から
指揮者(オケ)とピアニストが
全く合っていない

もうこれは「意地の張り合い」というより「喧嘩」だ

オーケストラも指揮者に従いつつも
ピアニストに気を遣ったり
両者の間で揺れ動き、大変そうである。

途中は両者うまくかみ合って
音楽が無事流れていくが
第1楽章終盤で再び大きくかみ合わない。

バイエルン響のような超一流オーケストラであれば
「皇帝」など皆、熟知の曲であり
練習不足などまず考えられない。

しかし
演奏会本番でここまで
お互いの解釈を譲らない演奏が
全体として深い感動を呼び起こすのは
さすがどちらも巨匠である。

ゴジラVSキングギドラ」といいましょうか
往年の怪獣映画的な豪快な名演です。(笑)

また30年ほど前
TV番組「題名のない音楽会」で
故・岩城宏之氏がちょうどこのライブを
実際に客席で聴いた印象を語っていた。

以来、いつかこの演奏を聴きたいと
正規版CDを何年も探していました。
十数年前にやっと購入しましたが
今は自宅のCD数千枚の山の
どこかに埋もれています。
・・・入手しても再び探しだすのに難儀してます(汗)

カップリング曲の交響曲第8番もクナパ特有の
雄大なスローテンポで
とかく「軽く小さく」見られがちな「ベト8番」
の立派さを改めて気づかせてくれる。

さらに、もう一つ「皇帝」の爆演をご紹介。

バックハウスに並ぶ
往年のピアノの巨匠
 ワルター・ギーゼキング

録音:1945年1月23日、ベルリン

1945年の帝都ベルリンでの演奏会である。
なんと!ドイツ降伏約4か月前の歴史的ドキュメントでもある。

また、世界初のステレオ録音での公的演奏。

1945年ベルリンと言えば

西からはパットン将軍・モンゴメリ将軍率いる
アメリカ・イギリスの連合軍が
ライン川を渡ろうとしており

東からはジューコフ将軍率いるソビエトの大軍が
オーデル川を越えて赤軍大攻勢。

ベルリンは毎日のように空襲にさらされ・・・
この日の演奏会も空襲で中断されている。
帝都は焦土・廃墟と化し、
逃げ惑う市民をよそに
ヒトラー達はさっさと安全な地下壕に隠れ・・・

ベルリン市民は、絶望的状況の中
死を目前にしながらも
音楽に一縷の希望を見出そうと
唯一「人間的な」思考に戻ろうと
ギーゼキングやフルトヴェングラーの
真剣な演奏に耳を傾け
命がけで演奏会に通ったのだろう。

「この非常戦時下において・・・
「歌舞音曲」とは・・・非国民め!」

などと音楽・芸術を蔑視していた
当時の日本とは大違いである。

第1楽章 再現部ピアノパート
フォルテッシッモのトリル・ユニゾン上行を経て
ピアニッシモの3連符・嬰ハ短調の美しい部分
その静けさの中から「ドン!ドン!・・」と

連合軍のベルリン空爆に対する

ドイツ軍の高射砲の発射音
かすかに聞こえる事で有名な録音

(ヘッドホンなどで聴かないと聴き取れにくい。)


動画でも聴ける。(1944年はデータ間違い)

ギーゼキング独特のみずみずしいまでに美しい音は
戦争の絶望的・危機的状況にあっても揺らぐことはない。

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戦争で廃墟と化した帝都ベルリン
その戦後間もない1947年
空襲で瓦礫と化した
旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール
で若きS・チェリビダッケ
ベルリン・フィルを指揮した映像がある。

この映像の経緯は・・・

ドイツ国内で迫害を受けていた
ユダヤ人演奏家達や
ユダヤ人音楽家達を擁護(ようご)し
ナチス政府に正面向かって主張し続けた
ベルリン・フィル指揮者
W・フルトヴェングラー
反ナチス的行動に業を煮やした
ナチス親衛隊長官ヒムラーに
逮捕されそうになる直前
1945年冬、演奏会終了後
ナチス秘密警察の追手をくぐりぬけ

間一髪でスイスに亡命。

ドイツ降伏直後、
指揮者不在のベルリン・フィルに
就任したレオ・ボルヒャルト
占領軍のアメリカSP兵の誤認で
射殺されてしまう。

そのあとにチェリビダッケに
指名がかかった。

フルトヴェングラー時代の
コンサートマスター
ジークフリード・ボリスの
顔も見える。

空襲で瓦礫と化したホールに響く
ベートーヴェン「エグモント」序曲

動画の1950年表記は間違い


録音が悪いので、
一見演奏が粗く聴こえるが
当時のベルリン・フィルの演奏水準は
現代のベルリン・フィルや世界一流の
オーケストラと比べても
格段に「上」であることが
この映像からも
はっきりとわかる。
気迫も凄すぎる。

仁王立ちのチェリの指揮は
少々暑苦しいが
チェリおなじみの演奏中の「ティー!」
掛け声が聞こえるような気がする。




中学・高校の頃は、
高価な演奏会チケットやCDを買うお小遣いも少なく、
代わりに毎週日曜朝にFMラジオで放送していた
過去の名演奏家のシリーズなどを、
ずっとテープにエアチェックしていました。
カザルス・コルトー・ティボー・ワルター・・・・


もちろんギーゼキング特集も毎週録音していました。

段ボール数箱分のカセットテープは未だに捨てられません。


思えば、こうした過去の巨匠の演奏が、
青年期の僕の音楽的素養を形成してくれたのかも知れません。

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シゲ君 引越(;_;)/~~~最後のレッスン

2013年07月29日 | ピアノ

小3のシゲ君が
急きょお父さんの転勤で
神奈川に引っ越することになり
今日が最後のレッスンとなりました。

鎌倉から転勤で和歌山に
僕のもとでピアノを
「全くの1」からはじめて
今日で1年と数か月。

今年秋の発表会には、

ベートーヴェンのトルコ行進曲

を弾けるまでになっていました。
(それも幻となりましたが。)

おうちでの練習も真面目で熱心で
学校の勉強もよく出来
貝などの海洋生物にとても詳しく

(海南の自然博物館の常連で、
学芸員さんにも一目おかれるほど。)

「何事にも興味と好奇心を持ち、
それに対して、自分で熱心に研究する・・・」

そんな「学者肌」の聡明な男の子でした。

シゲ君・和歌山での最後のレッスンで、
ベートーヴェン・トルコ行進曲を弾く。

 

小学校の野外授業「地域散歩」で、
シゲ君はレッスン室から見える
うちの「サクランボの木」を
クラスの皆に紹介していました。

朝、3年生80人ぐらいに先生・父兄が、
うちの駐車場に
集まっていたのには
びっくりしました。

皆の前で、サクランボの木の事や、
その実で作ったジャム
(そのあとワイワイと皆で食べていましたが・・)

レッスン室のピアノの黒い鏡面に写る
緑色のサクランボの葉の美しさ。
・・・など

なかなかの鋭い感性の作文を、
上手に読み上げていました。

神奈川でもさらにピアノ頑張って、
いつか僕とピアノ対決することを約束しました。
・・・大成長たのしみにしています。


※追記(2016年)
シゲ君からハガキが来た。
今度「ダーウィンが来た」
という番組に出るそうだ。
そして鎌倉でもピアノを続け、
今年の発表会では
バッハの舞曲を弾くという。
わが生徒諸君!彼に負けるな!!)

将来はバッハの弾ける生物学者かな?
活躍がたのしみ。


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