デモクラシー=民主主義という言葉というか概念が揺らいでいるような気がします。というのは、民主主義の機能不全が明らかになっているからです。国民の多数の意見に基づいて政治が行うことですが、その大衆の愚かさにより、最悪の政治になってしまう、そういう民主主義の一面が指摘されます。最悪ヒトラーだ、全体主義だと。
実はこれは政治的民主主義(デモクラシー)ですが、異なる概念があります。ちょうどフランス革命の頃唱えられていた概念です。社会的民主主義(デモクラシー)です。これは社会問題に対するデモクラシー(面倒臭いので以下デモクラシー)で、政治的な多数意見によって生じる社会の不平等に対して考えようということから生まれたと思います。
社会や経済の不平等が生じるのが資本主義社会ですが、できるだけ一般民衆の利益にかなうようにしようという考えです。トクヴィルの考えでは、この不平等は各自の様々な条件、どういう家に生まれたのかによって大きな影響を受けざるを得ないので、この不平等な条件を整えようということに向かいます。
政治的デモクラシーでは、参政権に向かいますが、ですから社会的デモクラシーは、例えば生活条件を平等に向かうようにしようということ、この考えを広めれば、教育条件を平等に、障害者を平等に、高齢者も・・という方向に向かいます。この2つのデモクラシーによって、デモクラシーは完成する。
現在お金がある奴が負担が大きくて、不平等感を感じるなどの話が出てきます。「こんなに税金負担しているのに」とか、最近では「経済回しているのはお金がある人たちだろう」とか。実はこのような考えを調整しようとするのが政治でもあったのです。
近代のデモクラシー、自由で平等が目指すのはこの不平等感も問題であったのです。当時誰が、このような不平等感を持ったかというと、お金がある奴だったのです。それは貴族や富裕なブルジョアジーです。
ですから、現在お金持ちが不平等感を持つのは、当時の貴族やブルジョアジーと同じ立場になっているということでしょう。
生活条件を平等にというのは、いろいろな施策があります。生活保護から始まる様々な社会保障に、福祉政策に向かうわけです。これは社会民主主義という考えですから、これが社会的デモクラシーと一致します。ですから近代社会はフランス革命の時を振り返ってもても、(政治的)デモクラシーと同時に現在社会民主主義的側面を抱えていたのです。
(続く)