当麻寺をあとに新緑の中を
チャリで当麻寺周辺を散策します。
大和三山を一望のもとに見渡す。
大津皇子の石碑
(姉・大泊皇女の歌碑)
大津皇子にとって
姉の大泊皇女は
幼き頃に失った亡き母
太田皇女(おおたのひめみこ)
(讃良皇后(=持統女帝)の姉)
のような存在だったのだろう。
讃良皇后は夫・天武天皇が崩御
するやいなや間髪を入れず、甥の
大津皇子を逮捕・自害に追いやる。
二上山
「大津皇子の変」は
後世の歴史家によって
持統女帝か大津皇子
どちらに「否」があるのか
判断の分かれる
ところである。
「大津皇子の変」あたりの
人物関係を自分なりに
まとめて書いてみました。
参考まで・・・
「天上の虹」では
讃良皇女(さららのひめみこ)
(=後の持統女帝)が物語の
主人公であるので
明らかに大津皇子に
謀反計画があった風に描かれている。
反対に・・・
「日本の歴史」第2巻(飛鳥と奈良)
(読売新聞社 S34年刊)
には大津皇子に謀反の形跡
らしいものが何も無いのに
讃良皇女が自分の息子・草壁皇子が
天皇になる為の後難をあらかじめ
排除しておくために、
大津皇子に無実の罪をきせ
自害に追いやったと記述されている。
いずれにしても讃良皇女
(持統女帝)が
大津皇子よりも一枚も二枚も
上手(うわて)だった
という事はまぎれもない事実。
しかし讃良皇女を悲劇が襲う
・・・大津処刑の3年後
689年息子・草壁皇子が急死する。
それが持統天皇(持統女帝)即位へと
つながっていく。
(詳しい事は「天上の虹」や
その他歴史書籍で・・・)
二上山のふもとにある
当麻山口神社の鳥居。
一見普通の鳥居の風景
だが、何故か魅かれる。
鳥居のすぐそばの「傘堂」
なんか「から傘オバケ」みたい。
大津皇子の遺体は
二上山・山頂に
埋葬されたとされるが、
近年発見された
この二上山登山口にある
「鳥谷口古墳」が
大津皇子の墓であると
する説も強まっている。
静かな池のほとりには
たった2羽のガチョウしかいない。
古墳手前へ行こうとすると、
2羽のつがいのガチョウが
けたたましく鳴き出す。
まるで古墳に向かう事を
拒むかの様だ・・・
僕は「鳴き声」に
思わずハッ!とした。
さっきコミックで読んだ
大津皇子が処刑される
直前の「辞世の歌」と
シンクロしたからだ!
英知・才能に優れ
人民・臣下の人望が厚い
大津皇子が無念の中、
処刑(絞首刑)される池の
ほとりにて詠んだ辞世の歌
享年24歳
ももづたふ 磐余(いはれ)の池に
鳴く鴨(かも)を 今日(けふ)のみ見てや
雲隠(がく)りなむ
「万葉集」第三巻・416
いわれの池に鳴く鴨も今日限りの見納めか・・・
私は今から雲の彼方へ旅立って行くのか・・・
夫の処刑を聞いた妻の
山辺皇女(やまべのひめみこ)
は髪をふり乱して、
裸足のまま大津皇子の
遺体の場所まで駆けつけ、
そのまま殉死したと
「日本書紀」は記す。
※山辺皇女については
永井路子の小説
「裸足の皇女」がある。
鴨ではなく「ガチョウ」の
品のない鳴き声だったが・・・
ガチョウが「ここが皇子の墓だよ」
「皇子の眠りを妨げなさるな・・」
と教えてくれたように感じた。
この二上山の雄岳・雌岳に
抱かれる様なこの場所・・・
大津を慕う姉や人々なら、
獣多き寂しい山頂よりも、
この麓に埋葬するであろう・・
僕は「ここだ」と確信した。
鳥谷口古墳を写したつもりが、
何故かデジカメに保存されていない。
(大失態・・・謝)
当麻寺東塔
当麻寺周辺を散策。
レンガ煙突のようなもの発見。
なんか「反射炉」を思い出す。
(反射炉はすごく大きいが)
大学生の頃、
教授と音楽学生数人だけで
オペラ「修善寺物語」の勉強も
兼ねて伊豆を2泊旅行した折に
韮山の「反射炉」も訪れた。
当麻寺門前のそば屋さん
で昼食をとり、
そのまま東へ走ります。
「日本最古」の「国道」
竹内街道(613年)
R166号を走り、
古書店やイオンなどに
寄り道しながら、
歴史的な町並みで有名な
「今井町」へ向かいます。
今井町は戦国時代
一向宗の門徒達により
称念寺を中心に
寺内町として発展。
「大和の金は今井に七分」
と言われる程、繁栄した町。
昔ながらの町屋が軒を連ねる。
神仏習合的な色合いを残す
春日神社(西南角)から
今井町散策スタート。
ちなみに本来、今井町散策
を始める時は、東南角の
今井まちなみ交流センター「華甍」
に寄ってからが正解。
お豆腐屋さん店先の
豆腐の自販機を
(そんなの初めて見た)
上手く使えずに
ずっと困っている
お婆ちゃんを
散策中の親切なご夫婦が
解決してくれたようです。
お婆ちゃんまだ買うの・・・
大丈夫かいな・・?
かつての一向宗の拠点
今井町の中心
称念寺(浄土真宗)
夢ら咲長屋
(案内所兼休憩所)
今井町の道路の敷石に
よく見ると、
今井町をかたどった地図模様が。
おっ!
ピアノ教室発見!
町屋の外見からすると、
こちらの教室の生徒さんは
皆さん「お行儀」がよさそうですなぁ。
GW中なのでレッスンはお休みかな?
バイエルやソナチネの素朴な音色を
聴きながら散策したかったなあ・・・
河合家住宅(酒屋)
ここの郵便局素敵だなあ。
お城のような今西家住宅
今井町を一通り巡ったので
最後に珈琲休憩して帰途に着きますか。
祖父の旧家にあったようなガラス戸越しに
眺める素朴な庭の風景・・・
古書店で買った本を読みながら
静かに珈琲を楽しみます。
クロード・ドビュッシーの
ピアノ曲に関する本2冊と
フレデリック・ショパンに関する本1冊。
そして、
連合艦隊司令長官・山本五十六に
関する本1冊を購入。
大津皇子と並んで
「歴史の悲劇」に
飲み込まれた人物
当時日本の軍部の中で
最も侵略戦争や
アメリカと戦争を
「したくなかった」人物
だが皮肉にも
真珠湾攻撃を指揮する事に・・。
連合艦隊司令長官
山本五十六(いそろく)の箴言(しんげん)
「やってみせ、
言って聞かせて、
させてみせ、
ほめてやらねば、
人は動かじ。
話し合い、
耳を傾け、
承認し、
任せてやらねば、
人は育たず。
やっている姿を
感謝で見守って、
信頼せねば、
人は実らず。」
軍部の最高指導者たちが
安全な日本本土でぬくぬくと
命令を下す中、
連合艦隊司令長官
山本五十六は一人
地獄の戦場「南太平洋」に出向き
直接指揮し、
敵地・最前線ブーゲンビル島
で戦う兵士を励ましに
見舞う往路で
アメリカ軍機の
待ち伏せにあい戦死する。
戦争という人類最悪最低な行為で
最も悲惨な目に合うのは
弱者・一般人そして「正しい人」達
なのだろう・・・。
奈良散策・・・
のんびりと走れて
いい休日でした。
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